漸進奏波  【吐息の航跡Xll】
 キルワ沖大海戦の個人戦績を下記に。↓

  初日  : 勝利数 21 勝利ポイント 46 戦功 48
  中日  : 勝利数 19 勝利ポイント 38 戦功 41
  千秋楽 : 勝利数 20 勝利ポイント 34 戦功 40

  いまになってという観もあるけれど、日記の更新も海戦同様おそめおそめが売りなので。(焦)
  辛抱を要する海戦でした。なにしろ、戦えない。とりわけ3日目など、中型クラスでは実に連続して40分間一戦もできず、大型クラスでは5回交戦できたかどうか。ただでさえ交戦に苦労する数的優位の側で、ペア艦隊に他の味方が援軍に入ってしまったときは静かにペア艦隊の戦闘終了を待つという方針をとったためもあり、戦闘回数はさらに激減。
  おまけに二日目以降は、自艦隊が近づくと敵艦隊が次々と解散してしまうという事態に。これ、異なる複数の艦隊で徹底していたので、そうした勧告が相手側に出回っていたのかもしれません。とすればこの戦略は見事に的を射たわけで、ペア艦隊には3日目小型の時点でMVPが出ていたのですが、中大クラスを終えたあとは狙うべくもない戦闘回数に抑えられてしまいました。
  上記の戦績で、勝利数に差はないのに勝利ポイントが日ごとに落ちているのは、戦闘回数が中大クラスで減り、小型でなんとか勝利数を稼いだことの裏返しですね。勝利ポイントと戦功の差には個人の撃沈/拿捕の戦果がじかに反映されるわけですが、この点はなんとか日ごとに上げることができました。しかしながら、僚艦10隻のなかではおそらくダントツに低いほうではないかと思います。精進々々。

  さて今回の海戦では、ペア艦隊における援軍側PTに入ることがあらかじめわかっていたため、“敵提督の捕捉”へのシフトを個人的に心がけてみました。援軍側なので全体的に味方提督よりも敵提督に近い場所でのエンカウントが多く、砲撃力において僚艦が自艦を圧倒的に凌ぐことも確かなため、なるべく敵提督に向けての接舷機会を増やすよう試みたのですね。
  まず接舷(+逃走)スキルを使用し敵旗艦を捕捉、破壊の錐にて浸水させ、僚艦が好位置に寄るまで白兵状態を維持、白兵撤退の直前に相手を押し戻す方向へ舵を切りつつ、撤退直後は機雷を連打。装備は操舵ブーストの鎧とアクセに回避剣を着用(中大クラス)、状況に応じてメインフルリグドセイルや軽めの装甲への切り換えをし、初日にはイスタンブールまで逃走スキルを取りに帰ったりもしました。^^;
  結果としては、味方提督の手腕も手伝い、この方向性は一定の成果を生んだように思います。場合に応じた白兵維持の意識から、大海戦では個人的に初となる、敵提督拿捕のケースも二度ほどありました。

  これらは言ってみればわざわざ書き付けるまでもない当たり前のことなのですが、他にも可能性のあるなかで当然のことだけを着実にこなしていくと実際には、意識せずにこなしているうちは見えてこない“その先”があることを多々実感できるようになってきます。たとえば白兵に入る角度によって撤退後の瞬間に敵旗艦が向ける船尾の方向は変わるわけですが、本当に上手いひとはきちんとこれを読んでいたりする。この境地ではもう、スキルランクとか副官能力の云々とかほとんど関係ない。“対人”の面白さにおける白眉はまさに、ここらへんにありそうです。少しずつ、前に進んでいきたいですね。
  また具体的な反省点の一つとして、F8を外科にしたほうが良かったか、とも。今回に限った話ではあるけれど、僚艦が複数撃沈されることが少なく、数的不利な局面がほとんどなかったため、わたしが外科を優先しても修理の手はじゅうぶんに厚かっただろうと思うんですね。それに比して、やや外科が遅れる場面は多かった。状況に応じて判断の可能域を広く保て、という話。
  
  ところでこの海戦では、海戦自体の周縁でもいろいろと、これまでにない類の事件がありました。前回記事にも書いた投資を巡るゴタゴタについては、その後ポルトガル商人のかたからもTellをいただき、どうも情報の行き違いがあったらしいことを知りました。ポルトガルの商人さんには以前から世話になっているかたも多く、ここでおかけしてしまった手間をどこかでお返しできればと恐縮の次第ですm(_ _)m そもイスパニア側にこうしたとき力を実際に発揮できるまとめ役がいないのが最大の原因なわけですが、まぁいないんですからそこは今後も、個人で動ける範囲をきちんと見極めていくだけですね。
  海戦中におきた感情的な軋轢に起因し、海戦後は糾弾のシャウトやら慰留のゴザ文字やらまで現れたあるかたの引退劇については、ここでその黒雲の上にさらなる情理を加えようとは思いません。ただ以前からの知り合いのかただっただけに引退は残念だし、やはり寂しいですね。
  互いに味方として参戦していたはずの、一部のイスパニア軍人と無差別海賊とのあいだで衝突があったとも聞きました。詳細は知りません。知らずに言うなら、どう転んでも微妙な臭いのする話です。こういうときこそ“イスパニア軍属”のプレイに浸りたいわたしとしては、微妙です。
 
  画像の上半分は、目のまえで解散された敵艦隊の旗艦のかたから、当プレイ日記についてお褒めの言葉をいただいた場面です。レアな声援、ありがとうございます。(笑) でも日記が強くても・・・。(涙)
  ちなみに今回の海戦で、戦功数を一番稼いだのはそう、宝石商だった初日ですorz
 
【吐息の航跡Xll:2005年12月 再び私掠海賊、壷へ(lv48-) 】
  吐息の航跡と題したこの記事シリーズも12回目となりました。初回から読んでいるかたも少ないでしょうからここで説明を加えておきますと、この回顧記事は以下の方針に従って書き進めています↓
  http://diarynote.jp/d/75061/20060125.html
  “10日ほどの間”回想にふけるとここで言いながら、すでに3ヶ月もふけり続けているのは秘密です。

  上級士官でのインド沖を根城とした海事修行は、もともと11月の大海戦を重ガレオンに乗って戦うために始めたものでした。が、“いろいろと単調ではない要素”が入り込む土地柄を気に入ったこともあり、海戦後もインドに戻っていたところ、なんと12月の大海戦はカリカットが標的港に。そのため滞在を延長しました。当時の上級士官は砲術スキルが優遇ではなかったのでスキル上げには中途半端な職業でしたが、まったりと海事を楽しむのには向いていました。

  ここでインド沖ならではの“いろいろと単調ではない要素”の筆頭としてまず思い浮かぶ事件を一つ。
  気づくかたも稀でしょうが、このプレイ日記中には過去に「交易移動中の被拿捕はこれまで3回」という言及と、「初回のPK被害のあとは、一度しか実害が出たことはない」という言及があります。この一見矛盾する記述を可能とする事件がこのころ起きたのですね。端的に言いますと、そう、わたしはとうとう本当に“中華狩り”されてしまったのです。(笑)
  それは補給のためヨーロッパへ帰るついでに宝石を積むべく、地味にカリカットとコチンを往復していたときのこと。カリカットの安全圏まであと少しというところで交戦→拿捕されたあとに「ぐはっ」と白チャで悲鳴をあげると、思ってもみない「えっ、日本人?」というレスがw あとはそのまま海上にて、収奪された交易品と大スパンカー、それにお金も全額返してくださいました。
  まだ危険海域にようやく馴染みだした10月頃のことでしたが、この一部始終をじっと無言で眺めつづけていた造船職人さんや操舵上げの皆さんの不気味さ(笑)とともに、いまでも深く印象に残っている出来事です。お相手はポルトガルの私掠海賊として有名なかただということを、あとから人づてに聞きました。

  12月のカリカット沖大海戦については次回記事に。その後の壷での海事はもう、目指せ戦列、それだけでした。よく野良PTを募集して旗艦をやっていたのですが、その行き帰りに“さよなら交通”のアナウンスをバスガイド風に延々としていたのは、今となっては穴があったら入りたい思い出です。お客様のなかにはその後ネットラジオを主催されていたかたもおり、リスボンの銀行前でラジオの宣伝シャウトのあとに「あ、さよなら観光のひとだ」と言われたとき、“あ、ちょっと恥ずかしいかも”とうろたえたのを覚えています。なにか余計なことをせずにいられないくらい、壷の単調さは耐えがたかったんですよね。(笑)

 

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索