てのひらの温度
2008年9月24日 海のなかの見えない航路 コメント (14)
先日、ひさしぶりに‘大航海時代Online’へINして、
ジェノヴァへ行った。
そうしたら、あまりのひとの少なさに驚いた。
以前なら海事艦隊の募集がたくさんあって、
海事レベルを上げたいプレイヤー向けのバザーが
数えきれないほど並んでいた酒場前の通りにも、
たった一つのバザーすら出ていなかった。
けれどもそんなふうに変わってしまったその場所で、
海事クエストを紹介してもらえる仲介人の足元に1人だけ、
まだレベルの低いプレイヤーが勧誘募集のマークを出して座っていた。
そのひととわたしのほかは見渡すかぎり誰もいないその通りで、
わたしがそのひとのレベルだった頃にはひとが多すぎて
全員が表示されないくらいに混雑していたその仲介人の立つ場所で、
そのひとは勧誘希望の握手のマークを出してぽつんと座り続けていたのだ。
わたしはそれをみて、なんだかとても切ない気持ちに駆られてしまった。
もちろんわたしがジェノヴァでレベルを上げていた頃といまとでは
ゲーム内世界の状況もかなり違うから、
その場所にひとがいなくなったことは直接に
このゲームが廃れたことを意味するわけではない。
けれどわたしが感じたその切なさは、ひとが少なくなって寂しいとか、
そのひとが可哀そうとかそういうこととはやや違うらしいということに、
ジェノヴァの港を出航してしばらくたってから気がついた。
もしその通りに誰もいなかったなら、そのことに対して
わたしはせいぜい「このゲームもひとが減ったなあ」くらいの
適当な感想を抱くだけで走り去っただろうとおもう。
けれどそこにひとが一人座っていたことで、
自分が同じように勧誘マークを出してそこにいた頃の気持ちや情景が、
それとなしによみがえってしまっていたのだ。
それは初めてネットゲームに接した頃でもあったから、
ほんとうにいろんなことが新鮮だった。
自分より立派そうな初対面のプレイヤーたちの艦隊に入れてもらったときの緊張感や、
しばらく一緒に戦ったあとフレンド登録を交わす楽しさや、
仲良くなったプレイヤーと隣同士に座ってバザーを開いて、
つくった料理を売り競いながらあれこれ冗談を言い合った時間の流れや、
この場所で初めて体験したそうした記憶たちが、
いまは自分を含めて二人しかいないその通りに
まるで幻影のようにして立ち現われていく。
それがたぶん、そのとき湧き起こってきた切なさの源だった。
少し話は変わるけれどそれより前、数ヶ月ぶりに‘大航海時代Online’へ
INした瞬間、メールが届いてますよという表示がでた。
もう2年くらい前に休止していたフレンドの一人からのもので、
送信された日付は1ヶ月ほど前になっている。
メールには、復活していろいろと楽しみにしているからよろしくという内容が、
短いけれど丁寧な言葉で綴られていた。
あまり積極的に交流の輪を広げるタイプではないけれど、
築いたつながりは大切にしてゲームを楽しんでいる感じのひとだった。
休止前、何かのときに少し話したのを覚えているけれど、
たしか主婦のかたで空いた時間にちょこちょこプレイしているとも言っていた。
見るからに、ネットゲームは‘大航海時代Online’が初めてというタイプ。
それでさっそく返事を書いたのだけれど、あろうことか届かなかった。
フレンドリストから、彼女の名前が消えていたのだ。
こうであってほしくはないなという空想が、たちまちにして脳裡をかすめた。
それは彼女の心理をめぐる、こんな感じの想像だ。
2年ぶりに復帰してみたけれど、仲の良かったフレンドは
もうほとんどINしていない。
もうそのみんなとは遊べないんだと知ると、
途端にこのゲームが色あせて見えてきた。
とりあえず1ヶ月課金してみたけれど、最初の数日遊んだだけで、
なんだか楽しいと思えなくなっちゃった。
気持ちの整理もハッキリつけたいし、キャラ、消して終わろう。
もちろん、もっと違う理由があったのかもしれない。
そうだったらいいなとおもう。
けれどもしわたしの想像が図星だったとしても、ほんとうはそれは違うのだ。
彼女が復活していた1ヶ月のあいだ、わたしは課金していなかった。
わたしが課金した頃には、彼女はもういなくなっていた。
また一緒に遊べるのが楽しみ、というメールだけを残して。
そんな感じのすれ違いはきっと、本人たちも気づかないまま
いまこの瞬間にもたくさん起き続けているんじゃないか。
ジェノヴァの広い通りの話に戻すと、
勧誘募集の握手マークを出してぽつんと座っていたそのひとには、
これからそのひとなりの体験がきっとたくさん待ち受けているはずだ。
それはわたしの体験のように
たくさんの艦隊募集に恵まれたものにはならないかもしれないけれど、
もうしばらく座って待ったあと、
もし偶然に同じ目的のプレイヤーが通りがかって
そのひとの勧誘募集に応じたなら、きっとその一つの出会いが
その二人にとってはとても大切なものに育っていくはずだとおもう。
だから一層おもうのだ。
たとえば課金を中断したプレイヤー同士でも
簡単に連絡をとり合えるような、
ちょっとした遊びくらいなら一緒にできてしまうような工夫を、
運営はもっと大胆に取り込んでもいいんじゃないかと。
いまは個々のプレイヤーが自前のブログやメッセンジャーなんかを
使った自助努力でそれを補っている状態だけれど、
それではどうしてもつながりが小規模になってしまう。
いまの‘大航海時代Online’の拡張の方向性は、
遠くに行かなければ手に入らない船の素材や、
スキルが高くないと作れない家具の追加のようにして、
総体的にいま課金しているプレイヤーをより遠くに向かわせ、
より長い時間ゲームへ縛るほうに向いている。
あるいは追加の料金を払えさえすれば、
こんなに便利なことができますよとか、
こんなに楽しい要素が増えますよ、みたいな方向性。
けれどもそれで、‘大航海時代Online’のゲーム内世界が
ほんとうに豊かになるとはあまり思えない。
個々のプレイヤーにとって、より長続きするゲームになるとも思えない。
ネットゲームは、そこで育まれたゲーム内の人格と人格とが交わる
新たなコミュニティーの形を生み出した。
それを用意したゲーム制作会社に何から何までを望むのは無理な話だけれど、
少なくない時間をかけて築かれたプレイヤー同士の心のつながりは、
プレイヤー個々人にとっては実社会のそれに違わず文字通りの財産になっていく。
少なくとも、そうなる可能性が開けている。
それを大切な要素と考えるゲーム制作会社が、
特にRPG系のネットゲームの世界では生き残っていくんじゃないか。
できれば‘大航海時代Online’には、
そういうところを大切にしたゲームであってほしいとおもう。
ひとりのプレイヤーの勝手な期待に過ぎないけれど。
ジェノヴァへ行った。
そうしたら、あまりのひとの少なさに驚いた。
以前なら海事艦隊の募集がたくさんあって、
海事レベルを上げたいプレイヤー向けのバザーが
数えきれないほど並んでいた酒場前の通りにも、
たった一つのバザーすら出ていなかった。
けれどもそんなふうに変わってしまったその場所で、
海事クエストを紹介してもらえる仲介人の足元に1人だけ、
まだレベルの低いプレイヤーが勧誘募集のマークを出して座っていた。
そのひととわたしのほかは見渡すかぎり誰もいないその通りで、
わたしがそのひとのレベルだった頃にはひとが多すぎて
全員が表示されないくらいに混雑していたその仲介人の立つ場所で、
そのひとは勧誘希望の握手のマークを出してぽつんと座り続けていたのだ。
わたしはそれをみて、なんだかとても切ない気持ちに駆られてしまった。
もちろんわたしがジェノヴァでレベルを上げていた頃といまとでは
ゲーム内世界の状況もかなり違うから、
その場所にひとがいなくなったことは直接に
このゲームが廃れたことを意味するわけではない。
けれどわたしが感じたその切なさは、ひとが少なくなって寂しいとか、
そのひとが可哀そうとかそういうこととはやや違うらしいということに、
ジェノヴァの港を出航してしばらくたってから気がついた。
もしその通りに誰もいなかったなら、そのことに対して
わたしはせいぜい「このゲームもひとが減ったなあ」くらいの
適当な感想を抱くだけで走り去っただろうとおもう。
けれどそこにひとが一人座っていたことで、
自分が同じように勧誘マークを出してそこにいた頃の気持ちや情景が、
それとなしによみがえってしまっていたのだ。
それは初めてネットゲームに接した頃でもあったから、
ほんとうにいろんなことが新鮮だった。
自分より立派そうな初対面のプレイヤーたちの艦隊に入れてもらったときの緊張感や、
しばらく一緒に戦ったあとフレンド登録を交わす楽しさや、
仲良くなったプレイヤーと隣同士に座ってバザーを開いて、
つくった料理を売り競いながらあれこれ冗談を言い合った時間の流れや、
この場所で初めて体験したそうした記憶たちが、
いまは自分を含めて二人しかいないその通りに
まるで幻影のようにして立ち現われていく。
それがたぶん、そのとき湧き起こってきた切なさの源だった。
少し話は変わるけれどそれより前、数ヶ月ぶりに‘大航海時代Online’へ
INした瞬間、メールが届いてますよという表示がでた。
もう2年くらい前に休止していたフレンドの一人からのもので、
送信された日付は1ヶ月ほど前になっている。
メールには、復活していろいろと楽しみにしているからよろしくという内容が、
短いけれど丁寧な言葉で綴られていた。
あまり積極的に交流の輪を広げるタイプではないけれど、
築いたつながりは大切にしてゲームを楽しんでいる感じのひとだった。
休止前、何かのときに少し話したのを覚えているけれど、
たしか主婦のかたで空いた時間にちょこちょこプレイしているとも言っていた。
見るからに、ネットゲームは‘大航海時代Online’が初めてというタイプ。
それでさっそく返事を書いたのだけれど、あろうことか届かなかった。
フレンドリストから、彼女の名前が消えていたのだ。
こうであってほしくはないなという空想が、たちまちにして脳裡をかすめた。
それは彼女の心理をめぐる、こんな感じの想像だ。
2年ぶりに復帰してみたけれど、仲の良かったフレンドは
もうほとんどINしていない。
もうそのみんなとは遊べないんだと知ると、
途端にこのゲームが色あせて見えてきた。
とりあえず1ヶ月課金してみたけれど、最初の数日遊んだだけで、
なんだか楽しいと思えなくなっちゃった。
気持ちの整理もハッキリつけたいし、キャラ、消して終わろう。
もちろん、もっと違う理由があったのかもしれない。
そうだったらいいなとおもう。
けれどもしわたしの想像が図星だったとしても、ほんとうはそれは違うのだ。
彼女が復活していた1ヶ月のあいだ、わたしは課金していなかった。
わたしが課金した頃には、彼女はもういなくなっていた。
また一緒に遊べるのが楽しみ、というメールだけを残して。
そんな感じのすれ違いはきっと、本人たちも気づかないまま
いまこの瞬間にもたくさん起き続けているんじゃないか。
ジェノヴァの広い通りの話に戻すと、
勧誘募集の握手マークを出してぽつんと座っていたそのひとには、
これからそのひとなりの体験がきっとたくさん待ち受けているはずだ。
それはわたしの体験のように
たくさんの艦隊募集に恵まれたものにはならないかもしれないけれど、
もうしばらく座って待ったあと、
もし偶然に同じ目的のプレイヤーが通りがかって
そのひとの勧誘募集に応じたなら、きっとその一つの出会いが
その二人にとってはとても大切なものに育っていくはずだとおもう。
だから一層おもうのだ。
たとえば課金を中断したプレイヤー同士でも
簡単に連絡をとり合えるような、
ちょっとした遊びくらいなら一緒にできてしまうような工夫を、
運営はもっと大胆に取り込んでもいいんじゃないかと。
いまは個々のプレイヤーが自前のブログやメッセンジャーなんかを
使った自助努力でそれを補っている状態だけれど、
それではどうしてもつながりが小規模になってしまう。
いまの‘大航海時代Online’の拡張の方向性は、
遠くに行かなければ手に入らない船の素材や、
スキルが高くないと作れない家具の追加のようにして、
総体的にいま課金しているプレイヤーをより遠くに向かわせ、
より長い時間ゲームへ縛るほうに向いている。
あるいは追加の料金を払えさえすれば、
こんなに便利なことができますよとか、
こんなに楽しい要素が増えますよ、みたいな方向性。
けれどもそれで、‘大航海時代Online’のゲーム内世界が
ほんとうに豊かになるとはあまり思えない。
個々のプレイヤーにとって、より長続きするゲームになるとも思えない。
ネットゲームは、そこで育まれたゲーム内の人格と人格とが交わる
新たなコミュニティーの形を生み出した。
それを用意したゲーム制作会社に何から何までを望むのは無理な話だけれど、
少なくない時間をかけて築かれたプレイヤー同士の心のつながりは、
プレイヤー個々人にとっては実社会のそれに違わず文字通りの財産になっていく。
少なくとも、そうなる可能性が開けている。
それを大切な要素と考えるゲーム制作会社が、
特にRPG系のネットゲームの世界では生き残っていくんじゃないか。
できれば‘大航海時代Online’には、
そういうところを大切にしたゲームであってほしいとおもう。
ひとりのプレイヤーの勝手な期待に過ぎないけれど。
旋律と海とクジラたち
2007年6月15日 海のなかの見えない航路 コメント (6)
海のなかでは光が吸収されてしまうから、
すこしさきはもう見えない。
陽の光の行きわたる浅瀬を沖まで泳いでいくと、
そこから数十メートル先はもう深い藍色に染まっていて、
何がひそんでいるのかもわからない。
ひとによって感じるものはちがうだろうけど、
生身のからだを晒して泳いでいることに
わたしは底知れない怖さを感じるときがある。
とにかく、怖い。
だからよく、世界は狭くなったとか
世代の近いひとが口にするたびに、
あなたの世界がもともと狭いだけでしょう?
なんてちょっとイジワルなことをおもってしまう。
簡単に行ける場所が増えたことを言っているつもりなら、
その増えた場所のいくつかをじっくり観察してみるといい。
どこもたどり着くのが容易になったそのぶんだけ
きちんと浅くなっているということに、
きっとすぐに気がつくはずだ。
けれどながい、ほんとうにながい時間をかけて
自分の世界を着実に押しひろげ獲得していった者であるのなら、
もし世界が狭いと感じたとしても
あながち誤りではないのかも、とも考える。
ほとんど夢想にも近い。
たとえば海中から陸棲への移行を遂げた生物群。
あるいは再び海へと戻っていった鯨やイルカたち。
サウンドチャンネルということばがある。
海中では水温が低ければ低いほど、音の伝わりは遅くなる。
また水圧が高ければ高いほど、音の伝わりは早くなる。
海面から潜ってゆくと、水深が深くなればなるほど
水温は低くなっていくのだけれど、
ある一定の深さを超えるともうあまり下がらなくなってくる。
ここに、音の伝わりがもっとも遅い
海水の層ができることになる。
これがサウンドチャンネルだ。
数百メートルから一千メートルほどの深さにあると
されるその層では、音速が落ちる代わりに
音波の上下運動も抑制されるから、
音が損耗を逃れどこまでも遠くへと伝わってゆくという。
ヒゲクジラの一部は低周波の音波を使い、
この層を通じて数千キロ離れた仲間と
連絡をとりあっているらしい。
海面で息を継ぎ、
種によっては水深二千メートルを超えて潜航を繰り返し、
その深みで遠くの友と語らう彼らからみた世界の形は、
およそ人の考えるものとはかけ離れているだろう。
たんなる夢想にはちがいない。
けれど彼らの描く世界地図がもしあるのなら、
それはきっと想像をはるかに超えた構造をもっている。
そこではきっと、太古の昔に陸地を去った記憶が
なにか決定的な意味をもってくる。
第二次世界大戦のさなか
サウンドチャンネルの軍事利用を目的とした研究が進められ、
戦後の早い段階で、この深度で放たれた音波は
地球の裏側にまで伝わることが確認されていた。
だが人間以外の生物が、この層の特性を
どのように利用しているかについては
まだほとんど解明されていないと言っていい。
彼らはそこで、ときに歌を歌うという。
歌は伝わり、海域ごとにアレンジを加えられ、
世代を超えて受け継がれていくという。
視界が意味をもたないその領域で
聴覚へと流れ入るその歌は、
とうに音の響きであることをやめているだろう。
世界はもともとそういうものとして、そこに広がる。
ただひと知れず、そこに息づく。
それでいいと、よくおもう。
すこしさきはもう見えない。
陽の光の行きわたる浅瀬を沖まで泳いでいくと、
そこから数十メートル先はもう深い藍色に染まっていて、
何がひそんでいるのかもわからない。
ひとによって感じるものはちがうだろうけど、
生身のからだを晒して泳いでいることに
わたしは底知れない怖さを感じるときがある。
とにかく、怖い。
だからよく、世界は狭くなったとか
世代の近いひとが口にするたびに、
あなたの世界がもともと狭いだけでしょう?
なんてちょっとイジワルなことをおもってしまう。
簡単に行ける場所が増えたことを言っているつもりなら、
その増えた場所のいくつかをじっくり観察してみるといい。
どこもたどり着くのが容易になったそのぶんだけ
きちんと浅くなっているということに、
きっとすぐに気がつくはずだ。
けれどながい、ほんとうにながい時間をかけて
自分の世界を着実に押しひろげ獲得していった者であるのなら、
もし世界が狭いと感じたとしても
あながち誤りではないのかも、とも考える。
ほとんど夢想にも近い。
たとえば海中から陸棲への移行を遂げた生物群。
あるいは再び海へと戻っていった鯨やイルカたち。
サウンドチャンネルということばがある。
海中では水温が低ければ低いほど、音の伝わりは遅くなる。
また水圧が高ければ高いほど、音の伝わりは早くなる。
海面から潜ってゆくと、水深が深くなればなるほど
水温は低くなっていくのだけれど、
ある一定の深さを超えるともうあまり下がらなくなってくる。
ここに、音の伝わりがもっとも遅い
海水の層ができることになる。
これがサウンドチャンネルだ。
数百メートルから一千メートルほどの深さにあると
されるその層では、音速が落ちる代わりに
音波の上下運動も抑制されるから、
音が損耗を逃れどこまでも遠くへと伝わってゆくという。
ヒゲクジラの一部は低周波の音波を使い、
この層を通じて数千キロ離れた仲間と
連絡をとりあっているらしい。
海面で息を継ぎ、
種によっては水深二千メートルを超えて潜航を繰り返し、
その深みで遠くの友と語らう彼らからみた世界の形は、
およそ人の考えるものとはかけ離れているだろう。
たんなる夢想にはちがいない。
けれど彼らの描く世界地図がもしあるのなら、
それはきっと想像をはるかに超えた構造をもっている。
そこではきっと、太古の昔に陸地を去った記憶が
なにか決定的な意味をもってくる。
第二次世界大戦のさなか
サウンドチャンネルの軍事利用を目的とした研究が進められ、
戦後の早い段階で、この深度で放たれた音波は
地球の裏側にまで伝わることが確認されていた。
だが人間以外の生物が、この層の特性を
どのように利用しているかについては
まだほとんど解明されていないと言っていい。
彼らはそこで、ときに歌を歌うという。
歌は伝わり、海域ごとにアレンジを加えられ、
世代を超えて受け継がれていくという。
視界が意味をもたないその領域で
聴覚へと流れ入るその歌は、
とうに音の響きであることをやめているだろう。
世界はもともとそういうものとして、そこに広がる。
ただひと知れず、そこに息づく。
それでいいと、よくおもう。
音のない世界
2007年6月12日 海のなかの見えない航路 コメント (5)
きのうテレビのニュースで
すべての教科を手話で教えるフリースクールの特集をやっていて、
耳の聴こえない子供たちとその家族の日々の生活や
学校での授業の様子などが丁寧に映し出された良い企画で、
片手間につけていたはずがいつのまにかテレビ画面に見入っていた。
なかでも「音を聞いてみたい?」というインタビュアーの問いかけに、
7、8歳の女の子がはにかみながら
「音は聞こえないほうがいい。
車や街の騒音がうるさそうだから」
と答えていたのはとても印象的だった。
この質問自体に対して“なんてこと聞くんだろう”と
思ってしまった自分が恥ずかしいというか、
五体満足な人間の傲岸さというものを
自らのなかに見い出した一瞬だった。
それにしても生まれつき音の聴こえない少女が想う
“うるさそうな世界”とはいったいどんなものなのか。
しばらくそのことに思い巡らせていたところ、
ふと世界地図のことが連想されてきた。
世界とはこういうものである、
ということを人は歴史をもつ以前から語らい、
あるいは絵図に示してきたが、
その総体を自身の目で見たことのある人間は
現実にはこれまで存在したことがない。
人は遠くを見、音を聴き、匂いを嗅ぎ、
味わい、触れることでこの世界を感知する。
それら知覚の集積が“経験”となるわけだけれども、
視界はなにかによって確実にさえぎられ、
音は必ずかき消されるものである以上、
そうした一個人の経験によって世界のすべてを同時に
把握することは原理的に不可能だ。
そうしたなか世界地図というものは、
それら個人の知覚の集積であるところの“経験”を、
さらに集積させたいわば“共有された経験世界の縮図”として
いつの時代も存在し、更新され、描き写されてきた。
子供のころに簡易だが正確な世界地図をまず与えられ、
ネットのグーグル検索などではモニターを通してとはいえ
自宅の屋根の形状から地球大のスケールにまで
この世界の在りようを見渡すことのできる現代に生きていると
かえって想像しにくいことかもしれないが、
したがって世界地図とはかつて長きにわたり
その実用性や明証性にもまして、
“世界とはなんであるか”という思想の明示に他ならなかった。
大洋を渡る理由がなかった社会の人々にとって
この世界とは多くの場合海に囲まれた広大な島であり、
海はいずれ世界の果てに至って落ちると考えて何も問題はなかったし、
時によってはその島と海がおおむね円盤の形状を成しており、
一匹の亀がその深淵でこれら森羅万象を支えていることが
むしろ重要な意味をもつこともあっただろう。
そしてこのような世界観は誤りである、劣っている、野蛮であると
感じてしまうとすれば、そう感じてしまう価値観自体がすでに貧しい。
貧しいと言い切れてしまうのは、かく言うわたしのなかに
そのような意味での刷り込まれた貧しさを日々見い出しているからで、
この感覚は冒頭に述べた「五体満足な人間の傲岸さ」に
どこか通じるところがある。
成田空港を東へ飛び立つと、
アジア方向へ向かう旅客機の多くは
銚子につらなる九十九里浜を眼下にゆっくりと南西方向へ旋回する。
窓外の景色はやがて、房総半島の陸影をへて
東京湾や三浦半島を望み、よく晴れた日には
山地と海に囲まれた関東平野のほぼ全域を視野に収める。
旅客を乗せた飛行機がさらに高層圏を飛ぶ時代、
あるいは宇宙に飛び出す時代には、
一般の市民がたとえば日本列島ぜんたいの姿や、
あるいは大陸の形状を大きくその目で見渡せるのも
きっと当たり前のことになるのだろう。
生まれつき音の聴こえない少女が想う、“うるさそうな世界”の在りよう。
かつての航海者が感覚し、予感したであろう世界の手ざわり。
“共有された経験世界の縮図”としての世界地図。
これらに通底するなにかを感じるわたしはそのとき、
窓の外の光景にいったいなにを想うのだろう。
それだけが知りたくてきょう一日を生きていくというのもなんだか、
まんざらではないように思えてくる。
不思議だけれど。
すべての教科を手話で教えるフリースクールの特集をやっていて、
耳の聴こえない子供たちとその家族の日々の生活や
学校での授業の様子などが丁寧に映し出された良い企画で、
片手間につけていたはずがいつのまにかテレビ画面に見入っていた。
なかでも「音を聞いてみたい?」というインタビュアーの問いかけに、
7、8歳の女の子がはにかみながら
「音は聞こえないほうがいい。
車や街の騒音がうるさそうだから」
と答えていたのはとても印象的だった。
この質問自体に対して“なんてこと聞くんだろう”と
思ってしまった自分が恥ずかしいというか、
五体満足な人間の傲岸さというものを
自らのなかに見い出した一瞬だった。
それにしても生まれつき音の聴こえない少女が想う
“うるさそうな世界”とはいったいどんなものなのか。
しばらくそのことに思い巡らせていたところ、
ふと世界地図のことが連想されてきた。
世界とはこういうものである、
ということを人は歴史をもつ以前から語らい、
あるいは絵図に示してきたが、
その総体を自身の目で見たことのある人間は
現実にはこれまで存在したことがない。
人は遠くを見、音を聴き、匂いを嗅ぎ、
味わい、触れることでこの世界を感知する。
それら知覚の集積が“経験”となるわけだけれども、
視界はなにかによって確実にさえぎられ、
音は必ずかき消されるものである以上、
そうした一個人の経験によって世界のすべてを同時に
把握することは原理的に不可能だ。
そうしたなか世界地図というものは、
それら個人の知覚の集積であるところの“経験”を、
さらに集積させたいわば“共有された経験世界の縮図”として
いつの時代も存在し、更新され、描き写されてきた。
子供のころに簡易だが正確な世界地図をまず与えられ、
ネットのグーグル検索などではモニターを通してとはいえ
自宅の屋根の形状から地球大のスケールにまで
この世界の在りようを見渡すことのできる現代に生きていると
かえって想像しにくいことかもしれないが、
したがって世界地図とはかつて長きにわたり
その実用性や明証性にもまして、
“世界とはなんであるか”という思想の明示に他ならなかった。
大洋を渡る理由がなかった社会の人々にとって
この世界とは多くの場合海に囲まれた広大な島であり、
海はいずれ世界の果てに至って落ちると考えて何も問題はなかったし、
時によってはその島と海がおおむね円盤の形状を成しており、
一匹の亀がその深淵でこれら森羅万象を支えていることが
むしろ重要な意味をもつこともあっただろう。
そしてこのような世界観は誤りである、劣っている、野蛮であると
感じてしまうとすれば、そう感じてしまう価値観自体がすでに貧しい。
貧しいと言い切れてしまうのは、かく言うわたしのなかに
そのような意味での刷り込まれた貧しさを日々見い出しているからで、
この感覚は冒頭に述べた「五体満足な人間の傲岸さ」に
どこか通じるところがある。
成田空港を東へ飛び立つと、
アジア方向へ向かう旅客機の多くは
銚子につらなる九十九里浜を眼下にゆっくりと南西方向へ旋回する。
窓外の景色はやがて、房総半島の陸影をへて
東京湾や三浦半島を望み、よく晴れた日には
山地と海に囲まれた関東平野のほぼ全域を視野に収める。
旅客を乗せた飛行機がさらに高層圏を飛ぶ時代、
あるいは宇宙に飛び出す時代には、
一般の市民がたとえば日本列島ぜんたいの姿や、
あるいは大陸の形状を大きくその目で見渡せるのも
きっと当たり前のことになるのだろう。
生まれつき音の聴こえない少女が想う、“うるさそうな世界”の在りよう。
かつての航海者が感覚し、予感したであろう世界の手ざわり。
“共有された経験世界の縮図”としての世界地図。
これらに通底するなにかを感じるわたしはそのとき、
窓の外の光景にいったいなにを想うのだろう。
それだけが知りたくてきょう一日を生きていくというのもなんだか、
まんざらではないように思えてくる。
不思議だけれど。
湖の底の月
2007年6月7日 海のなかの見えない航路 コメント (19)
幼い頃に初めてもらったトランプカードには
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
風の鳴る
2007年5月18日 海のなかの見えない航路 コメント (3)
マニラの水上集落はすこし独特な形になっていて、
出航所から伸びる通路を樹の幹として、
左右へ枝が分かれるように種々の施設への桟橋が伸びている。
小さな桟橋の一つを渡ると、史実でマニラを‘発見’した
ロペス・デ・レガスピと話せたりもする。
樹の幹に当たるその通路は全体が右方向へゆるやかに湾曲しているのだけれど、
奥へ奥へと進むとやがて内陸への門につき当たる。
その門の向こうへ行かないことにはたぶん、
本当の意味でこの島、ルソン島に‘上陸’したとはちょっと言えない。
なぜならここでは港湾施設そのものがすべて水上にあるからで、
きっと門の向こうにはこの島の自然や人々の暮らす光景が
より豊かに広がっているからだ。
けれどもいまのところ、
プレイヤーがその門をくぐることは‘まだ’できない。
‘大航海時代Online’にはこうした、まだ通れない門、まだ開かない扉、
まだ入れない通り等々が無数にあって、
たぶんその多くはこれからもずっと開くことがなく、
だからプレイヤーはみなその向こうに踏み入ることがないままやがて、
このゲーム内世界をあとにする日をそれぞれに迎えるのだろうとおもう。
けれどそれでもこうした門や扉がたくさんあることを、
わたしはひそかに歓迎していたりする。
港町をかこう柵や壁の向こう側へと分け入ることはできなくても、
そのこちら側から見渡すことができる向こうの世界には
その土地土地の家屋や草木、家畜や象や場合によってはシマウマなんかが
ちゃんと配置されていて、それらをぼんやり眺めることで、
そこには自分が歩ける町並みと地続きの空間が
門や扉を通じてもっと大きなスケールで広がっていることを
きちんと視点を動かしながら確認できる。予感できる。
このことの意味はおそらく、ただの見た目よりもずっと深い。
マニラの水上集落をつらぬく通路の一番奥、
内陸へと続く門の手前には、
プレイヤーがこの島の土を踏みしめることのできる
スペースがすこしだけあって、
この土地の色鮮やかな服を着たこどもがふたり立っている。
男の子と女の子がひとりずつ。
仲良し同士のともだちか、あるいは姉弟なのかもしれない。
遠く異国の地からやってきたわたしに向かい、男の子が尋ねてくる。
「ねえねえ、どこから来たの?」
すこし落ち着いた感じの女の子がぽつりとつぶやく。
「よく北の方から大きな船がくるの。
珍しいものをたくさん積んでるんだよ」
実際にこの港を出航して北へ向かうと、
いまは数日もしないうちに
‘世界の果て’へと行き着いてしまうのだけれど。
けれどもしかしたらそうした事実のあるなしよりずっと、
こうしたセリフを話すこどもたち、大人たちがいることが
このゲームにとってはとても
大切なことなんじゃないかとわたしはおもう。
世界の果てのさらにむこう、
大なる船をあやつる人々の物影あり。
自船に日誌をつける船乗りがもしいたら、
この日の項はそう書き付けられるにちがいない。
耳を澄ませる。
耳奥より、かつて見たことのない構造をもつ
巨大な船舶が群れをなして波を割り、
未知の帆綱をはためかせる音が聞こえてくる。
出航所から伸びる通路を樹の幹として、
左右へ枝が分かれるように種々の施設への桟橋が伸びている。
小さな桟橋の一つを渡ると、史実でマニラを‘発見’した
ロペス・デ・レガスピと話せたりもする。
樹の幹に当たるその通路は全体が右方向へゆるやかに湾曲しているのだけれど、
奥へ奥へと進むとやがて内陸への門につき当たる。
その門の向こうへ行かないことにはたぶん、
本当の意味でこの島、ルソン島に‘上陸’したとはちょっと言えない。
なぜならここでは港湾施設そのものがすべて水上にあるからで、
きっと門の向こうにはこの島の自然や人々の暮らす光景が
より豊かに広がっているからだ。
けれどもいまのところ、
プレイヤーがその門をくぐることは‘まだ’できない。
‘大航海時代Online’にはこうした、まだ通れない門、まだ開かない扉、
まだ入れない通り等々が無数にあって、
たぶんその多くはこれからもずっと開くことがなく、
だからプレイヤーはみなその向こうに踏み入ることがないままやがて、
このゲーム内世界をあとにする日をそれぞれに迎えるのだろうとおもう。
けれどそれでもこうした門や扉がたくさんあることを、
わたしはひそかに歓迎していたりする。
港町をかこう柵や壁の向こう側へと分け入ることはできなくても、
そのこちら側から見渡すことができる向こうの世界には
その土地土地の家屋や草木、家畜や象や場合によってはシマウマなんかが
ちゃんと配置されていて、それらをぼんやり眺めることで、
そこには自分が歩ける町並みと地続きの空間が
門や扉を通じてもっと大きなスケールで広がっていることを
きちんと視点を動かしながら確認できる。予感できる。
このことの意味はおそらく、ただの見た目よりもずっと深い。
マニラの水上集落をつらぬく通路の一番奥、
内陸へと続く門の手前には、
プレイヤーがこの島の土を踏みしめることのできる
スペースがすこしだけあって、
この土地の色鮮やかな服を着たこどもがふたり立っている。
男の子と女の子がひとりずつ。
仲良し同士のともだちか、あるいは姉弟なのかもしれない。
遠く異国の地からやってきたわたしに向かい、男の子が尋ねてくる。
「ねえねえ、どこから来たの?」
すこし落ち着いた感じの女の子がぽつりとつぶやく。
「よく北の方から大きな船がくるの。
珍しいものをたくさん積んでるんだよ」
実際にこの港を出航して北へ向かうと、
いまは数日もしないうちに
‘世界の果て’へと行き着いてしまうのだけれど。
けれどもしかしたらそうした事実のあるなしよりずっと、
こうしたセリフを話すこどもたち、大人たちがいることが
このゲームにとってはとても
大切なことなんじゃないかとわたしはおもう。
世界の果てのさらにむこう、
大なる船をあやつる人々の物影あり。
自船に日誌をつける船乗りがもしいたら、
この日の項はそう書き付けられるにちがいない。
耳を澄ませる。
耳奥より、かつて見たことのない構造をもつ
巨大な船舶が群れをなして波を割り、
未知の帆綱をはためかせる音が聞こえてくる。
片舷斉射
2007年4月21日 海のなかの見えない航路 コメント (3)
大海戦は‘大航海時代Online’のなかで
ずっと大きな目玉イベントの位置を
保ちつづけているけれど、
ゲーム内世界の進展にあわせて少しずつ
その姿を変えきてもいる。
ゲームのオープン当初はなんであれ
みなが新鮮に感じられていたのに対し、
いまでは履歴の長いプレイヤーのほうが多いから、
かつて大海戦の時期にはサーバ全体が包まれていたような高揚感が
もうなくなりかけているとしても、
それは仕方のない部分もかなりある。
そのかわり前より面白くなっている部分もけっこうあって、
数ヶ月に一度おこなわれる船種の追加や仕様の変更などによって、
たとえば新船の改造具合をいろいろと試したり、
これまでになかったような戦法を探ったりという
楽しみかたは、たぶんずっと幅広くなっている。
けれどもこのことはオーソドックスな戦術が
すでに浸透していることの裏返しとも言えて、
たとえば戦列艦艦隊によるペア戦術は、
その代表例といってもいいだろう。
これは戦列艦の5隻艦隊が2つずつペアとなり
計10隻を1単位として行動するゲーム内では基本的なもので、
仕様による制約のなかプレイヤーのあいだで自然に共有されてきた。
オープンからある程度の時間をへて戦列艦が登場し
やがて艦隊戦術の基本となったあたりなど、
‘大航海時代Online’が背景とする史実の流れをきちんと
踏まえているようで、海洋史に造詣が深いひとからみてもなかなか
うならせられる展開なんじゃないかとおもう。
大航海時代のはじめ、
時代と社会の要請から外洋航海に耐える船として
まずキャラベル船やキャラック船が発展し、大型化していった。
以下しばらく史実上の船の話を続けるけれど、
当初洋上での戦闘は相手の船に乗り込んで斬り結ぶことが主体であったから、
そうした海戦における優位性から船尾が巨大化し、
高くそびえる船尾楼となっていく。
こうしてある意味で大航海時代の象徴とも言える、
かのガレオン船が史上に姿を現した。
技術革新にともない攻城砲をそのまま船に搭載し、
敵船へと砲弾を撃ち込む戦術もこの頃には主流となっていた。
さらに火器の性能が上がり、砲撃こそが戦闘の決着そのものを
左右するようになると、今度は重厚な船尾楼が
操舵能力を妨げるだけの邪魔物とみなされるようになる。
1653年6月2日、北海、ガバートバンクにて。
当時戦端を開いていたオランダ艦隊に対し、
イングランド海軍提督ロバート・ブレイク率いる艦隊が、
整然と単縦列を組んで接近し、同時に片舷斉射した。
それまで洋上での戦闘は船同士が個別に至近の敵船を見定めて戦うのが
常套だったから、この戦法を初めて目にしたオランダ側の水兵たちは
おそらくかなりの衝撃を受けただろう。
海戦史上これは単縦列陣形による最初の一斉砲撃とされているのだけれど、
これ以降、戦闘帆船は航行性能と搭載砲門数のみに特化した
改良を施されてゆくことになる。
船首から船尾まで水平にのびる上甲板。
舷側に長くつらなる砲口の列。
文字通り、戦列艦(The Ship of the Battle Line)の登場である。
したがってほんらい戦列艦艦隊による戦闘とはもっぱら
前後にのびる単縦列の戦隊同士によるあくなき砲撃戦を意味するのだけれど、
‘大航海時代Online’ではこの点がだいぶ違ってくる。
端的に言えば、戦列艦による艦隊戦においても船体個別の舵切りが
依然非常に重要な要素を占めている。
戦闘中の船にあまり動きがなく、互いに撃ち続けるだけでは
いまいち面白味に欠けるという配慮もあったのかもしれないけれど、
少なくない軍人プレイヤーにとってこのことはたぶん、
もう1年2年と遊び続けているのにいまだ色あせない
このゲームの魅力に直結してもいる。
そしてこの、背景となる史実や他のゲームにはない
‘大航海時代Online’だけに生じた固有のスタイルというか
プレイ感覚という話は、戦闘システムにかぎらず冒険や交易といった他の面でも
いろいろと見い出せるもので、見つけるたびにこれはいったい
何だろうと考えることもいつの間にか楽しみの一つとなっていた。
それはそうと先週北海でおこなわれた、オスロをめぐる大海戦。
わたしの艦隊では新しい試みとしてペア戦術から若干離れ、
10隻を4-3-3隻の3艦隊に分け、さらにうち1、2隻が旗艦への追従を切って
単独で交戦もしくは援軍参加をしていくという、
はたから見たからかなり酔狂かもしれない試みに手を出した。
アイデアそのものは数ヶ月前からあったのだけれど、
思いつきのレヴェルと実際にやるのとではやはり相当の開きがある。
実行にはそれなりの準備と艦隊内での意識共有が必要だけれど、
中日には海戦全体のMVPも出せたし、艦隊の錬度次第で
これは今後活きる要素もありそうな試みだった。
また個人的に今回は、パソコン環境が新しくなってから
初の大海戦参加でもあった。
新環境でみる会戦海域の様子はガラリと変わり、
わたしの船も単独で交戦を仕掛けてみたりした。
少しはしゃぎすぎたかもしれない。
ずっと大きな目玉イベントの位置を
保ちつづけているけれど、
ゲーム内世界の進展にあわせて少しずつ
その姿を変えきてもいる。
ゲームのオープン当初はなんであれ
みなが新鮮に感じられていたのに対し、
いまでは履歴の長いプレイヤーのほうが多いから、
かつて大海戦の時期にはサーバ全体が包まれていたような高揚感が
もうなくなりかけているとしても、
それは仕方のない部分もかなりある。
そのかわり前より面白くなっている部分もけっこうあって、
数ヶ月に一度おこなわれる船種の追加や仕様の変更などによって、
たとえば新船の改造具合をいろいろと試したり、
これまでになかったような戦法を探ったりという
楽しみかたは、たぶんずっと幅広くなっている。
けれどもこのことはオーソドックスな戦術が
すでに浸透していることの裏返しとも言えて、
たとえば戦列艦艦隊によるペア戦術は、
その代表例といってもいいだろう。
これは戦列艦の5隻艦隊が2つずつペアとなり
計10隻を1単位として行動するゲーム内では基本的なもので、
仕様による制約のなかプレイヤーのあいだで自然に共有されてきた。
オープンからある程度の時間をへて戦列艦が登場し
やがて艦隊戦術の基本となったあたりなど、
‘大航海時代Online’が背景とする史実の流れをきちんと
踏まえているようで、海洋史に造詣が深いひとからみてもなかなか
うならせられる展開なんじゃないかとおもう。
大航海時代のはじめ、
時代と社会の要請から外洋航海に耐える船として
まずキャラベル船やキャラック船が発展し、大型化していった。
以下しばらく史実上の船の話を続けるけれど、
当初洋上での戦闘は相手の船に乗り込んで斬り結ぶことが主体であったから、
そうした海戦における優位性から船尾が巨大化し、
高くそびえる船尾楼となっていく。
こうしてある意味で大航海時代の象徴とも言える、
かのガレオン船が史上に姿を現した。
技術革新にともない攻城砲をそのまま船に搭載し、
敵船へと砲弾を撃ち込む戦術もこの頃には主流となっていた。
さらに火器の性能が上がり、砲撃こそが戦闘の決着そのものを
左右するようになると、今度は重厚な船尾楼が
操舵能力を妨げるだけの邪魔物とみなされるようになる。
1653年6月2日、北海、ガバートバンクにて。
当時戦端を開いていたオランダ艦隊に対し、
イングランド海軍提督ロバート・ブレイク率いる艦隊が、
整然と単縦列を組んで接近し、同時に片舷斉射した。
それまで洋上での戦闘は船同士が個別に至近の敵船を見定めて戦うのが
常套だったから、この戦法を初めて目にしたオランダ側の水兵たちは
おそらくかなりの衝撃を受けただろう。
海戦史上これは単縦列陣形による最初の一斉砲撃とされているのだけれど、
これ以降、戦闘帆船は航行性能と搭載砲門数のみに特化した
改良を施されてゆくことになる。
船首から船尾まで水平にのびる上甲板。
舷側に長くつらなる砲口の列。
文字通り、戦列艦(The Ship of the Battle Line)の登場である。
したがってほんらい戦列艦艦隊による戦闘とはもっぱら
前後にのびる単縦列の戦隊同士によるあくなき砲撃戦を意味するのだけれど、
‘大航海時代Online’ではこの点がだいぶ違ってくる。
端的に言えば、戦列艦による艦隊戦においても船体個別の舵切りが
依然非常に重要な要素を占めている。
戦闘中の船にあまり動きがなく、互いに撃ち続けるだけでは
いまいち面白味に欠けるという配慮もあったのかもしれないけれど、
少なくない軍人プレイヤーにとってこのことはたぶん、
もう1年2年と遊び続けているのにいまだ色あせない
このゲームの魅力に直結してもいる。
そしてこの、背景となる史実や他のゲームにはない
‘大航海時代Online’だけに生じた固有のスタイルというか
プレイ感覚という話は、戦闘システムにかぎらず冒険や交易といった他の面でも
いろいろと見い出せるもので、見つけるたびにこれはいったい
何だろうと考えることもいつの間にか楽しみの一つとなっていた。
それはそうと先週北海でおこなわれた、オスロをめぐる大海戦。
わたしの艦隊では新しい試みとしてペア戦術から若干離れ、
10隻を4-3-3隻の3艦隊に分け、さらにうち1、2隻が旗艦への追従を切って
単独で交戦もしくは援軍参加をしていくという、
はたから見たからかなり酔狂かもしれない試みに手を出した。
アイデアそのものは数ヶ月前からあったのだけれど、
思いつきのレヴェルと実際にやるのとではやはり相当の開きがある。
実行にはそれなりの準備と艦隊内での意識共有が必要だけれど、
中日には海戦全体のMVPも出せたし、艦隊の錬度次第で
これは今後活きる要素もありそうな試みだった。
また個人的に今回は、パソコン環境が新しくなってから
初の大海戦参加でもあった。
新環境でみる会戦海域の様子はガラリと変わり、
わたしの船も単独で交戦を仕掛けてみたりした。
少しはしゃぎすぎたかもしれない。
帰投
2007年4月12日 海のなかの見えない航路 コメント (3)
新しいパソコン環境になって大きく改善されたことの一つは、
何といっても戦闘中における操作性の進化である。
それからようやく、
1on1が戦えるようになったこと。
これがたぶん、一番大きな変化になるとおもう。
船尾に白い航跡がのびるようになったのが一番嬉しい、
というようなことを以前の記事で述べたけれどもそこはそれ。
根っからの軍人プレイヤーとしてやはり戦闘は外せない。
すこし具体的な例をあげるなら、
舵を切るコマンドを打ってから実際に船体がガリガリと軋みをあげて
舵を切り始めるまでのタイミングがほぼ一定になったことや、
スキル窓やアイテム窓が開くまでの時間が短縮されたことなどがある。
またキーを押したままでも、修理が連打されるようになった。
‘大航海時代Online’の海事を少しでもやったことがあるひとなら、
これらがプレイ感覚にどれだけ革命的な進化をもたらしたのか、
おそらく想像に難くはないはずだ。
そのいずれもがたいていのひとにとっては
初めから当然の仕様としてできていたことのはずだけど、
そうでもない人々というのもたまにはいるわけで、
そのそうでもない人種にとってこれらの変化は、
今まで山と谷を2つずつ歩いて越えていた通学路が、
鉄道の開通によりある朝突然3分に短縮されてしまった
というくらいインパクトのある出来事なのだ。
などととなりの家のとなりに学校があったわたしが言うのも
はなはだ不謹慎な気もするけれど、
強引に話を戻してこの変化が実際のプレイ内容へどう影響したかというと、
まず艦隊戦において当然の動作を
当然のこととして行えるようになった。
修理の連打や多方向での支援入力をともかくも人並みにできるようになったのは、
こうしたあたりで僚艦に負担をかけてきた実感のある身としては
嬉しいという以上にほっと一息つける改善点だ。
そして1on1である。
冒頭に「これが‘たぶん’一番大きな変化になる」と述べたのは
まだ操船感覚や新しいキーボードの配置に慣れきっていない感じがあって、
多数vs多数の模擬戦を除けば実際の戦闘回数はごくわずかだからだけれど、
これまで危険海域におけるソロでの交戦は、修理やその他のキー入力が
間に合わないためもっぱら逃避戦や時間稼ぎ、1vs複数での囮戦術など
個別の勝敗を問題としない条件下での戦闘のみに留めてきたから、
今後がとても楽しみだ。
先日、この面での予兆ともいえるシーンがあった。
カナリア諸島〜穀物海岸域で、1on1を戦う局面が実際に起きたのだ。
この一帯は欧州に近いことから
長距離交易の商船を狙う海賊の巣窟になりやすく、
また海賊集団に対する討伐隊も集まりやすいから、
いわば複数の艦隊同士による実戦のメッカとなっている。
それでこのときも視認範囲に敵味方複数の艦隊がいて
互いに増援を呼ぶことは可能な情勢だったのだけれど、
敵方に増援がない限りこちらも援軍要請のコマンドを出さないつもりで
海賊の1隻に交戦したら、結局さいごまで1on1の戦闘として完結した。
相手も当初はこちらの援軍を警戒して遠巻きに動いていたけれど、
意図を了解したのかしばらくして単艦での戦闘行動を積極的にとってきた。
旋回を続けながら機雷を撒いて砲撃とのコンボ撃沈を狙うこちらの手は
すぐに読まれ、焼き討ちを使われて水資材の減りも予想外に早くなる。
さすがに名のある海賊相手にリハビリは甘かったかなと反省しだした。
結果としては、近接での並航状態から
敵艦による一斉砲撃の一瞬あとを狙って内回りに切れ込み相手の船尾をとる
というやりかたで戦闘終了にこぎつけた。
タイミングを少しでも誤ると白兵能力の高い海賊相手に自ら接舷してしまうか、
船首に至近でのクリティカルダメージを受けるリスクの高い戦術だけれど、
その分だけ当たったときの効果は高い。
いま思えば相手には相手なりの計算があって、
半ば意図的な被撃沈だったのかもしれない。
なにしろわたしとの交戦圏から無傷で逃げ出そうものなら、
イスパニア方の複数艦隊がそのあとを狙っていたわけで、
それよりは拿捕されるリスクの小さい1on1を続けたほうが
負けた際に想定される被害は抑えられることになる。
もっともわたしのほうはこのとき結果としての勝敗など二の次で、
純粋に交戦へといたるプロセスと戦闘そのものを楽しんでした。
だからすこし憶測すれば、
相手もきっと結果は二の次だったんじゃないかとおもう。
良い位置で離脱できるチャンスに切り返してきた姿勢からもそう思えるし、
なにより自分が対人海賊をしていた頃がそうだった。
ソロでの交戦の妙味は、戦闘完結へといたる全責任を一人で負えることにある。
相手が単艦であれ複数であれ、
またどういう種の船舶であれそれは変わらない。
‘大航海時代Online’にひそむ別の面白さを
ひさびさに思い出した瞬間だった。
戦闘が終わったあとは、
一路アフリカ西岸沖に浮かぶカーボヴェルデ港へと帰投した。
ひさしぶりということもあり、達成感はもちろんあった。
けれども心の内を見つめるにそれは不思議と、
とても穏やかなものだった。
何といっても戦闘中における操作性の進化である。
それからようやく、
1on1が戦えるようになったこと。
これがたぶん、一番大きな変化になるとおもう。
船尾に白い航跡がのびるようになったのが一番嬉しい、
というようなことを以前の記事で述べたけれどもそこはそれ。
根っからの軍人プレイヤーとしてやはり戦闘は外せない。
すこし具体的な例をあげるなら、
舵を切るコマンドを打ってから実際に船体がガリガリと軋みをあげて
舵を切り始めるまでのタイミングがほぼ一定になったことや、
スキル窓やアイテム窓が開くまでの時間が短縮されたことなどがある。
またキーを押したままでも、修理が連打されるようになった。
‘大航海時代Online’の海事を少しでもやったことがあるひとなら、
これらがプレイ感覚にどれだけ革命的な進化をもたらしたのか、
おそらく想像に難くはないはずだ。
そのいずれもがたいていのひとにとっては
初めから当然の仕様としてできていたことのはずだけど、
そうでもない人々というのもたまにはいるわけで、
そのそうでもない人種にとってこれらの変化は、
今まで山と谷を2つずつ歩いて越えていた通学路が、
鉄道の開通によりある朝突然3分に短縮されてしまった
というくらいインパクトのある出来事なのだ。
などととなりの家のとなりに学校があったわたしが言うのも
はなはだ不謹慎な気もするけれど、
強引に話を戻してこの変化が実際のプレイ内容へどう影響したかというと、
まず艦隊戦において当然の動作を
当然のこととして行えるようになった。
修理の連打や多方向での支援入力をともかくも人並みにできるようになったのは、
こうしたあたりで僚艦に負担をかけてきた実感のある身としては
嬉しいという以上にほっと一息つける改善点だ。
そして1on1である。
冒頭に「これが‘たぶん’一番大きな変化になる」と述べたのは
まだ操船感覚や新しいキーボードの配置に慣れきっていない感じがあって、
多数vs多数の模擬戦を除けば実際の戦闘回数はごくわずかだからだけれど、
これまで危険海域におけるソロでの交戦は、修理やその他のキー入力が
間に合わないためもっぱら逃避戦や時間稼ぎ、1vs複数での囮戦術など
個別の勝敗を問題としない条件下での戦闘のみに留めてきたから、
今後がとても楽しみだ。
先日、この面での予兆ともいえるシーンがあった。
カナリア諸島〜穀物海岸域で、1on1を戦う局面が実際に起きたのだ。
この一帯は欧州に近いことから
長距離交易の商船を狙う海賊の巣窟になりやすく、
また海賊集団に対する討伐隊も集まりやすいから、
いわば複数の艦隊同士による実戦のメッカとなっている。
それでこのときも視認範囲に敵味方複数の艦隊がいて
互いに増援を呼ぶことは可能な情勢だったのだけれど、
敵方に増援がない限りこちらも援軍要請のコマンドを出さないつもりで
海賊の1隻に交戦したら、結局さいごまで1on1の戦闘として完結した。
相手も当初はこちらの援軍を警戒して遠巻きに動いていたけれど、
意図を了解したのかしばらくして単艦での戦闘行動を積極的にとってきた。
旋回を続けながら機雷を撒いて砲撃とのコンボ撃沈を狙うこちらの手は
すぐに読まれ、焼き討ちを使われて水資材の減りも予想外に早くなる。
さすがに名のある海賊相手にリハビリは甘かったかなと反省しだした。
結果としては、近接での並航状態から
敵艦による一斉砲撃の一瞬あとを狙って内回りに切れ込み相手の船尾をとる
というやりかたで戦闘終了にこぎつけた。
タイミングを少しでも誤ると白兵能力の高い海賊相手に自ら接舷してしまうか、
船首に至近でのクリティカルダメージを受けるリスクの高い戦術だけれど、
その分だけ当たったときの効果は高い。
いま思えば相手には相手なりの計算があって、
半ば意図的な被撃沈だったのかもしれない。
なにしろわたしとの交戦圏から無傷で逃げ出そうものなら、
イスパニア方の複数艦隊がそのあとを狙っていたわけで、
それよりは拿捕されるリスクの小さい1on1を続けたほうが
負けた際に想定される被害は抑えられることになる。
もっともわたしのほうはこのとき結果としての勝敗など二の次で、
純粋に交戦へといたるプロセスと戦闘そのものを楽しんでした。
だからすこし憶測すれば、
相手もきっと結果は二の次だったんじゃないかとおもう。
良い位置で離脱できるチャンスに切り返してきた姿勢からもそう思えるし、
なにより自分が対人海賊をしていた頃がそうだった。
ソロでの交戦の妙味は、戦闘完結へといたる全責任を一人で負えることにある。
相手が単艦であれ複数であれ、
またどういう種の船舶であれそれは変わらない。
‘大航海時代Online’にひそむ別の面白さを
ひさびさに思い出した瞬間だった。
戦闘が終わったあとは、
一路アフリカ西岸沖に浮かぶカーボヴェルデ港へと帰投した。
ひさしぶりということもあり、達成感はもちろんあった。
けれども心の内を見つめるにそれは不思議と、
とても穏やかなものだった。
夜のなかの見えない航路
2007年3月17日 海のなかの見えない航路 コメント (8)
今週から‘大航海時代Online’の拡張版第3章
“Spice Islands”が幕を開けていて、
焦点となる東南アジアの香料諸島域から遠く中南米の街々に
いたるまで、ゲーム内ではどの地域でも
年に数度あるかどうかというくらいの賑わいを見せている。
むかしの知り合いもぽつぽつ復帰していたりして、
お互いにやりたいことはたくさんあるから挨拶もそこそこに
それぞれの目的地へ向かうのが常だけれど、
いま思えばむやみなことをあれこれと試したり
一緒に右往左往した頃の記憶がよみがえってくるようで、
ひとこと交わすだけでも懐かしく、嬉しい。
このゲームでは仲良くなったプレイヤーとは
しばしば‘フレンド登録’を交わすことになるのだけれど、
その集積である‘フレンドリスト’は現状128人までしか登録ができなくて、
このことを共通の悩みとしているプレイヤーはたぶん少なくない。
なぜなら今あるつきあいを優先して、
いまはINしなくなってしまったけれど
いずれまた久々の出会いを喜べるかもしれない友人の登録を消すことは、
できることならやはりしたくないからだ。
そういう温かいつながりがじんわりと
他のプレイヤーとのあいだに育ってくるということは、
大規模オンラインゲーム自体が初めてのわたしにとって
‘大航海時代Online’を通じて得た経験のうち
最も予想外でかつ、一番貴重なもののひとつだとおもう。
それでいまわたしの船が何をしているかというと、
今回新たに加わった港の多い東南アジア一帯をとりあえず
一人で黙々と航行していたりする。
なるべく新しい情報を耳に入れないようにして、
何はともあれ世界の果てへと向かって突き進む。
たとえば現実世界での2007年3月現在、
ゲーム内世界での最東端はニューギニア島のなかほどを南北に貫く
経度線になっていて、この線にぶつかると、
見わたすかぎり何もない洋上でいきなり水夫のひとりに
「船長! これ以上進むと世界の果てですぜ!
進路を変えさせてもらいやす! 」
などと高らかに宣言されて船の針路が変えられてしまうのだけれど、
どこでそうなるのかは実際に行ってみなければわからない。
わからない、と言いきってしまうのも少し嘘が入っていて、
どうやらオンラインゲームというものは関連する各種の情報サイトを、
プレイヤーが参照することを前提に作られているようなところがあるらしい。
プレイしているのと同じモニター上で手軽に見られるのだから
これは致し方のない部分もあって、けれどもこのことから
その種のネタバレサイト群を見るプレイヤーと
見ないプレイヤーの両方ともに楽しめるように作られていることが、
オンラインゲームではその資質上かなり大事な要件となっている。
それで‘大航海時代Online’における「世界の果て」に関しては
わたしは一貫して「見ないプレイヤー」なんである。
なので理性的に判断すればあるはずのない‘何か’を勝手に予感して、
何もない海原をひたすらまっすぐ進むことになる。
水夫さんたちからみれば、このうえなく不安な船長なんである。
えらんだ船がわるかった。
白状しよう。
ゲームを始めて間もない頃、
すでに南極は目指した。
東南アジアが実装された翌週には、
オセアニア大陸も確かめた。
じゃぁ具体的に何を確かめたのかといえばたいていは、
‘そこにはまだ何もない’ことを確認したに過ぎないのだけれど。
そもそも日本も中国もガラパゴス諸島もまだないというのに、
南極なんてあるわけない。
そんなこと本当はもう、航海に出るまでもなくわかってしまっている。
でも、ね。
‘大航海時代Online’の世界にとって本当に重要なことはたぶん、
どれくらい史実に即した地理や船、街並みが再現されているのかということや
ディティールがどれほど作りこまれているかということの
‘外’にある。
あるかどうかもわからない‘何か’に対して
プレイヤーがそれぞれに自由なイメージをふくらませ、
存分に空想を広げることのできる世界。
その‘何か’の息吹きをひそやかに、
けれどもたしかに聴きとることのできる世界。
そういう世界が息づいているかぎり、きっとわたしは夜ごと
‘大航海時代Online’に浸りたいと望み続けるのだろうとおもう。
まだこの世界における一番東端の港がカルカッタだった頃、
いまはプレイを止めている仲の良いフレンドの一人と、
夜な夜なマラッカ海峡を目指したことがある。
セイロンから東方へ、ほかには誰もいない海をずんずん進んで、
アチンもパレンバンもまだなかったけれど、
スマトラ島やマレー半島の陸影だけは先に実装されていて、
そのときはまだ見えていない港町の喧噪を
しっかりとそこに見ていた。
そしてその海峡に少し入ったところで現れたガレオン10隻と戦った。
この海賊たちは想像していたよりずっと強くて、
二人とも何度も沈んで、大量に積んできた資材も弾薬も尽きかけたとき、
相手の旗艦が奇跡的に混乱状態におちいって、なんとか拿捕に成功した。
それはこれまでプレイしてきた記憶のなかで、
いまだに最も熱中した戦闘の一つとなっている。
激しい海戦が終わって、もう水も食糧も残りわずかになって
いたのだけれど、さらに東へと針路をとった。
まだ誰も踏み込んだことのない領域を
自分たちだけがいま目にしているのだというように、
とてもわくわくしたのを覚えている。
でも結局、マラッカ海峡を抜けることはできなかった。
当時はそこに「世界の果て」が存在していたからだ。
そのあとのことはよく覚えていない。
おそらく艤装をぼろぼろにしてあたかも漂着でもするように
どこかインド東岸の港へとたどりつき、
お互い疲れきったまま何をする間もなしに
眠りへついたのだろうとおもう。
けれどその眠りはきっといつもより、
ほんの少し充実したものだったにちがいない。
‘フレンドリスト’の、もうずっとオフラインを意味する灰色表示のままの
友人の名をみるたびに、そこからはいつもこうした記憶がほんのりと
にじみだしてくる。
だから消せるわけ、ないんだ。
“Spice Islands”が幕を開けていて、
焦点となる東南アジアの香料諸島域から遠く中南米の街々に
いたるまで、ゲーム内ではどの地域でも
年に数度あるかどうかというくらいの賑わいを見せている。
むかしの知り合いもぽつぽつ復帰していたりして、
お互いにやりたいことはたくさんあるから挨拶もそこそこに
それぞれの目的地へ向かうのが常だけれど、
いま思えばむやみなことをあれこれと試したり
一緒に右往左往した頃の記憶がよみがえってくるようで、
ひとこと交わすだけでも懐かしく、嬉しい。
このゲームでは仲良くなったプレイヤーとは
しばしば‘フレンド登録’を交わすことになるのだけれど、
その集積である‘フレンドリスト’は現状128人までしか登録ができなくて、
このことを共通の悩みとしているプレイヤーはたぶん少なくない。
なぜなら今あるつきあいを優先して、
いまはINしなくなってしまったけれど
いずれまた久々の出会いを喜べるかもしれない友人の登録を消すことは、
できることならやはりしたくないからだ。
そういう温かいつながりがじんわりと
他のプレイヤーとのあいだに育ってくるということは、
大規模オンラインゲーム自体が初めてのわたしにとって
‘大航海時代Online’を通じて得た経験のうち
最も予想外でかつ、一番貴重なもののひとつだとおもう。
それでいまわたしの船が何をしているかというと、
今回新たに加わった港の多い東南アジア一帯をとりあえず
一人で黙々と航行していたりする。
なるべく新しい情報を耳に入れないようにして、
何はともあれ世界の果てへと向かって突き進む。
たとえば現実世界での2007年3月現在、
ゲーム内世界での最東端はニューギニア島のなかほどを南北に貫く
経度線になっていて、この線にぶつかると、
見わたすかぎり何もない洋上でいきなり水夫のひとりに
「船長! これ以上進むと世界の果てですぜ!
進路を変えさせてもらいやす! 」
などと高らかに宣言されて船の針路が変えられてしまうのだけれど、
どこでそうなるのかは実際に行ってみなければわからない。
わからない、と言いきってしまうのも少し嘘が入っていて、
どうやらオンラインゲームというものは関連する各種の情報サイトを、
プレイヤーが参照することを前提に作られているようなところがあるらしい。
プレイしているのと同じモニター上で手軽に見られるのだから
これは致し方のない部分もあって、けれどもこのことから
その種のネタバレサイト群を見るプレイヤーと
見ないプレイヤーの両方ともに楽しめるように作られていることが、
オンラインゲームではその資質上かなり大事な要件となっている。
それで‘大航海時代Online’における「世界の果て」に関しては
わたしは一貫して「見ないプレイヤー」なんである。
なので理性的に判断すればあるはずのない‘何か’を勝手に予感して、
何もない海原をひたすらまっすぐ進むことになる。
水夫さんたちからみれば、このうえなく不安な船長なんである。
えらんだ船がわるかった。
白状しよう。
ゲームを始めて間もない頃、
すでに南極は目指した。
東南アジアが実装された翌週には、
オセアニア大陸も確かめた。
じゃぁ具体的に何を確かめたのかといえばたいていは、
‘そこにはまだ何もない’ことを確認したに過ぎないのだけれど。
そもそも日本も中国もガラパゴス諸島もまだないというのに、
南極なんてあるわけない。
そんなこと本当はもう、航海に出るまでもなくわかってしまっている。
でも、ね。
‘大航海時代Online’の世界にとって本当に重要なことはたぶん、
どれくらい史実に即した地理や船、街並みが再現されているのかということや
ディティールがどれほど作りこまれているかということの
‘外’にある。
あるかどうかもわからない‘何か’に対して
プレイヤーがそれぞれに自由なイメージをふくらませ、
存分に空想を広げることのできる世界。
その‘何か’の息吹きをひそやかに、
けれどもたしかに聴きとることのできる世界。
そういう世界が息づいているかぎり、きっとわたしは夜ごと
‘大航海時代Online’に浸りたいと望み続けるのだろうとおもう。
まだこの世界における一番東端の港がカルカッタだった頃、
いまはプレイを止めている仲の良いフレンドの一人と、
夜な夜なマラッカ海峡を目指したことがある。
セイロンから東方へ、ほかには誰もいない海をずんずん進んで、
アチンもパレンバンもまだなかったけれど、
スマトラ島やマレー半島の陸影だけは先に実装されていて、
そのときはまだ見えていない港町の喧噪を
しっかりとそこに見ていた。
そしてその海峡に少し入ったところで現れたガレオン10隻と戦った。
この海賊たちは想像していたよりずっと強くて、
二人とも何度も沈んで、大量に積んできた資材も弾薬も尽きかけたとき、
相手の旗艦が奇跡的に混乱状態におちいって、なんとか拿捕に成功した。
それはこれまでプレイしてきた記憶のなかで、
いまだに最も熱中した戦闘の一つとなっている。
激しい海戦が終わって、もう水も食糧も残りわずかになって
いたのだけれど、さらに東へと針路をとった。
まだ誰も踏み込んだことのない領域を
自分たちだけがいま目にしているのだというように、
とてもわくわくしたのを覚えている。
でも結局、マラッカ海峡を抜けることはできなかった。
当時はそこに「世界の果て」が存在していたからだ。
そのあとのことはよく覚えていない。
おそらく艤装をぼろぼろにしてあたかも漂着でもするように
どこかインド東岸の港へとたどりつき、
お互い疲れきったまま何をする間もなしに
眠りへついたのだろうとおもう。
けれどその眠りはきっといつもより、
ほんの少し充実したものだったにちがいない。
‘フレンドリスト’の、もうずっとオフラインを意味する灰色表示のままの
友人の名をみるたびに、そこからはいつもこうした記憶がほんのりと
にじみだしてくる。
だから消せるわけ、ないんだ。
春降りて澪引き
2007年3月13日 海のなかの見えない航路 コメント (2)
‘大航海時代Online’で遊び始めてもう1年半になるというのに、
自分の船の甲板を初めて見たのは
実をいうとついおとといのことである。
これまでの環境では、
べったりと灰色一色でしか表示されていなかった。
海原を行き交う船の白い航跡を見たのも初めてだ。
自分のパソコンでは設定をどういじっても航跡表示ができないことに
プレイしだして二ヶ月ほどたった頃には気づき、
以来このゲームについて他人の環境を羨ましくおもう理由の
筆頭にずっとこのことがあったから、
船尾に白く揺らめく泡沫のラインが現れたのは少し感動ものだった。
そう、わたしにとって、アイテム選択の画面が出にくいことや、
戦闘中にマウスポイントが消えることなどにもまして、
自船のうしろに白い航跡がのびてくれないことが
何よりの不満だったのだ。
それでまぁ、いまは見えているからご満悦なわけなのだけど、
この感動をわかち合えるひとというのはけっこう少数派であるらしい。
たとえばこのゲームでは航行中の船乗りがグラフィック上に
表現されることはないので、ガレー船などは無人の甲板で
無数のオールがひとりでに動いているのだけれど、
わぁなんか気持ちわるいねぇ、
などとチャットで感想を述べようものなら、
いまさら何を言うんだこのひとは、
という反応しか返ってこない。
雨が降ると、雨粒までしっかり見える。
すごいねぇ。
……。
雨粒も見えてなかったのかぐぴちゃん……。
とたいていはこんな風で、けれども自分にとってそれは
とても嬉しい発見なのだから、問題はまったくない。
問題はないのだけれど、そういうやりとりを幾度か繰り返しているうちに、
ふとある感覚がよみがえってくるのに気づく。
それはまだ‘大航海時代Online’を始めたばかりで、
ゲーム内で知り合ったまわりのプレイヤーたちにとっては当然のことに
いちいち驚いたり、面白く感じたり、
意外に思ったりしていた頃の感覚だ。
もちろん当時と今とでは、感じているものの中身はきっと
まるで種類が異なっていて、今の自分はたぶん他のプレイヤーが
このゲームについて共有していることのほとんどを
同じように踏まえている以上、何も知らなかった頃のようには
ゲーム内での物事を感じることはおそらくない。
にもかかわらずそこに何かしらの強い共通点があるからこそ
「よみがえってくる」と感じているわけで、
じゃぁそれは何なのかと頭をひねることになる。
そしてしばらく頭をひねってみるとそこにはどうも、
‘大航海時代Online’の世界にとって
とても重大な何かが潜んでいるように思えてくる。
いまはまだ予感の段階ではあるけれど、おそらくそれこそが
わたしがこのゲームをプレイし続けていくうえで、
決定的な役割を果たしているのだという感触がなぜかある。
幸いにもこのゲームでは、
地球を半周するような長距離の航海へ出ると
考える時間だけはたっぷりとできてしまう。
もとより結論を急ぐ必要などどこにもないのだから、
いまは感じていることの起源について
ゆっくりと想念を巡らせていくことにしよう。
なにしろ喜望峰まではまだ遠い。
自分の船の甲板を初めて見たのは
実をいうとついおとといのことである。
これまでの環境では、
べったりと灰色一色でしか表示されていなかった。
海原を行き交う船の白い航跡を見たのも初めてだ。
自分のパソコンでは設定をどういじっても航跡表示ができないことに
プレイしだして二ヶ月ほどたった頃には気づき、
以来このゲームについて他人の環境を羨ましくおもう理由の
筆頭にずっとこのことがあったから、
船尾に白く揺らめく泡沫のラインが現れたのは少し感動ものだった。
そう、わたしにとって、アイテム選択の画面が出にくいことや、
戦闘中にマウスポイントが消えることなどにもまして、
自船のうしろに白い航跡がのびてくれないことが
何よりの不満だったのだ。
それでまぁ、いまは見えているからご満悦なわけなのだけど、
この感動をわかち合えるひとというのはけっこう少数派であるらしい。
たとえばこのゲームでは航行中の船乗りがグラフィック上に
表現されることはないので、ガレー船などは無人の甲板で
無数のオールがひとりでに動いているのだけれど、
わぁなんか気持ちわるいねぇ、
などとチャットで感想を述べようものなら、
いまさら何を言うんだこのひとは、
という反応しか返ってこない。
雨が降ると、雨粒までしっかり見える。
すごいねぇ。
……。
雨粒も見えてなかったのかぐぴちゃん……。
とたいていはこんな風で、けれども自分にとってそれは
とても嬉しい発見なのだから、問題はまったくない。
問題はないのだけれど、そういうやりとりを幾度か繰り返しているうちに、
ふとある感覚がよみがえってくるのに気づく。
それはまだ‘大航海時代Online’を始めたばかりで、
ゲーム内で知り合ったまわりのプレイヤーたちにとっては当然のことに
いちいち驚いたり、面白く感じたり、
意外に思ったりしていた頃の感覚だ。
もちろん当時と今とでは、感じているものの中身はきっと
まるで種類が異なっていて、今の自分はたぶん他のプレイヤーが
このゲームについて共有していることのほとんどを
同じように踏まえている以上、何も知らなかった頃のようには
ゲーム内での物事を感じることはおそらくない。
にもかかわらずそこに何かしらの強い共通点があるからこそ
「よみがえってくる」と感じているわけで、
じゃぁそれは何なのかと頭をひねることになる。
そしてしばらく頭をひねってみるとそこにはどうも、
‘大航海時代Online’の世界にとって
とても重大な何かが潜んでいるように思えてくる。
いまはまだ予感の段階ではあるけれど、おそらくそれこそが
わたしがこのゲームをプレイし続けていくうえで、
決定的な役割を果たしているのだという感触がなぜかある。
幸いにもこのゲームでは、
地球を半周するような長距離の航海へ出ると
考える時間だけはたっぷりとできてしまう。
もとより結論を急ぐ必要などどこにもないのだから、
いまは感じていることの起源について
ゆっくりと想念を巡らせていくことにしよう。
なにしろ喜望峰まではまだ遠い。
水をさらい、砂をすくう
2007年3月10日 海のなかの見えない航路 コメント (5)
轟音とともに船体が傾き、水しぶきをあげて
自分の船が沈んでしまったからといって、
神妙にモニターへ向かって反省したり、
キーボードに八つ当たりをしていればいい
というものではない。
状況伝達や支援指示など、まだ戦っている仲間のために
できることはたくさんあるのだ。
ましてや深夜に‘大航海時代Online’で遊んでいると決まって
膝あるいは腕のうえに乗ってくる猫とたわむれだすなど論外なので、
ちょっとだけに留めてモニターへと目を戻す。
すでに航行不能となった自船から少し離れたところで、
敵味方の船が並走しつつ互いを牽制し合っているのが見える。
水面には、双方の船尾が揺らめく影となって映り出ている。
あぁそうなんだよなぁ、これなんだよね、本来の姿は。
とか思ってしまう。
おとといの夜、自宅に新しいパソコンが届いた。
機械の弱さにかけては天性の才能をもっていて、
すでにメーカーのほうでいろいろとセットアップされたものなのに、
何の用途かわからない部品を説明図通りにつなげ、
理由はわからないけどコードが幾本か余ったりもして、
箱を開けてから電源を入れるまでに4時間かかった。
きのうの夜、さっそく‘大航海時代Online’をダウンロードした。
とちゅう原因不明の障害発生を
キャンセルと実行ボタンの連打で幾度ものりこえて、
何とかゲーム内にINできた。
INした場所は、すでに勝手知ったるスマトラ島のパレンバンだ。
の、はずだった。
けれども見えている世界がどうも、記憶にあるそれとは違う。
もうじゅうぶんに慣れ親しんだ東南アジアの
水上集落の光景のはずなのに、何かが根本的に違って見えた。
正直、パソコンの性能が上がるだけで、ここまで変わるとは思わなかった。
モニター内で表現されている空気感、
自分のキャラを動かしたときのプレイ感覚、
聞こえてくるBGMの音域幅、
すべてこれまでとはまったく次元が異っている。
こういう新鮮な違和感というものは、
感じているそのときでなければたぶん書けない。
自分のなかでよく噛み砕き、すっきりと消化吸収したあとではもう、
初期の新鮮さは失われてしまっているものだ。
そんなこともあってやや唐突だけれども、
新しい記事シリーズを始めることにします。
過去の記事群よりもさらにモノローグっぽくなりそうなので、
せっかくだし文体も変えてみます。
もちろん継続中の各記事カテゴリーはそのまま続行予定です。
今後ともさよなら航路をどうぞよろしく。
※現状 Windows Vista での DL&SetUp では、どうも途中に何度か障害発生があるようです。その場合深く考えずに再試行を押すと、何度目かに不思議と成功していきます。参考までに。
自分の船が沈んでしまったからといって、
神妙にモニターへ向かって反省したり、
キーボードに八つ当たりをしていればいい
というものではない。
状況伝達や支援指示など、まだ戦っている仲間のために
できることはたくさんあるのだ。
ましてや深夜に‘大航海時代Online’で遊んでいると決まって
膝あるいは腕のうえに乗ってくる猫とたわむれだすなど論外なので、
ちょっとだけに留めてモニターへと目を戻す。
すでに航行不能となった自船から少し離れたところで、
敵味方の船が並走しつつ互いを牽制し合っているのが見える。
水面には、双方の船尾が揺らめく影となって映り出ている。
あぁそうなんだよなぁ、これなんだよね、本来の姿は。
とか思ってしまう。
おとといの夜、自宅に新しいパソコンが届いた。
機械の弱さにかけては天性の才能をもっていて、
すでにメーカーのほうでいろいろとセットアップされたものなのに、
何の用途かわからない部品を説明図通りにつなげ、
理由はわからないけどコードが幾本か余ったりもして、
箱を開けてから電源を入れるまでに4時間かかった。
きのうの夜、さっそく‘大航海時代Online’をダウンロードした。
とちゅう原因不明の障害発生を
キャンセルと実行ボタンの連打で幾度ものりこえて、
何とかゲーム内にINできた。
INした場所は、すでに勝手知ったるスマトラ島のパレンバンだ。
の、はずだった。
けれども見えている世界がどうも、記憶にあるそれとは違う。
もうじゅうぶんに慣れ親しんだ東南アジアの
水上集落の光景のはずなのに、何かが根本的に違って見えた。
正直、パソコンの性能が上がるだけで、ここまで変わるとは思わなかった。
モニター内で表現されている空気感、
自分のキャラを動かしたときのプレイ感覚、
聞こえてくるBGMの音域幅、
すべてこれまでとはまったく次元が異っている。
こういう新鮮な違和感というものは、
感じているそのときでなければたぶん書けない。
自分のなかでよく噛み砕き、すっきりと消化吸収したあとではもう、
初期の新鮮さは失われてしまっているものだ。
そんなこともあってやや唐突だけれども、
新しい記事シリーズを始めることにします。
過去の記事群よりもさらにモノローグっぽくなりそうなので、
せっかくだし文体も変えてみます。
もちろん継続中の各記事カテゴリーはそのまま続行予定です。
今後ともさよなら航路をどうぞよろしく。
※現状 Windows Vista での DL&SetUp では、どうも途中に何度か障害発生があるようです。その場合深く考えずに再試行を押すと、何度目かに不思議と成功していきます。参考までに。