2011.3.11メモランダム part3 <15時半-16時 八重洲-銀座>
2011.3.11メモランダム part3 <15時半-16時 八重洲-銀座>
  東京駅の八重洲南口には長距離のバスターミナルがあって、中学高校時代にはここから夜行バスに乗ってよく一人旅をやっていた。下北半島や山口の秋吉台へ出かけて手前勝手に世界の果てを感じたり、民宿のおばあちゃんやユースホステルのおじちゃんがとても親切に接してくれたのを覚えている。彼らはもしかしたら、一人で家出してきた可能性をわたしに見ていたのかもしれないとあとになって思うのだけど、実際学校はサボっていたし、親に行き先を告げないこともしばしばだったから大差はなかった。
  あの頃に比べればいま世界はぐんと広くなっている。けれど、本当のところは逆に狭くなってしまったのかもとも、時々感じる。いまもバスターミナルは同じ八重洲南口に変わらずあって、売店やチケット売り場もだいたい同じ配置なのだけど、サイズがずいぶん小さくなって見えてしまう。自分が身体的に成長したせいだろうけど、このバスターミナルを抜けて八重洲ブックセンターへ向かうときは何だかいつも、恥ずかしさにも罪悪感にも似た微妙な感覚に襲われる。からだ相応、年齢相応の人間的成長をきちんと重ねて来れたのかと考えるとなかなか怪しいというか、正直その種の自信はあまりない。

 ともあれその八重洲ブックセンターから外堀通りをまっすぐ南下して歩き、パトカーで車両をさえぎられた小道を有楽町方面へ曲がる。このガード下には首都高の高架に沿って細長く古いモール街があって昔から賑わっているのだけど、きょうはその賑わいとも関係なく人通りの多さが目立つ。有楽町の駅へ近づくにつれやけにひとの数が増えだしたため、ああ電車が一時運休になったのかもしれないと、このときようやく見当がつき始めた。しかし目下わたしには無縁のトラブルではある。なにせこれから映画観るんだし、電車なぞ半刻でも一刻でも停まるがよいぞよきにはからへ。と、このときは大して気にもとめず。阿呆である。
 というわけで、有楽町駅前の交通会館にある三省堂書店着。少し覗いて去るつもりだったが、だがしかし。ここは丸善や八重洲ブックセンターのように2階以上だけでなく、1階も閉鎖、つまり閉店状態になっていた。むう。仕方ないので本日の最終目的地、丸の内ピカデリーが入る有楽町マリオンへと踵を返す。

  マリオンの映画館群の券売窓口は大きく二箇所に別れていて、マリオン正面の吹き抜け通路を入って両サイドにある表の窓口はいつも騒々しいために、高校生の頃からずっと建物脇の小道に面した裏の窓口を愛用している。天候によっては買った券が瞬時に風雨に晒されるという、素人にはおすすめできない過酷な窓口なのだけれど、どうもきょうは様子が変である。丸の内ルーブルの券売ブースの店員さんはドアを開け放って数人で歓談してるし、丸の内ピカデリーのブースはもう上映開始10分前だというのになんとカーテンを降ろしている。これは嫌な予感がする。というか、オワタ感満載である。念のため表側の窓口へ。やはりひとがいない。いや、関係者らしき人物がひとり、付近の柱の物陰に立ってあたりを睥睨していた。にじり寄っておもむろに問い詰める。すると返す刀が一閃、「4時の回は中止です。」 ささやかなきょうの楽しみ、終了。
  2秒ほどすべてに絶望したものの、次の瞬間には脳みそが今後の行動プログラムを弾き出す。いや、弾き出さない。電車とまってるんだった。思考フリーズ、立ち尽くす。とりあえず、マリオンの吹き抜け通路を数寄屋橋の交差点側へ、とぼとぼ抜ける。建物を抜けたところで、天空より鐘の音が鳴り響く。何かと思ったら、4時ちょうどになって頭上の仕掛け時計が動き始めたところだった。時計盤がせり上がり、黄金の球体に立つ黄金の幼児が空中へとせり出してくる。彼らが実は全身に金箔を塗られて強制的に児童労働させられている本物の幼児だったら、ホラーだ。などと妄想を駆け巡らせつつそのカクカクした演奏をしばらく見上げ、そのまま首をかたむけJRの高架線路へと視線を振り向ける。ああ、変なところで緊急停車している東海道新幹線の車両が見える。からだの向きを変えて逆方向を見る。なぜかうっすらと、あたりが白く煙ってみえる。マリオン本館と別館のあいだのそう広くはないビルの谷間に、ヘルメットをかぶった作業員が100人近くたむろしている。それだけの人数になると、さすがに異様だ。付近にこれといって工事現場は見当たらない。空気のなかに少しだけ、ガスの刺激臭が嗅ぎ取れる。

  うん、これは思っている以上におおごとかもしれません。と、このときようやく事態の全体像へと関心を持ちはじめた。だが当面の予定が消えしかも電車が動かないという状況にただちに向きあう気にもなれず、滅多に打たない携帯メールを友人に送ってみる。なぜかメール送信中に回線が切れてしまう。再送信。無駄。3度目でようやく送れたが、こういうときは‘古い機種だしね’と即座にあきらめる習慣が身についてすでに久しい。ゆえに他のひともみな電話が不通状態にあるなどと、まるで想像さえしなかった。このとき友人に送ったメールの文面は以下のごとく。
  
 「お金おろしに東京きたら、じしんおきてみるきだった映画中止、本屋閉店、電車とまた。いみふ」

  超絶脳天気だった。
  いい加減おとなになれよ、とは思う。他に言うべきことはないのかと。それ自体はまっとうなこの‘おとなになれよ’という思いが常態化した焦りとなってから、もう何年がたつだろう。けれどなぜか、行動に結びつくことがない。だってほら、いまもからだはどんどん銀座方面へと歩き出している。なんの用事もないのに。にわかに増加したひとの流れは、自分とは逆にみな駅方向へと向かっている。この状況下ではおそらく、それが最も正しい一般解なのだろう。
  数寄屋橋の交差点を渡って銀座SONYビルを見上げたとき、歩いて自宅まで帰る計算を頭のなかで始めている自分に気がついた。少なくともこの交差点から見渡せる、夕暮れ時の街の電飾はいつも通り鮮やかで、ひとも車もここではいつも通りにひしめきあっている。目に見える日常の光景と、目には見えない不穏さとのこのギャップは何だろう。まあ結局、なるようにしかならなさそうだ。思う通りにやるしかない。正しいとか、間違いとかいう問題ではたぶんない。体は動く。頭も働く。それだけでも十分な資産だろう。あとはやり抜けるかどうかだけが問題だ。
  マフラーを忘れて家を出たことが、このとき初めて悔やまれた。そのまま銀座へと進むうちに思い浮かんでくるものがあり、踵を返して日比谷方面へ歩き始めることにする。

 

コメント

nophoto
ama・・・・・
2011年3月22日18:35

はじめまして。
お気づきかどうかはともかく某所で足跡を何度にもわたってペタペタと残しながら挨拶がまだでしたので一言。
下手な小説をお金払って読むより、と言うほど読んでいるわけではありませんが語彙力に乏しいなりな表現で申し訳ないですが、内容もさることながら文章自体に美しさを感じます。
それは読みやすさにも通じてる気がして、文の内容がフィクションでなく現在進行形なので不謹慎な言葉になりますが率直に言って続きが楽しみです。
DOLにはノトスのネデで半年くらいプレイしていたのでgoodbyeという名は存じておりましたからその当時からお気に入りに登録してブログは拝見させてもらっていましたが滞り気味の更新がこのような形で再開されたのは不幸中の幸いと言うには被害が大きすぎですね。
震災全般の情報に関して語学が堪能でいらっしゃることもあるのでしょうか、より多視点から偏りなくものを見られるようで感心しきりです。
私の方はどうでもいいことをたまに書き流してるだけで公開したいほどのものは何もありませんのでマイミク申請は致しませんが足跡は何度もつけると思いますがご容赦下さい。

goodbye
2011年3月22日19:55

丁寧なご感想、感謝です。

非日常的な出来事でも、それが一瞬ではなく数日間あるいはもっと長く続くものになると、記憶ってまず細かいところから抜け落ちていっちゃいますよね。忘れてしまって何が困るというわけでもないけれど、なんとなく書きだしてみたら過去の記憶なども巻き込んで思いのほか長くなりそうです。

なるほどマイミク申請するか否かの機微ってそういうところにもあるんですね。単に便利さの水準で捉えてました。申請は来ないけど、閲覧にはたびたび来られるかたって恐らくけっこういらっしゃるんですが、謎が解けました。あしあと機能って個人的には好きじゃなくて、実はあまり見ていません。実名のアカウントは、それが理由でミクシィ開設初年度に作ったものがずっと放置状態になってます。

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