森羅   【吐息の航跡 final】
  疾走するなかで、人はあらゆるものを呑み込み、あらゆるものを吐き出す。矛盾や悲劇を生みだしもすれば、喜びや安らぎを育てあげもする。そういう存在。そういう存在としてこの世界に生まれ、響き合い、消えてゆく。生命とは本来、ただ物質の塊としてそこに佇んであるのではなく、草原をゆく風のまにまに響く音の調べのようなもの。

  ネットにより架構された社会を‘仮想現実(virtual reality)’と呼び、実社会と対比させる語り口が往々にして欠落させてしまう視点の一つに、いわゆる心脳問題があります。“私の脳は認識によりこの宇宙全体を包みこみ、私の脳を含む身体もまたそこに含まれる”と書いたのは作家のポール・オースターですが、ある個人の内部で仮想人格が一つの人格モデルとして機能しうるその一点においては、彼の文学世界とネット社会、そして実社会との相互のあいだに確たる隔たりは実はない。あなたがあなたの人格を‘仮構されたなにものか’ではないと信じるのは容易いけれど、だとしても瞳に映る赤の赤らしさを受け入れるしかない以上、その試みはほとんど祈りにも近い。

  “命は「いのち」とよみ、「生(い)の霊(ち)」の意であろう”とする言語学者の白川静は続けてこう述べています。“生が外ならぬ命によって絶対的に規定されているという、存在の本質的な構造を無視して、恣意的な生活が可能であるとするのは、現代の人々の一つの妄想にすぎない。”
  これを仮想現実の語に引き付けて逆説的に読み解くならば、おそらくこうなります。テレビ・新聞・携帯電話・インターネットといった各種メディア装置により架構された社会を生きるのが現代人における‘現実’の一方の姿であるならば、それはもはやネットの世界に生み出た新たな人格のありようと質的に何ら差異はない、と。そのことの善し悪しをここでは問わず、代わりに白川の言葉を続けることで本記事の結びとします。

  “人の寿夭は、おそらく先天的なものであろう。そしてまた遺伝によって構成されるその機能と生命力も、おそらくはすでに予定されているものであろう。しかし生物の進化の過程からすれば、そこに生活者の意思が加えられる余地は存するものと考えられる。その共同の意思が、その種の進化をもたらしてゆくのであろう。それを人の修為の上に移していえば、「夭寿うたがはず、身を修めて以て之を俟つ。命を立つる所以なり」という語に要約される。「命を立つる」とは、所与的な命を主体的なものに転換することである。”

  だから楽しいんです、とはgoodbyeの弁。
 
 
【吐息の航跡 final: 2006年1月25日 Diary Note 更新開始】
  ようやく戦列乗りとなり、負け越しながらも対人戦での勝ち星をポツポツと稼げるようになってくると、そろそろプレイスタイルを変える時かなという思いが次第に増していきました。このプレイ日記もまたその試みの一つだったわけですが、書き出して4ヵ月半がたちいま思うのは、こんなに続くとは思わなかったなぁということ(笑)。中の人のリアル日記ですら半月以上続いたことは稀ですから、本人的にはちょっと驚きです。

  なぜ続けられたのかを考えると、もちろん毎日更新なんていう高すぎる目標(!)を端から諦めていたこともありますが、やはりコメントを付けてくれたりゲーム内で日記についてTellをくれる他のプレイヤーの存在が決定的だったと思います。感謝感謝です。他のかたの視線が自らの推進力になっていることを毎回書きながら感じる日々でした。
  ここでわたしが大事にしようと思ったのは、“まだ未経験なのだけど、その記事内容に興味がある”と感じる人に向けた文章を心がけること。いきおい、経験済みの人にしかわからない言葉遣いはできるだけ避け、自分で実際に経験したことだけをつらつらと書き出していくというスタンスが出来上がっていきました。

  ただ、わかりやすさを意図したあまり、とりこぼしたことも多いなぁとも感じます。海事系の記事に焦点を絞ったため、とりわけ“吐息の航跡”と題したこの回想録シリーズでは、商会での活動やフレとの関わりなど、本人としては海事の活動と同じかそれ以上に楽しんでいた出来事を、ほとんど入れ込むことができませんでした。実際にはここで書いているほどいつも海事をしていたわけではなく、ユーザーイベントが大好きだったり、キャラ本体は動かずにチャットでバカ話だけして数時間を過ごしたり、などなど。

  さて、その“吐息の航跡”シリーズも、今回でとうとう最終回を迎えることとなりました。
   (初回記事は右記URL: http://diarynote.jp/d/75061/20060125.html

  プレイ日数にして、丸10ヶ月が過ぎようとしています。ずいぶんやり込んだなぁと、いろんな意味で我ながら感心してしまいます(笑)。この日記にしても、こんな風に長文スタイルが出来上がるとは、正直思ってもみませんでした。^^; ともあれリアル事情の変化や、ゲーム内でも砲撃スキルがほぼ整ってきたこともあり、これを機会にまた少し、ここで当日記を含むプレイスタイル全般を変えようと思っています。

  しょせん遊びだし、という言葉をゲーム内で時折耳にします。その通り、ゲームですから徹頭徹尾、‘遊び’にすぎない。けれどだからこそ、すこし本気をだしてみると一層の面白味が出てくる点は、遊びも仕事も、恋愛も生活もみんな人生の一幕としてきっと一緒のはずですよね。なにしろ使っている時間は少なくとも、ネトゲにしてもリアルそのものなわけですし。
  などと、さいきん寝落ちがまた増えつつある自分に言い訳しつつ、今夜もプレイにいそしむ所存。ゲーム内で親交のあるかたをはじめ、話したことはないけれどプレイ日記はお互い読んだりコメントを付け合ったりしているかた、たまに訪れてくださる読者専のみなさん、今後ともgoodbyeをよろしくね^^ el punto final.
 

コメント

nophoto
イブン・バットゥータ
2006年6月10日7:48

  >所与的な命を主体的なものに転換することである。
自己を自己で観測する事でしょうか?。
とはいえ、この自我すらも時間軸と空間軸で支配されてる
ではと?、思い巡らす今日この頃、どっかの詩人じゃあ無いけれど、クシャミが出そうです。

うぃしぃぇ
tturi-don
2006年6月10日8:08

オワリなのかー
また気が向いたら書いて

goodbye
goodbye
2006年6月10日13:35

観測!?@@ 静かにみつめるイメージより淡々と暮らすイメージのがgoodbye的にはしっくりきますね〜 安心立命ってさ 養命酒とか片手に・・・飲んだことないけどw

あ オワリなのはこの回顧記事シリーズです〜 日記そのものは続けるお 
けど趣向は変える予定!?  コメント感謝^^

ジッダラ・クー
ジッダラ・クー
2006年6月12日11:00

goodbyeさんのこういう語り口大好きです。

勝手にリンクさせて貰って相互リンクして頂いてご挨拶もまだでしたよね; 確か。改めて宜しくお願い致します。

回顧シリーズが終わってどう展開を見せるのか、期待してます!

goodbye
goodbye
2006年6月21日17:41

ジッダラ・クーさん、コメントありがとうです^^
以前から幾度かお見かけするたびに思っていたんですが、素敵なお名前ですよね。海ですれ違ったりすると、かなりなごんでしまいます^^
これからどういう展開を見せるのか、実は自分でもわかってません! 今後ともよろしくですw

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