la cai’da

2006年10月3日 水の棲み処
la cai’da
 
 
 
 
 
 
 
  ここに、月長石という名の石がある。

  月の満ちる夜に水へ浸すと、光を発して己の往くべき方角を照らしだすという。いにしえより航海の護符として用いられ、遥か異国の地では月の光の塊とも、月の泡の石ともされるらしい。

  ばあやが言うには救い出されたときすでに、わたしは石を口に含んでいたそうだ。それからずっと、深い藍色を湛えたこの石のそばで生きてきた。
  その名とともに、石のことを教えてくれたのは叔父さんだった。叔父といっても、血のつながりはないはずだけれど。

  シーレーン、セレーン、セレーニテス。古いギリシア語で月の意味。古代ローマの自然学者ディオコリデス、数百年前の錬金学者アルベルトゥスの書物にも出てくるよ。オスマン人の住むよりずっと東の国でも、満月の日にこの石を口に入れて祈ると願い事が叶うという言い伝えがあるって聞いたな。だからもしかしたら君の実の両親は、そんな土地と関わりがあるのかもしれないね。
 
 
  起きぬけのからだを慣らすため、枕もとの水筒に手をのばす。のどを通る水のひんやりとした冷たさが、手足の爪のさきへと染みわたっていくのがわかる。
  叔父さん、元気だろうか、とすこし想う。mio tio (わたしのおじさん)、tiovivo (メリーゴーランド)、tipejo (風変わりな男)……。そんなことばの響きを巡らせていた幼い日に思いを馳せる自分がおかしくなって、眠るときはいつも枕の下に置いているこの石を、水を含んだ口のなかへといたずら半分にほうり込んでみる。

  シレーヌ、セイレーン、サイレン。音が少しズレるだけで航海のお守りだったはずのこの名はすぐに、美しい歌声で水夫を深海の底へといざなう魔性の女神になってしまう。この石と海へ出ることがあったら少し気をつけたほうがいい。
  船乗りになる決心をしたのは、そんなことを冗談めかして言っていた叔父さんが、洋上で消息を絶ってからのことだった。

  口の中がすこし熱をもったように感じて、手のひらでつくったくぼみに水ごと石を吐き出した。
  その途端、石から発する淡青色の閃光が、この船室を充たしていく。光は煌めきながら即座にあまたの束となり、蒼く鋭い一つの線となって、深い夜闇を映す船窓を貫いて、薄く白みだした遥か彼方の水平線へと突き抜けてゆく。
 
  いまはもうこの世にいないばあやの習慣だった、朝焼けの空に向かって祈る姿がなぜか一瞬、はっきりと目の前に浮かんでいた。
 
 

 
 

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