てのひらの温度
先日、ひさしぶりに‘大航海時代Online’へINして、
ジェノヴァへ行った。
そうしたら、あまりのひとの少なさに驚いた。

以前なら海事艦隊の募集がたくさんあって、
海事レベルを上げたいプレイヤー向けのバザーが
数えきれないほど並んでいた酒場前の通りにも、
たった一つのバザーすら出ていなかった。
けれどもそんなふうに変わってしまったその場所で、
海事クエストを紹介してもらえる仲介人の足元に1人だけ、
まだレベルの低いプレイヤーが勧誘募集のマークを出して座っていた。

そのひととわたしのほかは見渡すかぎり誰もいないその通りで、
わたしがそのひとのレベルだった頃にはひとが多すぎて
全員が表示されないくらいに混雑していたその仲介人の立つ場所で、
そのひとは勧誘希望の握手のマークを出してぽつんと座り続けていたのだ。
わたしはそれをみて、なんだかとても切ない気持ちに駆られてしまった。

もちろんわたしがジェノヴァでレベルを上げていた頃といまとでは
ゲーム内世界の状況もかなり違うから、
その場所にひとがいなくなったことは直接に
このゲームが廃れたことを意味するわけではない。
けれどわたしが感じたその切なさは、ひとが少なくなって寂しいとか、
そのひとが可哀そうとかそういうこととはやや違うらしいということに、
ジェノヴァの港を出航してしばらくたってから気がついた。

もしその通りに誰もいなかったなら、そのことに対して
わたしはせいぜい「このゲームもひとが減ったなあ」くらいの
適当な感想を抱くだけで走り去っただろうとおもう。
けれどそこにひとが一人座っていたことで、
自分が同じように勧誘マークを出してそこにいた頃の気持ちや情景が、
それとなしによみがえってしまっていたのだ。

それは初めてネットゲームに接した頃でもあったから、
ほんとうにいろんなことが新鮮だった。
自分より立派そうな初対面のプレイヤーたちの艦隊に入れてもらったときの緊張感や、
しばらく一緒に戦ったあとフレンド登録を交わす楽しさや、
仲良くなったプレイヤーと隣同士に座ってバザーを開いて、
つくった料理を売り競いながらあれこれ冗談を言い合った時間の流れや、
この場所で初めて体験したそうした記憶たちが、
いまは自分を含めて二人しかいないその通りに
まるで幻影のようにして立ち現われていく。
それがたぶん、そのとき湧き起こってきた切なさの源だった。


少し話は変わるけれどそれより前、数ヶ月ぶりに‘大航海時代Online’へ
INした瞬間、メールが届いてますよという表示がでた。
もう2年くらい前に休止していたフレンドの一人からのもので、
送信された日付は1ヶ月ほど前になっている。

メールには、復活していろいろと楽しみにしているからよろしくという内容が、
短いけれど丁寧な言葉で綴られていた。
あまり積極的に交流の輪を広げるタイプではないけれど、
築いたつながりは大切にしてゲームを楽しんでいる感じのひとだった。
休止前、何かのときに少し話したのを覚えているけれど、
たしか主婦のかたで空いた時間にちょこちょこプレイしているとも言っていた。
見るからに、ネットゲームは‘大航海時代Online’が初めてというタイプ。

それでさっそく返事を書いたのだけれど、あろうことか届かなかった。
フレンドリストから、彼女の名前が消えていたのだ。
こうであってほしくはないなという空想が、たちまちにして脳裡をかすめた。
それは彼女の心理をめぐる、こんな感じの想像だ。
2年ぶりに復帰してみたけれど、仲の良かったフレンドは
もうほとんどINしていない。
もうそのみんなとは遊べないんだと知ると、
途端にこのゲームが色あせて見えてきた。
とりあえず1ヶ月課金してみたけれど、最初の数日遊んだだけで、
なんだか楽しいと思えなくなっちゃった。
気持ちの整理もハッキリつけたいし、キャラ、消して終わろう。

もちろん、もっと違う理由があったのかもしれない。
そうだったらいいなとおもう。
けれどもしわたしの想像が図星だったとしても、ほんとうはそれは違うのだ。
彼女が復活していた1ヶ月のあいだ、わたしは課金していなかった。
わたしが課金した頃には、彼女はもういなくなっていた。
また一緒に遊べるのが楽しみ、というメールだけを残して。
そんな感じのすれ違いはきっと、本人たちも気づかないまま
いまこの瞬間にもたくさん起き続けているんじゃないか。


ジェノヴァの広い通りの話に戻すと、
勧誘募集の握手マークを出してぽつんと座っていたそのひとには、
これからそのひとなりの体験がきっとたくさん待ち受けているはずだ。
それはわたしの体験のように
たくさんの艦隊募集に恵まれたものにはならないかもしれないけれど、
もうしばらく座って待ったあと、
もし偶然に同じ目的のプレイヤーが通りがかって
そのひとの勧誘募集に応じたなら、きっとその一つの出会いが
その二人にとってはとても大切なものに育っていくはずだとおもう。

だから一層おもうのだ。
たとえば課金を中断したプレイヤー同士でも
簡単に連絡をとり合えるような、
ちょっとした遊びくらいなら一緒にできてしまうような工夫を、
運営はもっと大胆に取り込んでもいいんじゃないかと。
いまは個々のプレイヤーが自前のブログやメッセンジャーなんかを
使った自助努力でそれを補っている状態だけれど、
それではどうしてもつながりが小規模になってしまう。

いまの‘大航海時代Online’の拡張の方向性は、
遠くに行かなければ手に入らない船の素材や、
スキルが高くないと作れない家具の追加のようにして、
総体的にいま課金しているプレイヤーをより遠くに向かわせ、
より長い時間ゲームへ縛るほうに向いている。
あるいは追加の料金を払えさえすれば、
こんなに便利なことができますよとか、
こんなに楽しい要素が増えますよ、みたいな方向性。
けれどもそれで、‘大航海時代Online’のゲーム内世界が
ほんとうに豊かになるとはあまり思えない。
個々のプレイヤーにとって、より長続きするゲームになるとも思えない。

ネットゲームは、そこで育まれたゲーム内の人格と人格とが交わる
新たなコミュニティーの形を生み出した。
それを用意したゲーム制作会社に何から何までを望むのは無理な話だけれど、
少なくない時間をかけて築かれたプレイヤー同士の心のつながりは、
プレイヤー個々人にとっては実社会のそれに違わず文字通りの財産になっていく。
少なくとも、そうなる可能性が開けている。
それを大切な要素と考えるゲーム制作会社が、
特にRPG系のネットゲームの世界では生き残っていくんじゃないか。

できれば‘大航海時代Online’には、
そういうところを大切にしたゲームであってほしいとおもう。
ひとりのプレイヤーの勝手な期待に過ぎないけれど。

 
Job Description 14: 司祭 【薔薇の名前】
  幼い頃にみて、強烈な印象が今も残っている映画というのは誰しもあるものだと思います。わたしの場合、“薔薇の名前”はその一つでした。恐らく周囲の大人がヴィデオかテレビ放映で観ていたとき脇にいたのだと思うけれど、まだ意味はわからなくても、とにかくオドロオドロしい世界の象徴に近いものとして以後それは心の奥底に沈澱し続けました。
  十代の終わり頃を中心とした、浴びるように映画を見続けた時期をへて最近この作品をあらためて観る機会があり、驚きました。傑作という以上の傑作だったからです。

   予告編動画(50秒): http://www.youtube.com/watch?v=CsjKsl1bY0Y

  物語は14世紀北イタリアの修道院で起きた怪事件を舞台として展開します。原作は『フーコーの振り子』でも著名な作家・哲学者のウンベルト・エーコによる同名小説。ショーン・コネリー演じる主人公のフランシスコ会修道士は、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁とのあいだで起きた清貧論争に決着をつけるため会談の場所となったこのベネディクト会修道院を訪れたのですが、修道院長からその炯眼を見込まれて数日前に起きた怪事件の原因究明を依頼されます。映画はこのようにして始まります。

   清貧論争の場面(40秒): http://www.youtube.com/watch?v=qwd4oA75JPk

  怪事件は主人公による探索開始後も連続して発生し、修道院全体が緊張と混乱に包まれるなかでアヴィニョン教皇庁からの使節団が到着、さらには異端審問官ベルナール・ギーの一行も到着して事態はどんどん複層化していきます。主人公はこの混沌のなかで、修道院の関係者ですら立ち入りが固く禁じられている巨大な文書庫の内部に事件の真相を解く鍵の気配を嗅ぎとります。そしてなんとか文書庫として使用されている城塞様の建築深部への潜入を果たすのですが、なんとそこには…。
  これから観るひとの楽しみを奪わない範囲で前半のあらすじをまとめると以上のような感じになりますが、この映画の真骨頂はその良作歴史ミステリー然としたストーリー進行にあるのではなく、むしろ背景にある作品世界の奥行と、映像化にあたって払われた繊細な努力の膨大な厚みにあるといえます。

  まがりなりにも大航海時代を謳うこの記事シリーズで14世紀前半を舞台とするこの映画をとりあげることに違和感をもつ向きがあるとしても、そこは実作品に触れてもらえれば容易に解消されるはず。というのも映画本編では多種多様な宗教/哲学上の命題が登場するのですが、それらに対する主人公の思考は徹底した合理主義に根差しており、近代人の眼を感じさせるものなのですね。
  たとえば文書庫の深奥部で、当時ヨーロッパには存在しない(=もうこの世界には存在しない)と思われていた大量の古典時代を中心とする書物群の実在を確認して彼は涙します。このようにその時代その時代を覆った人々の意識とは切り離されたところで純粋な知的感動を共有することのできる人物の眼差しをここでは‘近代人の眼’と表現しましたが、そういう人々がどの時代どの地域にも確実に存在し続けたことが人類の文明発展を考えるうえで必要不可欠の条件であることもまた確かです。この点では、日常のわたしたちが考えるたとえば“14世紀前半の欧州”とは本当は何なのかということのほうが、あらためて再考を迫られるべきなのかもしれません。あるいは“大航海時代”とは、でも良いのですが。

   異端審問の場面(1分):http://www.youtube.com/watch?v=zwMkoibG9FQ

  ここで作品中の異端審問の場面を切り取った動画もご紹介。裁かれている人物は当時カトリック教会から異端として敵視されていたドルチーノ派に属した過去を隠してこの修道院に暮していたのですが、怪事件続発の過程でその過去を暴かれてしまい裁判に至ります。首席裁判官としてここに登場するベルナール・ギーは史実上の人物で、ドルチーノ派に関する数少ない記録の一つを残した異端審問官でした。この動画では断片的だしイタリア語の吹き替えということもあっていまいち迫真性に欠けますが、短いシークエンスにおいて糾弾されることにより逆に異端教徒としての誇りを取り戻していく修道僧の演技は作品全編を通しても心に残るシーンの一つです。
  異端関連やアヴィニョン教皇庁周辺、中世における禁書の保存等についてなどを叔父貴がまとめているのでついでにご紹介。下記3つ目の記事は日本の場合になりますが、洋の東西に関わらず中世における宗教組織が果たした役割の一側面として。

  異端派と十字軍: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-96.html
  聖歌と教皇庁周辺: http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-97.html
  本願寺家の禁書:http://rainyheart.blog32.fc2.com/blog-entry-23.html[記事後半]


  わたしと同様に、「この作品は前に観た」という意識が働いてずっと再鑑賞する機会をもたないままでいるひとも、‘大航海時代Online’のプレイヤーにはきっと多いだろうと推測します。もしそうであれば、ぜひお薦めの一作です。公開直後の全米市場では酷評の嵐だったことが俄かには信じがたいのですが、昨今の新作映画に比して娯楽作品としてもまったく古びていない高水準の質を維持しています。ジェームズ・ホーナーの音楽も非常に効いています。(ex.予告編動画のBGM) ホーナーはこの記事シリーズで過去にとりあげた“アポカリプト”や“ニュー・ワールド”の音楽も担当しているのですが、彼がいなかったら映画音楽というジャンルの在りようは今とはまったく違ったものになっていたと思います。
  なおDVD化にあたって製作当時を振り返った監督へのインタビュー等が併録されています。撮影に際していかに困難な状況に直面していたかといった裏事情が語られて興味深いものでした。個人的には本編中に登場するゴシック教会では明らかに浮いているロマネスク以降のマリア像に関する顛末や、若き修練士を演じたクリスチャン・スレーターのヒロイン役とのラヴシーンを巡るほのぼのとしたエピソードが面白かったです。題名である“薔薇の名前”は直接的にはこの無名のヒロインとして登場する地元の貧しい娘に付されたあだ名なのですが、そこは知の巨人エーコがタイトルに使用するほどです。‘薔薇’にも‘名前’にも無量のコノテーションが含意されていることは言うまでもありません。

  エーコによる原作『薔薇の名前』は文学史上の事件といっても良いほどに出版当時の世界に衝撃を与えた作であり、通常のミステリー作品がもっているような伏線や謎かけ等とは根本的に次元の異なる超重層的な物語構造が施されているものでした。それは映画版でもよりわかりやすい形で再現されていて、あまりにも仕掛けが膨大であるためその一つ一つが観た者のその後の日常生活において思わぬ機会に明かされていく可能性を有しており、その点では一度観ておくとその後長く楽しめる一篇とも言えそうです。
  古典といわれる文学作品はいずれも読んだのち非常に長いスケールにおいて読者に意外な形で影響を及ぼし続けるものですが、まだ歴史の浅い映画という表現ジャンルにもし古典と言えるものを探すなら、きっとそれはこうした意味での芸術としての力を十全と湛えた“薔薇の名前”のような作品のことを言うのでしょう。

“The Name of the Rose” by Jean-Jacques Annaud / Sean Connery,Christian Slater,F.Murray Abraham / Bernd Eichinger [producer] / James Horner [music composer] / Umberto Eco [book author] / 128min / Germany,Italy,France,US / 1986
ひとが水に溺れるのは
■復帰之介
  ひさしく触れてなかったこともあり、また生来の忘れっぽさもあって思いのほか見慣れない事物に囲まれている気などして、新鮮といえば実に新鮮、けれど変わりないなあといえばまったく変わりのない平凡な時間の流れに居心地の良さを覚えたり。このブログも数ヶ月ぶりに更新してみようかと前回記事の日付をみるとまだ2ヵ月しかたってなかったり。今月INしないとたぶん商会も自動退会処理の憂き目に遭うはずで、ショップの売り上げどうなるんだろうなんて頭をよぎったことも追い風となり勢いで復帰してしまったあたりなど、うまく踊らされてるなあとか心の内にうっすらと呆れ笑いも浮かべつつ、今回の記事のテーマはこんな感じで‘だらだら書く’と決めました。

■新船の心地
  といって書きたいことが格別なにかあってのことではなく、次の行に何を書くかも白紙のまま見切り発車している次第なのだけど、ゲーム内ではとりあえず週末の定例模擬に出て、バトルキャンぺーンが始まったのでそれにも出て、商会のきゅん子さんが新型船を貸してくれたのでそれも堪能してみましたというあたりで今朝にいたります。重畳。久々に接した艦隊戦の心象なんかについてはまた違うテンションに襲われるのを待つとして、休止中に方々のブログでの言及から予想していたダメダメなイメージは払拭されて、けっこう楽しい船でした、かのロイヤルフリゲート。ただ戦列艦やガレアス系に比べてTPOや技術がより求められるなと実感。乗っている本人だけでなく、艦隊メンバーも必然的に明確な戦術の変化を要求されることになりますね。つまりこの船の有無に関わらず同じ戦い方をするなら艦隊の戦力を弱める結果につながります。ロリゲっていう略称が定着していたのにはちょっとたじろいだけど。
  まあ‘ゲーム内世界’的には新出のお試し期間はすでに終わって、そのあたりを磨きだす人たちがそろそろ出始める頃合いでしょうか。正直最高耐久での模擬戦にはきつい印象をもちましたが、危険海域における遭遇戦や追撃戦、バトルキャンペーンや大海戦では活きる場面も多そうです。にしてもロリゲって、以下略。

■経験は量ではなく幅なのですの巻
  今回の復帰を後押しした大きな理由のもう1つが、先週のアップデートでの冒険経験が入りやすくなる仕様の変更で、冒険キャラなのに滅多に冒険しない病がもうずっと続いていた裏キャラにとうとうの陽の目がとか目論んでみたのだけれど、復帰して数日がたち発見したのは仮に3倍の経験値がもらえるようになったとしても、そういうことが問題じゃなかったのねという儚い現実でした。要するに、ぜんぜんやる気がプラスされていないようなのです。もともと冒険要素に惹かれてこのゲームを始めたはずなのに、久々にINしてもなおこういう心理が保持されてしまうのは、何とも不思議な事態です。
  たとえばララ・クロフトほどでなくても、もう少し冒険面で楽しめる要素の幅が増えてくれたらまた別かもなとも。このブログで東南アジア実装前に妄想したボルネオ島などでの人間以外のNPCの実装とか、その程度のささやかな追加でもけっこう変わりそうな気はするんですけどね。キツネ捕獲してペットにしちゃえるとか。いまの仕様、本来の意味での冒険感が多少なりとも得られるのは、ゲームのごく序盤だけではないでしょうか。もちろん人によりけりのことですけれど、ああでもこういう妄想の膨らみ具合は変わっていないかな、極私的な話として。ってトゥームレイダー、やったことないんですけど。

■友人簿怪談系
  フレンドリストを開いたのも数ヶ月ぶりだったわけですが、やはりひさしぶりのフレとのチャットは楽しいものですね。懐かしい友達が変わらずいてくれたという感じはリアルとまったく同じものでした。実時間的に付き合いの濃い軍人仲間より、それ以外の場面で知り合ったフレのほうがそういう楽しさは何だか大きかったです。軍人仲間だと挨拶もそこそこに戦術だの装備だのの話に突入してしまい、ひさしぶりもなにもあったものじゃありません。この脳筋どもめどもめ。
  それはそうとリストの登録数が限度の128から3ほど減っておりました。なるべく1は空けるようにしてましたから、たぶん2人ほど消えたはずなのだけど、リストをいくら眺めても誰なのかわかりません。わからないくらいだから何かの機会に登録したままその後交信がなかったひとなのだろうけど、わからないとかえってとても気になります。遠い記憶のなかでクラスメイトの一人だけがのっぺらぼうとか、そういう方向に想像をふくらませてしまうとなんだか怖いですね。時刻が早朝なせいもあり、モニターに向かっている自分の背中が妙に気になりだします。読んでいてたまらずうしろを振り向いてしまったひとがいたら、ごめんなさい。振り向かないほうが身のためです。

■スタイルの維持ってけっこう気をつかうのよの話
  いまになってこのブログの過去記事をざっと読み流してみると、なんとまあよく書いたものだよと感心してしまいます。とりわけ右欄のテーマ一覧でいう“海のなかの見えない航路”、“世界独航記”、“水の棲み処”あたりの記事には、その時でなければ書けなかったろうなと思えるような独特の緊張度を感じさせるものもあり、あまり覚えてないものなどは他人の文章のごとく楽しめてしまったり。大航海時代に縁のある映画を集めた“就職・転職”のシリーズも、数が貯まったことでそれなりに意味のある記事群になった気がします。とはいえただの映画評と言えばただの映画評なので、これについては動機の大小にかかわらず同じテイストを継続させることもできるでしょうね。
  しかし休眠状態に入って2ヵ月がたつのに、このブログのカウンターはなぜか毎日よく回っているようです。おそらく大量のログによる検索サイトからの一見さんと日記ブックマーク欄目当ての常連さんがほとんどで、記事そのものの更新を期待して来るひとはもうほとんどいないんじゃないかと思うけど、ゲームに復帰したからにはこっちも復活するかもと思うひとがいたなら放置を決め込むのも不届き千万な所業だし、きっとそういう懸念も少しあってそろそろ更新しちゃおうとぞ思います。おなかもへってきたし。というわけで、長文スタイルだけはむりやり維持したんだからねっ、と。

  人間が水に溺れるのは、重力の観念に憑かれているからだ
                                         ― マルクス・エンゲルス


ざぶーん。
Job Description 13: 軍医 【ファイナル・ソルジャー】
叔父のブログが再開したようなのでその紹介から。ここのところ当ブログは半冬眠の状態に入ってますが、代わりにという感じで。

   Mamma Mia! 教授ブログ!!
        http://rainyheart.blog32.fc2.com/

  スタイルは違うけれど思考回路はほぼ一緒なので、‘さよなら航路’に頻訪いただいているかたの幾らかにはこちらも気に入ってもらえると思います。あと私事の報告になりますが、普通免許とれました>w< 技能検定、あのシチュエーションはバカみたいに緊張しますね。(笑) 
  では本題。‘大航海時代Online’拡張版の新章が来週からスタートしますね。地理面での追加実装はオセアニア一帯がメインとなるようです。それにちなんで今回はニュージーランドの映画をとりあげます。

▼リバー・クイーン
  この映画は1860年に起きたマオリ戦争の史実が舞台になっています。イギリス帝国主義の尖兵として密林に送り込まれた開拓団の隊士たちと、彼らを待ち受けるマオリ族の戦士たちのあいだで翻弄される娘が主人公。彼女も史実上の人物で、原題の‘River Queen’はマオリの側から彼女に当てられた呼称です。

  19世紀半ばといえばイギリス本国ではすでに産業革命の真っ只中ですから大局的には大航海時代とは言い難いわけですが、そこは地球の裏側の出来事です。ジェームス・クックが初めてこの周辺の海図を作成したのが18世紀後半ですから、この地域では時代を遅らせて考えたほうが妥当というケースは様々な面で見られるのですね。登場する船について言えば、河をさかのぼる小舟やタグボートには素朴な蒸気機関も使用されて始めているものの、外洋向けの大型船舶はいまだ帆走が主体という時代。マオリの人々が乗る船としてはもちろん手漕ぎの木製カヌーが多数登場します。

  本編は主人公の娘がマオリ族の青年の子供を身篭るところから始まります。彼女は開拓団に属する軍医の娘であり幼い頃から父より医術の教育を受けていたのですが、このマオリの子を宿したことと医術の素養を得たことの2点がその後の彼女の軌跡を稀有のものにしてゆきます。演じるのはサマンサ・モートン。明日から国内公開される“エリザベス:ゴールデン・エイジ”でもスコットランドのメアリー女王という極めて重要な役を演じています。エリザベス最大のライヴァルといって良い存在ですね。
  そして彼女を想うイギリス側の兵士として登場するのがかのキーファー・サザーランド。ドラマ“24”のジャック張りのアクションシーンも確かにあるのですが、日本では軍服姿の彼がライフルを構える姿がDVDジャケットに大きく描かれ、邦題も“ファイナル・ソルジャー”とあたかもサザーランド主人公の戦争アクション映画かのような印象を生む形で売り出されました。このためネットでこの映画の日本での感想を検索すると、この点の不満を書いたものばかりが挙がってきます。このことは騙し半分でも敢えてサザーランドを前面に出した売り手側の商業的手腕を結果的に証明するものとも言えるわけですが、それにしてもこの邦題の野暮ったさは異様です。
  主人公の娘をとりあうマオリ側の戦士はクリフ・カーティスが演じています。彼の名はまだあまり知られていませんが、最近そこらじゅうのハリウッド映画に脇役出演しまくっている俳優です。過去にこの記事シリーズで扱った“ファウンテン”ではスペインの南米探検隊に属する謎のイスラム剣士として登場するし、“ダイ・ハード4.0”ではFBIの指揮官としてブルース・ウィリスを牽制します(設定はたぶんアラブ系)。メキシコ人やイラク人、インド人の役も見たことあるかも。でも本人はマオリ出身であることをこの映画を通じて初めて知りました。
  実は恒例の記事タイトルに「軍医」ではなく「斥候」の語を当てようかとも考えました。娘のみごもった子がのちに斥候がやるような撹乱行為でイギリス軍を惑わせるシーンがあるためです。けれどこの子役はあまり華がなく感心できず。娘の父である軍医の役にはステファン・リー。いぶし銀の名優だけに演技の水準はキャスト陣のなかでもピカ一です。

  作品全編を通しての感想としては、原生林を舞台としたロケハンがとにかく美しく、マオリの集落や開拓団の居住区を再現したセットも非常に緻密で、それだけでも見た甲斐がありました。ただストーリーの展開はやや詩的に過ぎ、説明不足のまま流れてしまうことが徒と出ているようなシーンもそこかしこにあったのはもったいないところです。往々にして制作陣の思い入れが強すぎるとこうなります。ニュージーランド人である監督のヴィンセント・ウォードはプロデューサーとしてもハリウッドで確固たる地位にある人物のようで、だからこそ採算性はどの目にも低いこうした作品にこれだけのキャストを集められたのでしょうが、‘マオリを前面に出した作品を世界に売る’という気負いがやや出すぎた観は否めません。
  
  さて‘大航海時代Online’にもすでにマオリの人々は登場しているわけですが、彼らがゲーム内で見せている言動は感覚的に少しおかしなものに映ります。詳しくは以前の記事(2007年8月26日記事「世界独航記ノ貮」↓末尾にURL)に述べたので割愛しますが、当然ながらそう簡単にヨーロッパ人の営みに馴染んでいったわけではありません。こうしたあたりで、大航海時代のヨーロッパの人々が原住民の住む遠方の土地でどのような形で植民活動を進め、現地の人々がどのように受容していったのかに関心のあるかたには、参考になるシーンが多くある作品にもなっていると思います。
  アフリカであれアメリカであれどこであれ、白人たちは一方的な侵略行為によって既存のコミュニティを征服し破壊していっただけだろうと考えるのは簡単です。しかしそこには必ず自らの行為に疑問を抱いて行動に移した人々や、逆に植民活動を利用した原住民たちなどがおり、その展開は地域ごと・時代ごとに様々な変容を見せました。
  こうした価値観の異なる集団と集団との接触の帰結として個人個人の内面に生じる葛藤までを読み込むと大航海時代の世界を考える楽しみはぐっと深みを増すはずです。これは一見情緒的な作業のようでいて、実質的にはロジカルな枠組みの問題というかテキスト依存の形態に落とし込みやすい圏域なので、‘大航海時代Online’もいずれはそうした領域にまで踏み込める水準を目指してほしいなとは思います。 うん。妙なまとめかたですね。

“River Queen” by Vincent Ward [+scr] / Samantha Morton, Kiefer Sutherland, Cliff Curtis, Temuera Morrison, Stephen Rea / 113min / New Zealand, UK / 2005 ※本作品の国内上映館での公開はなし。一般流通はDVDのみ。
※※過去記事「世界独航記ノ貮」: http://diarynote.jp/d/75061/20070826.html

異相の傷
▼エリザベス: ゴールデン・エイジ
  大航海時代を舞台とする新作大型映画が来月公開に。かの“アルマダの海戦”がハイライトシーンとして登場します。[左画像上半]

  公式HP: http://www.elizabeth-goldenage.jp/site/index.html


  内容的に連続する作品として、同監督・主演で10年前に製作された映画“エリザベス”があります。非常に質が高く、まだご覧になっていないかたにはお勧めの作品です。
  そして来月公開予定の本作では新たな準主人公として、クライヴ・オーウェン演ずるウォルター・ローリー卿が登場するようです。‘大航海時代Online’のプレイヤーにはこの名前にピンと来るひとも多そうですが、新大陸に最初の植民団を送った人物です。ゲーム内にはこのとき派遣された船長の一人アーサー・バローも登場しますね。[詳しくは2007年2月12日記事にて]
  ともあれ期待できる作品なだけに、公開が待ち遠しい心地です。

▼大海戦記事シリーズ終了のお知らせ
  さて久々のブログ更新になりますが、実を言うと今年に入ってからほとんど‘大航海時代Online’をプレイしていません。少し気が離れかけているのかもしれません。
  昨年の暮れはもはや恒例ともいえそうな年末大海戦に参加しました。標的港選択の投票が、たった一人のプレイヤーの行いによって覆される展開もいつも通り。これだけ多くのプレイヤーのやる気を削ぎうるような仕様の欠陥が放置されていることからみても、運営サイドにとって以前ほど大海戦が重要なイベントとしては扱われていないことが窺えます。

  さすがにこの状況ではこれまで続けてきたような報告記事を書きたいと思える魅力も感じられないので、大海戦に関する詳細をまとめる記事シリーズ(右欄‘海の庭’カテゴリー)をここでいったん終わろうと思うに至りました。もちろん現下の惨状は先月末に突然始まったことではなく、このイベント周辺の‘温度’は一昨年から昨年にかけて少しずつ下がってきたわけです。その下がり具合が自身のコミットの姿勢を変えざるを得ない一線を越えたという感じです。残念ですが、素直に諦めることにします。

▼ファンタジーアース ゼロ
  ただこのことを直接のきっかけとして、‘大航海時代Online’そのものへの接しかたまでが変化してきたことは自身でも意外でした。もとより危険海域での実戦は時間がかかりすぎて長く続ける気になれず、艦隊戦を遊ぶための定例模擬と個艦レヴェルでいろいろと試す場としてのバトル・キャンペーンくらいしか軍人キャラクターのgoodbyeを動かす機会がなくなっていましたから、その素地はできていたのかも。こうなるともうプライヴェートファームの手入れやアパルタメント改装、副官ボーナスといった毎日INさせるような機構も余計にプレイ動機を失わせるというか、わずらわしいだけのものになってくるんですよね。
  という感じを抱いてきた頃に、‘大航海時代Online’のフレンドの幾人かが別のネットゲームを始めだし、それが結構面白いというのでわたしも試してみることに。‘ファンタジーアース ゼロ’(通称FEZ)というゲームです。[上掲画像下半]

   FEZ公式HP: http://www.fezero.jp/


  これまでMMO(大規模ネットワークゲーム)は‘大航海時代Online’だけしかやったことがなく、不思議と他のMMOに関心をもつこともありませんでした。そこでどんなものかなという興味もあって始めてみたのですが、見た目はよくある狩りゲームのようにも見えるものの、FEZの対人戦システムは‘大航海時代Online’の艦隊戦システムにハマったひとに向く要素が多々あることもやっているうちにわかってきました。
  ‘大航海時代Online’でつながりのできた友人関係が、別のゲームに移るとどういう展開を見せるのかというのも関心のあったところなのですが、‘大航海時代Online’の艦隊戦で見せる個性をそのままに出して戦う知り合いもいれば、意外な一面を見せるひともおり、その点でも結構新鮮でした。

  これからちょっと試してみようかなというかたがもしいらしたら、ぜひBriah(ブリアー)サーバのエルソード国で始めてみてください。全員が‘大航海時代Online’のプレイヤーで部隊(DOLでいう商会)をつくって遊んでいます。毎日INするひとからキャラだけ作ってみたひとまで現在25名ほど在籍しています。一応キャラクターのレベルという概念もあるのですが、ほぼ初期からの対人戦参加が可能で経験値も貰え、始めて間もない低レベルプレイヤーにもきちんと一線で果たせる役割が用意されているなどよく練られたシステムになっています。
  ただ操作方法もよくわからないまま始めるととっつきにくい印象も少しあるので、その点でもまず部隊に入って1からいろいろ聞きながらやっていくのが上策です。

  ちなみにわたしのキャラクター名は‘goodluck’、部隊名は‘ロメオの心臓’です。見かけた際はお声かけを。数名の上級者のほかは全員初心者でわいわいやってます。今日1月15日から獲得経験値2倍キャンペーンなどこれから始めるかたにも嬉しいボーナス期間がしばらく続くので、この機会にぜひ一緒に遊んでみましょう。キャラの育て直しが容易なので、過去に他サーバなどでプレイしていたかたが‘ロメオの心臓’で新たにキャラを作るケースもちらほらあります。
  基本的に無料でプレイでき、課金すると‘圧倒的に強くなる’のではなく‘いろいろ手っとり早くなる’ように設定されていることもプレイヤーのスタンスに自由が利いて風通しの良さにつながっていると思います。

  それからもうプレイしているというかたは、一度FEZのBGMを消して“エリザベス:ゴールデン・エイジ”の上記公式HPに流れる音楽でプレイしてみてください。何だかいい感じです。
 
 
Job Description 12: 芸術家 【ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯】
  この絵の人物、とても綺麗なかたですよね。穏やかな表情のなかにはどこか峻然とした印象もあります。瞳は一見温かみを感じさせますが、茫漠とした目線の先にあるものへの情感がそこには欠落しているようにも思えます。華奢な撫で肩を包み込むローブのひだは、触れれば音もなく形を崩しそうなほど繊細に描かれています。

  いつもとは趣向を変え、今回はいきなり脇道へ逸れてみようと思います。

▼大天使の微笑
  上掲画像(クリックすると拡大します)はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作の一つ≪岩窟の聖母≫[1495-1508 ロンドン・ナショナルギャラリー蔵]の部分図です。ダ・ヴィンチと聞いてこの絵を見れば、その頬や唇、鼻先から眉にかけての陰影などに、モナ・リザのそれを想い起こすひとも多いことでしょう。この絵の全体像は下記URLにて。

  全体図 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Leonardo_da_Vinci_027.jpg

  全体図では画面の右下に位置するこのひと、とても品の良さそうな女性に見えますが、実は女性ではありません。というよりも、誰なのかわかっていません。人間ではなく天使なのは主題や背中に描かれた翼からも確かだし、天使は基本的に両性具有なので女性でないこともまた確かなのだけど、イエスの出生と逝去を見守る大天使ガブリエルなのか、洗礼者ヨハネの守護聖人である大天使ウリエルなのか、いまだ見解が割れているんですね。
  そしてこの絵にはもう1つのヴァージョンが現存し、そちらはルーヴル美術館の大回廊に現在展示されています。映画“ダ・ヴィンチ・コード”では、聖杯伝説の核心に連なる貸金庫の鍵がこの絵の裏側に隠されていました。

  ルーヴル版 http://www.abc-people.com/data/leonardov/021.jpg

  様式論的な比較は省きますが、工房での制作過程でどちらにダ・ヴィンチ本人の筆がより多く入ったかという疑問に関しては、ルーヴル版ということでほぼ結論が出ています。日本語でこの論争について検索すると歴史学的な見地からこれに異論を唱えるサイトが上位に出てきますが、人物の顔つきだけをみても、より強い主張や繊細さが込められているのはルーヴルのほうだと感じるひとは多いでしょう。しかしこの屹立した個性のギラギラ感がロンドン版では薄められているため、当時の人々にルーヴル版よりもウケが良かったとしてもうなずける話です。たとえばこの天使の表情をとってみても、ロンドン版のほうがその相対的な凡庸さが落ち着きや優しさの情感を呼び起こしているようにも思えます。

  それはさておきこのルーヴル版には、ロンドン版にはない謎がいまだ数多く残されています。画面中の天使の指先やヨハネの持物の不在などがその代表的なものですが、実はこうした謎を残す画家の姿勢こそがダ・ヴィンチのダ・ヴィンチたる所以だったりします。何しろ宗教画とは本来、その宗教の教えを視覚化することで信仰の援けとするのが本義ですから、画家の独創による謎かけなどはあまりにも余計であり、同時代には神への冒涜とすら受け取る向きもあったでしょう。実際この絵の発注元であるフランシスコ会からルーヴル版は受け取りを拒絶され、ダ・ヴィンチ晩年のパトロンであるフランス王フランソワ1世の元に置かれたことが、現在ルーヴル美術館に展示されている由来ともなりました。
  油彩画ですから注文主から問題の指摘を受ければ上塗りすることもできたはずです。ゆえにそれをせず我を通したところが宗教画に対するその批評的視座とも相俟って、しばしば彼が‘最初の近代人’の一人とされる理由にもなっているように思います。

▼ミステリアスな生涯
  というところで、本題へ。

  レオナルド・ダ・ヴィンチといえば稀代の芸術家、万能の天才という他に、上述したような創作への姿勢に限らずどこか謎めいたイメージがつねに纏い付いています。ヨーロッパ各地を転々とした個人史にはいまだ不明な点が多く、鏡文字により遺された手記からは時代を逸脱したかのような着想の持ち主であることが窺えます。今回とりあげる“ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯”は、そうした彼の姿形に迫ったドラマ作品です。

  さて彼の名が付く映像作品としては先にも挙げた“ダ・ヴィンチ・コード”を思い浮かべるひとが今は多そうですが、そちらをハリウッドスターを起用した美術史版インディージョーンズとするなら、本作“ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯”は質実に彼の軌跡を描いた大作ドキュメンタリー・ドラマとまずは言えます。
  この作品は前回とり上げた“ホーンブロワー 海の勇者”同様、映画ではなくテレビ放映を前提に制作されています。1971年制作のため演出や効果音等に古風な趣きが多少目立ちますが、同じ制作意図で今日作られるとしても越えられそうにないほど作品の水準はしっかりとしています。監督はレナート・カステラーニ。他の映画作品ではカンヌのグランプリ、ヴェネツィアの金獅子賞を獲得している名匠ですが、このドラマ作品でもゴーデングローブ賞を獲得しました。
  
  全5話272分にわたる本編では単なる生年史と作品群の紹介にとどまらず、なぜその時その言動や作品構想に到ったのかという検証を逐一踏まえながら緻密にストーリーが進行していきます。彼の没後30年あまりたってから記されたヴァザーリの『芸術家列伝』を一応の軸として、現代の研究成果も豊富に盛り込んだ形で脚本が組まれており、彼や彼の代表作にまつわる通説のうち何が事実で何が虚構なのかが説得力をもって明かされていきます。残されたデッサンや作品構想をもととした実物大の再現作品/再現映像も数多く登場するため、百聞は一見にしかずという感じでその活動内容の広さ深さ、先見性の鋭さに改めて驚かされました。
  ダ・ヴィンチはよく知られているように自身の腕を買ってくれる諸侯を生涯渡り歩いたため、その生年史を少々知っているくらいでは周囲との人間関係が混乱しがちなのですが、本編中にはミケランジェロやラファエロ、チェーザレ・ボルジアやルドヴィーコ・スフォルツァ(ミラノ公)といった同時代人たちがたびたび登場してくるため、彼らとの関わりの実相も窺い知ることができる作品になっています。史実上の登場人物たちの作り込みに対してはそれぞれダ・ヴィンチ作品や同時代の肖像画等の画中人物に似た俳優が起用され、マニアックな見方かもしれませんがその点でも衣装ともどもなかなか凝った出来で見応えがありました。(ex.フランソワ1世の肖像画、ラファエロの自画像など)

  当時タブー視されていた死体研究を断行することによる世間との軋轢や、親戚の遺産相続を巡るスノビッシュな立ち回りなど、彼の卓越した面とは別に人間臭い側面の描写にも重点が置かれており、このバランス感覚がドラマに見た目以上の深い奥行きを与えています。季節はこれから冬本番となりますが、年暮れのせわしなさを離れて束の間のくつろぎを味わいたいかたになど、おすすめです。

"La Vita di Leonardo Da Vinci" by Renato Castellani / Philippe Leroy, Giulio Bosetti, Ann Odessa / 272min [5 episodes] / Spain, Italy / 1971
王朝のゆくえ
  ‘大航海時代Online’の拡張版‘Cruz del Sur’の第2章が幕を開けました。今回はその周辺で空想にうつつを抜かしてみます。
  世界周航路開通等のあった第1章がゲームに地理的な広がりを加えたとすれば、第2章‘Special Ornaments’はペットやアパルタメントの用途増など選択肢の厚みを充実させる拡張とまずは言えそうですね。

▼‘日本実装’と‘Special Ornaments’
  少し突飛な小見出しですが、‘日本はいつ実装されるのか’というこのゲームのプレイヤーなら誰しも抱いたことのあるだろう疑問と今回のアップデートとの間には、けっこう深いつながりがあるように思えます。

  というのも思うに現時点では、多くのプレイヤーがこのゲームに対し新たな要素の漸次的な投入を前提としてプレイを続けているからです。極端な例を挙げますがオセロや将棋、ルービックキューブやテトリスが好きで、そこに新要素の追加を望むひとは少ないでしょう。つまり遊びの道具として、多くのひとが恒常的に楽しめる内容に‘大航海時代Online’はまだなっていない。
  MMO(大規模ネットワークゲーム)とはそういうものというクリシェを脇に措けば≪※下記注≫、‘大航海時代Online’の場合このまま日本実装を迎えてしまうことは、ゲーム内世界の不可逆的な衰退の起点を自ら作ることになりかねない。なぜなら他のMMOと異なりこのゲームは実世界を一応のモデルとするため、現状では紛れもなく拡張時の最大の売りの1つであるゲーム内世界の‘地理的な拡張’が、日本実装時にはほぼ限界となってしまうからです。あとには極地航路の開通くらいしか残りません。
  よって‘地理的な拡張’を終えることがユーザーのプレイ動機に与える影響は小さいと運営側が判断できるほどにゲーム内容の充実もしくは地理的な側面以外での拡張方針の確立がない限り、‘日本実装’はない、というのがわたしの見方です。

  そしてこの‘地理的な側面以外での拡張’という点で、これまでとは若干色合いの異なって見える今回のアップデート‘Special Ornaments’のような方向性は重要になってくるのですね。しかしこの内容を第1章にもってくるのでは拡張版の売れ行きに響きかねないし、同様に第3章に置くと尻すぼみ感を生みかねません。師走の空気とクリスマスの気分が街にも溢れるこの時期に第2章として行ってしまうのが、長期的にも意義が大きいとすればその理由はこのあたりにありそうです。直近の4Gamersでの開発者インタビューなどで第3章の比較的早い実装がほのめかされているのも私見で言えばこのためということに。

  日本に限らず新海域の実装時期は‘大航海時代Online’における最大の謎としたい開発サイドの意向が公式HPにて示されていますが、シナリオとしては描いていても具体的な時期確定はいまだできていないのが真相のような気もします。とくに‘日本実装’については、わたしと似たような推測を抱いているユーザーも少なくないのではないでしょうか。
  ただこういうことを考えたときに毎度気になるのは、打ち出される運営方針に内向きの姿勢をつねに感じることなんですよね。以前にも書きましたが、いま想定されるパイのなかでどう魅力を付加するかに神経を払っているのは分かるのだけれど、パイそのものを広げる努力をゲーム内容の拡張から感じることはあまりありません。この面では売りかたがより重要なのも確かですが、内容が伴わなければプレイヤーとして定着しませんから結局は中身ありきなんですよね。もちろん現状維持で自足できるならそれも良いのですが、ともあれ‘日本実装’が‘終わりの始まり’にならない道を歩んでほしいと願います。

※注:MMOを巡る一般論に広げることが文脈的に意味を持たない、の意。先月末の海外接続アカウント取り消し騒ぎでも見られた傾向だが、一見視野を広くとるかのような正論が陥りがちなフレームアウトゆえの議論の抽象化とも。

▼‘オスマントルコ実装’と‘アユタヤの謎’
  ‘Cruz del Sur’実装を機に更新された公式HPや4Gamersの開発者インタビューなどで、プレイ可能な国籍としてのオスマントルコ追加に関する言及をしばしば目にしたことも意外でした。わたし自身かつてオスマン帝国が実装された場合の仕様などを妄想もしましたしこの話は大歓迎なのですが、具体的な検討に入ったかのような言葉がこのタイミングで出てくるのは予想外だったのですね。[オスマン関連記事は下記URL↓]

    麾下の破軍 http://diarynote.jp/d/75061/20070209.html

  東アジアと南北アメリカの沿岸以外は一応の実装が済んだ現在にあっても、領地港がありながらプレイヤーが本拠地に選べないなど、‘大航海時代Online’におけるオスマントルコの扱いは特別です。史実のこの時代において独立した交易国は他にも多々あったにも関わらず、オスマントルコのみがそうした‘格’を与えられた理由の第一としては、大航海時代を通じて西欧列強以外で影響力の大きな特定の港を維持し続けたのが近隣ではほぼオスマントルコだけということが考えられます。それはまたインドに覇したムガール帝国やヴェネツィアと競った商都市国家ジェノヴァ、アシャンティやインカアステカ、明清など各大陸の雄のいずれもが為しえなかったことでした。
  それに対してオスマントルコはコロンブスによる新大陸‘発見’の40年前に陥落させたコンスタンティノープルをイスタンブールとして以降、よく知られているように20世紀の無血革命に至るまでの実に500年ものあいだ、まったき帝都として存続させました。大航海時代に端を発した植民地政策を推進する西欧の列強諸国にとって、オスマン帝国はそうして征服の叶わぬ最大の対抗者であり続けたわけですから、‘大航海時代Online’においてこの国籍をプレイできるようになる可能性が、多くのプレイヤーにとり魅惑的に映るのも当然と言ってよいでしょう。

  ただ、このように大航海時代の数百年間に自国の独立と領地港の維持を全うした国というのは、他にも少なからずあるのですね。アユタヤ王朝や日本(主に徳川幕府)などはその代表的なものといって良いでしょう。アユタヤ王朝は結果的に列強間の対立を巧妙に利用する形で生存を貫きましたし、戦国時代に急進的な発達を遂げた日本の軍事動員力は現実的にこの時期の列強が手に負えるものではなかったことも近年の研究で確認されています。こうした東アジア海域での独立国との衝突による戦艦の喪失がアルマダの海戦を戦った英西どちらの陣容にも少なくない影響を与えた事例などを考え併せても、‘大航海時代Online’の今後を占う上で彼らは決して無視できない要素だと言えそうです。
  とりわけアユタヤ王朝の存在は、すでに現時点における‘大航海時代Online’の交易港の分布にも決定的な影響を与えたとわたしは考えています。端的に言えば交易港ロッブリーの扱いがそれに当たります。東南アジアの実装前、わたしはこの場所に新港アユタヤが実装されると予想していました。[新港予想記事は下記URL↓]

    鈍の月映え http://diarynote.jp/d/75061/20070228.html

  けれども現に実装されたのはロッブリーだったわけです。この都、列強の戦略的な支援によりアユタヤの副都として建てられた経緯があるのですが、本来はシャム湾の最奥、チャオプラヤ川を遡った現バンコクの北に位置するアユタヤよりもさらに北方にあるのですね。そして首都はあくまでアユタヤであり続けたことを考えると、アユタヤではなくロッブリーが実装された理由もおぼろげに見えてくる気がします。つまり、西洋列強の国旗がひるがえる港としてアユタヤを実装することはさすがにできない、という開発側の決断をそこに見るわけです。

  そしてこの原理を起点にさらなる深読みを重ねれば、2つの妄想が可能となります。1つはアユタヤがいずれ別の形で実装されるかも、という妄想。たとえばテノチティトランのような独立した街として。現代でも有名な観光地となっているように、ヴィジュアル的に非常に映えるこの街を看過しておくのはもったいないというだけの理由ですが。
  残る1つは、もしオスマントルコがプレイ可能になる日が来るならば、同じ理屈で日本がプレイ可能な国となる道筋ができるかも、という妄想。ただし上述のごとく日本の実装は現状ないというのが私的結論になるため、これはもうかなり別世界の話になりますけれど。(笑)

▽画像とおまけ
  今回はアップデート各要素への言及の代わりに、一見無関係に思える2要素を結びつけて考えるという試みをしてみましたが、きっと誰の目にも強引に映ったと思います。ただ同時に‘if-もしも’はコーエーが長年お家芸にしてきた手法ですから、こういう方向性もありかなとも思います。画像はわたしのペット‘もっち’です、以後よろしゅう。以下おまけ。

   やっちゃった! http://popoloerrante.blog26.fc2.com/blog-entry-391.html

現在開催中の公式イベント“聖ニコラウス祭”での粗相(?)についてのルクレ嬢によるツッコミです。実はこのイベント、わたしも公式HPでの告知文中に「…アムステルダムには従者を伴った司教様が訪れ、神々の教えを説いたり、子供たちにお菓子を配ったりと…」という記述を見つけ、あれまあと思っていたんですね。この時代のアムステルダムには東洋人の居住区もあったようだし神々を崇める人物がいるのはいいのですが、司教がそれを説いたら命の保証はないでしょう。

もちろんカトリックではあり得ない文言が意図的に盛り込まれたと考えられなくはありません。ですがこれらが運営方針とは無縁の単なるテキスト上のミステイクだとすれば、冒険クエストにもよくある微妙な言及ともども、そこらへんの22-3歳の大学院生を雇ってチェックを入れさせれば簡単に直せることのはずなんですよね。優秀な学生ほど他人の論文の手直しやら文字起こしやら翻訳やらを無給薄給で日々こなしていますから、常人には信じがたい量と質を一人で達成してしまえます。ユーザーの民度をアンケートや公式掲示板から測る限りはそんな必要を感じることも皆無なのかもしれません。しかしもの言わぬユーザーこそが最大多派なのもまた確かです。これは‘パイそのものを広げる努力’(上述)にも重なるのですが、大人向けのゲームとして裾野を広げる気があるのなら、こうしたあたりに注意を払うのは意外に効く気がするのです。

 
 
ラフロータ杯 in Notos 後記
半年ぶりの模擬戦大会、楽しませていただきました。以下ご報告。

 ラフロータカップ in N鯖 公式結果一覧:
  http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-46.html
  ※左掲画像の素材も上記HPから拝借いたしました。

  画像中の青い線は前回記事での予想的中、赤い線はハズレた箇所を指します。

▼goodbyeな軌跡。
  で、紫の線は自艦隊。準々決勝敗退となりました。さいごは相手もびっくりしたんじゃないかというくらい、普段でもあまりやらない沈みかたで各々沈んでいきました。goodbyeは自艦隊で3隻目の被撃沈艦となったのですが、一瞬の躊躇がそのまま白兵中の船体にぶつかって船尾を相手に差し向ける最悪の形で出てしまい、途方もなくマヌケな沈みかたに無念を通り越してしばし呆気にとられハイさようならという感じ。

  週末の定例模擬でもこういう戦闘は確かに稀にあるのですが、その‘稀’が一番してはいけない場面で味方に揃って出た展開。逆に言うとそこを確実に突いてきた相手Schwarz艦隊のみなさんが予想以上に上手かった。カロネード多用、砲術家、斥候、フィリバスタがいて通常弾防御も混ぜるという、他には見ないけれど後から振り返ればかなりバランスの良い構成を採っていた点も感心しました。その後もSchwarz艦隊は、前回記事で優勝候補の一つとしたSea Anemoneを撃破、決勝まで進んで本大会の台風の目となった観があります。

  正直な話、わたしの艦隊は2回戦での特攻野郎A艦隊との戦闘に精力を注いでいたため少し気が途切れていた印象も否めず、みな判断の精度にブレがありました。これはとても悔やまれるところです。自分が沈まなければまだ行けたはず、とは恐らく3回戦で沈んだ味方4人のいずれもが思っているところでしょう。まだまだやれることはありますね。

▼優勝艦隊の奇妙な秘密、大会MVPと決勝戦。
  優勝艦隊は“あばちょと奇妙な実艦隊”。予想も当たりました。旗艦のabbacchioさんが焼き討ちスキルを搭載していた点を非難する向きがあったらしくちょっと驚いたのですが、では他の艦隊がそれをしなかったのは‘敢えて自重していた’からなのか、と考えればその非難が的外れなことは明白だとわたしには思えます。
  艦隊自体が十分に強くなければ、純粋に勝ちに行く戦術検討の帰結として焼き討ちスキルを混ぜるような真似はできないのですよね。ふつう、旗艦の装甲戦列艦であれば耐砲撃装甲や排水ポンプが付けるのが妥当です。準決勝以降が殲滅方式とはいえ、それを付けないリスクを敢えて侵せたのはこの艦隊の実力を前提として初めて成り立つ判断でした。

  今だから明かしてしまえば、実はこういう‘遊び’の余地を持てたのが、この艦隊の何よりの強みだったりします。abbacchioさんは他にも特大ラムを装備し、守備衛生隊で臨むなど本大会を通じてオンリーワンの選択をしていましたし、白兵役のガルノルトさんは相手に応じて重ガレアスとラ・ロワイヤルの使い分けが可能です。機雷役による特大ラム装備は接舷回避による被打撃増大のリスクを呼びますが、それを凌げれば機雷による与ダメージ機会の増加や衝角攻撃そのものによるコンボ打撃が読み込めます。一長一短あるガレアス級の船種選択と同様、いずれも一見微細な差異ですが積み重なると艦隊全体にとって大きな強みになる‘仕掛け’なんですよね。
  焼き討ちスキルの搭載もこれらと相互に密接にリンクした‘仕掛け’の一部であったからこそ初めて有効となったわけで、現状では他艦隊がたやすく真似できるものではないとする理由もここにあります。まあただ、できると自認する艦隊がもし他にあれば相手として面白いので、ぜひ実行してほしいとは思います。可能性だけを言うなら誰にでもあるのは当然なので。

  特に大会MVPに選ばれたガルノルトさんについては、この一年あまりを通じて常にガレアス級の船種による艦隊戦術を磨いてきたのを間近で見てきたのでよく分かります。最初の頃はハマれば強いけれど外れると艦隊の弱点でしかなかったのですが、これは現在ガレアス級に乗ってくるほとんどのプレイヤーに対しては依然言えることなんですね。この一年の研鑽を通じてその水準から飛び抜けたことが彼の強みであり、彼がいてこそ成り立つ戦術として、上記に述べたような諸要素の総合である比類なき‘敵艦隊の支援量への圧迫力’が生まれたわけです。これが前回記事にて優勝候補筆頭とした理由の第一でした。
  そしてこの艦隊に勝つためには、まさにこの点を総合的に把握することが重要だったわけなんですが、それが一番できたのはgoodbyeのいる艦隊だっただったけに、やはり決勝で戦ってみたかったと改めて悔やまれます。従ってこの優勝艦隊による搭載能力の選択をトータルで批判するならまだしも、焼き討ちのみを取り出して非難するのは完全に視野狭窄ということになります。(ちなみにこの非難の源となったらしいかたのブログでは、必ずしもそうした意図による発言ではない旨が後付けされています)
 
  決勝戦は両者一隻ずつ減っていく激戦となったものの、最後は文字通り支援量への攻撃によって勝負が決まりました。機雷による被ダメージに対する修理と、白兵に対する外科支援によってSchwarz艦隊の動きが鈍くなったところを撃ち抜いていく展開となり、3vs3となって以降はSchwarz側の支援役となった外周に張るカロネード搭載艦が焼き討ち効果で水を切らしたため被拿捕艦、全体の修理量が下がっため被撃沈艦と相次いで白旗が上がる展開に。
  
▼予想外です。
  前回記事での予想を外した画像中の赤線部分、Schwarz艦隊の躍進については上述したので、他の3箇所について。
  青帆艦隊が巣鴨艦隊を破った戦いは観戦したのですが、外周カロネード艦と白兵艦の相対的な撃たれ弱さという巣鴨艦隊最大の弱点をきっちり摘みとっていく展開は周到でした。続く対Sea Anemone戦においても一度は5:3まで持ち込んだのですが、この大会ルール下ではそこで亀になりさえすれば物資の差や制限時間の問題から相手がボロを出さざるをえないところを、なぜか潰しに出たことが仇となりました。青帆の売りは堅実さにあるというのがわたしの認識だったので、1回戦はそのものの戦闘に拍手、2回戦は非常に惜しまれる展開でした。

  A.F.O.Kの準決勝進出については、前回記事で「最初の一隻を落とせれば脈あり」とした通りになったようです。艦隊錬度に問題ありと見ていたのですが個艦レヴェルでの力量は確かですから、この艦隊が優勢に立つとそうそう逆転できるものではありません。
  もう一つは名前が決まりませんでした艦隊の不振についてですが、実はここが一番予想が外れそうだとは思っていました。このメンバー中心の艦隊と最近幾度か戦った際に、以前に比べ格段に撃たれ弱くなっていることが気になってたんですね。けれどもキミミ団の勝ち抜けはそれを考慮に入れてもやはり予想外、ネットラジオの出演者もいらしたようで、素直に健闘を讃えたいと思います。
  ここまで書いてきて気づいたのですが、予想を外して勝ち進む艦隊はだいたい団体内で独自の研鑽を積んでいたり、goodbyeが参加することのないイングランド模擬で強くなってきた艦隊に多いようです。ポルトガルやフランスの模擬はイスパニア模擬と合流することがあるので、次の機会があればこの点も留意しておきたいところです。

▼おわりに。
  実はgoodbye個人にとって、この大会は初めて予選リーグ敗退や1回戦敗退ではない形で勝ち進めたイベントでもありました。さいごに自戒の意味でもう一度書き付けておけば、不甲斐ない終わりかたをしてしまった最大の原因はやはり精神的なものだったと改めて思えます。硬くなってました。省みると、待ち時間中の些細な作業も含め、ふだんはやっていることを色々としてなかったことに気づきます。こういう場で平常心で戦えるためにはやはり、それなりの裏付けを築き上げておく必要もあるんだなあと、今後への課題も見つかる機会となりました。リアルでは本番に強いほうなんですけどね(笑)。

  というわけで、大会そのものは3時間ほどで終了するコンパクトなものでしたが、個人的にとても楽しませていただきました。運営のみなさん、ありがとうございました。そして出場したみなさん、支援や観戦など何らかの形で関わっていたみなさん、おつかれさまでした。
  それからネットラジオの中継、ゼフィロスサーバのキャロルさんというかたメインの放送でした。深みのある声がとても良かった(笑)。わたしは普段このゲームをしているとき常に他の映像や音声を付けているため、DOL系のネットラジオはほとんど聞かないのですが、臨場感があって面白かったです。こちらに出演されたみなさんもおつかれさまでした。
  こういう企画、やはり半年に1度ではもったいないですね。今後も企画されるようでしたら、協力できることはぜひいたしたく。出場者の立場はたぶん譲れませんけれど(笑)。
ラフロータ杯 in Notos 前夜
大会前日となりました。予告通りトーナメント予想を。

 ラフロータカップ in N鯖:
  http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-44.html
  ※左掲画像の材料もこちらからお借りしました。ココさん快諾感謝です。

  goodbyeは“Un bien de Sevilla”に所属しています。当初自艦隊が優勝するトーナメント予想図を描いてみたのですが、絵としてあまりに面白味がなかったので画像のようになりました。いずれも他の艦隊と同じ目線で自艦隊を評価する意義は小さいという感覚に基づくものですが、結果として明日は初戦敗退の図を一戦一戦覆していく展開になりました。なるのです。

  半月前の予想記事を書いた時点から、艦隊の陣容変更やこの間の錬成具合により各艦隊への見方も若干変わったので、それらも交えて以下改めて大会予想、最終版です。

▼まず優勝候補艦隊。

 1. あばちょと奇妙な実 敵艦隊の支援量に対する圧迫力は他に真似しがたいものあり
 2. Sea Anemone 思った通りKASさん加入。前回大会初戦敗退の悪夢を振りきれるか
 3. ELVE艦隊  攻守のバランス感覚に抜群。常に手堅い形を維持できる
 4. 特攻野郎A艦隊 正体はEurosサーバ大会の優勝艦隊メインな構成らしく…おそるべし

  これに自艦隊を加えた5者が私的予想における最終的な優勝候補艦隊です。ELVE艦隊と半月前の記事ではここに含めていた巣鴨艦隊に関して評価順位を下げた形になりますが、これは両艦隊への見方が変わったからではなく、奇妙な実/Sea. A/特攻Aの3艦隊について大幅に評価が上がったためのものです。いずれも平日夜の無制限模擬開催などを通じこの2週間での錬成ぶりが予想以上の様子で、また後2艦隊についてはメンバー変更や直接戦った上での情報入手等を通し評価の基盤そのものが変わりました。

▼次にブロック予想。
  準決勝出場枠に当たるA〜Dブロックをもう一段階分けて予想してみます。各艦隊のメンバー構成は下記大会公式記事コメント欄にて。↓
   http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-38.html

A-1: 頭文字D 
  ある意味もっともストーリーのある小ブロック
  英PK艦隊に葡PK2艦隊が各個撃破されそうだが、自他の戦力を精査する機会に
A-2: Sea Anemone
  青帆艦隊は目的別の特化型訓練を長く続けているらしく、陣容に関わらず質実
  注目は巣鴨艦隊。連携に優れた青帆と個艦能力の揃ったSea A.にどう張るか

Aブロック勝ち抜け: Sea Anemone
  頭文字Dは癖のある艦隊運動をSea A.につかまれると苦しい
  局所的な数的劣位が生じD側に最初の被撃沈艦、そこから崩れ落ちる展開が濃厚

B-1: Schwarz艦隊
  攻守に手堅いみるきさん、撃沈センスのあるmoopさんなどSchwarz艦隊がリード
  メタボ艦隊スレイン・スターシーカーさん、ELPE艦隊えみぃ☆さんの爆発が勝敗の分水嶺
B-2: Un bien de Sevilla
  goodbyeもがんばらなきゃいけない小ブロック
  かつてMGM艦隊のギレンさん、雷鳴静寂さんに私淑したところ大ゆえ恩返しの機会に
  特攻野郎A艦隊は上述のごとく大会の戦いかたを一番熟知した艦隊…おそるべし

Bブロック勝ち抜け: Un bien de Sevilla
  画像では初戦敗退としてますが勝ち抜けます。なにいってんだ自分。

C-1: ELVE艦隊
  艦隊の総合力ではELVE。同国旗の蒼龍艦隊にはつらい戦闘が待ってそう
  とりまる2900の個艦レヴェルでの打撃力はELVEと張るため、予想が覆る可能性も大
C-2: A.F.O.K
  東方不敗、ELBEともに粒揃いではあるものの、撃たれ強さの点でA.F.O.K

Cブロック勝ち抜け: ELVE艦隊
  艦隊錬度においてELVEに利があるものの、A.F.O.Kが最初の一隻を落とせれば脈あり

D-1: 名前が決まりませんでした艦隊
  前回大会(NCC)で準決勝まで進んだ実績のあるEndless Voyageの突破力に期待
D-2: あばちょと奇妙な実
  gangstar、エーゲ艦隊ともにベテラン揃い。特にgangstarは直近の戦力UPも目覚ましい
  が、本大会の交戦ルール下では奇妙な実の優勢は圧倒的

Dブロック勝ち抜け: あばちょと奇妙な実
  名前が決ま〜艦隊が伝来の粘り腰をどれだけ見せられるかで決まるブロック

▼そして準決勝/決勝とか。
  準決勝以降に関しては、先に挙げた優勝候補5者のうち当日のコンディション[各自の回線状況/体調/家庭環境(笑)等]にトータルで優れた艦隊が勝ち抜け、優勝するでしょう。準決勝から戦闘形式が殲滅方式へと変わること[詳細は大会公式HP参照]も驚愕の展開をもたらすポイントになってきそう。

  とはいえリーグ戦と異なり一戦勝ち抜けのトーナメント形式には波乱が付きものなので、どこが意外な躍進を見せるのかも非常に楽しみなところです。特に巣鴨艦隊、とりまる2900の準決勝進出や、東方不敗、E. Voyageの準々決勝進出はとてもありそうな気がします。

▼さいごに予想雑感。
  斥候による機雷使い1隻と、重ガレアスまたはロワイヤルによる白兵屋1隻を含めた艦隊構成が脅威とされる昨今にあって、優勝候補に挙げた5者のうち実に3者が機雷優遇職不在、4者が装甲戦列艦+戦列艦のみのいわばクラシックスタイルをとる艦隊になったことは、予想した自身でも少し意外でした。
  とはいえ現状5vs5の艦隊戦において機雷+白兵による圧迫が非常に有効なのは確かですから、この2年半プレイヤーのあいだで培われてきた戦列艦メインの戦術に、新しい戦術の熟成がまだまだ追いつけていないということなのかもしれません。

  以上です。もし賭けクジのTOTOみたいな企画があれば、皮算用の材料にでもお役立てあれ。ただしその結果大枚をなくしても責任は各自で(笑)。というかあれです、トーナメント予想図とか、自分からハズレにしていく前提で描いてますしね。いつもの戦いかたを十全と維持さえできれば、自分の艦隊は問題なく優勝できる力量があると感じています。

 
処分終縁
  先週の半ば、‘大航海時代Online’の公式HPにおいて海外からの不正接続アカウントについて利用資格取り消し等の処分告知が為されました。類似の処分は過去にも幾度か実施されてきましたが、今回の実施はその内容や規模から処分に該当しないプレイヤーの間でもその後ちょっとした波紋を呼びました。今回はこの件について。

▼概要
  まず公式HPの告知文を念のため挙げておきます↓
  http://www.gamecity.ne.jp/dol/news/important/body_230.htm

  これに関するプレイヤー間の議論の一例として、教祖ブログのエントリーを以下に↓
    ?提起: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1060.html
    ?検討: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1061.html
    ?発案: http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-1062.html


  この問題に触れているプレイヤーブログは他にも多々ありますが、コメント欄も含めた上記3エントリーにおいて議論の沿革はおおよそ示されていると思います。
  また公式掲示板[http://www.gamecity.ne.jp/dol/bbs/index.htm]でもより盛んな議論が交わされていますが、‘この場所であれば運営サイドの目に留まる可能性がある’という意識が影響するのか常に論点が曖昧なまま維持されがちで、上記?のコメント欄同様の議論の飽和が早々に起きている印象があります。

▼何が本当の問題なのか
  上記に挙げた教祖ブログでの反応で顕著なタイプの一つに、ブログ著者の‘抗議’を今回の措置の撤回を要求したものと短絡させた上で、運営側への賛否や支持不支持を表明する類のものがあります。規約通りの処分なんだから云々とか、大所高所からMMOというのはそういうものだと諭す種の書き込みもそれに相当しますが、これらは発想の前提において問題としているポイントがブログ著者とズレている(と思える)ため、わたしの目にはとても無意味なスレ違いを生じさせているように思います。

  こうしたやりとりを読み流してわかったのは、今回の処分が少なくないプレイヤーの間で議論紛糾の元となっている原因の核は複数あるため、そのうちの何を焦眉の懸案と捉えるのかによって感じかたや反応の色合いが変わってくる‘らしい’ということです。したがって恐らくこの件を考える際にまず把握すべきなのは、問題は一つではない、と理解することだと思います。処分単体でのRMT撲滅への実効性の有無や、プレイヤー個々の賛否は重みや眼差す角度の違いこそあれいずれも問題の一端に過ぎません。
  ですからこの点への配慮を欠いたまま投じられる匿名の吐き捨てコメントによって議論が飽和してしまう(というか全体が希薄化し読みづらくなる)のは残念なことですね。goodbye個人の直接的な感想は、上記?コメント欄の6つ目の書き込みに集約されるので興味のあるかたはご参照ください。以下はそれより一歩引いた立場での私見になります。

▼私見と雑感
  わたしの知り合いにも海外から接続しているプレイヤーは幾人かいます。そのなかには規約の存在を承知のうえで突発的なアカウントの停止を覚悟しつつプレイを楽しんでいるひとや、海外接続でプレイしても良いかと運営にきちんと問い合わせをした上で長くプレイし続けているひともいます。どうやら一様に今回の処分を免れているようですが、彼らとの交流等を通して今回の件に関し極私的に最も問題だと感じているのは、処分そのものの結果ではなくそのやり方にあります。
  自身は海外から接続した過去もする予定もなく、また処分を受けた友人がいるわけでもないにも関わらず、今回の処分に憤りや違和感、心の痛みを覚えたプレイヤーのいくらかは、わたしと似たような見方を持っているのではないでしょうか。つまり冒頭に挙げた公式HP内の告知文中にあるような「プレイヤーの皆様に安心して楽しくプレイしていただけるゲームとなるよう」な手段として、今回の措置はよく配慮されたものだったのかという観点です。

  ここで今回処分の対象となったプレイヤーの直の声を少し紹介します↓
  http://sawatarihonoka.blog23.fc2.com/blog-entry-24.html

  沢渡ほのかさんという在香港のプレイヤーによるものです。“The end of the world”と題されたこの文章、前半部分では処分対象者の立場から今回の措置に対する不満がごく直接的に述べられています。が、大枠としてはすでに挙げた教祖ブログでの議論を出るものではありません。
  この記事で特に目を引いたのは後半部分の青字および赤字で強調された箇所だったので、以下そのあたりをメインに意訳します。

−−−記事タイトルにもあるように、今回の件は私にとってこのゲーム世界の終わりを意味しています。誰もが分かっている通り、光栄が私たち海外プレイヤーへの処分を撤回する可能性は0.1%もないでしょう。

しかしここで私が言いたいのは、今回の光栄のやり方はあまりに横暴ではないかということです。海外からの接続という規約違反を犯していたことは確かです。ですがそれを理由に処分を加えるのに、事前の警告がまったくなかったことを言っています。光栄にその法的義務がある否かということではなく、会社の姿勢としてどうなのか。少なくとも1ヵ月前の警告さえあれば、処分停止を覚悟でプレイを続けることもそこで課金を止めることもできたはずなのに、私の場合は"Cruz del Sur"へのアップデートと翌月分の支払いをした直後にこの処分を受けてしまいました。

契約とはその文面の如何に関わらず、本来双方向的な原理を持つものです。光栄側が私たち海外接続のプレイヤーからも支払いを受け取ってきたこともまた、この原理に照らせば私たちが行っていたことと同様に契約内容を逸脱した行為なのです。もし光栄がこの契約の原理をも遵守するなら、最初から私たちの支払いを受け入れるべきではなかった。その時点で光栄もまた契約不履行であったと言えるのです。この点が看過されたまま、2年ものあいだ提供し続けてきたサービスを、一方的に突然止めて良いはずがありません。

ですからサービス受容者の利益を考えるうえで、光栄による今回の処分は決してフェアなものでも正しいものでもありません。にも関わらず、日本の慣習法では良しとされてしまうのでしょうか。−−−


  わたし(goodbye)は沢渡さんの訴えに全面的に同意できるわけではありません。たとえば彼女が12月2日に挙げている嘆願書の記事などは、処分対象者ではないプレイヤーへの呼びかけ方に明確な違和感を覚えるため、この面での支援行動を採ろうとは思いません。ただ今回の件を考えるにあたって、彼女の上述記事での訴えには日本のプレイヤーも耳を傾けて良い部分が大いにあると判断したため、拙訳を試みこの場で紹介することにしました。

  というのも、いささか急ぎ足にも思えるこの処分をなぜこのタイミングで?ということを考えると、公式HPでの告知文には表出されていない外部的な要因が何かしらあると考えざるをえないのですね。すでに挙げた教祖ブログへのわたしのコメントでも述べた‘他国サーバの運営からの要望では?’というのは半ば茶々ですが、他にも例えばアメリカではMMO内での財産についてその所有権等の法的整備が現実に進んでいると聞きます。この流れは不可逆でしょうから、のちのち問題と‘なりそう’な根はできるだけ早く摘んでおくに越したことはない、という判断の所在等を深読みもできます。
  上記意訳部分のとりわけ後半に関しては、本文中に"In Europe,"の語があるようにこのブログ著者のロンドンでの在住経験を通して身についたバランス感覚に基づく主張のようです。記事末尾の"customer’s law"が文字通りの消費者に関する商法関連を指さずもし文意的に"custom’s law"つまり慣習法(正しくは"common law")を指しているなら、彼女の指摘はわたしの深読みと重なる部分も出てきます。(日本でも商慣習法は民法に優先されますね) もちろん単なる深読みですからそれ自体はどうでもいいのですが、いずれにしても外部的な要因がもしそこにあるなら、それを開示されることなく処分を受けた側に不条理な思いが生じるのは必然と言って良いでしょう。その不可解さは総体としてまるで無益なものとしか思えないのです。
  そしてこの点は恐らく、直接の処分対象者とは縁の薄いプレイヤーのいくらかをも不安にさせた‘本当の問題’の在り処の1つです。

  ちなみにこの沢渡さん、ゲーム内では時折姿を見かける程度だったのですが、このかたのブログは移行前の旧サイトの頃からごくたまに訪れていました。忙しい学生生活(当時)の合間をぬって自分のペースでプレイを楽しんでいる感じが読んでいてとても好ましいものだったんですね。個人的にハタチ前後のころ香港や台湾に多くの友人を得た経験もあり、このゲームを始めた初年度に感じた魅力の一つはこうしたプレイヤーと場を同じくできることにもありました。これは余談になりますが、たとえばゲーム内での仕様修正に関するこのかたの考察などは、当時まだ‘大航海時代Online’を始めたばかりだったわたしにとってとても有益なものでもありました。(当該記事URL↓)
   http://diarynote.jp/d/72119/20050914.html


  ゲームを始めた初期、レベルが近かったこともありゲーム内でわたしと最も行動をともにしてくれた友人は、ニューヨークへ転勤中の関西人でした。これに限らずチャットを通して伝わってくる遠い場所での生活の雰囲気みたいなものも、わたしにとっては確実にこのゲームへINする楽しみの一つだったんですよね。
  時期によって日本からINしたり海外からINしたりというプレイヤーサイドの需要が今度どんどん増していくのは、時流から言ってほとんど自明です。ですから個人的には、こうしたプレイヤーの潜在可能性をあらかじめバッサリと排除してしまう方向性だけが今後の‘大航海時代Online’にとって有益なのか、判断しかねる部分はとても大きいのです。

▼画像について
  画像は下記サイトより。pepeさんによるプレイヤーブログです。

  てぃきんるーむhttp://pepeice.blog15.fc2.com/blog-entry-517.html

なぜ今回の処分からこの画像掲示に行き着くのか、一見するだけでは不可解に映るかもしれません。ですがそのプロセスも含め11月30日記事以降のpepeさんの記述の展開には共感できる部分が多いので、この問題に関心を覚えたかたにはぜひ訪問のうえ納得いただければと思います。

※当記事をお読みいただいたうえで、今回の処分に関するご自身の主張や提案その他をされたいと感じたかたがもしいらしたら、有効性の観点から上述の教祖ブログもしくは公式掲示板への投稿をあらかじめお薦めしておきます。この記事を書いた目的は過去のほぼすべての記事と同様であるため、この種の問題にのみフレームトークをぶつけたがるタイプと思しきコメントに対し、色好い扱いはたぶんしません。あしからず。

モラル海域、奴隷の閾
  史実上の大航海時代における海上交易を考えるうえで欠かせない存在であるにも関わらず、‘大航海時代online’には登場せず、おそらく今後も追加実装されることはないだろう交易品が一つあります。今回はそこを起点に書きはじめてみようと思います。
  その交易品とはそう、‘奴隷’です。

▼奴隷とゲーム
  なぜこのゲームでは奴隷の売買が存在しないのか、という問いかけに対してはもしかしたら大半のひとが馬鹿らしいと感じるかもしれません。「そんなもの、常識的に考えて登場させるわけがない」とか、「モラルとして奴隷を扱わないのは当然」というような感覚がそこにはあります。ごく普通の感覚だと思います。
  ただ少し考えてみると、ここで判断の根拠とされる‘常識’や‘モラル’の在りかたは必ずしも自明ではないことが分かります。なぜならたとえばこのゲームにおける白兵戦では船員同士による殺傷が起きますし、大航海時代における冒険つまり奥地探索は多くの場合その土地土地からの資源収奪を前提として支援されていたわけで、殺人行為や組織的な強奪行為の再現を許容する常識やモラルが奴隷売買のみ禁じるというのはやはり筋の通った話ではありません。
  しかし人身売買は悪しき時代の遺産として現在ではタブー視されているのに対し、殺人行為や強奪行為は犯罪ではあり得てもタブーとされる因習ではなく、今日にあっても大義名分さえ通れば罪に問われることすらないので、この違いが恐らく商品としての奴隷のみがゲームの構成要素として忌避された理由に通じていそうです。国家による戦争と多国籍企業による資源搾取を現に許容している社会がそれらを再現する遊びを禁じきれるはずもありません。

  このため‘大航海時代online’を長く続けているプレイヤーのなかには、あたかも奴隷の運搬なしでも大航海時代の交易は成立していたかのような感覚を持つひとが出てきそうですが、よく知られているように実際にはこの時代の海上交易を構造的に下支えしていたのは奴隷売買そのものでした。タバコやテキーラ、カカオやサイザル麻などゲームでも登場するカリブ中南米の名産品群はこのエリアでのプランテーション経営によるものですが、それらは全てアフリカ西岸からの奴隷の搬入がなければ維持発展できたはずもなく、また地中海域においてもイスラム勢力により白人奴隷の使役が行われていたことは、イタリア南部出身で奴隷あがりの海将ウルグ・アリの活躍などを通じて‘大航海時代online’のプレイヤーにも広く知られているところでしょう。そもそも‘slave(奴隷)’の語の成立にはスラヴ人奴隷を扱ったヴェネツィアやジェノヴァ商人による黒海交易が寄与しています。新古典主義の画家アングルの≪オダリスク≫[1814]に見られるように、彼らの生き様にはある種の憧憬すら込められていたようです。

   La grande odalisque: http://cgfa.sunsite.dk/ingres/ingres8.jpg

  常識やモラルを安易に振りまわして他人を縛ろうとする物言いを憎むタチなのでわたしはこうしたことも考えます。しかしその皮肉屋の刃を自身に向けるなら、奴隷交易を戦争や資源収奪と無前提に比較してしまうわたしの思考軸もまた常識なりモラルなりに基づいていることに気づかされます。そこでこれらに共通する要素をあらためて考えてみると、そこには他者の否定という論理がどうやら通底していそうです。

▼他者否定というモラル
  奴隷、戦争、搾取。いずれも問題の核にあるのは、集団の暴力という形で他者否定を容認する社会システムそのものの姿なんですよね。ひとまとまりの消耗品として‘この船で最大300人運べる’、一度の白兵戦で‘50人削れる’、その農園の経営には‘奴隷1000人が必要’というというように、意識のうえでも人命が定量化され数値として処理されてしまう。船乗りにしても奴隷にしても一人ひとりがそれぞれに異なる生を歩み、それぞれに幼少時の記憶や傷や希望を抱えた存在であることがたやすく見過ごされてしまう。これほどおぞましいことはちょっと他にないようにも思えます。
  しかしながらわたしたちは、それらをモデルとしたコンピューターゲームを嬉々としてプレイすることができています。そういう都合の良い想像力の持ち主でいられることはある意味とても凄いことなんじゃないかと感心もするわけですが、一方でそうした偏向の特異さが人間の特徴なのだということは重々肝に銘じておくべきだろうとも思います。‘常識とは18歳までに身につけた偏見の集大成である’という言葉があります。ことの善し悪しとはまったく別の話として、ひと口に奴隷といっても属す社会や主人次第では、むしろ奴隷であることによってはじめて身の安全や精神の自由を獲得した例も少なからずあったはずなんですよね。
 
  “Theocracy”というゲームがあります。マヤ・アステカ文明を材にとった歴史シミュレーションゲームなのですが、この作品の途方もないところは捕まえた敵部族の民を奴隷化し労働力として使役できるほかに、神殿での儀式の生贄として捧げることで戦時の国力が増すシステムになっていたことなんですね。平時に畑や工房などで働かせていた彼らを怒涛のごとく生贄に捧げまくることで、神の恩恵を受けた兵士ユニットの戦闘力がどんどん上がっていく仕組みです。プレイしたのはもう5、6年は前のことで神事や歴史関連の英単語に苦戦しながらやっていたのですが、その経験が数年間の忘却をへて唐突に今この記事を書こうと考える素地の一つにもなっているようです。光栄の“信長・三国志シリーズ”やマイクロソフトの“エイジ・オブ・エンパイア”その他の海外物の文明系リアルタイムストラテジー等に比べても遜色のない出来映えなのですが、扱う時代がマニアックなうえにこの奴隷システムでは日本語版が製作される見込みは薄そうですね。(笑) もし日本人でこのゲームをしていたひとが他にいたら、いま‘大航海時代online’のプレイヤーである可能性はとても高いと思うのですが、いかがでしょうか。いらしたらぜひお知らせを。
  ちなみに時代を進めていくと大陸の東岸からイスパニアの侵攻を受けるのですが、これがもう少人数のユニットなのに空恐ろしい殲滅力を発揮します。対等な生き物ではなく黒い皮膚に身を堅め暗いオーラを発して炎の魔術を使う悪魔として描かれているのが印象的でした。(それぞれにコンキスタドールの甲冑、ペスト、火器を暗示していたのだと今になって思います) このゲームを作っているのがUbi Softというヨーロッパの大手ゲーム制作会社であることを考え併せると、この点が商品のモラルを巡るリスクからこのゲームを回避させる最大のポイントだったのかもしれません。

  しばらく前にプレイステーション3用の銃撃戦ゲームを巡って、マンチェスター大聖堂をゲーム内での舞台に使われた教会側が販売元のソニーに猛抗議したという報道がありました。いかにリアリスティックでも架空の世界という大前提があるゲームと現実社会におけるモラルとの軋轢を考える好事例となりましたが、これ、‘大航海時代online’にとって実はまったくの対岸の火事とは言えないんですよね。このゲームで初めてイスラムの港を訪れたおり、女性キャラがそのままモスクの内陣に入れてしまったことにはわたしもかなりの違和感を覚えたものですが、ゲーム化するためにデフォルメもしくは簡略化される細部が、異なる文化的背景をもつひとにとっては侮辱にも映りうるということは、この種のゲームにとっては宿命的に付きまとう難しいハードルなのかもしれません。
  当の銃撃戦ゲームを巡ってはブレア首相が国会の答弁で軽く触れたり、教会側がソニーにお布施を要求しだしたりとちょっと面白い展開を見せたようです。相手の弱点を突いて献金を要求するなんて、どこかのヤクザか商会長みたいという気もしますけど。(笑)

▼画像とおまけ
  画像はフランスの画家ギュスターヴ・ブーランジェの≪奴隷市場≫[1888]
  光栄の‘大航海時代シリーズ’では過去にも交易品としての奴隷が扱われたケースはなかったのかというと、どうやらそうでもないようです。以前にも紹介したハミルカル・バルカさんのブログでその事実を教えていただいたので、記事URLを以下に。リンク先コメント欄をご参照あれ。

  DOLルーツ探究 その1: http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-465.html
  
なんとなく今回のような感じで、更新100回到達記念に新しい記事シリーズを始めてみるかもしれません。次回の予定テーマは、‘アヘン’または‘戦争’。記事カテゴリーの名前もまだ決めてないんですけどね。(笑)

ラフロータ杯 in Notos 予記
  久々の更新。すこし別のことをしてました。今回は半月後に予定されている“ラフロ―タ杯 in Notos”の優勝予想です。

  予想は現時点でのものです。本戦直前に再度トーナメント予想をやるかも。大会詳細は下記公式HPにて。

  ラフロータカップ in N鯖
    http://wwwkokowww.blog71.fc2.com/blog-entry-38.html

  現在エントリーのある24艦隊のうち、自艦隊を除く23艦隊について予想します。艦隊メンバー等は上記公式記事コメント欄参照のこと。優勝候補艦隊については旗艦になりそうなかたをトップに表記しています。
  表記順で右またはうしろになるほど強力な艦隊と目しています。では参ります。

【大穴】
 LCC学園/キミミ団/カッチンコッチン艦隊/ソロン・ジー/サティの木の下艦隊/蒼龍艦隊

【有望】
 MGM艦隊/EndlessVoyage/メタボ艦隊/ELPE艦隊/頭文字D/東方不敗/ELBE艦隊

【対抗】
 とりまる2900: 残り2週間での復帰組ナカジマさんの錬成次第
 名前が決まりませんでした艦隊: SMBっぽい陣容。中心人物の不在に発奮できるか
 青帆艦隊:  守備に抜群の安定感、攻撃力に難
 Schwarz艦隊: レオ・マリーさんが旗艦を務めるならあとは艦隊錬度が問題
 A.F.O.K:  Falcoさんの復調が最前提

【優勝候補】
 巣鴨艦隊 [yupac/レオーノ/タコライス/蒼きハルベルト/Zinovy]
    固定艦隊としての錬度は現状ノトス随一
    ゆえに長所/短所を知られすぎている面も

 特攻野郎A艦隊 [バターサンド/トキトゥ/アーサー・ウィンザー/ベレス/餅]
    餅さんはあまり見ないけれど初対面でも連携行動可能、他サーバメイン軍人かも
    マークを外す艦隊が多そうなだけに、波に乗ると非常に怖い

 Sea Anemone [としラ/LS/すつぬふ/鹿角/はーちー]
    メンバー変更を前提とした出場コメントが不気味
    としラさん旗艦でKASさんが混ざると総合力で一段抜ける艦隊

 あばちょと奇妙な実 [abbacchio/ガルノルト/マッピィ/マルクゴンサレス/ミスティーク]
    マッピィさんがどんどん復調しているため、穴がない
    goodbyeの属す艦隊とはお互い知りすぎているだけに、最も厄介な存在かも

 ELVE艦隊 [WhitePain☆ミ/ニル=ヴァーナ/miyan/テナー/モンキー・D・アバレン]
    個別の戦闘力、構成バランス、艦隊の錬度いずれも上々
    敢えていえば超絶インファイターの不在がどう出るか

  以上、あくまでgoodbye個人の予想です。この数ヶ月のあいだに戦ったことがないかたについては、無根拠に戦力を低く見積もっています。ので、よく知りもせず勝手な予想しやがってという向きもあるかもですがあしからずm(_ _)m
  数ヶ月に一度くらいこういうユーザーイベントがあるといいですね。ノトスの場合、参加申込みの締切り日と開催日のあいだがもう少し短いと、応募艦隊が格段に増えそうな気はします。過去の大会には必ず出ていたような商会艦隊の参加が思ったより少ないですね。

▽おまけ
  画像はヘッダー用。おまけは過去に参加した大会の記事URLなど。

   能登チャンピオンカップ [2007/3/4] :
     http://diarynote.jp/d/75061/20070307.html

   能登チャンピオンカーニバル [2006/10/14] :
     http://diarynote.jp/d/75061/20061020.html

  なんかいろいろ書いてますね。大会公式HPのリンクもあり。

百代舟記

2007年10月31日 常在戦場
百代舟記
  ちょうど100回目の記事更新となりました。長かった、のかな。今回はせっかくなので気合いを入れるか、それともいつも通りに海事メインの記事にして素っ気なく通過するかでしばし迷い、あとのほうを選ぶことに。
  このブログの場合、傾向としては短い記事ほど時間がかかってたりします。従って今回はいつも通りに、長めです。(笑)

▼白夜
  とりあえずこのあいだ、嘘書いちゃったの発覚です。『世界独航記ノ肆』と題した先月の記事[9月2日]の末尾に、

  「 太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子 」

と書いています。これ、事実ではありませんでした。お詫びして訂正します。というのもゲーム内で体験してしまったんですね、白夜を。空が夕焼けに染まり、太陽が水平線の下に沈みかけると、どっこいそこで持ち直してそのまま朝焼けになってしまう光景が、特定の海域の特定の季節に限って見ることができます。

  夏場に北極圏を通るNYやEU行きの飛行機に乗ると水平線(雲平線?)スレスレで転がる太陽の姿を見ることができますが、まさにそんな感じでした。いやはや手が込んでいるというか、こんな気づきにくいところでしっかり天体の動きを再現しているなんて、ちょっと感動ものでした。ここらへんでユーザーを喜ばせる工夫ができるのって、なかなかのものだと思います。職人気質の肌理というか。
  半放物線を描いて持ち直す太陽の姿は南中線と水平線の交点で見られるので、目下開催中の公式イベント‘世界周航レース’や操舵スキル上げの海盆巡りなどで南極圏へ近づく折にはぜひご観覧あれ。ただし一部で有名なウシュアイア前で浮かぶやり方では、港のあるフエゴ島が邪魔してたぶん見えないのでご注意を。極私的にこのことに気づいたときは、ゲーム内のヴェネツィアを初訪したときに近いような種の‘このゲームをやってて良かった感’を味わえた一瞬でした。

▼カロネード砲使用感覚の変移
  戦列艦/ラ・ロワイヤルに比べ耐久・装甲値がそれぞれに上回る装甲戦列艦/重ガレアスの登場により、無制限下での艦隊戦の様相が変わりました。特に名匠カロネード砲によるクリティカル砲撃では一発撃沈に至らないケースが増えたことに影響を受け、戦い方に変更を迫られているプレイヤーは結構いるのではと推測します。もっともこの相違がどの目にも明瞭な結果へと直結するのは数戦に1度程度でしょうから、この変化を大きいと見るか小さいと見るかは人それぞれだとは思います。

  わたしにとっては結構大きな事態でして(笑)、まず大きかったのは敵味方ともに艦隊戦熟練者のみで固められた戦闘の場合、自分が装甲戦列艦に乗ったほうが良さそうだという判断に至ったこと。わたしの場合かなり早い段階から標準を決めてあれこれ動くのが好きなため、必然的に近接の敵船ではなく相手の虚を突く形でその一隻向こうの敵船を落とすケースが多くなります。しかし装甲戦列艦や重ガレアス相手に中距離以遠からのクリティカル撃沈が狙えるのは、被弾や機雷により敵船の最大耐久値が磨耗している戦闘後半に限られます。こちらがノーマルの戦列艦に乗っていると、あくまで比較の問題ですが装甲値の差に起因して他より最大耐久値の低下速度が早まることから戦闘終盤までの生存自体が危うくなってくるんですね。そこで機動性を犠牲にしても装甲戦列艦を選ぶ意味が増すことに。
  毎週土曜にセビリアで開催されるイスパニア模擬を例にあげると、この夏までの半年ほどgoodbyeは与撃沈率で上位3位までにほぼ常座する状態でした。それが装甲戦列艦実装後はぱったりと落ち込みました。他の上位者に比べ元から高めな被撃沈率もさらに高く。このところ定例模擬を休みがちだったこともあるので、しばらくはカロネード砲&装甲戦列艦主体の戦い方を探ってみたいと思います。といいつつ気分や状況次第で適宜キャノン砲に切り換えたりはしてるんですけどね。

  ちなみにこの変化には新装備マレシャルキュライスの登場も影響していそうです。この操舵・回避ブースト付き高防御力装備の登場で、最大値である回避R20にするための選択肢が一気に増えました。操舵本の相場が若干上がっているように感じるのもそのためかも。

▼バトルキャンペーン2nd
  大きく仕様修正のあった今月のバトルキャンペーン、先月の初回に比べ全体的にかなり改善されました。高価なアイテムである名工の大工道具を使用する習慣のあるプレイヤーとないプレイヤーが一緒に遊びやすくなったのは特に嬉しいですね。このため商会メンバーやフレつながり等でパスワードをかけた部屋を作って遊ぶのにも、以前よりずっと適した仕様になりました。予想外に、野良募集に加わるのとはまるで異なる面白味がありました。
  また初回は浅瀬、今回はマップ中央にそびえる一つ島が会戦エリアの特徴でしたね。本来の海域マップと異なり新出の地形をどんどん試せる空間ですし、今後もより戦略性の広がるような魅力的な会戦エリアが登場することを期待しています。
  ただ港の影響度変動のシステムについては違和感が残ります。固定化されがちな影響度に広く浅い揺らぎをもたらすという意図を理解はできますが、ノトスサーバの場合は初回今回ともにいくら勝利しても全ての港影響度が-5%[全敗時と同じ]になることが最初から確定した国が出ていました。このことに興醒めするひとがいるとすれば残念です。

▼大海戦における英国の凋落から見えるもの
  先週の大海戦、ノトスサーバでは初めてイングランドの属すサイドが全日全クラスで敗北を喫しました。参戦する大海戦では必ず優勢を誇っていた時代に陰りが出始めたのは前々からのことですが、今回の落ち込みかたは殊に異様にも映ります。この結果にはサーバ内の情勢における長期的な流れに加え、今回に限った個別的な要因も加味されていたように思います。

  後者の要因のうち、私見で大きいと感じるのは2点です。1点目は、前回の候補港投票時に締め切り直前になって唐突に参戦の期待が裏切られたことで[10月12日記事に詳細]、大海戦から最終的に気が離れてしまったプレイヤーが少なからずいるのではないかということ。2点目は、戦功システムの問題。実はイングランドには、冒険や交易レヴェルも高い古株の軍人プレイヤーが今でも一番多いように思うんですね。しかし合計レヴェルを低く抑えているプレイヤーに比べ戦功獲得の面で非常に不利な現状が、参戦へのインセンティヴをより押し下げているのではないかということ。
  もちろんあるイベントへの参加可否を特定の要因に結びつけることは、とりわけ不特定多数のプレイヤーを対象に考える場合はほとんど無意味な試みです。しかしすでに爵位が名声キャップにかかって久しいだろうそうしたプレイヤーにとって、これらが改善されずにあることは心理的に大きなマイナス要因として働きうることも確かなように思えます。強い時代のイングランドと戦うのが個人的に一番面白かったという感触があるので、相手が弱体化している原因の一端にシステム的な問題があるとすれば、これはとてももったいない話に感じるんですよね。憶測かもしれませんが。
  
▼100回にあたっての雑感など
  2006年1月末に書き始めたので、おおよそ週に1度記事を更新してきたことになります。何だか微妙なペースですね。(笑) せっかくなのでページビュー関連で以下少し。

  現在カウンターは約158000となってますから、1つの記事で平均1600ほどのページビュー(のべ閲覧数)があったことになります。といっても誰にも知らせずに書き始めたので、初回記事は20しかカウンターが回らなかったのも覚えてたり。昨年2月の6回目の記事でsuikenさんによる「2000ゲット!ズサー(顔文字略)」、今年6月の記事でShizukaさんによる「10万と3ゲトズサー」のコメントがありましたから、かなり尻上がり的に増えていることになりますね。
  とはいえ日本語圏におけるゲーム本体のおおよそのプレイ人口から察するに、この数字は恐らくもう頭打ちに近い気もします。ただ最近はけっこう学術行政機関や海外からのアクセスが目立つようになっているんですね。このブログサイトには中途半端にアクセス解析の機能があって、他サイトのリンクから飛んできたものについてのみある程度アクセス元がわかるのですが、珍しいものだと国土交通省や東京海洋大学のサーバからのアクセスを見つけたり。きのうのデータを見たら、イギリスの学術機関らしきところ[〜.ac.uk]から来ているかたも。けっこう真面目な要件で調べても引っかかっちゃうのかもしれません。(焦)

  しばらく前に教祖ブログ(‘大航海時代online’の大御所的プレイヤーブログ)で1000回達成の記事があって、そういえばと数えて100回が近いことに気づいたのですが、実にひとケタ違いというのは何というか凄いです。ページビューもひとケタ違い。つまり一記事あたりの閲覧数には意外に差がないことになりますから、このあたりにも‘大航海時代online’のプレイヤー像の一端が顔をのぞかせているように思えます。
  冒頭画像はヘッダー用。今回は長くなったので恒例のおまけは省き、代わりに教祖ブログのURLを念のため。
  
  教祖ブログ in Notos : http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/

一見さんを除いて、当ブログを訪れるかたで教祖ブログを知らないケースがどれだけあるかは疑問ですが、一応ご紹介まで。同商会で時々行動を共にするので、記事内容がリンクすることもたまにあります。エジプト編に続くリアル大航海記事も期待。まあこの継続力と人気はほんとさすがですよね。褒めると調子に乗るので直には死んでも言いませんが、大したものだとは思います。思ってます。だから商会員をもっと可愛がってねとも思います。しかしちょっと長かった!

Job Description 11: 上級士官 【ホーンブロワー 海の勇者】
 “マスター・アンド・コマンダー”から始めた当記事シリーズも、気づけば10編を超えました。そこで今回は原点回帰という意味も込め“ホーンブロワー 海の勇者”をとり上げます。この作品はC.S.フォレスターの帆船小説を映像化したもので、フランスと鋭く対立する当時の英国海軍下でのちの名艦長としての頭角を露わにしていく主人公を描いています。

  17歳で士官候補生として任官した主人公ホレーショ・ホーンブロワーは、当時の英国海軍が組織として抱えていた矛盾やフランス・スペインとの激しい抗争のなかで揉まれ、時に命を賭けた強行手段や敵軍の渦中でのロマンスなどを演じつつ一人の軍人としてたくましく成長していき、やがては海尉を経て一隻の軍船を任される艦長へと出世を遂げます。
  この作品の何よりの特徴は、映画よりも長尺のテレビドラマとして制作されたために、過去に当記事シリーズで紹介してきたどの作品よりも登場人物一人一人の造形が細やかに描かれていることです。主人公と切磋琢磨する同期の士官候補生たちや、彼らを見守りのちのちは共に闘っていく上官たち、まだ右も左も分からないような主人公を支え成長後は忠実な部下となっていく古参の老水夫や熟練水兵、激しく斬り結ぶ敵国の軍人すらも深い魅力を湛えたキャラクターとして活躍しています。

  文学作品が映像化されると、得てして原作を追いかけるだけのストーリーがだらだらと展開しがちですが、そこがこの作品は大きく違っていて脚本・演出・登場人物等々に独自の要素が多分に組み込まれ、見終えたあとになって初めて気づくような巧妙な伏線も無数に配されています。この点は“ホーンブロワー 海の勇者”のもう一つの特徴と言えるもので、このために一見ありがちな歴史物ドラマのような外観をもちながら、一度見始めるとやみつきになるような魅力がにじみ出てくるんですね。
  本編は3部構成、全8エピソード。登場人物や時代背景等の連関は保ちつつも、100分の尺をもつ各エピソードはそれぞれに一応独立しています。登場する主要船舶のいくつかは模型やCGに頼らず実物の帆船が再現されており、カリブの要塞や牢獄、軍港ポーツマスやブレストのセットなどもテレビドラマとしてはちょっと信じられないほどに手の込んだものが登場します。英米で制作されるドラマには時々奇跡のような珠玉の水準をいくものが登場しますが、この作品も紛れもなくその類に入っています。第4部以降のシリーズ続行は制作会社によって否定されているようですが、残念だけれどそれもそのはず。これだけのクオリティを発揮できるのは制作会社、業界、ひいてはその国の社会経済が良い状態に保たれている時期だけだろうとも思います。

  少し個人的な好みを言うと、主人公が駆け出しの頃から何かと世話を焼き、やがて若き艦長へと出世を遂げた主人公と絶対の信頼関係を結ぶことになる老掌帆長のマシューズと、出会ったときには上官でありながら主人公の類稀な才覚に早くから気づき、第3部では有能な副長として他に代え難い存在になっていくウィリアム・ブッシュの2人はもう大ファンになってしまいました。(笑) また海軍提督として全シリーズを通して主人公を見守り鍛え上げていくサー・エドワード・ペリューの出てくる場面も、組織の幹部としての威厳と息子に対するようなまなざしの醸すコミカルさが絶妙に混ざり合って毎回味わいのあるものになっています。提督を演じる役者ロバート・リンゼイの演技力にはたびたび目を見張らされました。
  ちなみにこのペリュー提督は彼の指揮するフリゲート艦HMSインディファティガブルとともに史実上の存在で、他にも実在した人物・艦船が時折登場することも本篇に彩りを与えています。主人公はもちろん架空の人物ですがファーストネームの‘ホレーショ’が英国海軍きっての英雄ホレイショ・ネルソンに由来することは疑いようのないところですね。ネルソンは作戦立案の段階からすでに当時の海軍における慣習を逸脱しているところがありましたから、実際の会戦域における鬼謀ぶりともども小説のモデルとするのにうってつけの存在とも言えるのかもしれません。
  また“大航海時代Online”の特に海事メインのプレイヤーにとって本作品は、“マスター・アンド・コマンダー”や“パイレーツ・オブ・カリビアン”などに比べても見どころの多い作品になっていると思います。とりわけ冒頭からフランスの偽装商船を拿捕してしまう第3部などは、船首砲による敵船の減速、速度差を読み込んだ敵船メインマストの破砕、目視できない艦隊との浅瀬での神経戦などなど、戦闘そのものの再現にも強い力点が置かれており垂涎ものです。

  日本ではNHK-BSが過去に幾度か放映したほか、CS系列のテレビ局などでも時折放送されているようです。国内版DVDも出ています。かくいうこの10月にもミステリーチャンネルというCS局で全作品が順次放映中だったり。12月にも放送予定あり。[関連URL↓]
   http://www.mystery.co.jp/program/hornblower.html
  また国内の某人気動画サイトでも現在全シリーズを鑑賞可能です。とはいえこちらは著作権の問題上いつ削除されても不思議はないし画質も悪くお勧めはしませんけれど。(笑)
  最後によくできた日本語版ファンサイトもご紹介。コンテンツが豊富です。
   http://www.interq.or.jp/venus/blanca/blue/hornblower/
  ともあれドラマ作品本体は歴史物ということもあって5年や10年で古色を帯びる質のものではないため、今後も長くいろいろな場所で放映される機会がありそうです。一見の価値はあり。秋の夜長にお薦めします。

"Hornblower" by Andrew Grieve / Ioan Gruffudd, Robert Lindsay, Paul McGann, Paul Copley, Sean Gilder / C.S.Forester [book author] / 100min x 8 episodes / UK / 1998-2003

アラブ炮霖

2007年10月12日 海の庭
アラブ炮霖
  第28回大海戦@ソコトラ、いつもながらのおそおそレポートです。

   初日   : 37勝 11敗 4分け  勝利ポイント 64  戦功  86
   中日   : 54勝 11敗 5分け  勝利ポイント 78  戦功 105
   千秋楽 : 43勝  9敗 8分け  勝利ポイント 72  戦功  84

  今回は最初の項目が長くなります。大海戦系の記事一覧は下記URLまで。
   [http://diarynote.jp/d/75061/20060824.html]

▼海戦総覧:
  紅海の出口に浮かぶ要衝ソコトラが標的港となった今回の大海戦、会戦海域はアラビア海及びペルシャ湾、連盟構成はイスパニア+ヴェネツィアvsポルトガル+ネーデルランドとなりました。総合結果はなんと3009:3009で完全な引き分けに。
  同じ連盟構成だった前回の大海戦と同様に小型クラスではポルトガル側が圧倒的な戦功を挙げ、参加者数に優るイスパニア側が大型クラスで何とか持ち直す形勢が続きました。前回結果も3797:3765と僅差だったように、NPC発生率の増減等システム的なバランシングが少し効きすぎている気がしますね。そのため以前に比べると攻防の要所や戦局のメリハリがまるで感じられずのっぺりとした印象が濃くなり、確実にイベントの魅力が減っているように思います。このことは今回他の国内3鯖がいずれも“辛勝”判定となったことにも表れていますが、たとえば過去には2005年7月のアテネ(2006年8月24日記事後半)や2005年12月のカリカット(2006年5月18日記事後半)を巡る大海戦など少数側が徹底した戦略共有により圧倒的多数の側に戦局の支配を許さなかった事例もありました。こうした参加プレイヤーの記憶に長く残るような海戦を望みがたい方向へと仕様変更が重ねられていくのはやはり残念です。

  それに加え今回は標的港選定の投票締め切り40分前に83%の得票があったベルゲンの同盟旗が変えられ、得票率わずか8%のソコトラが繰り上げ決定となる波乱がありました。ベルゲンの旗は締め切り10分後には元に戻りましたが、このことが参加意欲に響いたプレイヤーはわたしの周りにも本当に多くいました。“こういうことがありうる”というのと、“実際に誰かが起こした”というのとではプレイヤーのこのイベントに対する今後の気の持ちようはかなり変わってくるはずです。個人的には投票期間の3日半の間だけ候補港5ヶ所の投資をペンディングするコストは払われて当然のように思えるのですが、局所的には非常に丁寧な作り込みも為されているのに、逆に別の箇所ではこうして無意味にプレイする気力を削ぐような粗さが放置されているのはとても不可解で、常々このゲームの勿体なく感じるところです。

▼艦隊総括:
  イスパニア模擬戦同好会からは2ペア艦隊が参戦しました。結果、同好会艦隊としては過去最低の成績に終わったと言っても良いように思います。元々上記の出来事や遠隔地での開催により参戦者のべ数が減り、しかも会戦海域がアラビア半島を囲んでやたらに長い今回は多数側に属す自艦隊の苦戦を予想できてはいたものの、それをはるかに上回る不振ぶりでした。
  不振の原因は様々に思いつきますが、一つ大きな要因としては“勝ちへのこだわり”が薄れてしまったことがあるように感じました。以前にはあったような艦隊内でのムードの盛り上がりや結束感がなく、その帰結として個別の技量以前の問題として戦闘中の意識共有に欠け、ただ模擬戦のように動いているだけといった場面が多くなりました。狙いが明確に共有できない限りはふだんの模擬戦と同じように動くのが最も妥当となるのも自然な話ですが、戦闘の形式が異なるのですからそれが一番良い戦いかたではないこともまた明らかです。ぶっちゃけていえばそれなら大海戦など出ずに模擬戦をしていたほうがいい。

  昨年春から今年春にかけての実に1年間、わたしの所属した同好会艦隊は参戦した大海戦で少なくともうち1日は必ずMVPを出す状態が続いたのですが、その頃には“ここは勝ちを急ぐ場面”、“今は誰と誰が敵提督を左右から追い詰めていく場面”といったような意識共有を無言のうちにできている実感があったんですね。当時はのべ12-3人による“ほぼ固定”艦隊だったので、20人で旗艦及び艦隊メンバーの組み合わせを毎日替えた今回とは異なる要素も多いのですが、だとすればメンバーを固定することで生まれる持ち味を10人ではなく20人でどう共有していくかがあとに残った課題と言えそうです。毎日陣容を著しく変えるというのも良い方向には働かなかったのかも。
  逆に現在のポルトガルは勢いに乗る軍人グループが複数並立し互いに凌ぎを削る活況を呈しており、戦っていても統率のとれた動きをしてくる艦隊がいくつもあって趨勢の変化を感じざるをえませんでした。イングランド模擬っこ艦隊に幾度挑んでも勝てなかった昔に一度立ち帰るべき時期かもしれません。

▼個人戦績:
   初日   : 与撃沈/拿捕 18  決定打  6  被撃沈 8  与クリ 22  被クリ 12
   中日   : 与撃沈/拿捕 20  決定打  5  被撃沈 8  与クリ 33  被クリ  7 
   千秋楽  : 与撃沈/拿捕  9  決定打  3  被撃沈 7  与クリ 21  被クリ 11

  3日間トータルでみると、個人的にも過去1年余りの戦績中最も多く沈み、最も少なくしか沈められなかった大海戦となりました。新船を採用したり、鉄板の不使用や長距離牽引用にメインフルリグドセイルを装備するなど新たな試みをしたこともありますが、それにしても絶不調だった感は否めません。好調時には自分では敵提督しか狙っていなくても、それ以外の敵船が向こうから次々に砲撃チャンスを与えてくれるかのような良い流れが生まれるものですが、今回はそういう確変モードのような状況もほとんどやって来ませんでした。これまでも少し艤装を変えると舵切りや砲撃の微細なズレを修正するのに思いのほか手間取るということはありましたが、他にこれと特定できる原因を明確に思いつけないあたり、ちょっぴりシリアスかもしれません。(焦)

▼画像とおまけ:
  画像上半は大海戦の翌週に商会ツアーで訪れた南米西岸にて。以下おまけ。

  海戦ゲーム: http://search.teach-nology.com/web_tools/games/battle_ship/

古典的海戦ゲームのWeb版です。敵艦隊の配置を予測して砲撃していくものです。“COMPUTER’S FLEET”のマスをクリックすると着弾位置を指定できます。子供の頃、小学生向けの雑誌付録か何かでやって、目に見えない相手を推理していく感じが面白かったのを覚えています。ああなつかしの。

苟且孟秋
 
  しばらく間が空きました。

  画像は南太平洋に浮かぶ孤島ラパ・ニュイにて。
  今回は拡張版“Cruz del Sur”をひと月遊んでの感想など。

▼新海域
  ついに念願のガラパゴスへ、なんていう一途な期待は去年に続き颯爽と裏切られました。(笑) でも今回、船から目視はできないものの測量地図ではガラパゴス諸島、きちんと確認できるんですよね。あとちょっとです。ってこれがまたきっと長いのでしょうけどw
  そのほか新たな海域については先月5回に分けて書いた「世界独航記」記事群にいろいろ述べたので、ここでは割愛。

▼プライヴェート・ファーム
  鉱山を一巡したので牧場でいろいろ飼い始めているところです。でもこれ交易品水準でみるなら、各国本拠地で手に入る交易品種を思い思いに増やせるってことなんですよね。そのことでゲーム内の物流模様がどう影響を受けるのか、少し興味深くもあります。生産のための近場での往来の手間を軽減し、代わりに外洋へ出るインセンティヴを上げようという開発サイドの意図が窺えますね。とりあえず、セビリアの商館に出していた鉄材のはけは悪くなりました。(笑)
  あとわが島でシカの放牧が始まってしまったのですが、用途がまったく思いつきません。それから上陸時の島のグラフィックがどうしても米ドラマ“LOST”をイメージしてしまい、島内部へ探検に踏み入りたくて仕方ないです。せっかくだから鹿狩りとかいいなぁ。茶々ですが。

▼バトル・キャンペーン
  実を言うと、以前からある模擬戦システムがそうであるように、一部の軍人プレーヤー以外は商会対抗イベントのような機会でもなければ寄り付かない選択肢になるなと目していました。実装当初はみなの注意が引かれるため是々非々の意見も盛んに飛び交いましたが、少なくともノトスサーバの現状では週末の夜でもない限り野良の募集部屋が並び立つような盛況を望むものでは元々ないだろうなというのが私見です。その範囲でいえば、じゅうぶんに楽しめるシステムといえそうです。

  したがって、船体最大耐久の回復や開戦許可等の問題が次回以降修正される旨の告知が先日ありましたが、必ずしもゲーム内で耳にするように‘ユーザーからの修正要望を受けて急遽修正されることになった’わけではないだろうと思ってます。初回はある程度そうした反応も読み込んだうえでの試験実装の意味合いも濃かったはずです。これは他の次回アップデートの修正内容にも言えることですが、告知のタイミングが拡張版第1章の実装からちょうど1ヶ月目に当たることからも、継続課金への誘い水という観点でそう思えます。一昨年のブーメラン廃止時のように最初からストリクトな設定をしてしまいあとから変更を加えてゆくよりも、プレイヤーを疲れさせず次に期待させることが可能なぶんこちらのほうがいいですよね。
  毎月一週間は世界中のどこからでも作戦本部の行商人や料理人へアクセスできてしまうのは、たとえばインド方面ではまったく手桶が手に入らなかった昔を思えば隔世の感ありですね。邪道ですけど。
  
▼新船
  今回登場した新船や既存船の新たなオプションスキルなどに限らず、なんだかんだいって船体性能を巡る諸設定のバランスはよく考え抜かれているなぁと思います。このゲームの骨格にあたる部分だけに、きっと力の抜きようもないところなんでしょうね。
  極私的に目玉だったのは多くの海事プレイヤーのご他聞にもれず装甲戦列艦の実装だったわけですが、なかなかどうして絶妙なラインを行っていると思います。goodbye個人の現状では被撃沈が減るぶん与撃沈も減るという感じで、旗艦以外のときは基本的に従来の戦列艦に分を感じていますが、選択肢が増えたのは素直に歓迎できることですね。重ガレアスや大型フリゲート★3の実装も予想外に海戦模様を変えたように感じました。三層甲板ガレオンもぜひ検分してみたいところです。

▼航海者養成学校
  スクールチャットを巡って幾度か仕様説明や変更の告知がありましたが、わたしがそれ以上に引っかかったのは、新しいキャラクターをつくると問答無用に学校内へと飛ばされてしまうことだったりします。学校の実装によって最初にすべきことが明確に与えられるようになったぶん、そのようにして提示されるクエストを延々繰り返していくことがこのゲームの本質だと早々に見切ってしまうプレーヤーや、卒業した途端やる気がなくなってしまうプレーヤーが続出するリスクもあるんじゃないかと。2ndキャラが入校している折、実際そういう発言を幾度か目にしました。
  ですから学校の存在も教えておいて、あとは何をしても自由だとギルドの外にほっぽり出してしまう従来のスタイルを踏襲しても良かったんじゃないかなぁと思うんですよね。ゴールを与えられるのではなく、プレイする目的は自分でつくる。どちらかといえばそういうゲームなんじゃないでしょうか、‘大航海時代Online’って。

▼インターフェイスその他
  少し話がそれますが、腕に軽い障害のあるひとにとって、このゲームのクリックアイコンって小さいうえに隣のアイコンが真近にあるため非常にプレイしづらいのだ、というような指摘をどなたかのブログで読んで、ああきっとそうなんだよなぁと思ったことがあります。わたしの場合も旧PCなどマウスの状態がやや悪く、連続する操作のなかで「決定」のつもりで「戻る」をクリックしてしまい選択窓を消してしまうことなどしょっちゅうですから、これはひとによってはつらいだろうなと。
  個人的にゲームバランス上の不均衡や不備などは運営に要望を出して改善を欲するという方向性よりもユーザー間の交渉によりそれに合ったルールが形成されていけばいいという態度に親近感を覚えるほうなので、むしろこうしたより生理的な面でユーザーの意見が注視されるようになったらいいなと思っています。インターフェイスの問題って快不快に直結するので、不便を感じないひとでも無意識のレヴェルでプレイ動機に作用しているはずですし。

  で、今回の画像。商会イベントではるばる行って参りました。というかあまりに遠かったのでツアー参加メンバー全員がきのうそこでいったん落ちているところなんですけどね。(笑) このモアイが並んでいる入り江の隣にはなだらかな砂浜が長く横たわっているのだけれど、温かみのある夕日の色合いと自分たちのほかには誰もいない寂獏とした感じが相俟ってとても良い風情がありました。
  南米西岸の豪勢な滝と迫力満点の吊り橋などもそうですが、こうした手の込んだ陸地グラフィックは今回の拡張版におけるサプライズの一つだったように思います。本来遺跡と宝箱ばかりが冒険の対象ではないはずですから、こうした側面の強化は今後もぜひ期待したいところです。沈没船についてはまだ引き揚げたことがないのでまた後日。以下おまけ。

  ヒストリーチャンネル: http://www.historychannel.co.jp/index.html

  歴史系コンテンツの専門チャンネルです。昨晩はカリブの海賊の2時間特番が面白かったのですが、ともかく24時間歴史系の番組だけっていうのが凄いです。世界の好戦的な民族だけを集めたり、十字軍の蛮行をイスラム視点で描いたりとか。わたしは地元のケーブルテレビで観てますが、スカパーなどいろいろ観る手段はあるようです。動画サイトも込みで、映像作品の享受だけをとればほんといい時代になってますよね。

a life to say goodbye
【世界独航記ノ完】
  見かたを変えれば世界は変わる。月へ到達した船員による青い地球の写真が人の思考に与えた影響はなお図りがたいが、大航海時代の探検船がもたらす現実もまた時に精神の基盤さえ揺るがしたことだろう。この限りでは光も闇の不在に過ぎず、自意識など他者の鏡像でしかない。

■存在としてのインディアス
  中部インド洋上に浮かぶ小島へと上陸。島の様子を確認したのち自領と定め、鉱山開発に初手をつける。補給作業等を行って再び海へ。航海日数の記録によればこの島で30日を費やしたことになる。西進継続、マダガスカル島の北端を通過、モザンビーク港を経て喜望峰へ。インド洋の通過に思いのほか月日をとられた。

  ‘トルコ’や‘モンゴル’の語のもつ地理的なイメージの広がりが現代国家としての両国に限定されないように、大航海時代における‘インド’‘インディアス’(India,Indias: sの有無は使用言語と文脈による)の語のもつ広がりもまた現在のインド亜大陸のみを意味しない。だからコロンブスがアメリカ大陸をゴアやカリカットのある陸影と見誤って‘インディアス’と名指したという話は間違いではないが正確でもなく、この時代の先駆けにあって‘インディアス’とは異世界のほとんどすべて、より直截に言っても‘喜望峰より向こうの世界’というほどに茫漠とした範囲を指していた。
  従ってコロンブスによる‘発見’以降アメリカ大陸とカリブ地域が「西にある異世界」すなわち‘西インド’とされたのは必ずしも彼の見誤りを語義的に受け継いでのことではなく、同様に列強各国の東インド会社が日本や中国沿岸域を活動圏に置いたのもこの一帯が「東の異世界」に含まれる以上まったく自然なことだった。このことは東アジアがいまも‘極東’と称される由縁にも重なるが、ではそのような意味での‘インディアス’の語が究極的に志向しまた象徴的な基盤としたのは何かといえば、‘目に見えない絶対的な他者’の存在ではなかったかと、わたしには思えてならない。

■神なき世界のセイレーン
  一隻の船が他には何ひとつ見えない海原を進むとき、天災や飢餓や身体的な病と並び孤立感もまた航行上の大きな脅威であった。セイレーンの歌声に導かれて水夫は時に海中へと没したが、もとより自分が何者であるかという確信に揺らぎが生じれば、人は精神的な危機に抗う術をたやすく失ってしまうだろう。
  “私がいまここにある”という確信はどこまでも主観的なものだが、もし客観的な証明を志すならその論拠は自らの外部に求められることになる。だがルネサンスの進展が宗教論争とつねに連動したように、客観性を証す手段としての科学の発展が自己存立の基盤としての神の不在を囁く声の広がりと軌を一にする以上、己がより不確定となるその際に己の外部へ確定的な何かを逐次見出してゆけるはずもなく、唯一確実な論拠としうるのは結局不可視のものに限られるという矛盾に嵌る。自らの外部とは究極的には己の力では全く動かしえぬ存在を指すが、もしそれにより自らが完全に規定されうるならば“私”という存在もまた私自身の力では動かしえないものとなってしまう。そこでは“主体としての私”は一切失われることになる。かつてはそこに、神がいた。

  逆をたどる。“私”という主体が絶対的にまずここに“ある”とする。何が起きるか。彼/彼女は自身を変えることで自らを規定してきた外部との関係性それ自体に変化をもたらせうることになる。そして関係性の網目こそが事物を輪郭づける以上、このことは“私”による“私”を規定してきた外部の不変をも変容させうる力の所持を意味するから絶対普遍の神の摂理はここでいったん否定されてしまうのだが、神の不在を確信しきれない“私”はその時、己に関して“神を冒涜する存在”と“自らの内に神を宿す存在”という2つのイメージを両義的にもつことになる。
  つまり主観的には確信し、客観的には自己を規定する術をもたないが規定したいと願う己が“主体としての私”を生きようとする時、“私”は“私”の内外両面に絶対普遍のはずの神または摂理の代替物を抱え、ともに一方が他方を規定する唯一の存在であるはずの両者が互いにせめぎ合い影響し対立しあうというおかしな事態に直面する羽目になる。かよわき存在としての人間はここで何を求めるか。神に代わる絶対的な何者かを希求する。“神を冒涜する存在”としての己は許しを乞うてその何者かを神に差し出すが、“自らの内に神を宿す存在”としての己はその根拠を求めて彼らを支配する。いずれにしてもそこで一方的に犠牲となるのは外部としての‘インディアス’に他ならない。

  ユネスコの定める世界遺産の存在は、欧米列強による贖罪意識の現れだという話がある。非欧米世界の植民地化および冷戦構造と消費社会の帰結として全地球規模で侵され破壊されゆく自然や文化遺産に対し、いかに無関心を装おうとその現実的な損失を知るかぎり罪過の意識はまぬがれずしかし真っ当な神経ではとても耐えきれない。そこで無自覚の補償行為として現れたのがアスワンハイダム建設計画をきっかけとする世界遺産の指定とその維持修繕を志向する現象だという指摘がそれで、このことは人道支援系NGOの活動が世界で最も盛んな国が殺戮行為の実行と支援にもまた最も積極的である事実ともじかに響き合うものがある。
  個体発生は系統発生を繰り返すというが、この意味で現代の若者の多くが行う自分さがしの旅はそのまま西欧列強が国家としてたどってきた道にダブってみえる。物価のまるで異なる国で、先進国の若者は自らの自由に気づき、その自由を形作る暴力の存在をも確認する。あるいは無自覚のうちに感覚する。そこで来た道を戻って消費社会の光のなかに身を投じるとしても誰に責められるものではないし、むしろ彼/彼女が明晰であればあるほど自らのうちなる影に怯え目を背ける大人の一人となることを選ぶだろう。なぜならそこに十全たる救済の可能性はもはやなく、絶対的な他者としての‘インディアス’もまたすでに致命的なまでに損われ、失われているのだから。

■新大陸へ
  遠巻きにして喜望峰を通過する。モザンビークからヴェルデ沖までを無寄港で航行、カーボヴェルデを中継しセビリア沖へと北上、そのまま追跡艦隊との戦闘をこなして世界周航シナリオを終える。予定外に長く、そしてまた不思議と様々な思念に駆られる旅路となった。この日誌をつけるにあたっても当初は南極や地球の自転などに触れるつもりはまるでなかったし、ましてや月面に立てた旗にまで話が及ぶとは予想だにせず、書いていて自分でもその突拍子のなさが面白かった。

  ところで人類が最初に月面への着陸を果たした年は、米国防総省の下部機関でインターネットの起源となるARPANETが開設された年でもあった。世紀変わってそのインターネットが情報革命を推進させる現下の状況とは端的に、また新たな意識の在りかたが生まれ育ってゆく過程とも言えるのだろう。誰ひとり騒ぐのを耳にしないがたとえばカーナビからgoogle earthへと連なるようなツールが見せる日々の進化は、このような自己同一面での意識革命を飛躍的に加速させているはずだと思う。石油とエンジンによる機械的な物流から、原子力と磁力による電気的な輸送への転換も恐らくこのことを後押しするだろう。眼前の事物はますます生理によっては感覚しがたい何某かへと変わってゆくのだろう。しかしそれは同時に風のそよぎや波のうねり、星のきらめきにより己の立ち位置を知りえた時代に息づいていたものたちがまた一つ、そして一つと音もなく消えていく過程でもある。

  画像はインド洋上、自領とした小島にて。結局のところ世界とは脳漿を疾り抜ける光の束でしかなく、この両の掌でつくる球体ほどのうちに生起するなにものかでしかないという‘見かた’を身振りによって表現してみた。しかしそのうちへと注ぎ入り、映り込む光の総体と起源をわたしは知らない。そして知らずにいる限りきっとこの世界は依然底深い謎に充ち、生きるに値し続けるのだろう。“私”がたどり着くことなしにはこの時代、誰の目にも触れることのない未知の土地。目指すのは彼と彼女の心のなかにある、当人さえもいまだ気づかぬ秘境である。

―1524年佳月佳日 擱筆
 
くれさらう
【世界独航記ノ肆】
  月や太陽とは異なって、‘大航海時代Online’の星空は地球の自転から無縁でいてくれるので、夜明けまである程度はじっくりと鑑賞するゆとりがある。パソコン環境の変化でグラフィック精度が上がって増えた楽しみの一つがこれで、天の河などなかなか綺麗に再現されていると思う。

  それで今回の拡張パックはタイトルからして‘Cruz del Sur(南十字星)’なくらいだし、見える星空も南半球のそれに一新されているのだろうと期待して、手元の星図片手にしばらく南十字星を探してみたけれど、通過した季節が悪かったのか海域が違ったのか、あるいは単に見逃しただけなのか、ともかく残念なことに見つけることはできなかった。ただよくよく考えてみればオセアニアで見えるそれは南米やケープ一帯でも見られるはずなのだから、なにも今回に限って勢い勇むような話じゃもともとない。というわけでやや乱暴に話を戻す。

■ソロモンとビスマルク
  タスマニア島の新港ホバートを出て一路北上、メラネシアを目指す。オセアニア大陸の東岸沖を進み、最北端のヨーク岬を離れて洋上に帆を張ること数日、最初に見えてきたのはニューギニア島東南端の陸影だった。このことからオセアニア大陸は南方へ引き離されたのみでなく、やや東寄りにずらされたことが確認できる。南大西洋やインド洋に比べて太平洋が広すぎるため、若干の調整を付す意図があったのかもしれない。ただの深読みである。
  世界周航シナリオではマゼラン海峡から先における長距離航海の困難が盛んに強調されたが何のことはない、それによりメルカトール式世界の間伸びがやんわりと隠蔽されていたことにいまさら気づく。

  ニューギニア島の南岸沿いを西端へ。しばらくすると記憶にある香料諸島の島々が前方に姿を現した。転舵して香料諸島を左目にニューギニア島北岸沖へとまわり、東へ。かつてはこの岸沿いを航行する途上いきなり行く手を阻んだ不可視の壁‘世界の果て’も今はなく、すんなりとビスマルク諸島が視野に入り込む。新港や上陸地点の不在を丹念に確認しながらさらに東航、ソロモン諸島域へと突入する。ここで視認範囲にある島々を逐一確認しようとするも、あろうことか隣接する小島同士をぶった切って突如‘世界の果て’が降臨した。運営サイドの問答無用なこういうセンス、嫌いではない。
  言わずもがなだがビスマルクの名はかの鉄血宰相、ソロモンの名は旧約聖書中の王に由来する。一番驚いているのは名が使われた本人たちだろうが、大して縁もゆかりもなく西欧における第一“発見”者ですらない両人物の名に、現地の人々はいったいどういう心象を抱くものなのか、ふと気になった。

■赤道と渦と洗面器
  しかたがないので‘世界の果て’に沿って北上を始める。ここで赤道を通過したことになる。久々に北半球へと帰ってきた。
  南方へゆく飛行機に乗ると、赤道を越えた時点で機内の手洗いを流れる渦の向きが逆転する、という話を幼少時に聞いたことがある。いま思えばこの話は大いに眉唾で、渦の方向など洗面器の構造であらかた決まるはずだし、そうでなければ地球の自転以前に設置場所や機体の揺れ傾きで容易に変わってしまうだろう。だが掌のうちに収まるようなミクロの事象が地球大のスケールで生起する現象とじかに響きあうこの類の話は昔から大好きで、というかそうした嗜好が幼い頃すでに備わっていたことをいま知った。死ぬかボケるまで付き合うことになりそうだ。

  ソロモン諸島から北進して数日、視界の両端に3つずつ島が現れた。うち右側の島々は視認できるが到達できない位置にあり、うち1つはやけに大きい。世界地図で確認してもこのあたりにはないサイズだから、そこにはのちのち港か上陸地点の実装が懸案されているのかもしれない。とすれば大航海時代にも知られ巨岩遺跡のあるポンペイ島の可能性が高いだろう。ちなみにポンペイの名は現地語に由来しローマの史跡に機縁せず。
  ここで再度西方へと転舵。東カロリン海盆から西カロリン海盆まで、3島ずつセットになった島嶼群の点在を確認。それぞれ多くの島を抱えるトラック諸島からパラオ諸島へと抜けたことになるから、そうした小島の群れをデフォルメするには3島ずつとするのが適当とされたらしい。

  このあとはマニラで史実上の提督レガスピとの会話を経て、ボルネオ島の森林で迷子になったり、香料諸島域で対人海賊の艦隊に追いかけられたり、ディリ沖で商人プレイヤーを助太刀してイベント戦闘をこなしたりと色々あって、続く周航ルートに従い西進開始。ジャカルタからスマトラ島南方沖へと抜け、次の寄港地モザンビークを目指して真西への直線航路を20日ほど進んだ頃、予定通り遥か前方にチャゴス諸島を臨む。予定外だったのは夜間にも関わらず島の1つに明かりが灯っていたことで、偶然にもプライベートファームの候補となる島を発見してしまう。さっそく‘領有’してみることに。

■島と星に旗を立てようの会
  港に関してはゲーム内で反映されてもいるが、ある土地を‘領有’あるいは‘占拠’した証として古来から最初に為される行為の一つが、そこに‘自勢力の旗を立てる’という示威活動だ。大航海時代に西欧列強はこぞって大洋の島々に自国の旗を立てて周ったし、後代には南極にもそして月面にすら人は国旗を立ててきた。南極や月面に至ってはそもそもそこが誰かの所有物とされる根拠は何かという議論もお構いなしだが実のところそのあたり、そこに原住民がいようと関知せずの大航海時代からどこも進化していない。
  予定外に繰り返し引き合いに出すこととなったが、大航海時代におけるオセアニアを語るうえで切り離しようのないクックの探検船に同乗していた植物学者ジョゼフ・バンクスが出版した日誌中にも、

  ‘当地の民はおおらかでかつ見事なまでの大地との共生を実現しているがその土地を自分のものだと主張しない。第一文字を持たない彼らにはその所有権を証明する術がない。よってわたしが発見したこの土地はわがイングランドのものである。’

といった趣旨の記述がある。一見紳士的でかつ見事なまでの論理の飛躍を実現しているが、そのトンデモぶりは現代の尺度でしか測れない種のものだ。社会の情報化が加速する今日にあっても国家の基盤が領土にある事実に変わりはないが、そうしたなかでもたとえば係争地を巡る報道には付き物の‘小舟を駆って岩礁に旗を立てる活動家たち’がほのかに醸す滑稽さなど、どこか通じるものがある。
  ちなみに南極ではその領有権を主張する国が8ヶ国に及び、旗を立てるほか赤ん坊を出生させるなど既成事実をつくるため涙ぐましい努力が今も続いているらしい。当人たちは命がけだし大真面目なのだろうが、クマや犬猫のマーキングといったいどこが違うのか。

  画像は中部インド洋上にて。太陽や月が水平線に出入りする位置は、‘大航海時代Online’の世界では緯度に関わらず固定されている様子。この世界周航も終盤に差し掛かった。
  
―1524年吉月吉日 筆
 
いくせにまどう
【世界独航記ノ參】
  実をいうと、オセアニア大陸に新港はない可能性も感じていた。地理的な拡張はいつも小出しなのが運営サイドの手法だし、世界周航へ出るより先にワンガヌイの存在を大投資戦によって告知され、そのワンガヌイで次の寄港地はマニラとされたから、余計に望み薄と思えた面も強い。

■トレス海峡雑感
  それだけにオセアニア大陸の東岸沖を北上し、北端のトレス海峡を通過してのちカカドゥの港が視認されたときなどは、まさしく“発見”の気分を味わえて楽しかった。これぞ探検的航海の醍醐味という感じだったが、と同時に‘大航海時代online’の世界では今回の拡張パックでこの大陸の位置修正が特に為されなかったことも発見(確認)し、こちらは少し微妙な気がしないでもない。

  たとえばジャカルタやスラバヤ、ディリなどのある小スンダ列島とオセアニア大陸は現実には小海を挟み隣接していて、ディリからカカドゥまでの航行距離は実のところディリから香料諸島までのそれと大差ない。ゲーム内では前者が後者の優に5倍は引き離されている。
  それどころか香料諸島の東隣を大きく占めるニューギニア島に至っては、ジェームズ・クックが18世紀に確認するまでオセアニア大陸と地続きと考えるのが常識だった。まだ南極大陸が伝説上の存在に過ぎなかった当時のヨーロッパ社会において、世界で5番目に大きな大陸と世界で2番目に大きなその島は“現実的に”一つの陸地だったのだ。当時の航海者から見ても、両者の位置はそれほどに近しいものだった。

■まったいらな世界
  ‘大航海時代Online’が描く世界と現実の世界とのこのような地理的な差異は他にも多々あるが、もっともわかりやすい違いを一つ挙げるならそれは何といっても、このゲームでは世界が“まったいら”であるということだ。
  ゲームの序盤で近海を往き来しているうちはあまり気にならないし、ひとたび慣れてしまえばどうということもないけれど、ゲームを始めて地中海や北海を出て大西洋を渡る頃にはおそらく、地理や歴史に関心のあるプレイヤーの多くがこのことに一度は違和感を覚えた経験があるはずだ。なぜならメルカトール式に2次元平面へと投影されたこのゲーム内世界の在りようは、その投影による南北端の“間伸び”を是正すべくさらなる地図のデフォルメが行われた結果として、球状に展開した現実の大航海時代における“世界”との間に局所的にはかなり壮大な食い違いを見せているからだ。

  たとえば現在の歴史では、一部のヴァイキングはヨーロッパ中世のかなり早い段階で氷床づたいに北米大陸へと渡航したことが検証され、ネイティヴ・アメリカンのDNA鑑定によってもこの説が裏付けられて久しいが、‘大航海時代Online’の世界ではスコットランド北方のシェトランド諸島からアメリカ大陸北東端への距離が開きすぎて実現性に欠けてしまう。
  また投影図のマジックによって、本来の直線航路が‘大航海時代Online’の世界では曲線航路へと歪められることになる。地球儀の球面上に糸を張ればわかりやすいが、たとえば今回の世界周航イベントよろしくマゼラン海峡を出て真西方向へ一直線に進むと、現実にはメラネシアより手前で赤道を越えることになる。逆にゲーム内での周航ルートを実際にたどるなら南方向へ微細に舵を切り続ける必要があり、もしニュージーランドへ一直線に向かおうと思ったら今度は無駄に南極圏を突っ切ることになる。零下20度を超え、ちょっと寒い。
 
  ただこうした食い違いで目につくのはむしろそれらに対して施された工夫のほうで、一例を挙げれば緯度の高いエリアにあっては南北方向の距離が東西方向の距離に比べて意図的に著しく短縮されている。こうすることで、高緯度圏では世界そのものの間伸びによりどこへ向かうにもやたらと時間をとられる事態から、とりあえず半分は解放されることになる。
  このおかげでアフリカ大陸や南米大陸の南半分は不格好に矮小化されており、オセアニア大陸に至ってはぺしゃんこに押しつぶされた形となってしまったが、よくよく考えてみればたかがゲームの舞台設定でここまで現実世界との整合性をとることへの苦心を迫られるケースというのも面白い。カカドゥの港を出たあと自船は引き続きオセアニア大陸の沿岸探索を続けたが、北岸を横切るのに比べて西岸を縦断するのはやけに早かった。

■南極大陸は実在するか
  その後はオセアニア大陸の西岸から南岸へとまわる。視野の左半分にはつねに、上陸地点の一つすらない海岸線がどこまでも続いていく。右方向には水平線のほか何もない。減量上限、砲室最大の改造を施した軍用船に戦闘要員を満載させてこんな僻地を航行している自分が何だか、とてもかわいそうに思えてくる。そしてそろそろ生まれてきた理由でも見つめなおそうかと思えてきた矢先、前方にタスマニア島の陸影が姿を現した。良かった。南側から島を周回していくと、東岸に新港発見。たちまち入港。

  ところで先に述べた球体の現実世界と平面のゲーム内世界との地理的な食い違いを是正する工夫によっては、絶対に乗り越えられない壁が一つある。そう、南極大陸の存在だ。
  しばしば「地理的発見の時代」とも言い換えられる現実の大航海時代にあっても、南極大陸の存在は最後まで神秘であり続けた。すこし皮肉な話だがこの時代の終わり、それまで伝説上の存在だった南方大陸の実在を最終的に否定したのはかのキャプテン・クックそのひとだった。1773年クックは現在把握されている人類史上初めて南極圏へ突入、南緯71度10分にまで到達、凍てつくその世界にはもはや何もないことを“発見”した。
  けれども彼がまぎれもなく大航海時代の英雄の一人である以上、‘大航海時代Online’の世界にもいつか南極探検シナリオの実装される日が来ないとも限らない。というより将来的にはぜひとも期待したい。ただこの大陸の地図的な整合性についてはこれはもう、現状のシステムでは諦めるしかないものがある。どこまでも、でかい。以上。

  画像はタスマニア島の新港ホバートにて。なんとなくシコを踏んでみた。しかしこの港集落のグラフィック、あたかも常夏の楽園を思わせる風だが同緯度で北半球に換算するとホバートは函館よりも北にある。へそ出しルックが正しいスタイルなのかはわからない。

―1523年嘉月嘉日 筆
 
ゆめからずや
【世界独航記ノ貮】
  新港ワンガヌイにてIN。正規の世界周航ルートに従えば、次の寄港地はマニラとなる。航路はここで大きく北西へと角度を変えるわけだが、自船はこのルートを一旦外れることにする。マゼラン海峡以降の真西への針路をさらに継続、目指すは未知の大陸オセアニアの陸影ただ一つ。

■マオリのひとびと
  ところで昨夜はこの港の実装初日に起きた大投資戦の渦中にいたため気にもとまらなかったが、よくみるとワンガヌイで交易品や料理を扱う人々はみな現地先住民の格好をしていた。つまり交易所の店主も道具屋の主人もみなマオリの民ということになるが、彼らの物を商うセリフからして早くも貨幣経済が深く根づいてしまっているらしきあたりなど、何だか微笑ましくもありまた若干の痛々しさも感じてしまう。
  そもそも本来ならば投資がどうのという前に、マオリを含むポリネシア一帯の文化圏において貨幣交換とはあくまで祭儀的象徴的な営為であり、日常的な水準では物々交換が基盤の社会であったように思う。大航海時代の航海者が多くの海でそうしたように、原住民から物資食糧をもらう代わりに積み荷や所持品のうちより対価を渡す、というようなシステムがあってもきっと楽しいだろうと思う。所持枠が大変なことになってきそうだけれど。

  にしてもこの土地で目にする料理のレパートリーは強烈だった。料理人が見せるレシピ名だけ並べてみても、芋虫焼きの作り方、ワニ肉串焼きの作り方、カンガルー肉の煮込みなどいずれもプリミティヴなムード満載で、まさかイモムシが交易品の一つとして登場するとは予想の遥か上空を行かれた感が濃い。
  そのくせ木槍などは欧州で手に入るものとまったく同じなのだけど、実際には地球の反対側の先住民が作った武器や民芸品の類はこの時代、欧州に持ち帰ると手持ちサイズのものでも好事家の貴族に売れば家が一軒建ったとか建たないとか。とはいってもこういうことでこのゲームにケチを付けたい心地にはならず、プレイするうちにこうしてあれこれ想い巡らせてしまうことそのものが面白い。

■珊瑚海とキャプテン・クック
  さてワンガヌイを出航しニュージランドの南北両島を一周したあとは、見渡すかぎり何もない海原を真西へと針路を採った。一週間ほど一直線に船を進めると、正面に大きく横たわる未知の大陸がゆっくりと姿を現した。ここで岸に沿って舳先を北方向へと転舵する。しばらくすると海域表示がタスマン海からコーラル海へと切り替わった。

  コーラル海(Coral Sea=珊瑚海)の名が示すごとく、オセアニア大陸の北東岸には果てしなく広大な珊瑚礁群が連なり航海の難所となっている。大堡礁、いわゆるグレートバリアリーフがそれである。
  世界周航にかかわる大航海時代の著名な航海者としては、最初に志したフェルディナンド・マゼランや二番目に達成したフランシス・ドレークと並び、ジェームズ・クックの名を挙げる声も多いだろう。クックは18世紀のひとだからマゼラン、ドレークとは生きた時代を2世紀ほど異にするが、史実でこのコーラル海を抜けオーストラリアの東海岸に到達した最初の欧州人は彼である。
  つまり言い換えるならクックまでの200年間、グレートバリアリーフの存在がこの到達を阻んできたとも言えるだろう。クックの功績の裏には、座礁によって船を損傷させつつも敢えて挑む積極姿勢があった。航海の安全を期すならそれは避けるべき蛮勇であったろうし、船員にはそうした危険を望まぬ者も多かったろう。何より船を失えば、生きながらえたとしてものちのち提督としての職責を厳しく糾弾されることになる。
  それに比べると、ゲーム内でのこの海域は平穏なこと極まりない。わたしが通過した限りでは、沖合で座礁することも皆無であった。これはこれで寂しい気がしなくもない。

■カカドゥの奇跡
  自船はその後オーストラリア北岸のカカドゥを発見。画像はこの土地で出会ったヴィディア姫と撮ったもの。新港到達を祝いて奇跡の水上踊りの図。航海者養成学校にて支給されたマジカル服の効果である。
  マングローブの樹と蓮の花が特徴的なこのエリアは、現代では世界自然遺産にも指定されている名勝地。40万年前から人が生活した形跡があり、この地にみられるアボリジニによる壁画には制作年代を紀元前5000年に遡るものもあるという。たかだかここ2、300年のヨーロピアンによる到達やら領有やらが果たしてどれほど重要なことなのか、こうしたスケールの前では霞んでみえるとしてもあながち憶見とは言えないだろう。

  ヴィディア姫はここで入浴などして本来の周航ルートへと北上していったが、自船はここからさらに南西へと沿岸探索を進めていくことにする。東洋の古僧はかつてこう書き遺したという。「この途をいけばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば途は無し。踏み出せばその一足が途となり、つぎの一足が途となる。迷わずいけよ、いけばわかるさいちにさん」
  あごの出た格闘家の言葉とする説もある。いずれも俗説の域を出ない。
  
―1523年良月良日 筆
 

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