Job Description 3: 宣教師 【ミッション】
2006年8月5日 就職・転職 コメント (6)
木製の十字架へ磔にされた無名の神父が河に流され、そのままイグアスの瀑布に呑み込まれていくシーンから始まるこの作品は、18世紀半ばの南米奥地、パラナ川上流域(現ブラジル-アルゼンチン国境域)を舞台とします。大航海時代のさなかにあってそこではスペインとポルトガルが奴隷貿易の利権を競い、イエズス会が布教の根を張っています。
映画前半では対立する二人の主人公、誠実に布教活動へ従事する神父ガブリエル(byジェレミー・アイアンズ)と原住民を冷徹に狩っていく奴隷商人メンドーサ(byロバート・デ・ニーロ)は、作品後半に入ると教会と政府の意向に抗い互いに手を結びます。そしてこの作品において語り部となるイエズス会本部から派遣されてきた枢機卿(byレイ・マカナリー)は、政治的な決定においては本国の事情を優先して原住民の幸福と平安を犠牲にする施策をとるも、原住民に寄り添おうとする主人公たちを心情的には次第に理解してゆきます。
この作品の公開年にあたる1986年といえばポスト・コロニアル思想が大衆芸術の分野へもようやく浸透を始める頃ゆえ仕方ないとも言えるのでしょうが、植民地政治や奴隷制度への義憤は描かれても、イエズス会の布教行為そのものに対してはまるで無批判な点は2000年代現在の目から見ればどうにも不自然に映ります。けれども改宗し定住した部族により築かれた社会が一時的にとはいえ共産制に行き着いたとして描かれる点や、宣教師の存在が結局は原住民社会の破滅を防げなかったとするプロットにより、ぎりぎりのラインでPC的な誹りを免れているとは言えるのかも。デ・ニーロ扮するメンドーサが一度は捨てた武器を再度手にとる決意ののち祝福を請うシーンでの、J・アイアンズ演じる神父ガブリエルによるセリフは印象に深く残るところです。下記引用します。
‘私が祝福を施さずとも、あなたの行ないが正しいなら神が祝福するだろう。また行ないが過ちなら、私が祝福しても無意味である。ただ私はおもう。もし力が正しいなら、この世に愛は要らなくなる’
出演者では他に、いまやすっかり大御所俳優の仲間入りを果たしたリーアム・ニーソンが若い神父役で登場しています。監督のローランド・ジョフィは他に“キリング・フィールド”(1984)や“シティ・オブ・ジョイ”(1992)、“スカーレット・レター”(1995)など。前二作はこの作品と並んで時代を画した名作(私見)ですが、こうして並べてみると近現代史物に強いことがよくわかりますね。脚本のロバート・ボルトは“アラビアのロレンス”でも脚本を担当、確かに原住民へのリスペクトのある(この年代には稀な)まなざしには通底する部分も感じます。エンニオ・モリコーネによる音楽もいい。
念のため付記しておけば、"mission"の語には「使命,任務」等の他に「宣教,伝道」の意があります。日本を含む非欧米諸国のカトリック教会では "missionaries church" という英語表記をよく目にしますね。つまり宣教会。
"The Mission" by Roland Joffe / Robert Bolt [scr] / David Puttnam [prd.] / Robert De Niro, Jeremy Irons, Ray McAnally, Liam Neeson, Aidan Quinn / Ennio Morricone [music] / 125min / UK / 1986
映画前半では対立する二人の主人公、誠実に布教活動へ従事する神父ガブリエル(byジェレミー・アイアンズ)と原住民を冷徹に狩っていく奴隷商人メンドーサ(byロバート・デ・ニーロ)は、作品後半に入ると教会と政府の意向に抗い互いに手を結びます。そしてこの作品において語り部となるイエズス会本部から派遣されてきた枢機卿(byレイ・マカナリー)は、政治的な決定においては本国の事情を優先して原住民の幸福と平安を犠牲にする施策をとるも、原住民に寄り添おうとする主人公たちを心情的には次第に理解してゆきます。
この作品の公開年にあたる1986年といえばポスト・コロニアル思想が大衆芸術の分野へもようやく浸透を始める頃ゆえ仕方ないとも言えるのでしょうが、植民地政治や奴隷制度への義憤は描かれても、イエズス会の布教行為そのものに対してはまるで無批判な点は2000年代現在の目から見ればどうにも不自然に映ります。けれども改宗し定住した部族により築かれた社会が一時的にとはいえ共産制に行き着いたとして描かれる点や、宣教師の存在が結局は原住民社会の破滅を防げなかったとするプロットにより、ぎりぎりのラインでPC的な誹りを免れているとは言えるのかも。デ・ニーロ扮するメンドーサが一度は捨てた武器を再度手にとる決意ののち祝福を請うシーンでの、J・アイアンズ演じる神父ガブリエルによるセリフは印象に深く残るところです。下記引用します。
‘私が祝福を施さずとも、あなたの行ないが正しいなら神が祝福するだろう。また行ないが過ちなら、私が祝福しても無意味である。ただ私はおもう。もし力が正しいなら、この世に愛は要らなくなる’
出演者では他に、いまやすっかり大御所俳優の仲間入りを果たしたリーアム・ニーソンが若い神父役で登場しています。監督のローランド・ジョフィは他に“キリング・フィールド”(1984)や“シティ・オブ・ジョイ”(1992)、“スカーレット・レター”(1995)など。前二作はこの作品と並んで時代を画した名作(私見)ですが、こうして並べてみると近現代史物に強いことがよくわかりますね。脚本のロバート・ボルトは“アラビアのロレンス”でも脚本を担当、確かに原住民へのリスペクトのある(この年代には稀な)まなざしには通底する部分も感じます。エンニオ・モリコーネによる音楽もいい。
念のため付記しておけば、"mission"の語には「使命,任務」等の他に「宣教,伝道」の意があります。日本を含む非欧米諸国のカトリック教会では "missionaries church" という英語表記をよく目にしますね。つまり宣教会。
"The Mission" by Roland Joffe / Robert Bolt [scr] / David Puttnam [prd.] / Robert De Niro, Jeremy Irons, Ray McAnally, Liam Neeson, Aidan Quinn / Ennio Morricone [music] / 125min / UK / 1986
コメント
goodbyeさんは演劇、映画、芸術に造詣が深いですなぁ。
私の場合、パラナ川→パラグアイ戦争→河川艦隊同士の
艦隊戦→DOLでも開拓地争奪で大海戦出来るかなァ。
ああ、何たる落差・・・。
マスネ、とか同意を求めておいてぜんぜ〜ん説明してないので補足(汗)↓
●“キリング・フィールド”:1970年代カンボジア・ポルポト政権の大虐殺が背景。原作の実在するアメリカ人記者(S・ジャンバーグ)による手記はピューリッツァ賞獲得。有名どころではハゲ頭にギョロ目が可愛いジョン・マルコヴィッチなど出演
●“シティ・オブ・ジョイ”:現代カルカッタのスラムが舞台。心に傷を負った白人の青年医師と車夫として働くインド人男性との交流が軸。同題の原作(byドミニク・ラピエール)の方が有名かも。青年医師役は“ゴースト・NYの幻”の主演でブレイクし最近みないパトリック・スウェイジ
・・・大航海ぽくはないけどどちらもお奨め。中くらいのレンタル屋ならたぶんあるはず
ついでにプチ用語解説。(短くまとめたあげく難解になっちゃう癖ゴメン)
○「ポスト・コロニアル思想」:犯罪的に短絡すれば、欧米的価値観バンザイな風潮への論理的反駁。マルチカルチュアリズムともども流行ののち、思潮そのものの孕む一元性への懐疑に至ってブームは収束。こういうのって理屈っぽいイメージもつ人が多いだろけど、こうした流れすべてに先鞭をつけたレヴィ=ストロースはどうみても感性のひと。
○「PC的」:“政治的に正しい〜”ってやつ。日本では瞬時に死語になったけど、それはこの国ではPC的であることと道義的であることと常識的であることが難なくイコールで結ばれてしまうためで、そのこと自体は日本社会の画一性・均質性以外に何も示さず、本文記事のロジックの流れでは他に良い言葉も思いつかず(-_-;;)
好きこそものの〜ですね。イグアスの滝、涼しそうでいいなぁ。。。
実はこれ見てないんであまり内容知らんかったよ
俺はまたイエスそのものの話かと思ってた
パッションはわりと最近見たんだがね
メル・ギブソンのイエス映画
感動は無かったけど、代わりに「ああ、メル・ギブソンて真性マゾなんだな。」と納得したよ
ほら、ブレイブハートもアレだったし・・・
パッションは意外感あったねぇ、いろんな意味で。あのbloody-dirtyな感じが性愛趣味の発露なのは王子の言う通り確かだとおもう。(笑) “シンドラーのリスト”の屍体趣味なんかと同じで、あのグログロ感をリアルな演出だとか史的再現性の高さみたいな方向で読み解くのは、決して間違いじゃないけど見方が浅いよね。そういうキマジメな解釈のほうが、メル・ギブソンやスピルバーグを結果的には馬鹿にしてそう。
とくに好みじゃないけどメルくんってかなりレアな立ち位置もってると思うし、製作に携わるにしろ出演するにしろそれを活かした作品どんどん撮ってほしいなり。
悪乗りして・・・。
去年に観た映画は「ヴィレッジ」が☆3個ですた。
シャマラン最高ナリ、やっぱり、オチのある脚本でないと。
「宇宙戦争」鑑賞後に「サイン」を観たけど、
後者の”寄り切り”勝ちです。