インファイト・アンワインド
  ひさびさにプレイ日記らしい記事を。
  さいきんはずっと賞金稼ぎになってプレイをしています。キャラの職業が賞金稼ぎなら、実際のプレイ内容も賞金稼ぎという感じに。といっても定例の模擬戦参加を除くと洋上でのプレイ時間自体が大して長くないわけですが。喜望峰以東へも久々に遠征してみようかとも。

▼近況
  ふだんのプレイ内容について、4月始めに少し書いて以来まったく触れてないことに気づきました。(笑) この間にも商会内では

フィリバスタ転職クエストツアーを企画開催したり、↓
http://neko6.blog18.fc2.com/blog-entry-242.html

対抗戦でハッスルしたり↓
http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-840.html
http://diarynote.jp/d/77597/20070430.html
 

とまぁそれなりにいろいろ遊んではいます。それぞれの関連ブログ記事に直リンクさせてもらいました。猫教団blogのgoodbye筆による記事群のほうが余程ここよりプレイ日記っぽいのは内緒です。Mr.マリオサン、いつもながら動画提供感謝です^^

▼賞金稼ぎ as occupation
  では本題。まずキャラ職業としての賞金稼ぎについて。対人戦メインの海事職としてみた場合、賞金稼ぎの大きな特徴は防御系のスキル優遇が厚いことと、攻撃面では最も有効性の高い水平射撃が非優遇なことにあります。従ってふつうに考えれば他の砲撃系優遇職に比べて撃沈率と被撃沈率がともに下がるはずですが、わたしの場合どちらも上がっているのが現状です。
  撃沈率の向上は単純に今のPC環境に慣れて視野と先読みの時間幅が広がったことが大きそうです。ただ水平射撃が非優遇な状態でのインファイトおよびクリティカル撃沈を視野に読み込むと、どうしても回避スキルと貫通スキルの頻繁な切り換えが必要になるんですね。以前のPC環境では戦闘中のスキル切り換えを端から諦めていたので、元から回避操船が下手なうえこの見極めができていないことが、いまの被撃沈率上昇の一要因と言えそうです。
  
  賞金稼ぎの転職クエストは用心棒限定で用心棒の優遇スキルには操舵がないことが、これまで転職に伴う熟練度ロスの問題からこの職への転職の最大障壁でした。春先のアップデートにより、この問題が解消されたのは嬉しい限りです。対人メインのプレイヤーでこの職業を選ぶひとは今もあまり見かけませんが、なかなか悪くないスキル構成だと思います。

▼賞金稼ぎ in practice
  対人海賊を相手にした戦闘も時折するように。この冬までは交戦することがあっても勝利を目的にすることはあまりなく、ソロで複数艦隊に仕掛けて時間稼ぎをしたり、手近な知り合いと組んで追いかけて封鎖してみたりといった程度だったのですが、環境面での改善もあり今は与撃沈or与拿捕を前提とした艤装で臨むようになりました。
  といっても数日に一度危険海域を巡回する程度なのですが、海賊の活動が昨今また盛んになっていることもあり、この1週間ほどの海賊撃沈による賞金収入は10M(1000万D)を超えました。自船には賞金が掛かっておらず、拿捕でもされない限り失うものがないというアンフェアな状況での戦闘になりますから、それでも向かってくる海賊プレイヤーに対しては敵ながら天晴れだなぁと思います。

  無差別海賊団も復活しましたね。この海賊団については過去幾度か触れてきましたが(「海賊の艶」2006年4月9日記事など)、総体としてはその活躍を歓迎しています。むろん海賊ですから一般のプレイヤーに仇なす存在なのは確かですが、首領以下きちんとゲームとして遊びきる心構えができている人たちなので、戦ってもカラっとしているんですよね。そこがいい。一緒に戦ってみるとわかりますが、こういう部分でジメジメしてるプレイヤーって思いのほか多くいたりします。
  ただこれもまたこのゲームの抜きがたい一側面なのは確かですし、良い機会なのでここで実例を一つ書き付けておくと、先週ある海域で他国の討伐艦隊がこの海賊団と交戦中に援軍要請を出していたんですね。このとき辺りには見渡すかぎりわたし以外に軍船がいなかったため援軍に入ったところ、戦闘終了後に討伐艦隊のなかに「海賊に加勢してイスパ(つまりわたし)から狩るか」といった趣旨の暴言を吐くひとがいて、これは驚きました。どうもPKK(海賊討伐)軍人を自認しているプレイヤーらしいのですが、だとすればこの発言はやはり支離滅裂な暴言以外の何物でもありませんし、わたしはこのときソロでしたから本気なら自分で襲ってくればいいのにそういう素振りはまるで見せず。
 
  この無差別海賊団は構成員も多く神出鬼没なので、討伐する側が国籍にこだわって艦隊を分かつようでは遠隔地での討伐機会がどうしても減ってしまいます。この状況下では敵の敵は味方という選択が冷静な戦略的判断というものだろうと考えてこれまでもその国の軍人さんとは適時手を組んできたので、一般の商船や冒険船からみてもこういうプレイヤーの言動は無差別海賊1人分の行状よりむしろ害とすら思えます。実はこのとき自船は海賊側の旗艦に対してコンボ撃沈を与えていたのですが、撃沈後にこの発言はあまりにも幼稚で唖然としてしまいました。海賊側にはフレンド登録を交わしているひともおり、鬱屈となりうるのは本来被害を出した彼らの側なわけですが、戦闘後にはよほどスカっとした会話を交わせたり。
  とはいえこれも、負の感情のスパイラルに周囲を巻き込もうとする心性の持ち主はどこにでもいるという至極ありふれた話とも言え、このとき討伐艦隊にいたひとがみな同じ考えの持ち主とは到底思えません。よってこうした特定のプレイヤーだけ一度出会ったら以後無視すれば事足りる話だろうとも思います。MMOならではの対人戦に出向くと、この種の無闇な怨嗟の発露に出くわすことも稀にあるのは確かですね。

▼上納品をつかってみる
  それはそうと先月の公式イベント“チューリップ・バブル”の景品で対人用上納品をもらったので裏キャラに携行させていたところ、航行中に対人海賊が検索にかかったため遭遇しそうなルートを採ってみたら運良く(?)襲われてしまいました。(笑) そこで試しに使ってみることに。すると交易所などで聞く‘じゃらん♪’という決済時の効果音とともに手持ちのお金が半分なくなったほかは、対NPC用の停戦協定状とまったく同様に戦闘終了となりました。頭では分かっていましたが、あっけなさすぎて何だか拍子抜けした気分です。
  まだインド交易をするには穀物海岸を通るしかない頃に、商用サムブークや輸送用大型ガレーに乗って海賊の存在にびくびくしながら往復していた身としては、これっていいことなのかなぁと少し微妙にも思います。その‘びくびく’があったから長距離の航海も楽しめたわけで。もちろん「上納品は持たない」という選択肢は依然残るので本人次第なのも確かです。ただ最初からこのアイテムに慣れてしまうルートをたどってしまうと、このゲームに飽きるのが早くなるような気も。あくまでひとごとですが、そういうケースがあるとすれば残念です。

  ところでこのとき襲ってきた海賊は3人組で、上記の無差別海賊団とはまた別の無差別海賊を標榜しているグループの面々でした。まだ海事レベルが中途半端なためか乗っている船の構成もでこぼこで、海賊船も軒並み大型化したなかちょっと懐かしい感じも。彼らはこちらが軍船の場合ソロで近づいても逃げていくんですね。このあたりもすばしっこい正味の海賊っぽくって、上記の海賊団とは別の意味でアリかもなぁと。(笑)

▼画像とおまけ
  今回は賞金首/賞金稼ぎ関連ということで、画像はフィリバスタクエの一幕。以下おまけ。

  俺たちゃ海賊! −激動の東アジア海上史− :
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku.html

  東アジアを軸とした海賊史まとめです。図解も豊富で専門書並みの充実ぶりを見せています。やはり東南アジアにはジャンク船が行き交ってほしいですよね。北欧型重ガレーのアユタヤ艦隊が徘徊する姿など、‘大航海時代online’で最もフェイク感が漂っている光景のように極私的には思うのです。(笑)

湖の底の月
幼い頃に初めてもらったトランプカードには
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。

自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
 
 
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。

それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。

“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。

それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。

けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。

そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。

だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。

‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
 
 
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。

ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。

だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。

‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。

幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。

けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。

それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。

もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
 
 
音のない世界
きのうテレビのニュースで
すべての教科を手話で教えるフリースクールの特集をやっていて、
耳の聴こえない子供たちとその家族の日々の生活や
学校での授業の様子などが丁寧に映し出された良い企画で、
片手間につけていたはずがいつのまにかテレビ画面に見入っていた。

なかでも「音を聞いてみたい?」というインタビュアーの問いかけに、
7、8歳の女の子がはにかみながら

「音は聞こえないほうがいい。
 車や街の騒音がうるさそうだから」

と答えていたのはとても印象的だった。
この質問自体に対して“なんてこと聞くんだろう”と
思ってしまった自分が恥ずかしいというか、
五体満足な人間の傲岸さというものを
自らのなかに見い出した一瞬だった。

それにしても生まれつき音の聴こえない少女が想う
“うるさそうな世界”とはいったいどんなものなのか。
しばらくそのことに思い巡らせていたところ、
ふと世界地図のことが連想されてきた。
 
 
世界とはこういうものである、
ということを人は歴史をもつ以前から語らい、
あるいは絵図に示してきたが、
その総体を自身の目で見たことのある人間は
現実にはこれまで存在したことがない。

人は遠くを見、音を聴き、匂いを嗅ぎ、
味わい、触れることでこの世界を感知する。
それら知覚の集積が“経験”となるわけだけれども、
視界はなにかによって確実にさえぎられ、
音は必ずかき消されるものである以上、
そうした一個人の経験によって世界のすべてを同時に
把握することは原理的に不可能だ。

そうしたなか世界地図というものは、
それら個人の知覚の集積であるところの“経験”を、
さらに集積させたいわば“共有された経験世界の縮図”として
いつの時代も存在し、更新され、描き写されてきた。

子供のころに簡易だが正確な世界地図をまず与えられ、
ネットのグーグル検索などではモニターを通してとはいえ
自宅の屋根の形状から地球大のスケールにまで
この世界の在りようを見渡すことのできる現代に生きていると
かえって想像しにくいことかもしれないが、
したがって世界地図とはかつて長きにわたり
その実用性や明証性にもまして、
“世界とはなんであるか”という思想の明示に他ならなかった。

大洋を渡る理由がなかった社会の人々にとって
この世界とは多くの場合海に囲まれた広大な島であり、
海はいずれ世界の果てに至って落ちると考えて何も問題はなかったし、
時によってはその島と海がおおむね円盤の形状を成しており、
一匹の亀がその深淵でこれら森羅万象を支えていることが
むしろ重要な意味をもつこともあっただろう。
 
そしてこのような世界観は誤りである、劣っている、野蛮であると
感じてしまうとすれば、そう感じてしまう価値観自体がすでに貧しい。
貧しいと言い切れてしまうのは、かく言うわたしのなかに
そのような意味での刷り込まれた貧しさを日々見い出しているからで、
この感覚は冒頭に述べた「五体満足な人間の傲岸さ」に
どこか通じるところがある。
 
 
成田空港を東へ飛び立つと、
アジア方向へ向かう旅客機の多くは
銚子につらなる九十九里浜を眼下にゆっくりと南西方向へ旋回する。
窓外の景色はやがて、房総半島の陸影をへて
東京湾や三浦半島を望み、よく晴れた日には
山地と海に囲まれた関東平野のほぼ全域を視野に収める。

旅客を乗せた飛行機がさらに高層圏を飛ぶ時代、
あるいは宇宙に飛び出す時代には、
一般の市民がたとえば日本列島ぜんたいの姿や、
あるいは大陸の形状を大きくその目で見渡せるのも
きっと当たり前のことになるのだろう。

生まれつき音の聴こえない少女が想う、“うるさそうな世界”の在りよう。
かつての航海者が感覚し、予感したであろう世界の手ざわり。
“共有された経験世界の縮図”としての世界地図。
これらに通底するなにかを感じるわたしはそのとき、
窓の外の光景にいったいなにを想うのだろう。
それだけが知りたくてきょう一日を生きていくというのもなんだか、
まんざらではないように思えてくる。
不思議だけれど。

 
旋律と海とクジラたち
海のなかでは光が吸収されてしまうから、
すこしさきはもう見えない。
陽の光の行きわたる浅瀬を沖まで泳いでいくと、
そこから数十メートル先はもう深い藍色に染まっていて、
何がひそんでいるのかもわからない。

ひとによって感じるものはちがうだろうけど、
生身のからだを晒して泳いでいることに
わたしは底知れない怖さを感じるときがある。
とにかく、怖い。

だからよく、世界は狭くなったとか
世代の近いひとが口にするたびに、
あなたの世界がもともと狭いだけでしょう?
なんてちょっとイジワルなことをおもってしまう。
簡単に行ける場所が増えたことを言っているつもりなら、
その増えた場所のいくつかをじっくり観察してみるといい。
どこもたどり着くのが容易になったそのぶんだけ
きちんと浅くなっているということに、
きっとすぐに気がつくはずだ。

けれどながい、ほんとうにながい時間をかけて
自分の世界を着実に押しひろげ獲得していった者であるのなら、
もし世界が狭いと感じたとしても
あながち誤りではないのかも、とも考える。
ほとんど夢想にも近い。
たとえば海中から陸棲への移行を遂げた生物群。
あるいは再び海へと戻っていった鯨やイルカたち。
 
 
サウンドチャンネルということばがある。
海中では水温が低ければ低いほど、音の伝わりは遅くなる。
また水圧が高ければ高いほど、音の伝わりは早くなる。
海面から潜ってゆくと、水深が深くなればなるほど
水温は低くなっていくのだけれど、
ある一定の深さを超えるともうあまり下がらなくなってくる。

ここに、音の伝わりがもっとも遅い
海水の層ができることになる。
これがサウンドチャンネルだ。

数百メートルから一千メートルほどの深さにあると
されるその層では、音速が落ちる代わりに
音波の上下運動も抑制されるから、
音が損耗を逃れどこまでも遠くへと伝わってゆくという。
ヒゲクジラの一部は低周波の音波を使い、
この層を通じて数千キロ離れた仲間と
連絡をとりあっているらしい。

海面で息を継ぎ、
種によっては水深二千メートルを超えて潜航を繰り返し、
その深みで遠くの友と語らう彼らからみた世界の形は、
およそ人の考えるものとはかけ離れているだろう。
たんなる夢想にはちがいない。
けれど彼らの描く世界地図がもしあるのなら、
それはきっと想像をはるかに超えた構造をもっている。
そこではきっと、太古の昔に陸地を去った記憶が
なにか決定的な意味をもってくる。

第二次世界大戦のさなか
サウンドチャンネルの軍事利用を目的とした研究が進められ、
戦後の早い段階で、この深度で放たれた音波は
地球の裏側にまで伝わることが確認されていた。
だが人間以外の生物が、この層の特性を
どのように利用しているかについては
まだほとんど解明されていないと言っていい。
 
 
彼らはそこで、ときに歌を歌うという。
歌は伝わり、海域ごとにアレンジを加えられ、
世代を超えて受け継がれていくという。

視界が意味をもたないその領域で
聴覚へと流れ入るその歌は、
とうに音の響きであることをやめているだろう。
世界はもともとそういうものとして、そこに広がる。
ただひと知れず、そこに息づく。
それでいいと、よくおもう。

 
カリビアン・ルーレット
第23回大海戦@ジャマイカ、報告です。とうとう1回遅れに。

   初日   : 39勝  3敗  9分け  勝利ポイント 75  戦功 107
   中日   : 45勝  5敗  5分け  勝利ポイント 82  戦功 126
   千秋楽 : 36勝  7敗  8分け  勝利ポイント 71  戦功 103

  現在開戦中のダブリン大海戦の記事ではありません。一度忘れてから記事を書く気になる癖をどうにかしたく^^; 画像下半の戦績画面、最終日SSを撮り忘れてしまったので前2日分のみの掲載です。

▼海戦総覧:
  ノトスではカリブで初の大海戦、連盟構成はイングランド+ヴェネツィアvsイスパニア+フランスとなりました。会戦海域はアンティル諸島沖+南カリブ海。英側の集合場所がグランドケイマン、西側の集合場所がサントドミンゴとなったことから対人戦闘の主戦域はその中間にあたる北のサンティアゴ前、および南のウィレムスタッド前となりました。ただしサントドミンゴは至近のジャマイカが海戦標的港で英側艦隊の補給に難が出るため、ウィレムスタッド―マラカイボエリアに比較的多くの艦隊が集まりました。

  総合戦績では前回・前々回以上にノトスイングランドの不振が目立つ結果に。勝利ポイント総数で初日は英900:西1205、2日目英1118:西1620、画像を撮り忘れた最終日の総合戦績は英973:西1567、おそらくノトスサーバで国に関わらず両サイドの差が最も開いた大海戦となりました。イングランドを相手に戦っていると、対人メインの強力な敵艦隊がどんどん統廃合されている感じがします。他の国だと古株軍人の課金が適宜入れ替わり、結果として対人艦隊の数がこの一年ほどはわりと維持されている印象を受けるのですが、そのイメージがないんですよね。イングランド模擬っこペアやイギリス東インド会社ペア、旋回能力が揃って異様な台湾艦隊みたいのが以前は一番ワラワラいて面白かったので、これは残念な事態です。

▼艦隊総括:
  すでに丸一年続けてきた“ほぼ固定艦隊”ですが、今回は実にメンバーの半分が入れ替わりました。この艦隊の持ち味は、旗艦の生存能力を活かして護衛は1、2隻にとどめ、残りの全艦が敵旗に殺到し戦闘を即決できることにあったのですが、このためもあり持ち味も鈍りました。こうした意識が共有できると、結果として個別の撃沈数も増えて全体に良い流れが生まれるのですが、頭でわかっているのと実践を経ているのとではやはり違いも大きいようです。今回入ってくれたメンバーもみなイスパニア模擬の常連なので個別の戦闘力は遜色なかったのですが、こうしたあたりは今後の課題ですね。

  前回の大海戦記事で戦場選択の重要性を書き付けておきながら、結果としてはその反省を活かせたとは言い難い迷走ぶりを見せた観ありでした。初日は南方の主戦域を完全に外しましたし、最終日には自らの発言でわざわざ少ない方の会戦エリアに移動してしまった場面も。この判断だけで戦功が4、50は変わりうるので、よくよく慎重になるべきところでした。
  参加した大海戦で、自艦隊から1日もMVPを出せなかったのはたぶん一年ぶり。

▼個人戦績:
   初日   : 与撃沈/拿捕 21  決定打  0  被撃沈 2  与クリ 40  被クリ  2
   中日   : 与撃沈/拿捕 32  決定打  6  被撃沈 6  与クリ 44  被クリ 15
   千秋楽  : 与撃沈/拿捕 23  決定打  4  被撃沈 4  与クリ 38  被クリ  7

  個人戦績としては過去最高といっても良い働きができたと思います。前回大海戦で以降の課題とした新PCでの戦闘にも慣れました。また今回は初めて3日とも仕掛け側艦隊に所属してみました。与撃沈数に比べ決定打率が落ちているのはそのためかと。中日などは艦隊全体の戦闘数が大型クラスでかなり停滞してしまいましたが、個人戦功と勝利ポイントの差だけをみるとこの日のMVPに迫っていたはずです。戦功の稼ぎ役は他にいるので、これは珍しいことでした。
  まず沈まないこと。そして敵味方双方の旗艦の状態を常に意識から外さないこと。基本中の基本ですが、戦う艦隊の水準が高くなればなるほどこれらをいかに全員で徹底できるかが、一戦一戦の勝敗を決定づけるのは確かです。

▼画像とおまけ:
  画像上半、公式イベントのチューリップバブル最終週のアムステルダム酒場の様子です。うちひしがれています。以下おまけ。

  沈没船と現代海軍:
  http://www.excite.co.jp/News/odd/00081181202326.html

沈没船から財宝を盗んだ疑いで、現代スペイン海軍が出動を検討ってなんかすごいです。しかも「拿捕」目的。(笑) 大航海時代のプレイヤーにも意外に知られてなさそうですが、記事にもあるようにイベリア半島南端にあるジブラルタルは大航海時代以来ずっと英国領だったりします。大英帝国としては、地中海での制海権確保のため大きな代償を強いてもここを維持する要があったのですね。かのネルソン提督も、ここの要塞の司令長官になっています。

Job Description 8: 盗賊 【プランケット&マクレーン】
  1748年、2人組の盗賊がその噂でロンドン中を賑わせます。“紳士怪盗”("the Gentleman Highwayman")とあだ名された彼らの特徴は‘貴族からしか盗まない’こと、そしてあくまで‘紳士的に盗む’こと。史実上のこの事件を元に、映画はこの種の作品としては珍しいほどのパンキッシュな演出とともに展開されます。

  2人組の片割れ、ロバート・カーライル演じる元薬剤師のプランケットは商売に失敗しすべてを失ったのち盗賊稼業に手を染めます。ジョニー・リー・ミラー演じるマクレーンは聖職者の家に生まれて身を持ち崩し、社交界への復帰を夢みつつも酒に溺れているころ相棒プランケットに出会います。墓場で出会った2人は獄中で‘紳士協定’を結び一気にその名を馳せてゆくのですが、こうしたストーリーがとてもスピーディに展開されるため、終始MTVを見ているかのような感覚に襲われるひともいるかもしれません。

  なかでも圧巻なのは前半の山場、リヴ・タイラー扮するヒロインとマクレーンが初めて出会う晩餐会の場面。着飾った貴族たちによる群舞の旋律に合わせ複数の登場人物たちにより重層的に会話が進行していくのですが、そのいずれもがストーリー進行を決定づける役割を果たしており、権謀術数の渦巻くヨーロッパ社交界のいわば沸騰点のような存在としての晩餐会がもつ高揚感をうまく描出しているように思います。
  時間にして約5分の短いこのシークエンスでは、まず通底音として弦楽音を基調とするビートの利いたBGMが流れ出し、異様な静止ポーズを交えた群舞を織りなす無数の男女と宮殿の大広間中央に配置された奇怪な巨大オブジェが遠景に映し出され、何かと主人公たちを助けるバイセクシュアルの貴族ローチェスター卿の案内で主要な貴族たちが次々に紹介されていきます。群舞の進行に併せてBGMも段々と盛り上がっていくのだけれど、この展開が極めて鮮やか、局所的に配される静止も巧みで引きと寄せの緩急があらゆる面で利いており、作品のエッセンスがすべてここに集約、昇華されていると言って良い名シーンになっています。

  実を言うと、現在公開中の古代スパルタ軍とレオニダス王を素材とした映画“300<スリーハンドレッド>”を観たことが、この作品を思い出した直接のきっかけだったりします。これら両作品に共通するのは、ある部分では時代背景にかなり忠実な一面をみせつつも、別の部分では過剰とも言えるほどに文化考証を無視した演出が施されていることです。この点を認めるか認めないかでこの種の作品を巡る評価は大きく分かれることになりますが、そもそもこうした方向性は失敗の危険が高いことから実現化へ至るケース自体が稀なんですね。ただ一方でその時代の音楽、その時代の事物に忠実であればその時代精神の的確な表現になるかと言えば、これはこれでまったく別の話であることも確かです。
  では“プランケット&マクレーン”においてこの試みは成功しているのかどうか。わたしの答えは大いにYesです。その根拠としては上記の1シーンだけを挙げれば十分な気もします。レンタル版DVDでは37:14-42:32‘夜会’の章がこれに当たります。このシーンで使われたBGMなんてクラシックどころかハイパーテクノなんですけどね(笑)、この作品ののちハリウッドの他作品でもよく使われる定番の1つになりました。

  ちなみにこのマクレーン、史実では1750年に処刑台にて最期を迎えるのですがその後ジョン・ゲイの戯曲『乞食オペラ』のモデルとなり、ブレヒトはこの戯曲を元に『三文オペラ』を書きあげたといいますから、当時の人々のあいだでその悪名とは裏腹にかなりの人気を誇っていたことが窺えます。また2人は作品中で追っ手から逃れてあらゆる束縛から自由な土地‘アメリカ’を目指すのですが、対照的なのがローチェスター卿のさいごのセリフ。

  「新しい世界は遠すぎるし、広すぎるし、野蛮だわ。
   これからもわたしはここで若い男の子たちを堕落させていきたいの」
 (筆者訳)

  彼は登場するのっけから両刀使いであることを軽々と告白するのですが、その時のセリフ‘I swing everywhere.’とラストでのこのセリフが見せるコントラストは、大航海時代から近代へと移りつつある当時の人々が感じただろう世界の広がりと階層社会の窮屈さをうまく捉えているように思います。

  監督はジェイク・スコット。“ブレードランナー”“ブラックホーク・ダウン”などのリドリー・スコットを父に、“トップガン ”“デイズ・オブ・サンダー ”のトニー・スコットを叔父にもつサラブレットの映画監督デビュー作がこの作品でしたから大いに期待されるところですが、その後はいまだ鳴かず飛ばず。ロバート・カーライルは“トレインスポッティング”の大ヒットをきっかけにハリウッドへ進出しますが、元々イギリス下層社会の男を演じ続けて評価を固めた役者なので、この作品をその延長線上に位置づけてもよさそうです。また名優ゲイリー・オールドマンが製作・総指揮で参加しています。
  映画“300”を記事にすることも考えたのですが、そこはこのブログにふさわしいほうを選んでみました。“300”の評価関連については相互リンクのある秋林さんのブログに詳しいので、下記に記事URLを紹介させていただきます。
   http://diarynote.jp/d/25683/20070316.html

"Plunkett & Macleane" by Jake Scott / Robert Carlyle,Jonny Lee Miller,Liv Tyler,Alan Cumming,Michael Gambon / Gary Oldman [executive prd.] / Craig Armstrong [music] / 100min / UK / 1999

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