湖の底の月
2007年6月7日 海のなかの見えない航路 コメント (19)
幼い頃に初めてもらったトランプカードには
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。