Job Description 5: 准士官 【バリー・リンドン】
  18世紀半ばアイルランドに生まれた青年が波瀾万丈、イングランドをへて中欧諸国を遍歴し貴族の生活を手に入れる軌跡を描いたこの作品、監督は言わずと知れた20世紀最後の巨匠、スタンリー・キューブリックです。今回は監督にフォーカスを。
  ダブリン遠郊の農家に生まれた主人公は、恋敵との決闘をへて故郷を出奔、英仏戦争への従軍、脱走、プロイセン軍での身分詐称、賭博師の仮面をかぶった二重スパイと紆余曲折をへたのちイギリス貴族の暮らしにたどり着くのですが、全3時間の映画はここでようやくその前半を終わります。ビルドゥングスロマンとしてはありがちと言えなくもないこの展開も、後半へ入ると徐々に大きな逸脱を見せ始めるのですが、そこは見てのお楽しみということに。

  この冒険心に溢れた前半の大活劇から後半での堕落の旅路へと至る境目では、妖艶な夜の貴族生活を描いたシークエンスがたびたび挿入されています。(画像) ここで登場するローソクの炎による演出は、人のもつ欲望と虚飾、野心と官能のゆらめきが映像空間すべてを充たすようで見応え十分なのですが、ローソクの灯りだけで画を撮るここでの技法は、当時における最前衛の試みとしていまだに語り草となっているものです。(不気味さだけをとればこの炎は“フルメタル・ジャケット”[1987]のラストへも通じるものあり)
  ただこの伝説が一人歩きしたあげく、CG効果に慣れた目で「大したことないじゃん」と断じる向きもあるので補足すればこれはもう、当時における制約の限界に挑んだ結果生じた味わいが現代の目から見ても凄いんです、と言うしかありません。そこは今の技術では、どうしても成し遂げようのないものなんですね。

  キューブリックの映画といえば、そのリジッドな構築性がもたらす乾いた手触りが何よりの特色なわけですが、それはこの作品でも如何なく発揮されています。この見た目の感触からか、彼の手法についてはよく完璧主義という言葉により、あらかじめ用意された彼個人の構想に役者もスタッフも徹底して従わせるかのような文脈で語られるのですが、実のところこうした解釈にはかなりの偏見が含まれているなぁというのが私的な実感だったりします。
  というのも、“2001年宇宙の旅”[1968]にしても“時計じかけのオレンジ”[1971]にしてもそうですが、 彼の監督作に共通して感じるのは‘個人がどうあがこうと逃れられない何者か’の強烈な存在で、それは全編全シーンを通してキューブリック作品の表現世界の底でつねに息づいているように思えるからです。このほとんど‘普遍’とでも言うべき何者か(人によっては神とか天とか言いそうな)の表出を映画という総合芸術において達成するのに、たった一人の内面のみがいったいどれほどの意味をもつのか、そこがまず疑問なんですね。

  などと思っていたところ、さいきん“シャイニング”[1980]の復元版DVDに収録されていた、当時17歳の娘さんヴィヴィアン・キューブリックが撮ったメイキングフィルムを観て、この謎はほぼ氷解することに。そこに映し出されている彼の製作手法は、ジャック・ニコルソンら俳優・スタッフとときに喧嘩のような議論を交わし、状況の変化に適時柔軟な対応を見せていく徹底した現場主義そのものでした。
  コッポラ夫人が撮った“地獄の黙示録”[1979]のメイキングフィルムなどもそうですが、監督本人の肉親が撮っている作品は、その立ち位置を活かしてかなり遠慮のないところまでカメラが迫るものが多いようです。(マイナーどころでもマフマルバフ一家とか、わりとよくあるパターンかも) それがウン十年前の一編ともなれば、現代史ドキュメンタリー的な面白さも備わります。世がVHSテープ主流の頃に一度流通したものは、こういうDVD特典が見逃せないポイントだなぁともあらためて思った次第。(笑)

  話を戻して“バリー・リンドン”、原作者のウィリアム・メイクピース・サッカレーは19世紀半ばの人。イギリス東インド会社所属の父をもち、英領カルカッタで生まれた大航海時代の申し子のような作家です。
  また、男爵や子爵、銃士や賭博師などのほうがストーリーの比重的にはふさわしいにも関わらず記事タイトルへ「准士官」をもってきたのは、作品後半で病に臥す一人息子に乞われて主人公が語るのが、兵曹時代のウソの武勇譚だったから。数人の部下を従えてフランス軍の砦に一番槍で乗り込むおはなしなのだけど、これだけ海千山千の道行きを歩んでおきながら、この世で最も大切なわが子の最期に本当は体験もしていない話を誇るしかない主人公のズームアップは、もしかしたらこの作品中で一番哀愁を誘う場面かもしれません。

"Barry Lyndon" by Stanley Kubrick [+scr] / Ryan O’Neal, Marisa Berenson, Patrick Magee, Leon Vitali / John Alcott [cinematographer] / William Makepeace Thackeray [book author] / 184min / UK / 1975

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