春降りて澪引き
2007年3月13日 海のなかの見えない航路 コメント (2)
‘大航海時代Online’で遊び始めてもう1年半になるというのに、
自分の船の甲板を初めて見たのは
実をいうとついおとといのことである。
これまでの環境では、
べったりと灰色一色でしか表示されていなかった。
海原を行き交う船の白い航跡を見たのも初めてだ。
自分のパソコンでは設定をどういじっても航跡表示ができないことに
プレイしだして二ヶ月ほどたった頃には気づき、
以来このゲームについて他人の環境を羨ましくおもう理由の
筆頭にずっとこのことがあったから、
船尾に白く揺らめく泡沫のラインが現れたのは少し感動ものだった。
そう、わたしにとって、アイテム選択の画面が出にくいことや、
戦闘中にマウスポイントが消えることなどにもまして、
自船のうしろに白い航跡がのびてくれないことが
何よりの不満だったのだ。
それでまぁ、いまは見えているからご満悦なわけなのだけど、
この感動をわかち合えるひとというのはけっこう少数派であるらしい。
たとえばこのゲームでは航行中の船乗りがグラフィック上に
表現されることはないので、ガレー船などは無人の甲板で
無数のオールがひとりでに動いているのだけれど、
わぁなんか気持ちわるいねぇ、
などとチャットで感想を述べようものなら、
いまさら何を言うんだこのひとは、
という反応しか返ってこない。
雨が降ると、雨粒までしっかり見える。
すごいねぇ。
……。
雨粒も見えてなかったのかぐぴちゃん……。
とたいていはこんな風で、けれども自分にとってそれは
とても嬉しい発見なのだから、問題はまったくない。
問題はないのだけれど、そういうやりとりを幾度か繰り返しているうちに、
ふとある感覚がよみがえってくるのに気づく。
それはまだ‘大航海時代Online’を始めたばかりで、
ゲーム内で知り合ったまわりのプレイヤーたちにとっては当然のことに
いちいち驚いたり、面白く感じたり、
意外に思ったりしていた頃の感覚だ。
もちろん当時と今とでは、感じているものの中身はきっと
まるで種類が異なっていて、今の自分はたぶん他のプレイヤーが
このゲームについて共有していることのほとんどを
同じように踏まえている以上、何も知らなかった頃のようには
ゲーム内での物事を感じることはおそらくない。
にもかかわらずそこに何かしらの強い共通点があるからこそ
「よみがえってくる」と感じているわけで、
じゃぁそれは何なのかと頭をひねることになる。
そしてしばらく頭をひねってみるとそこにはどうも、
‘大航海時代Online’の世界にとって
とても重大な何かが潜んでいるように思えてくる。
いまはまだ予感の段階ではあるけれど、おそらくそれこそが
わたしがこのゲームをプレイし続けていくうえで、
決定的な役割を果たしているのだという感触がなぜかある。
幸いにもこのゲームでは、
地球を半周するような長距離の航海へ出ると
考える時間だけはたっぷりとできてしまう。
もとより結論を急ぐ必要などどこにもないのだから、
いまは感じていることの起源について
ゆっくりと想念を巡らせていくことにしよう。
なにしろ喜望峰まではまだ遠い。
自分の船の甲板を初めて見たのは
実をいうとついおとといのことである。
これまでの環境では、
べったりと灰色一色でしか表示されていなかった。
海原を行き交う船の白い航跡を見たのも初めてだ。
自分のパソコンでは設定をどういじっても航跡表示ができないことに
プレイしだして二ヶ月ほどたった頃には気づき、
以来このゲームについて他人の環境を羨ましくおもう理由の
筆頭にずっとこのことがあったから、
船尾に白く揺らめく泡沫のラインが現れたのは少し感動ものだった。
そう、わたしにとって、アイテム選択の画面が出にくいことや、
戦闘中にマウスポイントが消えることなどにもまして、
自船のうしろに白い航跡がのびてくれないことが
何よりの不満だったのだ。
それでまぁ、いまは見えているからご満悦なわけなのだけど、
この感動をわかち合えるひとというのはけっこう少数派であるらしい。
たとえばこのゲームでは航行中の船乗りがグラフィック上に
表現されることはないので、ガレー船などは無人の甲板で
無数のオールがひとりでに動いているのだけれど、
わぁなんか気持ちわるいねぇ、
などとチャットで感想を述べようものなら、
いまさら何を言うんだこのひとは、
という反応しか返ってこない。
雨が降ると、雨粒までしっかり見える。
すごいねぇ。
……。
雨粒も見えてなかったのかぐぴちゃん……。
とたいていはこんな風で、けれども自分にとってそれは
とても嬉しい発見なのだから、問題はまったくない。
問題はないのだけれど、そういうやりとりを幾度か繰り返しているうちに、
ふとある感覚がよみがえってくるのに気づく。
それはまだ‘大航海時代Online’を始めたばかりで、
ゲーム内で知り合ったまわりのプレイヤーたちにとっては当然のことに
いちいち驚いたり、面白く感じたり、
意外に思ったりしていた頃の感覚だ。
もちろん当時と今とでは、感じているものの中身はきっと
まるで種類が異なっていて、今の自分はたぶん他のプレイヤーが
このゲームについて共有していることのほとんどを
同じように踏まえている以上、何も知らなかった頃のようには
ゲーム内での物事を感じることはおそらくない。
にもかかわらずそこに何かしらの強い共通点があるからこそ
「よみがえってくる」と感じているわけで、
じゃぁそれは何なのかと頭をひねることになる。
そしてしばらく頭をひねってみるとそこにはどうも、
‘大航海時代Online’の世界にとって
とても重大な何かが潜んでいるように思えてくる。
いまはまだ予感の段階ではあるけれど、おそらくそれこそが
わたしがこのゲームをプレイし続けていくうえで、
決定的な役割を果たしているのだという感触がなぜかある。
幸いにもこのゲームでは、
地球を半周するような長距離の航海へ出ると
考える時間だけはたっぷりとできてしまう。
もとより結論を急ぐ必要などどこにもないのだから、
いまは感じていることの起源について
ゆっくりと想念を巡らせていくことにしよう。
なにしろ喜望峰まではまだ遠い。
コメント