Job Description 14: 司祭 【薔薇の名前】
  幼い頃にみて、強烈な印象が今も残っている映画というのは誰しもあるものだと思います。わたしの場合、“薔薇の名前”はその一つでした。恐らく周囲の大人がヴィデオかテレビ放映で観ていたとき脇にいたのだと思うけれど、まだ意味はわからなくても、とにかくオドロオドロしい世界の象徴に近いものとして以後それは心の奥底に沈澱し続けました。
  十代の終わり頃を中心とした、浴びるように映画を見続けた時期をへて最近この作品をあらためて観る機会があり、驚きました。傑作という以上の傑作だったからです。

   予告編動画(50秒): http://www.youtube.com/watch?v=CsjKsl1bY0Y

  物語は14世紀北イタリアの修道院で起きた怪事件を舞台として展開します。原作は『フーコーの振り子』でも著名な作家・哲学者のウンベルト・エーコによる同名小説。ショーン・コネリー演じる主人公のフランシスコ会修道士は、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁とのあいだで起きた清貧論争に決着をつけるため会談の場所となったこのベネディクト会修道院を訪れたのですが、修道院長からその炯眼を見込まれて数日前に起きた怪事件の原因究明を依頼されます。映画はこのようにして始まります。

   清貧論争の場面(40秒): http://www.youtube.com/watch?v=qwd4oA75JPk

  怪事件は主人公による探索開始後も連続して発生し、修道院全体が緊張と混乱に包まれるなかでアヴィニョン教皇庁からの使節団が到着、さらには異端審問官ベルナール・ギーの一行も到着して事態はどんどん複層化していきます。主人公はこの混沌のなかで、修道院の関係者ですら立ち入りが固く禁じられている巨大な文書庫の内部に事件の真相を解く鍵の気配を嗅ぎとります。そしてなんとか文書庫として使用されている城塞様の建築深部への潜入を果たすのですが、なんとそこには…。
  これから観るひとの楽しみを奪わない範囲で前半のあらすじをまとめると以上のような感じになりますが、この映画の真骨頂はその良作歴史ミステリー然としたストーリー進行にあるのではなく、むしろ背景にある作品世界の奥行と、映像化にあたって払われた繊細な努力の膨大な厚みにあるといえます。

  まがりなりにも大航海時代を謳うこの記事シリーズで14世紀前半を舞台とするこの映画をとりあげることに違和感をもつ向きがあるとしても、そこは実作品に触れてもらえれば容易に解消されるはず。というのも映画本編では多種多様な宗教/哲学上の命題が登場するのですが、それらに対する主人公の思考は徹底した合理主義に根差しており、近代人の眼を感じさせるものなのですね。
  たとえば文書庫の深奥部で、当時ヨーロッパには存在しない(=もうこの世界には存在しない)と思われていた大量の古典時代を中心とする書物群の実在を確認して彼は涙します。このようにその時代その時代を覆った人々の意識とは切り離されたところで純粋な知的感動を共有することのできる人物の眼差しをここでは‘近代人の眼’と表現しましたが、そういう人々がどの時代どの地域にも確実に存在し続けたことが人類の文明発展を考えるうえで必要不可欠の条件であることもまた確かです。この点では、日常のわたしたちが考えるたとえば“14世紀前半の欧州”とは本当は何なのかということのほうが、あらためて再考を迫られるべきなのかもしれません。あるいは“大航海時代”とは、でも良いのですが。

   異端審問の場面(1分):http://www.youtube.com/watch?v=zwMkoibG9FQ

  ここで作品中の異端審問の場面を切り取った動画もご紹介。裁かれている人物は当時カトリック教会から異端として敵視されていたドルチーノ派に属した過去を隠してこの修道院に暮していたのですが、怪事件続発の過程でその過去を暴かれてしまい裁判に至ります。首席裁判官としてここに登場するベルナール・ギーは史実上の人物で、ドルチーノ派に関する数少ない記録の一つを残した異端審問官でした。この動画では断片的だしイタリア語の吹き替えということもあっていまいち迫真性に欠けますが、短いシークエンスにおいて糾弾されることにより逆に異端教徒としての誇りを取り戻していく修道僧の演技は作品全編を通しても心に残るシーンの一つです。
  異端関連やアヴィニョン教皇庁周辺、中世における禁書の保存等についてなどを叔父貴がまとめているのでついでにご紹介。下記3つ目の記事は日本の場合になりますが、洋の東西に関わらず中世における宗教組織が果たした役割の一側面として。

  異端派と十字軍: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-96.html
  聖歌と教皇庁周辺: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-97.html
  本願寺家の禁書:http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-23.html[記事後半]


  わたしと同様に、「この作品は前に観た」という意識が働いてずっと再鑑賞する機会をもたないままでいるひとも、‘大航海時代Online’のプレイヤーにはきっと多いだろうと推測します。もしそうであれば、ぜひお薦めの一作です。公開直後の全米市場では酷評の嵐だったことが俄かには信じがたいのですが、昨今の新作映画に比して娯楽作品としてもまったく古びていない高水準の質を維持しています。ジェームズ・ホーナーの音楽も非常に効いています。(ex.予告編動画のBGM) ホーナーはこの記事シリーズで過去にとりあげた“アポカリプト”や“ニュー・ワールド”の音楽も担当しているのですが、彼がいなかったら映画音楽というジャンルの在りようは今とはまったく違ったものになっていたと思います。
  なおDVD化にあたって製作当時を振り返った監督へのインタビュー等が併録されています。撮影に際していかに困難な状況に直面していたかといった裏事情が語られて興味深いものでした。個人的には本編中に登場するゴシック教会では明らかに浮いているロマネスク以降のマリア像に関する顛末や、若き修練士を演じたクリスチャン・スレーターのヒロイン役とのラヴシーンを巡るほのぼのとしたエピソードが面白かったです。題名である“薔薇の名前”は直接的にはこの無名のヒロインとして登場する地元の貧しい娘に付されたあだ名なのですが、そこは知の巨人エーコがタイトルに使用するほどです。‘薔薇’にも‘名前’にも無量のコノテーションが含意されていることは言うまでもありません。

  エーコによる原作『薔薇の名前』は文学史上の事件といっても良いほどに出版当時の世界に衝撃を与えた作であり、通常のミステリー作品がもっているような伏線や謎かけ等とは根本的に次元の異なる超重層的な物語構造が施されているものでした。それは映画版でもよりわかりやすい形で再現されていて、あまりにも仕掛けが膨大であるためその一つ一つが観た者のその後の日常生活において思わぬ機会に明かされていく可能性を有しており、その点では一度観ておくとその後長く楽しめる一篇とも言えそうです。
  古典といわれる文学作品はいずれも読んだのち非常に長いスケールにおいて読者に意外な形で影響を及ぼし続けるものですが、まだ歴史の浅い映画という表現ジャンルにもし古典と言えるものを探すなら、きっとそれはこうした意味での芸術としての力を十全と湛えた“薔薇の名前”のような作品のことを言うのでしょう。

“The Name of the Rose” by Jean-Jacques Annaud / Sean Connery,Christian Slater,F.Murray Abraham / Bernd Eichinger [producer] / James Horner [music composer] / Umberto Eco [book author] / 128min / Germany,Italy,France,US / 1986

コメント

秋林 瑞佳
秋林 瑞佳
2008年5月13日21:09

私は西洋史学科卒で専攻は独史だったのですが、卒論をみて下さった教授の中に、イタリア史で有名な先生がおられ、ことあるごとに、それはそれは熱く、『薔薇の名前』について語ってくれたものです。懐かしい!…小説は日本でも前後編2冊で翻訳出版され、ベストセラーに何週も入ってましたが、「買った人のうち、果たしてどれだけの人が読了できたのか」なんて云われてましたね。その理由としては…ミステリーとしての出来うんぬんというより、キリスト教的な宗教観の問題というか、日本人には(仕方がないことなのですが)そのあたりがわかりづらかったのだと思います(たぶん)。

映画は10代に映画館で観ました。いろいろあって半引退状態だったショーン・コネリーが、本格的に復帰した映画だったと記憶しておりますし、私もとても好きです。

goodbye
goodbye
2008年5月15日22:37

> 「買った人のうち、果たしてどれだけの人が読了できたのか」

これ、日本語版だけでなく、ベストセラーになったどこの国でも言われていたそうですねw ‘この本を買った’ということがそれだけで本人にとってある種のステイタスを意味したみたいな感じでしょうか。

そうそう、このときショーン・コネリーはかなり落ち目で、彼を主役に抜擢することには会社サイドから猛烈な反対があったという話も監督インタヴューのなかにありました。落ち目の老俳優とその時点ではどこの馬の骨とも知れなかった16歳の新人俳優のコンビというのも、そうみるとかなり挑戦的な試みだったのかもですねぇ。書き込み感謝でした^^

codomo
codomo
2008年6月15日9:35

こんにちは。
「薔薇の名前」タイトルとジョーン・コネリーが出演していたこと
だけは記憶していますが、私はおそらく一度も観ていないと思います。
古典が苦手だし、宗教関係もよくわからないのもあって避けて来た分野のひとつという感じです。
最近は以前ほど苦手意識もなくなりつつあり、少しずつ興味を持つようにはなってきたので、今度機会があったらレンタルして観てみようと思います。

goodbye
goodbye
2008年6月23日16:48

ああ、厳密に言うとそのうち古典と呼ばれるようになるだろう作品、という意味で古典だから敬遠するというようなモードで扱われるにはまだ時機尚早かもしれませんw

50-60年代の黄金期ハリウッドの作品あたりはわたしも苦手意識をもってたりします。でも現代の作品とは異なる文法で作られてる映画を観ると、逆に現代もまたきっと画一的な風潮に支配されてるんだろうなあとも思えたり。遅レス失敬><

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