【世界独航記ノ壹】
拡張パック“Cruz del Sur”実装初日、夕刻。INすると暗転したまま画面に「1522年9月6日―」との白文字が浮かび、世界周航イベント発生。一昨夜セビリアの出航所内で落ちたため、接続と同時にイベント開始のトリガーを引いたらしい。以下簡略に初周航の顛末と雑感を記す。
■出航準備
南太平洋の入港許可証がいきなり下りたことに驚きつつも、さっそく遠洋航海の準備へ。携行武装を高性能低耐久の対人海賊用と、イベント中に発生するかもしれないNPC戦用とでしばし迷い、いざ出くわしたとき後悔せずに済むという理由で前者を選択。海軍要請書、略奪命令書、対NPC用上納品など、しばらく手にすることのなかったアイテムも所持枠へ。
出航前、今日から開校された航海者養成学校へも顔を出してみる。支給された制服の素っ気なさはなかなか悪くない。ただこれを着たチビっ子たちがわらわらと群がる光景は、なぜホウキも一緒に支給しないのか不思議なくらいにマジカルな気はする。
新装されたスクールチャットへも入ってみるが、しばらくするとネタバレ的な発言が目につくようになり退室。当人は親切のつもりなのだろうし、何が聞きたくて何が聞きたくないのかはそれぞれに違うから、結局こういうときは耳をふさぐのが一番いい。同様の理由で商会チャットもしばし不在の旨通知して非表示に。
■大投資戦勃発、そして出航
そうこうしていると、なんと「ワンガヌイにて大投資戦が発生!」とのアナウンス。聞いたこともない、つまりたった数時間前に実装されたばかりの新港で発生させてしまう運営の破格ぶりにひたすら唖然。寡聞にしてこの地名を知らずどんなところか予想もつかないが、これで対人戦闘の可能性が一気に増大したのは確実。積載武装を追走/退避用の長距離砲主体から撃沈目的の名匠カロネード砲主体へと転換。
そして出航。
北アフリカ西岸沖、ラスパルマスにて周航イベント主人公の一人らしき、エレナ嬢が乗船してくる。こういう萌え系の美少女キャラクターが何ら悪びれずシナリオの中軸に居座るのは信頼に足るリサーチの産物なのか、単なる制作陣の趣味の問題なのか毎度のことだが悩ましい。すぐに馴染める自分もこわい。
お呼びがかかった多国籍の軍人チャットやイスパニアの海賊討伐チャットからは新船の性能情報や敵性海賊の動向が流れてくる。この種のネタバレであればいくらされてもわたしの場合はむしろ好める。通航中のカナリア沖でイングランドの海賊船が検索にかかり、チャットに同室するプレイヤーが交戦するも単艦レヴェルのため自船は先を急いでそのまま南下。リオ〜ブエノスアイレス〜ウシュアイアと寄港しつつシナリオを進め、マゼラン海峡を越えて航路を真西へ。
ちなみに今回のメイン船に選んだのは軍用ジーベック。ローズウッド製18%減量、連携強化スキル及び重量砲撃スキル搭載。最低耐久だが対海賊の追撃/退避戦にはじゅうぶん耐えうる。何よりジーベック系に特有の流線型船体にローズウッドの濃い赤紫はよく映える。自称むらさき芋。高速船の速度変更も事前に告知されていたが、この船もその恩恵を受けたらしく体感的にも早くなった。波の高い海域を通過するため対波性能に乏しいラ・ロワイヤルはサブに回し、戦列艦とともに一応携行はしておいた。
■ワンガヌイ実戦
ワンガヌイは現ニュージーランド北島の南岸に位置している。ゲーム内では港を出てすぐ向かいに南島が大きく横たわる。つまり両島に挟まれる形で、港への通航路は南東方向(現クック海峡)と北西方向(現タスマン湾)に限定されることになる。
その港であろうことか実装初日の夜、大投資戦が起きた。ワンガヌイは世界周航イベントのルート上にあり、大投資戦など勃発せずとも今日はあまたの船がマゼラン海峡から南太平洋を横切って南東方向から入港し、次の寄港地へと向けて北西方向へと抜けていく日なのだから、対人海賊が群がる条件としてはこのうえない。実際自船が南東側の海峡へと進入した時点ですでに敵味方双方の海賊艦隊や討伐艦隊が視認され、港へと入るとさっそく現地にいるポルトガル海賊主体の対人チャットからの呼び鈴が響いた。
このところ基本的にフェアな状況下での艦隊戦しかしていなかったこともあり、一戦ごとに勢力の優劣が目まぐるしく変わり、非対称の戦闘が連続する危険海域での実戦はかなりの手応えがあった。
が、一般の商船・冒険船への敵性艦隊による襲撃を妨害すべく、追加帆も未装備な状態で交戦して1vs4となり拿捕されたり、職業が釣り師であるにも関わらず本職軍人相手に前のめりに機雷戦を仕掛けたあげく修理が追いつかずに沈んだりと惨敗も目立った。艦隊戦となった際にも、お互いに敵旗艦を落とすことが最終目的の大海戦や模擬戦とは優先すべき判断軸がまるで異なるため、援軍への入りかたなど久々ゆえのミステイクを連発。随所に甘さが出た。
トータルでは5500万Dほどの賞金収入と、フル耐久の最高貫通カロネード砲14門を獲得。被害は被拿捕時の所持金24万Dと真鯛一樽のほかは耐久損耗のみ。戦利品の大砲は1on1を戦った敵海賊から味方船が獲得したのち譲り受けたものだが、収奪される可能性の高い海賊船にこんなにも高価な砲を載せるものなのかと少し驚く。意気込みの差とも。
■終息
勢力としては海賊船が各々10隻前後に賞金稼ぎが数隻ずつ加わって、離席その他で陣容は入れ替わりつつも大投資戦の終了まで衝突が続いた。衝突の主局面では賞金の懸かっていないわたしのような賞金稼ぎが一方的に儲かってしまうわけだが、その合間あいまや大投資戦の終了後も数時間にわたって往来する一般船が次々に襲われていたようだから、この夜の海賊側のゲインはおそらく自船の比ではない。
大投資戦そのものは終了後のほうが投資行動が活発化する風景もすでに見慣れたものとなり、発生誘導の操作も含め現状どうにも急造感の目立つシステムと言わざるを得ない。
結果としてこの夜は、冒険経験の獲得チャンスを少しでも活かしたいという貧乏根性による転職が仇と出る局面もあったが、冒険職なのに戦闘機会は逃したくないという欲張り根性に発する武装選択は大いに活きた。人生なにがどう転ぶかなんてわからない。わからないほうがたぶんいい。 といきなり締める。
画像はそのワンガヌイにて。せっかくなので冒険職限定のベルベットジュストコールを着用、蒼穹に向かいて一心にアピールするの図。この画像を撮るべく新出のエモーションを幾度も繰り返していたら、通りがかった初見のプレイヤーからありがたくも「ブログ読んでます〜」とのTellをいただいた。やや、赤面。
―1522年佳月佳日 筆
拡張パック“Cruz del Sur”実装初日、夕刻。INすると暗転したまま画面に「1522年9月6日―」との白文字が浮かび、世界周航イベント発生。一昨夜セビリアの出航所内で落ちたため、接続と同時にイベント開始のトリガーを引いたらしい。以下簡略に初周航の顛末と雑感を記す。
■出航準備
南太平洋の入港許可証がいきなり下りたことに驚きつつも、さっそく遠洋航海の準備へ。携行武装を高性能低耐久の対人海賊用と、イベント中に発生するかもしれないNPC戦用とでしばし迷い、いざ出くわしたとき後悔せずに済むという理由で前者を選択。海軍要請書、略奪命令書、対NPC用上納品など、しばらく手にすることのなかったアイテムも所持枠へ。
出航前、今日から開校された航海者養成学校へも顔を出してみる。支給された制服の素っ気なさはなかなか悪くない。ただこれを着たチビっ子たちがわらわらと群がる光景は、なぜホウキも一緒に支給しないのか不思議なくらいにマジカルな気はする。
新装されたスクールチャットへも入ってみるが、しばらくするとネタバレ的な発言が目につくようになり退室。当人は親切のつもりなのだろうし、何が聞きたくて何が聞きたくないのかはそれぞれに違うから、結局こういうときは耳をふさぐのが一番いい。同様の理由で商会チャットもしばし不在の旨通知して非表示に。
■大投資戦勃発、そして出航
そうこうしていると、なんと「ワンガヌイにて大投資戦が発生!」とのアナウンス。聞いたこともない、つまりたった数時間前に実装されたばかりの新港で発生させてしまう運営の破格ぶりにひたすら唖然。寡聞にしてこの地名を知らずどんなところか予想もつかないが、これで対人戦闘の可能性が一気に増大したのは確実。積載武装を追走/退避用の長距離砲主体から撃沈目的の名匠カロネード砲主体へと転換。
そして出航。
北アフリカ西岸沖、ラスパルマスにて周航イベント主人公の一人らしき、エレナ嬢が乗船してくる。こういう萌え系の美少女キャラクターが何ら悪びれずシナリオの中軸に居座るのは信頼に足るリサーチの産物なのか、単なる制作陣の趣味の問題なのか毎度のことだが悩ましい。すぐに馴染める自分もこわい。
お呼びがかかった多国籍の軍人チャットやイスパニアの海賊討伐チャットからは新船の性能情報や敵性海賊の動向が流れてくる。この種のネタバレであればいくらされてもわたしの場合はむしろ好める。通航中のカナリア沖でイングランドの海賊船が検索にかかり、チャットに同室するプレイヤーが交戦するも単艦レヴェルのため自船は先を急いでそのまま南下。リオ〜ブエノスアイレス〜ウシュアイアと寄港しつつシナリオを進め、マゼラン海峡を越えて航路を真西へ。
ちなみに今回のメイン船に選んだのは軍用ジーベック。ローズウッド製18%減量、連携強化スキル及び重量砲撃スキル搭載。最低耐久だが対海賊の追撃/退避戦にはじゅうぶん耐えうる。何よりジーベック系に特有の流線型船体にローズウッドの濃い赤紫はよく映える。自称むらさき芋。高速船の速度変更も事前に告知されていたが、この船もその恩恵を受けたらしく体感的にも早くなった。波の高い海域を通過するため対波性能に乏しいラ・ロワイヤルはサブに回し、戦列艦とともに一応携行はしておいた。
■ワンガヌイ実戦
ワンガヌイは現ニュージーランド北島の南岸に位置している。ゲーム内では港を出てすぐ向かいに南島が大きく横たわる。つまり両島に挟まれる形で、港への通航路は南東方向(現クック海峡)と北西方向(現タスマン湾)に限定されることになる。
その港であろうことか実装初日の夜、大投資戦が起きた。ワンガヌイは世界周航イベントのルート上にあり、大投資戦など勃発せずとも今日はあまたの船がマゼラン海峡から南太平洋を横切って南東方向から入港し、次の寄港地へと向けて北西方向へと抜けていく日なのだから、対人海賊が群がる条件としてはこのうえない。実際自船が南東側の海峡へと進入した時点ですでに敵味方双方の海賊艦隊や討伐艦隊が視認され、港へと入るとさっそく現地にいるポルトガル海賊主体の対人チャットからの呼び鈴が響いた。
このところ基本的にフェアな状況下での艦隊戦しかしていなかったこともあり、一戦ごとに勢力の優劣が目まぐるしく変わり、非対称の戦闘が連続する危険海域での実戦はかなりの手応えがあった。
が、一般の商船・冒険船への敵性艦隊による襲撃を妨害すべく、追加帆も未装備な状態で交戦して1vs4となり拿捕されたり、職業が釣り師であるにも関わらず本職軍人相手に前のめりに機雷戦を仕掛けたあげく修理が追いつかずに沈んだりと惨敗も目立った。艦隊戦となった際にも、お互いに敵旗艦を落とすことが最終目的の大海戦や模擬戦とは優先すべき判断軸がまるで異なるため、援軍への入りかたなど久々ゆえのミステイクを連発。随所に甘さが出た。
トータルでは5500万Dほどの賞金収入と、フル耐久の最高貫通カロネード砲14門を獲得。被害は被拿捕時の所持金24万Dと真鯛一樽のほかは耐久損耗のみ。戦利品の大砲は1on1を戦った敵海賊から味方船が獲得したのち譲り受けたものだが、収奪される可能性の高い海賊船にこんなにも高価な砲を載せるものなのかと少し驚く。意気込みの差とも。
■終息
勢力としては海賊船が各々10隻前後に賞金稼ぎが数隻ずつ加わって、離席その他で陣容は入れ替わりつつも大投資戦の終了まで衝突が続いた。衝突の主局面では賞金の懸かっていないわたしのような賞金稼ぎが一方的に儲かってしまうわけだが、その合間あいまや大投資戦の終了後も数時間にわたって往来する一般船が次々に襲われていたようだから、この夜の海賊側のゲインはおそらく自船の比ではない。
大投資戦そのものは終了後のほうが投資行動が活発化する風景もすでに見慣れたものとなり、発生誘導の操作も含め現状どうにも急造感の目立つシステムと言わざるを得ない。
結果としてこの夜は、冒険経験の獲得チャンスを少しでも活かしたいという貧乏根性による転職が仇と出る局面もあったが、冒険職なのに戦闘機会は逃したくないという欲張り根性に発する武装選択は大いに活きた。人生なにがどう転ぶかなんてわからない。わからないほうがたぶんいい。 といきなり締める。
画像はそのワンガヌイにて。せっかくなので冒険職限定のベルベットジュストコールを着用、蒼穹に向かいて一心にアピールするの図。この画像を撮るべく新出のエモーションを幾度も繰り返していたら、通りがかった初見のプレイヤーからありがたくも「ブログ読んでます〜」とのTellをいただいた。やや、赤面。
―1522年佳月佳日 筆
野菜ジュース+鯛釜めし。goodbyeです。
拡張パック“Cruz del Sur”開幕を明日に控え、昨夜のうちに釣り師へと転職。新港が増えるときだけ経験稼ぎに冒険職になるというのが、いつのまにか年に1,2度の恒例行事と化してます。
今回は近況など。まず上の画像は下記ブログ記事の補足というか反証というか…↓
24時間ゲーム@教祖ブログ:
http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-953.html
↑この記事中のgoodbyeと交戦している2枚のSSの交戦マークをよく見比べると、アアアアッ!……と事態の真相に気づくひともいるかもしれません。気づいたひとは若干の溜息まじりにいつものことだと優しく微笑んであげるのも良いでしょう。
しかし負けた戦闘があったのは事実なので、これは反省の至り。積んでいる砲種や相手の職種も戦闘中に忘れるほどに眠かったとはいえ、戦うからには‘やっちゃいけないミス’をしてしまったのが悔やまれます。
大型アップデート前夜となるきのうは下記ユーザーイベントへ参加。
スターランドカップ: http://diarynote.jp/d/83362/20070812.html
事実上の決勝戦となった一戦で、旗艦だったのに浸水撤退クリティカルを受けて撃沈。直前に二隻連続で白兵戦となっていたため‘舵残し’も効かず、回避に加え通常弾防御スキルも発動していたのですが無駄でした。ふだんまったく組まないひとたちだったこともあり、艦隊チャットでの指示を遠慮してしまったのが敗因といえば敗因。
まぁ記事にする以上はきちんと反省点を書き付けておきたいのでこういうことも考えますが、戦っているさなかはかなり適当に楽しんでました。脳筋艦隊同士ではない気楽さがあって良かったです。
明日のアップデートでいろいろ変わりそうなこともあり、最近はほとんど動く気力をなくしていました。そこで2度ほどリスボン前でやっている最低耐久模擬へも参加してみました。
リスボン模擬@能登: http://lismogi.blog101.fc2.com/
この定例模擬が始まった直後の4月にも2回ほど参加したことがあるのですが、だいぶ様子が変わっていましたね。いまは戦列艦とラ・ロワイヤルが9割、バルティックなどの大型ガレオン級がちょこちょこいるという感じで、軍用ジーベックにペリエを載せた自船の存在はかなり珍しがられてました。
このいわゆる‘底模擬’、無制限の定例模擬に比べると制約を加えているぶん採りうる戦術や読みの幅も狭まる感じで、艦隊による連携行動の面では要求される思考の層が思いのほか浅いという印象を受けました。そのため単艦レヴェルでの回避操船やクリティカル砲撃の練習には、最大耐久での模擬戦よりも向いているかもしれません。
ただ底模擬に出続けて与撃沈率が100%を超えたとしても、撃沈へのプロセスが異なるため無制限の模擬ではまったく沈められずに考え込むということはありそうです。見極めうる他船の思考にどう合わせられるかが無制限模擬における精髄とすれば、自船が個別の敵船をどう落とせるかが底模擬での醍醐味とは言えるかも。
▽おまけ
全スキルランク公開:
ttp://nekokyou.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/nekoboard/up/2007082120023038.jpg
冒険者転職記念に自スキル公開など。危険海域での実戦用に援軍要請スキル、艦隊戦での加速用に逃走スキルもできれば常備しておきたいところなのですが、なかなか思うようには揃ってくれません。ちなみに本記事冒頭の一行はフレのブログ“野菜生活”
http://diarynote.jp/user/75556/ のパロディ。
拡張パック“Cruz del Sur”開幕を明日に控え、昨夜のうちに釣り師へと転職。新港が増えるときだけ経験稼ぎに冒険職になるというのが、いつのまにか年に1,2度の恒例行事と化してます。
今回は近況など。まず上の画像は下記ブログ記事の補足というか反証というか…↓
24時間ゲーム@教祖ブログ:
http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-953.html
↑この記事中のgoodbyeと交戦している2枚のSSの交戦マークをよく見比べると、アアアアッ!……と事態の真相に気づくひともいるかもしれません。気づいたひとは若干の溜息まじりにいつものことだと優しく微笑んであげるのも良いでしょう。
しかし負けた戦闘があったのは事実なので、これは反省の至り。積んでいる砲種や相手の職種も戦闘中に忘れるほどに眠かったとはいえ、戦うからには‘やっちゃいけないミス’をしてしまったのが悔やまれます。
大型アップデート前夜となるきのうは下記ユーザーイベントへ参加。
スターランドカップ: http://diarynote.jp/d/83362/20070812.html
事実上の決勝戦となった一戦で、旗艦だったのに浸水撤退クリティカルを受けて撃沈。直前に二隻連続で白兵戦となっていたため‘舵残し’も効かず、回避に加え通常弾防御スキルも発動していたのですが無駄でした。ふだんまったく組まないひとたちだったこともあり、艦隊チャットでの指示を遠慮してしまったのが敗因といえば敗因。
まぁ記事にする以上はきちんと反省点を書き付けておきたいのでこういうことも考えますが、戦っているさなかはかなり適当に楽しんでました。脳筋艦隊同士ではない気楽さがあって良かったです。
明日のアップデートでいろいろ変わりそうなこともあり、最近はほとんど動く気力をなくしていました。そこで2度ほどリスボン前でやっている最低耐久模擬へも参加してみました。
リスボン模擬@能登: http://lismogi.blog101.fc2.com/
この定例模擬が始まった直後の4月にも2回ほど参加したことがあるのですが、だいぶ様子が変わっていましたね。いまは戦列艦とラ・ロワイヤルが9割、バルティックなどの大型ガレオン級がちょこちょこいるという感じで、軍用ジーベックにペリエを載せた自船の存在はかなり珍しがられてました。
このいわゆる‘底模擬’、無制限の定例模擬に比べると制約を加えているぶん採りうる戦術や読みの幅も狭まる感じで、艦隊による連携行動の面では要求される思考の層が思いのほか浅いという印象を受けました。そのため単艦レヴェルでの回避操船やクリティカル砲撃の練習には、最大耐久での模擬戦よりも向いているかもしれません。
ただ底模擬に出続けて与撃沈率が100%を超えたとしても、撃沈へのプロセスが異なるため無制限の模擬ではまったく沈められずに考え込むということはありそうです。見極めうる他船の思考にどう合わせられるかが無制限模擬における精髄とすれば、自船が個別の敵船をどう落とせるかが底模擬での醍醐味とは言えるかも。
▽おまけ
全スキルランク公開:
ttp://nekokyou.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/nekoboard/up/2007082120023038.jpg
冒険者転職記念に自スキル公開など。危険海域での実戦用に援軍要請スキル、艦隊戦での加速用に逃走スキルもできれば常備しておきたいところなのですが、なかなか思うようには揃ってくれません。ちなみに本記事冒頭の一行はフレのブログ“野菜生活”
http://diarynote.jp/user/75556/ のパロディ。
第27回大海戦@マラカイボ、恒例のレポートです。
初日 : 75勝 4敗 8分け 勝利ポイント 115 戦功 157
中日 : 82勝 10敗 1分け 勝利ポイント 129 戦功 175
千秋楽 : 商会艦隊参加
初日・2日目とノトスサーバでのMVPを獲得。少なくとも数百人が同時参加しているイベントですから、他の誰かではなくこの自分がたて続けに獲ったというのは何だか不思議な気分です。
3日目は知り合いの商会艦隊に助っ人参加してみました。継続比較の点で意味のありそうなデータでもなかったのでこの日については記載省略、戦功は80代くらいでした。初日と3日目の戦績SSを撮り逃したためもあって画像がやや複雑に。(焦)
▼海戦総覧:
標的港はマラカイボ(現ベネズエラ・マラカイボ湖畔)、連盟構成はネーデルランド+ポルトガルvsヴェネツィア+イスパニア。総合結果は3797:3765で引き分け判定に。所属するイスパニアの視点でみれば、連日小型クラスでの劣勢が続き、最終日には大型クラスでも負け越したことが数的優位を活かせなかった結果へとつながりました。
また今回の海戦では、ウィレムスタッド西方にあったNPC艦隊が終始わき続けるエリアでの攻防も大きなポイントとなりましたね。
▼艦隊総括:
今回、イスパニア模擬同好会からは1ペア艦隊のみの出陣。初日・中日と艦隊からMVPを輩出できたものの、ポルトガル対人艦隊を相手に全滅する戦闘があったりケアレスミスによる連敗があったりと、結果ほどにいい内容とは言えませんでした。goodbye個人は数があぶれたので3日目は別の艦隊へ。
一年半前、NPC艦隊が実装された当初の売り口上には“NPC艦隊を巡る攻防が鍵となる”との言及がありましたが、ふだんの大海戦では広範囲に平たく沸きすぎるため売り文句通りの戦略的価値は感じられたことがありません。その点今回の大海戦では特定のエリアでむやみに集中的なNPC艦隊の出没があったため、初日・中日の小型クラスでは対人戦に強い自艦隊が敢えてそこへ居座ることでNPC狩りによる相手側の優勢を削ぐ方策を採ってみました。が、ポイント差を覆すには至らず。こうした戦略的な行動はやはり1ペア艦隊が意識したところで無駄でした。(ただ初日・2日目の僅差に対し3日目には100の大差がついてますから、完全に無駄ではなかったのかも)
今の大海戦が模擬戦の延長とか爵位獲得イベントなどと酷評される理由の1つはここらへんにもある気がします。以前のように全体の艦隊運用を云々する風潮があれば別ですが、現状ではその意思と能力を備えたプレイヤーが現れることもなさそうですね。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 38 決定打 14 被撃沈 2 与クリ 50 被クリ 8
中日 : 与撃沈/拿捕 32 決定打 10 被撃沈 3 与クリ 42 被クリ 7
千秋楽 : 商会艦隊参加
前回参加の大海戦での初MVP獲得に続いて、今回は2度の獲得。ただ被撃沈の総数こそ抑えられたものの、ここは勝負どころというような戦闘で沈んでしまったのが悔やまれます。(対SMB・青帆など。SMBは3日目のMVP艦隊。以前に比べて本当に粘り強くなりました)
あとから気づいたのですが、昨年の春からこの春まで続けた“ほぼ固定艦隊”の常連上位10名のなかで、今回の初日・中日の同好会艦隊に参加していたのはわたしの他はヴィディアさんと旗艦のレムオンさんの2人だけでした。艦隊からMVPを出せたのは一重に提督2名の功績によるものですが、艦隊メンバーのなかでふだんの模擬戦などではさほど抜きんでているわけでもないgoodbyeがMVPを連取したことの因子はどうもここらへんにありそうです。安定した環境のなかで長いあいだ続けてきたことが、大海戦での艦隊戦に特化した判断力を磨いてくれたということはある気がします。
対人戦闘のみでの与撃沈/拿捕の値は初日29、中日26でした。ふだんの大海戦ではgoodbyeによるNPC撃沈はせいぜい1か2なのですが、今回は上記の戦術をとったため、小型での対NPC戦の率が高まりました。修理と外科以外の支援量がアヴェレージかそれ以下にとどまっているのは相変わらず。砲撃力はそれなりになってきたので、この面での向上が今後の課題です。
次回以降は大型クラスでも新船の投入ほか大幅な仕様変更がありそうですね。戦術的な幅の広がりが出ることを期待しています。
▽おまけ
デ・ロイテル: http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero11/hero11_001.htm
マールテン・トロンプ: http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero13/page1.htm
夏休みの読書のコーナーです。まずは今回の大海戦中にネーデルランドのNPC艦隊として見かけた名提督に関するページ。“ローカル英雄伝”というサイトより。歴史系の読み物としては以下のDOLブログもおすすめ。
ヴェネツィア海洋大学 海洋史学部第三研究室:
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/
打倒ローマは一日にして成らず: http://hamilcar.blog64.fc2.com/
めけさんの“歴史ファンの大航海時代”に比べると後発のため未見のかたも多いかもなのでご紹介。 前者ルクレ嬢のブログは歴史の隅っこに隠れてるような小ネタを引っ張ってくるのが上手です。後者バルカさんのほうは最新の記事シリーズ“蒼き狼の末裔たち”がとにかく面白いのでまずはご賞味あれ。ご三方ともノトス在住で知り合い同士なのが何とも内輪っぽい話ですが。(笑) どなたでも似たような傾向のサイト・ブログなどもしご存知でしたらお知らせいただければ嬉しいです。
初日 : 75勝 4敗 8分け 勝利ポイント 115 戦功 157
中日 : 82勝 10敗 1分け 勝利ポイント 129 戦功 175
千秋楽 : 商会艦隊参加
初日・2日目とノトスサーバでのMVPを獲得。少なくとも数百人が同時参加しているイベントですから、他の誰かではなくこの自分がたて続けに獲ったというのは何だか不思議な気分です。
3日目は知り合いの商会艦隊に助っ人参加してみました。継続比較の点で意味のありそうなデータでもなかったのでこの日については記載省略、戦功は80代くらいでした。初日と3日目の戦績SSを撮り逃したためもあって画像がやや複雑に。(焦)
▼海戦総覧:
標的港はマラカイボ(現ベネズエラ・マラカイボ湖畔)、連盟構成はネーデルランド+ポルトガルvsヴェネツィア+イスパニア。総合結果は3797:3765で引き分け判定に。所属するイスパニアの視点でみれば、連日小型クラスでの劣勢が続き、最終日には大型クラスでも負け越したことが数的優位を活かせなかった結果へとつながりました。
また今回の海戦では、ウィレムスタッド西方にあったNPC艦隊が終始わき続けるエリアでの攻防も大きなポイントとなりましたね。
▼艦隊総括:
今回、イスパニア模擬同好会からは1ペア艦隊のみの出陣。初日・中日と艦隊からMVPを輩出できたものの、ポルトガル対人艦隊を相手に全滅する戦闘があったりケアレスミスによる連敗があったりと、結果ほどにいい内容とは言えませんでした。goodbye個人は数があぶれたので3日目は別の艦隊へ。
一年半前、NPC艦隊が実装された当初の売り口上には“NPC艦隊を巡る攻防が鍵となる”との言及がありましたが、ふだんの大海戦では広範囲に平たく沸きすぎるため売り文句通りの戦略的価値は感じられたことがありません。その点今回の大海戦では特定のエリアでむやみに集中的なNPC艦隊の出没があったため、初日・中日の小型クラスでは対人戦に強い自艦隊が敢えてそこへ居座ることでNPC狩りによる相手側の優勢を削ぐ方策を採ってみました。が、ポイント差を覆すには至らず。こうした戦略的な行動はやはり1ペア艦隊が意識したところで無駄でした。(ただ初日・2日目の僅差に対し3日目には100の大差がついてますから、完全に無駄ではなかったのかも)
今の大海戦が模擬戦の延長とか爵位獲得イベントなどと酷評される理由の1つはここらへんにもある気がします。以前のように全体の艦隊運用を云々する風潮があれば別ですが、現状ではその意思と能力を備えたプレイヤーが現れることもなさそうですね。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 38 決定打 14 被撃沈 2 与クリ 50 被クリ 8
中日 : 与撃沈/拿捕 32 決定打 10 被撃沈 3 与クリ 42 被クリ 7
千秋楽 : 商会艦隊参加
前回参加の大海戦での初MVP獲得に続いて、今回は2度の獲得。ただ被撃沈の総数こそ抑えられたものの、ここは勝負どころというような戦闘で沈んでしまったのが悔やまれます。(対SMB・青帆など。SMBは3日目のMVP艦隊。以前に比べて本当に粘り強くなりました)
あとから気づいたのですが、昨年の春からこの春まで続けた“ほぼ固定艦隊”の常連上位10名のなかで、今回の初日・中日の同好会艦隊に参加していたのはわたしの他はヴィディアさんと旗艦のレムオンさんの2人だけでした。艦隊からMVPを出せたのは一重に提督2名の功績によるものですが、艦隊メンバーのなかでふだんの模擬戦などではさほど抜きんでているわけでもないgoodbyeがMVPを連取したことの因子はどうもここらへんにありそうです。安定した環境のなかで長いあいだ続けてきたことが、大海戦での艦隊戦に特化した判断力を磨いてくれたということはある気がします。
対人戦闘のみでの与撃沈/拿捕の値は初日29、中日26でした。ふだんの大海戦ではgoodbyeによるNPC撃沈はせいぜい1か2なのですが、今回は上記の戦術をとったため、小型での対NPC戦の率が高まりました。修理と外科以外の支援量がアヴェレージかそれ以下にとどまっているのは相変わらず。砲撃力はそれなりになってきたので、この面での向上が今後の課題です。
次回以降は大型クラスでも新船の投入ほか大幅な仕様変更がありそうですね。戦術的な幅の広がりが出ることを期待しています。
▽おまけ
デ・ロイテル: http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero11/hero11_001.htm
マールテン・トロンプ: http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero13/page1.htm
夏休みの読書のコーナーです。まずは今回の大海戦中にネーデルランドのNPC艦隊として見かけた名提督に関するページ。“ローカル英雄伝”というサイトより。歴史系の読み物としては以下のDOLブログもおすすめ。
ヴェネツィア海洋大学 海洋史学部第三研究室:
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/
打倒ローマは一日にして成らず: http://hamilcar.blog64.fc2.com/
めけさんの“歴史ファンの大航海時代”に比べると後発のため未見のかたも多いかもなのでご紹介。 前者ルクレ嬢のブログは歴史の隅っこに隠れてるような小ネタを引っ張ってくるのが上手です。後者バルカさんのほうは最新の記事シリーズ“蒼き狼の末裔たち”がとにかく面白いのでまずはご賞味あれ。ご三方ともノトス在住で知り合い同士なのが何とも内輪っぽい話ですが。(笑) どなたでも似たような傾向のサイト・ブログなどもしご存知でしたらお知らせいただければ嬉しいです。
中世の甲冑に身を固めたコンキスタドール(征服者)が、罠と知りつつ密林にそびえるマヤの神殿へと足を踏み入れるシーンからこの映画は始まります。故国スペインの女王への忠誠を誓う言葉を口にしながらふりそそぐ矢と槍をかいくぐって男は前進し、急角度で階段状にせり上がった石造神殿の頂きへと辿りつくと、そこには……。
3つの時代に舞台がまたがり、相互のシーンが激しく入れ替わりながらストーリーは進行します。残る2つの舞台は現代の最新医療の現場と、未来あるいは異次元の宇宙に浮かぶ‘生命の樹’の樹下。この‘生命の樹’についてはオープニング直後に旧約聖書・創世記の一節が示されることで、その所在が作品全体をつらぬくテーマであることが暗示されます。
創世記において神は土くれから人をつくり生命の息を吹き込むと、東にエデンの園をつくりそこへ住まわせます。このエデンの園の中央に植えられたのが知恵の樹と生命の樹で、‘知恵の樹’の実は知性を、‘生命の樹’の実は永遠の命をもたらしました。よく知られているように人はこの‘知恵の樹’の実を食したことでエデンの園から追放されてしまいます。生命の樹のその後について、旧約聖書はこう記しています。
‘こうして神は人を追放した。そしてエデンの園の東に、ケルビムと回る炎の剣を置いて、生命の樹への道を守らせるようにした’ -創世記3章24節
ではこの‘生命の樹’、現実にはどこにあるのか。あるいはあったのか。こうした設問は一見突拍子もないようにも映りますが、トロイを発掘したシュリーマンを例に出さずとも、神話・伝説の類が現代においてもある一定の真実を含みうると認められていることもまた疑いのないところです。であればこそこのような舞台設定が活きるわけですが、それが象徴的なイメージであればあるほど下手に映像化すれば陳腐かつ悲惨このうえない状況を招きますから、本編中に幾度も‘生命の樹’を登場させてしまう本作の挑戦的な姿勢にはその個別の成否はともかく感心しきりでした。
監督はダーレン・アロノフスキー。“π(パイ)”[1997]、“レクイエム・フォー・ドリーム”[2000]に続く監督3作目。前2作はその斬新な画作りが注目を浴びましたが、今回はストーリーの規模がまったく異なるのもあってか前衛性の点ではトーンダウンした感じに。
また彼の作品はどれも実験的な姿勢や思弁的な方向性が強い一方セットや小道具にも力が入っていて、本作でもたとえばスペインの女王から主人公がマヤ探検の密命を受ける場面での、アルハンブラ宮殿を思わせる東西折衷的な王城のつくりなどは意外に見ごたえがありました。そこから突然最新鋭の医療設備が並ぶ全面ガラス張りの研究施設へと画面が切り替わるのですから、これだけでもなかなかに新鮮な映像体験でした。どんなにごたごたしたシーンでも透徹した空気感を出せるところも、この監督の長所かもしれません。
ただアロノフスキーもまた欧米のこの世代(30代後半〜40代前半くらい)の表現者にはもはや共通すると言ってもよい種の妙な東洋嗜好をもっていて、“π”では劇中の重要なアイテムとして囲碁が登場しましたが、本作でも主人公が作務衣を着て座禅を組むイメージが幾度か登場してきます。異文化に対するリスペクトが十分に感じられるので文句をつける気はないのですが、表面的な東洋理解がこのように記号化されたイメージへと帰結していくのを見ると、何だか‘結局それかい’というような拍子抜け感を覚えるのも確かですね。
BGM演奏をクロノス・クァルテット(Kronos Quartet)が担当していることも見逃せません。彼らは現代音楽を本領とする弦楽四重奏団なのですが、スティーヴ・ライヒからビル・エヴァンズ、ジミヘンからビョークまでと彼らほど多岐に渡る分野で第一線のミュージシャンと共演してきたグループも他にないんじゃないかというほどに懐の深い実力を備えています。むしろラストのほうなど彼らの演奏のBGVとして映像を観るのもアリかも。
ちなみに邦題では“ファウンテン 永遠につづく愛”とサブタイトルが付いています。ファウンテン(fountain: 泉)の語はカタカナとしてはこなれてないので副題を付けた意図はわかるのですが、この副題につられ恋愛モノと期待して作品を観るとラストの展開がまったく感情移入しがたいものになりそうであまり良いネーミングとは思えません。といってもまあ終盤のシークエンスは理解しろというほうが無理な種類のものなんですが。
アロノフスキーがタイトルに“泉”を採用したことには恐らく、前作“レクイエム・フォー・ドリーム”の原作者でありアロノフスキーと共同脚本の筆も執ったヒューバート・セルビー・Jr(Hubert Selby Jr.)の思想が影響していそうです。DVD版“レクイエム〜”の映像特典に入っているインタビューでセルビー・Jrは、‘万物は瞳に映し出された像であり、瞳は万物を映し出す豊穣な泉なのだ!’というようなことを力説しているんですね。すでにかなりの高齢なのですが、よぼよぼになってもエネルギッシュに自らの精神世界を展開させるこういうおじいちゃんってかなり好きです。(笑)
公式HP: http://microsites2.foxinternational.com/jp/fountain/
※ 全国12都市にて目下公開中。たぶん空いてます…。
"The Fountain" by Darren Aronofsky [+scr] / Hugh Jackman,Rachel Weisz,Cliff Curtis / Clint Mansell [music score] / Kronos Quartet [music perform.] / 95min / US / 2006
3つの時代に舞台がまたがり、相互のシーンが激しく入れ替わりながらストーリーは進行します。残る2つの舞台は現代の最新医療の現場と、未来あるいは異次元の宇宙に浮かぶ‘生命の樹’の樹下。この‘生命の樹’についてはオープニング直後に旧約聖書・創世記の一節が示されることで、その所在が作品全体をつらぬくテーマであることが暗示されます。
創世記において神は土くれから人をつくり生命の息を吹き込むと、東にエデンの園をつくりそこへ住まわせます。このエデンの園の中央に植えられたのが知恵の樹と生命の樹で、‘知恵の樹’の実は知性を、‘生命の樹’の実は永遠の命をもたらしました。よく知られているように人はこの‘知恵の樹’の実を食したことでエデンの園から追放されてしまいます。生命の樹のその後について、旧約聖書はこう記しています。
‘こうして神は人を追放した。そしてエデンの園の東に、ケルビムと回る炎の剣を置いて、生命の樹への道を守らせるようにした’ -創世記3章24節
ではこの‘生命の樹’、現実にはどこにあるのか。あるいはあったのか。こうした設問は一見突拍子もないようにも映りますが、トロイを発掘したシュリーマンを例に出さずとも、神話・伝説の類が現代においてもある一定の真実を含みうると認められていることもまた疑いのないところです。であればこそこのような舞台設定が活きるわけですが、それが象徴的なイメージであればあるほど下手に映像化すれば陳腐かつ悲惨このうえない状況を招きますから、本編中に幾度も‘生命の樹’を登場させてしまう本作の挑戦的な姿勢にはその個別の成否はともかく感心しきりでした。
監督はダーレン・アロノフスキー。“π(パイ)”[1997]、“レクイエム・フォー・ドリーム”[2000]に続く監督3作目。前2作はその斬新な画作りが注目を浴びましたが、今回はストーリーの規模がまったく異なるのもあってか前衛性の点ではトーンダウンした感じに。
また彼の作品はどれも実験的な姿勢や思弁的な方向性が強い一方セットや小道具にも力が入っていて、本作でもたとえばスペインの女王から主人公がマヤ探検の密命を受ける場面での、アルハンブラ宮殿を思わせる東西折衷的な王城のつくりなどは意外に見ごたえがありました。そこから突然最新鋭の医療設備が並ぶ全面ガラス張りの研究施設へと画面が切り替わるのですから、これだけでもなかなかに新鮮な映像体験でした。どんなにごたごたしたシーンでも透徹した空気感を出せるところも、この監督の長所かもしれません。
ただアロノフスキーもまた欧米のこの世代(30代後半〜40代前半くらい)の表現者にはもはや共通すると言ってもよい種の妙な東洋嗜好をもっていて、“π”では劇中の重要なアイテムとして囲碁が登場しましたが、本作でも主人公が作務衣を着て座禅を組むイメージが幾度か登場してきます。異文化に対するリスペクトが十分に感じられるので文句をつける気はないのですが、表面的な東洋理解がこのように記号化されたイメージへと帰結していくのを見ると、何だか‘結局それかい’というような拍子抜け感を覚えるのも確かですね。
BGM演奏をクロノス・クァルテット(Kronos Quartet)が担当していることも見逃せません。彼らは現代音楽を本領とする弦楽四重奏団なのですが、スティーヴ・ライヒからビル・エヴァンズ、ジミヘンからビョークまでと彼らほど多岐に渡る分野で第一線のミュージシャンと共演してきたグループも他にないんじゃないかというほどに懐の深い実力を備えています。むしろラストのほうなど彼らの演奏のBGVとして映像を観るのもアリかも。
ちなみに邦題では“ファウンテン 永遠につづく愛”とサブタイトルが付いています。ファウンテン(fountain: 泉)の語はカタカナとしてはこなれてないので副題を付けた意図はわかるのですが、この副題につられ恋愛モノと期待して作品を観るとラストの展開がまったく感情移入しがたいものになりそうであまり良いネーミングとは思えません。といってもまあ終盤のシークエンスは理解しろというほうが無理な種類のものなんですが。
アロノフスキーがタイトルに“泉”を採用したことには恐らく、前作“レクイエム・フォー・ドリーム”の原作者でありアロノフスキーと共同脚本の筆も執ったヒューバート・セルビー・Jr(Hubert Selby Jr.)の思想が影響していそうです。DVD版“レクイエム〜”の映像特典に入っているインタビューでセルビー・Jrは、‘万物は瞳に映し出された像であり、瞳は万物を映し出す豊穣な泉なのだ!’というようなことを力説しているんですね。すでにかなりの高齢なのですが、よぼよぼになってもエネルギッシュに自らの精神世界を展開させるこういうおじいちゃんってかなり好きです。(笑)
公式HP: http://microsites2.foxinternational.com/jp/fountain/
※ 全国12都市にて目下公開中。たぶん空いてます…。
"The Fountain" by Darren Aronofsky [+scr] / Hugh Jackman,Rachel Weisz,Cliff Curtis / Clint Mansell [music score] / Kronos Quartet [music perform.] / 95min / US / 2006
▼いきなり本題
『帆走軍艦の時代』
http://jimaku.in/w/tLh8Rf9DX2I/UDHrDP_B_Yb
↑まずはご覧下さいませ。できれば音量も大きめで。
おまけのつもりで作り出したら、妙に力が入ってしまったので「本題」扱いに。(笑) 映画“マスター・アンド・コマンダー”[2006年7月8日記事]のヴィデオクリップを素材にしています。この字幕動画に関連させる感じで、当初予定していた記事構成を逆走していきます。
▼‘大航海時代online’拡張パック第2弾
3週間後に最初の実装を控え、公式HP内では現在その内容公開が第2回までなされてますね。このなかで個人的に目を引かれたのは、新出である装甲戦列艦の外観として加わる、船尾円形回廊のグラフィックでした。(下記URL・4つ目の画像)
http://www.gamecity.ne.jp/dol/cruzdelsur/circumnavi2.htm
このグラフィックからは円形なのは回廊のみで、船尾楼本体は従来の戦列艦の使い回しであることが窺えます。けれども実際的に考えてみると回廊のみを円形とする意義もあまり感じられないので、これはおそらく戦列艦における船尾の形状が角型から円形にシフトした史実上の技術革新を背景におく実装だろうと推測できます。
▼円形船尾と技術革新
四角状の船尾に比べ、円形状の船尾が敵船からの縦射に対しより強い耐久性をもつであろうことは、後代の人間からみればそれほど想像に難くはありません。しかし欧州の列強諸国がこの点に気づき、円形船尾を国全体の規格として導入したのは意外に遅く19世紀に入ってからのことでした。ほぼ同時期に同種の試みが複数の場所で行われたようですが、たとえば英国海軍が船首の形状において円形構造の強さを実証し船尾へも導入したのが1810年代、フランスが円形船尾を採用したのは実に1830年代。蒸気機関による戦列艦の登場が1852年ですから、帆走軍艦として最後の系譜を彩ったのがこの円形状にそびえる船尾の姿だったことになります。
‘大航海時代online’において蒸気船の発明はいくらなんでもないでしょうから、設定上は究極の船体がとうとう登場するのだとも言えます。そう考えてみると、これはなかなかに感慨深いアップデートではないでしょうか。今回の拡張パックの目玉である世界一周航路の確立は16世紀初期、戦列艦におけるこの技術革新は19世紀初期ですから実年代に重ね合わせるとずいぶんと幅のあるアップデートということになりますが、そのことでゲームの魅力が損なわれるようにも見えないあたりに、運営サイドの苦心のあとが感じられますね。部分部分で文句を言うのは簡単ですが、このバランス感覚はやはりプロのものだと思います。
▼祝!新3国実装2周年
それはそうと‘大航海時代online’の世界にヴェネツィア・フランス・ネーデルランドが加わって、今日で丸2年となりました。新3国・旧3国という切り分けも当初に比べだいぶ意味が薄らいできました。世界周航ルートの開通を控え、ゲーム内の雰囲気もまたゆっくりと変わりつつありますね。
わたしが初めてこのゲームに課金したのも2年前の今日でしたから、この日は個人的にも思い出深いものがあります。それにこれほど長い付き合いになるとは思いませんでした。(笑) 正直に言って大量の時間をゲームに費やしたことにかなりの後悔や焦りを覚えた時期もありましたが、直接このゲームを通じて、というよりも‘大航海時代online’が傍らにある日々を通して初めて得られたこともまた、思いのほか多くあったようにも感じます。
たとえば帆船に関する知識など2年前は三角帆と四角帆の違いもわからなかったくらいなのですが、冒頭の字幕動画の作りかけをきのう商会メンバーに見てもらったところ、みごと海事オタクっぽいとの評価をいただきました。(笑) もちろん帆船史の知識などそれだけでは酒の席以外で役に立つことなどきっとないでしょう。けれどそういうことでもないんですよね。
▼艦隊戦術と国家戦略
せっかくなのでこの字幕動画『帆走軍艦の時代』の作成中に考え至ったことを例に挙げると、動画内には英国海軍とフランス海軍がそれぞれに得意とした艦隊戦術に関するプロットがあります。この両国の戦い方の違いというのは単に得手不得手の問題ではなく、その局地的な戦術的思考のズレの根底に、より大局的な国家戦略の差異がありました。
海外において積極的な拡大政策を進めつつ国内の工業化を図る英国側にとっては、右肩上がりの隆盛をやめないネーデルランドを牽制する意味でも、とりわけドーバー海峡域での戦列艦隊の集中運用が重要な意味をもったのですね。それに対しあくまで領地内での農業に基盤を置くフランス側はいきおい陸軍への傾注の度合を増し、戦力を集中してくる英国艦隊などはできる限り相手にせず、ゲリラ的に敵性商船を襲うことで通商路に打撃を与える私掠活動へ自国海軍を投じる政策を採りました。こちらは時に敵対状況に置かれたスペイン王家のカリブ領地への打撃をも視野に入れたものでしたが、ともあれこのためにその場その場で相手を押し切れるだけの戦力をもつケースが多かった英国艦隊は拿捕行動も容易な風上側を、ヒット&アウェイを本領としていたこの時期のフランス艦隊は退避に優る風下側を選ぶ必然性が生じたわけです。
そのようにしてある局地海戦において個別の軍船が遭遇した敵船に対して採る風上に回るか風下に出るかといった判断が、場合によっては世界規模での経済流通状況をも反映させうるということを知ったのは新鮮な体験でした。こうしたことは学校の世界史ではちょっと教わったことがありません。けれども本来はこうした諸事象相互の有機的な連関の様に触れることが、歴史を学ぶ意義でありまた醍醐味でもあるはずなんですよね。
少し大げさかもしれませんが、そうした思いを込めて作りだしたら今回はオマケが本題になったわけです。(笑) むやみに力が入ったのは自身のプレイ開始2周年ということもあってかも。ご感想ご意見などお気軽にコメントいただければ嬉しいです。
あとリアル近況少し。自動車の仮免許、とりました。(笑) むだに達成感あったので書いてしまいます。でもマニュアル運転がこんなに繊細だったとは! いつもついアウトからインコースぎりぎりを回ってしまい、注意され続けてます。教官によっては無言でにらまれるようになったり。これはこれでスリル満点な日々かもです>w<
※字幕動画『帆走軍艦の時代』作成上のおもな参考文献: 1. 小林幸雄著 『イングランド海軍の歴史』 原書房,2007 2. Romola & R.C.Anderson著・杉浦昭典監修・松田常美訳 『帆船 6000年のあゆみ』 成山堂書房,2004 なお動画をよく見るとわかりますが、双方の船は必ずしも明確な風上/風下の位置関係を占めていません。そもそもが単艦同士による遭遇戦ですし、そこはあくまで素材に使用したまでと割り引いてご覧いただければ幸。
『帆走軍艦の時代』
http://jimaku.in/w/tLh8Rf9DX2I/UDHrDP_B_Yb
↑まずはご覧下さいませ。できれば音量も大きめで。
おまけのつもりで作り出したら、妙に力が入ってしまったので「本題」扱いに。(笑) 映画“マスター・アンド・コマンダー”[2006年7月8日記事]のヴィデオクリップを素材にしています。この字幕動画に関連させる感じで、当初予定していた記事構成を逆走していきます。
▼‘大航海時代online’拡張パック第2弾
3週間後に最初の実装を控え、公式HP内では現在その内容公開が第2回までなされてますね。このなかで個人的に目を引かれたのは、新出である装甲戦列艦の外観として加わる、船尾円形回廊のグラフィックでした。(下記URL・4つ目の画像)
http://www.gamecity.ne.jp/dol/cruzdelsur/circumnavi2.htm
このグラフィックからは円形なのは回廊のみで、船尾楼本体は従来の戦列艦の使い回しであることが窺えます。けれども実際的に考えてみると回廊のみを円形とする意義もあまり感じられないので、これはおそらく戦列艦における船尾の形状が角型から円形にシフトした史実上の技術革新を背景におく実装だろうと推測できます。
▼円形船尾と技術革新
四角状の船尾に比べ、円形状の船尾が敵船からの縦射に対しより強い耐久性をもつであろうことは、後代の人間からみればそれほど想像に難くはありません。しかし欧州の列強諸国がこの点に気づき、円形船尾を国全体の規格として導入したのは意外に遅く19世紀に入ってからのことでした。ほぼ同時期に同種の試みが複数の場所で行われたようですが、たとえば英国海軍が船首の形状において円形構造の強さを実証し船尾へも導入したのが1810年代、フランスが円形船尾を採用したのは実に1830年代。蒸気機関による戦列艦の登場が1852年ですから、帆走軍艦として最後の系譜を彩ったのがこの円形状にそびえる船尾の姿だったことになります。
‘大航海時代online’において蒸気船の発明はいくらなんでもないでしょうから、設定上は究極の船体がとうとう登場するのだとも言えます。そう考えてみると、これはなかなかに感慨深いアップデートではないでしょうか。今回の拡張パックの目玉である世界一周航路の確立は16世紀初期、戦列艦におけるこの技術革新は19世紀初期ですから実年代に重ね合わせるとずいぶんと幅のあるアップデートということになりますが、そのことでゲームの魅力が損なわれるようにも見えないあたりに、運営サイドの苦心のあとが感じられますね。部分部分で文句を言うのは簡単ですが、このバランス感覚はやはりプロのものだと思います。
▼祝!新3国実装2周年
それはそうと‘大航海時代online’の世界にヴェネツィア・フランス・ネーデルランドが加わって、今日で丸2年となりました。新3国・旧3国という切り分けも当初に比べだいぶ意味が薄らいできました。世界周航ルートの開通を控え、ゲーム内の雰囲気もまたゆっくりと変わりつつありますね。
わたしが初めてこのゲームに課金したのも2年前の今日でしたから、この日は個人的にも思い出深いものがあります。それにこれほど長い付き合いになるとは思いませんでした。(笑) 正直に言って大量の時間をゲームに費やしたことにかなりの後悔や焦りを覚えた時期もありましたが、直接このゲームを通じて、というよりも‘大航海時代online’が傍らにある日々を通して初めて得られたこともまた、思いのほか多くあったようにも感じます。
たとえば帆船に関する知識など2年前は三角帆と四角帆の違いもわからなかったくらいなのですが、冒頭の字幕動画の作りかけをきのう商会メンバーに見てもらったところ、みごと海事オタクっぽいとの評価をいただきました。(笑) もちろん帆船史の知識などそれだけでは酒の席以外で役に立つことなどきっとないでしょう。けれどそういうことでもないんですよね。
▼艦隊戦術と国家戦略
せっかくなのでこの字幕動画『帆走軍艦の時代』の作成中に考え至ったことを例に挙げると、動画内には英国海軍とフランス海軍がそれぞれに得意とした艦隊戦術に関するプロットがあります。この両国の戦い方の違いというのは単に得手不得手の問題ではなく、その局地的な戦術的思考のズレの根底に、より大局的な国家戦略の差異がありました。
海外において積極的な拡大政策を進めつつ国内の工業化を図る英国側にとっては、右肩上がりの隆盛をやめないネーデルランドを牽制する意味でも、とりわけドーバー海峡域での戦列艦隊の集中運用が重要な意味をもったのですね。それに対しあくまで領地内での農業に基盤を置くフランス側はいきおい陸軍への傾注の度合を増し、戦力を集中してくる英国艦隊などはできる限り相手にせず、ゲリラ的に敵性商船を襲うことで通商路に打撃を与える私掠活動へ自国海軍を投じる政策を採りました。こちらは時に敵対状況に置かれたスペイン王家のカリブ領地への打撃をも視野に入れたものでしたが、ともあれこのためにその場その場で相手を押し切れるだけの戦力をもつケースが多かった英国艦隊は拿捕行動も容易な風上側を、ヒット&アウェイを本領としていたこの時期のフランス艦隊は退避に優る風下側を選ぶ必然性が生じたわけです。
そのようにしてある局地海戦において個別の軍船が遭遇した敵船に対して採る風上に回るか風下に出るかといった判断が、場合によっては世界規模での経済流通状況をも反映させうるということを知ったのは新鮮な体験でした。こうしたことは学校の世界史ではちょっと教わったことがありません。けれども本来はこうした諸事象相互の有機的な連関の様に触れることが、歴史を学ぶ意義でありまた醍醐味でもあるはずなんですよね。
少し大げさかもしれませんが、そうした思いを込めて作りだしたら今回はオマケが本題になったわけです。(笑) むやみに力が入ったのは自身のプレイ開始2周年ということもあってかも。ご感想ご意見などお気軽にコメントいただければ嬉しいです。
あとリアル近況少し。自動車の仮免許、とりました。(笑) むだに達成感あったので書いてしまいます。でもマニュアル運転がこんなに繊細だったとは! いつもついアウトからインコースぎりぎりを回ってしまい、注意され続けてます。教官によっては無言でにらまれるようになったり。これはこれでスリル満点な日々かもです>w<
※字幕動画『帆走軍艦の時代』作成上のおもな参考文献: 1. 小林幸雄著 『イングランド海軍の歴史』 原書房,2007 2. Romola & R.C.Anderson著・杉浦昭典監修・松田常美訳 『帆船 6000年のあゆみ』 成山堂書房,2004 なお動画をよく見るとわかりますが、双方の船は必ずしも明確な風上/風下の位置関係を占めていません。そもそもが単艦同士による遭遇戦ですし、そこはあくまで素材に使用したまでと割り引いてご覧いただければ幸。
Job Description 9: 剣士 【アポカリプト】
2007年7月25日 就職・転職 コメント (4)
16世紀中央アメリカの密林の奥深く、スペインの侵攻を控えマヤ文明は最後の輝きを放っていました。映画の主人公ジャグァは辺縁の一部族に生まれ、妻子とともに部族間の熾烈な抗争にまき込まれてゆきます。
今回はポイントを3つに絞ります。全編マヤ語であること、敵役へのコンテンポラリーダンサーの起用、そして監督のメル・ギブソンについて。
◆全編がマヤ語
この作品が全編マヤ語で製作されたことは公開前から話題となりました。衣装にもセットにもこだわるのに言葉だけが現代英語(or日本製なら日本語)、みたいな歴史劇が普通に受け入れられるなかでこの達成は特筆に値します。むろんここには製作者の意図だけでなく‘全編字幕になっても現地語が良い’という方向への観客サイドの意識変化があることは言うまでもありません。“硫黄島からの手紙”[2006]や“バベル”[2006]といった高水準でかつ集客力のある作品にこうした傾向が見られることは、近年の大きな流れの一つと言ってよさそうです。
メル・ギブソンは前作(後述)でもアラム語(ヘブライ語混じり)やラテン語のみで脚本を仕上げていますから、もともとこういう映画を作りたかったのかも。
◆敵役へのダンサーの起用
主要キャストがほとんど前歴のない俳優たちで占められたことも話題に。もっともスコットランドの英雄を描いた初監督作の“ブレイブ・ハート”[1995]でも、メル・ギブソンは演劇学校を出たばかりの新人女優をヒロインに抜擢していますからこの点はさして驚くにあたらないのですが、そんななかで一人だけ出演者にフォーカスするなら、やはりラオール・トゥルヒロ(Raoul Trujillo)の存在は見逃せないところです。彼は本編のなかで主人公の青年を執拗に追い詰める戦闘的な部族の長ゼロ・ウルフを演じているのですが、壮年にも関わらず四肢の動きがいちいちキレと凄味を感じさせて、要するに無茶苦茶カッコよかったんですね。
とはいえわたしもこの役者を意識したのは初めてだったので、映画を観終わったあとネットで調べて驚きました。なんとこのひと、アパッチ族やユト族といったネイティヴアメリカンの血をひく、プロのコンテンポラリーダンサーだったのです。下記サイトの二人目に特集されているので興味のある方はどうぞ。
Native Peoples Magazine:
http://www.nativepeoples.com/article/articles/149/
さらに驚いたことに、わたしは前にも彼の演技を観ていたのです。このブログでも以前にとり上げたテレンス・マリックの“ニュー・ワールド”[2005]に出ていました。(というか当該記事[本ブログ2月24日記事]の画像の人物がそうです。‘DVDのながら観’だったからか意識化するに至らなかったものの、画像に使用したくらいなのでどこか引っかかっていたのかも)
プロの踊り手がアクション系の時代物で敵のボス役を演じている近例としては、日本では“たそがれ清兵衛”[2002]がすぐに思い浮かぶところです。現代舞踏家の田中泯はこの作品で妖艶なまでの剣技(というか足技)を披露してみせましたが、これは彼と戦う主人公を演じた真田広之が身体的な素養としても世界水準に達している役者であればこそでした。そうした意味で本作でのラオール・トゥルヒロの身体のキレを引き立てているのはジャングルの大自然と言えそうです。密林の土を足指でがっちりと踏みしめ、草葉を巻き上げて疾走していく姿は見応えがありました。
コンテンポラリーダンスというとなにか取っつきにくい印象もありますが、モダンダンスへの反駁というほか特に総括的な定義はないのが現状なので、非欧米圏におけるコンテンポラリーダンスの潮流としては往々にしてローカルな伝統文化に基づく身振りがクローズアップされてきます。この意味でラオール・トゥルヒロと田中泯の商業映画への起用とその成功には同じ論理が通底していそうです。個人的にこれは意外な発見でした。
◆メル・ギブソン監督作
メル・ギブソンの監督作としての前作“パッション (The Passion of The Christ)”[2004]は、血みどろのイエス・キリストを巡る表現が世上を賑わせましたが、本作“アポカリプト”においても残虐的な戦闘シーンはもとより、生贄の儀式や昆虫の首をもいで治療に使うシーンなど、その異色さは健在。この両作品で彼の映画監督としての立ち位置はほぼ固まったように思います。
以前この記事シリーズのコメント欄で少し述べたこともありますが(“ミッション”2006年8月5日記事)、やはりbloody-dirtyな手触りは彼の表現手法の根底に抜きがたく横たわっているようで、単に世間の耳目をひくために付加されたセンセーショナルな演出というよりは、むしろこうした暴力性の充溢こそが作品の本質になっています。
ただしここで注意しなければならないのは、映像表現として立ち現われてくるのはあくまで作り手もしくは受け手の内なる何かに過ぎないという点です。そのためこの場合であれば現代文明における‘暴力’が必ずしも他の文明にとっても‘暴力’たりえないのが当然である一方で、商業映画におけるストーリー進行は観客の共感を導くものであることが宿命づけられているために、他の文明を扱う際にはこの点での齟齬をどう乗り越えるかが大問題となってくるんですね。たとえば“パール・ハーバー”[2001]に登場する戯画的な日本人像に比べ、先にも挙げた“硫黄島からの手紙”でクリント・イーストウッドは極限下における人間倫理の普遍を描くことによりこの点をきっちりとクリアしていますが、メル・ギブソンは逆に徹頭徹尾アクション描写にこだわることでこうしたズレを無化する方法を採っています。
したがって“アポカリプト”の文明論的な部分を切り取って正しい正しくないと批評するのはそもそもがお門違いということにたぶんなります。たとえば生贄の儀式のシーンでマヤの司祭が民衆を前に現代の西洋人っぽい名声欲を丸出しにしたり、生贄の青年があたかも夏休みの旅行中に誘拐されて殺される前のバックパッカーのような反応を見せたりすることにはおかしさを感じざるをえないのですが、そこは監督本人もとうに開き直っているはずです。そもそもこの作品に比較文明論的な視座を見いだせるとしても、それは実際問題としてどうでもいいことなんですよね。最後のほうではスペインのガレオン艦隊が上陸を開始するシーンもありますが、やはり説明的な挿話以上のものにはなってなかったり。
メル・ギブソンは私生活では熱狂的なクリスチャンとして知られる一方で、“アポカリプト”公開前にはユダヤ人差別発言で物議を醸したりも。映画産業にユダヤ系資本が深く噛み込んでいる現状でこのパフォーマンスは致命的とも思えましたが、公開してみると真逆の大入り状態に。また俳優としての昨今のメル・ギブソンを観てみたいひとにはヴィム・ヴェンダース監督の“ミリオンダラー・ホテル”[2000]が一押し。すっごい変です。でも彼以外は考えられないほどのハマリ役。
“アポカリプト”の音楽を担当しているのはジェームス・ホーナー。“ニュー・ワールド”と同じです。ここらへんの調子の良さもメル・ギブソンならではかも。ここではいろいろと突っ込んだことを書いてますが、作品自体は頭をカラっぽにして楽しめる上質のチェイス物アクション映画になっています。おススメです。
"Apocalypto" by Mel Gibson [+scr] / Rudy Youngblood,Dalia Hernandez,Raoul Trujillo / James Horner [music] / 138min / US / 2006
※ 国内では先月半ば公開の新作ですが、早くも終了しだしています。これから観に行くかたはお急ぎを。レンタル開始はたぶん11月くらい。
今回はポイントを3つに絞ります。全編マヤ語であること、敵役へのコンテンポラリーダンサーの起用、そして監督のメル・ギブソンについて。
◆全編がマヤ語
この作品が全編マヤ語で製作されたことは公開前から話題となりました。衣装にもセットにもこだわるのに言葉だけが現代英語(or日本製なら日本語)、みたいな歴史劇が普通に受け入れられるなかでこの達成は特筆に値します。むろんここには製作者の意図だけでなく‘全編字幕になっても現地語が良い’という方向への観客サイドの意識変化があることは言うまでもありません。“硫黄島からの手紙”[2006]や“バベル”[2006]といった高水準でかつ集客力のある作品にこうした傾向が見られることは、近年の大きな流れの一つと言ってよさそうです。
メル・ギブソンは前作(後述)でもアラム語(ヘブライ語混じり)やラテン語のみで脚本を仕上げていますから、もともとこういう映画を作りたかったのかも。
◆敵役へのダンサーの起用
主要キャストがほとんど前歴のない俳優たちで占められたことも話題に。もっともスコットランドの英雄を描いた初監督作の“ブレイブ・ハート”[1995]でも、メル・ギブソンは演劇学校を出たばかりの新人女優をヒロインに抜擢していますからこの点はさして驚くにあたらないのですが、そんななかで一人だけ出演者にフォーカスするなら、やはりラオール・トゥルヒロ(Raoul Trujillo)の存在は見逃せないところです。彼は本編のなかで主人公の青年を執拗に追い詰める戦闘的な部族の長ゼロ・ウルフを演じているのですが、壮年にも関わらず四肢の動きがいちいちキレと凄味を感じさせて、要するに無茶苦茶カッコよかったんですね。
とはいえわたしもこの役者を意識したのは初めてだったので、映画を観終わったあとネットで調べて驚きました。なんとこのひと、アパッチ族やユト族といったネイティヴアメリカンの血をひく、プロのコンテンポラリーダンサーだったのです。下記サイトの二人目に特集されているので興味のある方はどうぞ。
Native Peoples Magazine:
http://www.nativepeoples.com/article/articles/149/
さらに驚いたことに、わたしは前にも彼の演技を観ていたのです。このブログでも以前にとり上げたテレンス・マリックの“ニュー・ワールド”[2005]に出ていました。(というか当該記事[本ブログ2月24日記事]の画像の人物がそうです。‘DVDのながら観’だったからか意識化するに至らなかったものの、画像に使用したくらいなのでどこか引っかかっていたのかも)
プロの踊り手がアクション系の時代物で敵のボス役を演じている近例としては、日本では“たそがれ清兵衛”[2002]がすぐに思い浮かぶところです。現代舞踏家の田中泯はこの作品で妖艶なまでの剣技(というか足技)を披露してみせましたが、これは彼と戦う主人公を演じた真田広之が身体的な素養としても世界水準に達している役者であればこそでした。そうした意味で本作でのラオール・トゥルヒロの身体のキレを引き立てているのはジャングルの大自然と言えそうです。密林の土を足指でがっちりと踏みしめ、草葉を巻き上げて疾走していく姿は見応えがありました。
コンテンポラリーダンスというとなにか取っつきにくい印象もありますが、モダンダンスへの反駁というほか特に総括的な定義はないのが現状なので、非欧米圏におけるコンテンポラリーダンスの潮流としては往々にしてローカルな伝統文化に基づく身振りがクローズアップされてきます。この意味でラオール・トゥルヒロと田中泯の商業映画への起用とその成功には同じ論理が通底していそうです。個人的にこれは意外な発見でした。
◆メル・ギブソン監督作
メル・ギブソンの監督作としての前作“パッション (The Passion of The Christ)”[2004]は、血みどろのイエス・キリストを巡る表現が世上を賑わせましたが、本作“アポカリプト”においても残虐的な戦闘シーンはもとより、生贄の儀式や昆虫の首をもいで治療に使うシーンなど、その異色さは健在。この両作品で彼の映画監督としての立ち位置はほぼ固まったように思います。
以前この記事シリーズのコメント欄で少し述べたこともありますが(“ミッション”2006年8月5日記事)、やはりbloody-dirtyな手触りは彼の表現手法の根底に抜きがたく横たわっているようで、単に世間の耳目をひくために付加されたセンセーショナルな演出というよりは、むしろこうした暴力性の充溢こそが作品の本質になっています。
ただしここで注意しなければならないのは、映像表現として立ち現われてくるのはあくまで作り手もしくは受け手の内なる何かに過ぎないという点です。そのためこの場合であれば現代文明における‘暴力’が必ずしも他の文明にとっても‘暴力’たりえないのが当然である一方で、商業映画におけるストーリー進行は観客の共感を導くものであることが宿命づけられているために、他の文明を扱う際にはこの点での齟齬をどう乗り越えるかが大問題となってくるんですね。たとえば“パール・ハーバー”[2001]に登場する戯画的な日本人像に比べ、先にも挙げた“硫黄島からの手紙”でクリント・イーストウッドは極限下における人間倫理の普遍を描くことによりこの点をきっちりとクリアしていますが、メル・ギブソンは逆に徹頭徹尾アクション描写にこだわることでこうしたズレを無化する方法を採っています。
したがって“アポカリプト”の文明論的な部分を切り取って正しい正しくないと批評するのはそもそもがお門違いということにたぶんなります。たとえば生贄の儀式のシーンでマヤの司祭が民衆を前に現代の西洋人っぽい名声欲を丸出しにしたり、生贄の青年があたかも夏休みの旅行中に誘拐されて殺される前のバックパッカーのような反応を見せたりすることにはおかしさを感じざるをえないのですが、そこは監督本人もとうに開き直っているはずです。そもそもこの作品に比較文明論的な視座を見いだせるとしても、それは実際問題としてどうでもいいことなんですよね。最後のほうではスペインのガレオン艦隊が上陸を開始するシーンもありますが、やはり説明的な挿話以上のものにはなってなかったり。
メル・ギブソンは私生活では熱狂的なクリスチャンとして知られる一方で、“アポカリプト”公開前にはユダヤ人差別発言で物議を醸したりも。映画産業にユダヤ系資本が深く噛み込んでいる現状でこのパフォーマンスは致命的とも思えましたが、公開してみると真逆の大入り状態に。また俳優としての昨今のメル・ギブソンを観てみたいひとにはヴィム・ヴェンダース監督の“ミリオンダラー・ホテル”[2000]が一押し。すっごい変です。でも彼以外は考えられないほどのハマリ役。
“アポカリプト”の音楽を担当しているのはジェームス・ホーナー。“ニュー・ワールド”と同じです。ここらへんの調子の良さもメル・ギブソンならではかも。ここではいろいろと突っ込んだことを書いてますが、作品自体は頭をカラっぽにして楽しめる上質のチェイス物アクション映画になっています。おススメです。
"Apocalypto" by Mel Gibson [+scr] / Rudy Youngblood,Dalia Hernandez,Raoul Trujillo / James Horner [music] / 138min / US / 2006
※ 国内では先月半ば公開の新作ですが、早くも終了しだしています。これから観に行くかたはお急ぎを。レンタル開始はたぶん11月くらい。
前回記事の続きです。リューベック大海戦レポートの後半。
援軍側旗艦の初日ついてはすでに述べたので、今回はおもに攻撃艦として参戦した中日と総旗艦を務めた最終日についてなど。
▼個人戦績(のつづき):
初日 [旗艦] : 与撃沈/拿捕 14 決定打 7 被撃沈 7 与クリ 29 被クリ 17
中日 : 与撃沈/拿捕 21 決定打 9 被撃沈 1 与クリ 29 被クリ 2
千秋楽 [旗艦]: 与撃沈/拿捕 10 決定打 4 被撃沈 10 与クリ 24 被クリ 28
【中日: 攻撃艦・砲術家 → MVP獲得】
現状の仕様だと大海戦のMVPとは単にその日両陣営で最も多く戦功を稼いだプレイヤーを指すに過ぎないわけで、本当の Most Valuable Player がシステム上のMVPを輩出した艦隊の提督であることは他言を待たないところかと思います。
その意味でこの日の両提督(レム&abbaさん)の戦いかたには目覚ましいものがありました。自国が参加するほとんどの大海戦で総旗艦を務めてきた2人が珍しくペアを組んだわけで、相性次第ではどんなトラブルも起こりかねないというはかない期待も跳ね返し、どちらもが総旗艦と援軍旗艦の役割を十全とこなしていました。見極めが絶妙でした。
この点を最前提に、この日goodbyeがMVP獲得へ到った要因を考えてみると、
1.前日に旗艦をしており、無自覚に回避への意識が高かったこと(70戦で被クリ2など)
2.戦闘終了に直結する与撃沈に多く絡めたこと(含決定打9)
3.長く賞金稼ぎを続けていたため、砲術家転職で亀の甲羅を外した孫悟空状態に
などが思い当たります。攻撃艦で与撃沈21はまったく多い数字ではないものの、つねに旗艦を狙いつつ戦っていたためもあるのか、わたしが与撃沈をカウントした戦闘のおそらく全てが運も手伝い勝利に終わっていました。いくら撃沈数を稼いでも戦闘に負けたり敵旗艦を逃がしては戦功の点では無意味ですから、自旗艦の護衛と敵旗艦の捕捉を常に意識に置くことはやはり大事です。逆にどちらも他の味方にまかせて撃沈数を稼ぐスタイルは、大海戦では艦隊の力を弱めるはず。中遠距離からのコンボ撃沈に絡めた頻度は過去最高かも。
戦功数の獲得という点では、この日競っていたらしい2人がgoodbyeより合計レベルが高かったこともありますね。無駄に交易レベルを上げているのでわたしも軍人専のキャラとして低いほうではないのですが、やはりあまりフェアなシステムだとは思えません。
【千秋楽: 総旗艦・賞金稼ぎ】
最終日も砲術家でバンバン撃つつもりでIN。すると今度はやはり‘提督といえばこのひと’的なレムさんからも「僚艦してみたい」発言が。(笑) アバさん同様レムさんもふだんからいろいろお世話になってますし、できることなら全員が希望通りに楽しめるのがいいに決まっているので、それなら今度は仕掛け側旗艦で、艦隊メンバーに指南役+一応の代役としてレムさんを貰えることを条件に旗艦を名乗り出ることに。砲術家から賞金稼ぎへ再転職。
しかしその後の経緯で艦隊メンバーにレムさんを貰えず、代わりにきた艦隊メンバーの一人には「旗艦護衛しないけどゴメンね」と公言されたり。この発言もあって内心やる気はかなり削がれたのですが、長いあいだ大海戦を一緒にやり慣れたゴンサ船長が援軍側の提督を引き受けてくれたことは心強く、それを頼りに気を取り直して出航。初日の反省から、大海戦を長く一緒に戦ってきたひとのほうが意思疎通の面で有効だと思ったんですね。
実際にやってみた感想としては、まず新鮮だったのが交戦開始のクリック速度は思ったほど最優先の事項ではないということ。むしろ味方の援軍にとって敵ペア艦隊のどちらに仕掛けるのがいいのか、一瞬前に他艦隊により分断される恐れはないかといったクリック直前の判断がよほど結果を左右していました。また一瞬で把握できる情報量には限界があるので、艦隊メンバーからの指示が殊に比重を増しました。逆に言うと前後の文脈がなければ誤解を招くようなことは言ってほしくないわけで、「解散すべき」という指示をみて解散したら直前の戦闘についての感想だったというようなことも。
交戦開始後はとりわけ敵の援軍艦隊への対応に苦心しました。自分から深みに嵌ることや、撃沈を狙いにいって普段でも稀にみるくらいのアホ沈をしたり。敵援軍の参加可能範囲の読みや、敵旗に近づくか撤退を視野に入れるかといった判断には大海戦特有のものがあるので、120%経験がものをいう領域だと痛感。初心者のボロでまくりでした。やらずにあれこれ言うのはとても簡単なんですけどね。
味方の援軍提督はこちらがチャットを打つまえにその通りに動いてくれる場面が多く、さすがに周りが見えているなぁと感心しきりでした。ゴンサ船長謝々。
【トータルの感想など】
結果的に毎日役柄を替えることになり、予想外のMVP獲得までできた忙しない大海戦となりました。この結果から自船の戦力を客観的に省みるなら、やはり現時点でのgoodbyeは旗艦ではなく攻撃艦として使用するのがよろしかろうということになりそうです。砲術家で参加した中日の[決定打9 被クリティカル2]という数字に対し、仕掛け側旗艦での[被撃沈10]の値は初体験であることを差し引いてもコストパフォーマンスが悪すぎます。
初日は旗艦とはいえ援軍側で、主導権のある戦闘では攻撃に専念できたため、決定打数もペア艦隊10名中3位(自視点)でした。この点では艦隊編成もチームプレイの一環ですから今後も検討の余地がありそうです。転職証の用意が大変でしょうけど。(笑)
中日にMVPを獲れたのは記念にもなり良かったです。2年近くやってるゲームですし、一日おいてだんだん嬉しさがこみ上げてきました。
また最終日にはなぜ模擬同好会で出たのかわからない言動や具体性のない感想を指示口調で繰り返すひとがいたことも集中力を削がれた一因だったので、戦力的な問題からも構成員を選べない状況での旗艦はもうやらないほうがよさそうです。チャット欄の見極めに苦心しないようになれば別ですが、今はまだふだんから付き合いのあるメンバーで組めないとこうした点は楽しめないかも。連携行動もこの艦隊の持ち味なわけで。
今回の旗艦初体験については、一度は経験したことが今後に影響しないはずもなく、この機会にやれておいて良かったなと思います。旗艦が僚艦にしてほしいことを漫然とではなく、具体的に把握できる機会ともなりました。こうした機会を与えてくれた同好会常連の面々に感謝です。参戦された両陣営のみなさん、支援に関わったみなさん、おつかれさまでした。
▽おまけ
大戦艦ヴァーサ:
http://www.vasamuseet.se/InEnglish/about.aspx
1628年、スウェーデン王国の威信をかけて建造された戦艦ヴァーサが、処女航海へ出た途端にストックホルム湾内で沈没してしまいます。この戦艦は当時としては世界最大級の火力をもつものでしたが、その行き過ぎたスケールが仇となり、各所に設計ミスが生じていたようです。
ここまでは歴史上よくある話とも言えるのですが、沈んだ海底がちょっと珍しかった。日本では富山湾の一部海底などが知られていますが、塩分濃度と水温の関係で、稀に木材を腐らせる水中バクテリアが繁殖しない環境が生じるんですね。このために、戦艦ヴァーサは海中にも関わらずほぼ完全な形で現代まで保存されることになりました。1950年代に確認され、引き揚げられたのは1961年。
画像を見てもらえればわかりますが、保存の完璧度は驚愕に値します。船尾や船腹に高密度で彫りこまれた彫像群は部分的には西欧風の王室紋章を模しているものの、全体としては明確に異教的(非キリスト教的)な雰囲気が感じられますね。あくまで憶測ですが、ヴァイキングの伝統がもたらしたのだろう彼らの矜持をこうしたあたりに感じとってしまいます。
第25回大海戦@リューベック、レポートです。
初日 [旗艦] : 52勝 8敗 6分け 勝利ポイント 88 戦功 111
中日 : 61勝 4敗 5分け 勝利ポイント 105 戦功 135
千秋楽[旗艦]: 44勝 11敗 12分け 勝利ポイント 75 戦功 91
自身初のMVP獲得の他にもいろいろありました。初日の援軍旗艦初体験や最終日の総旗艦初体験、MVP時の経過分析など、後半が長くなるので前半2項目をいつもより短めに。
▼海戦総覧:
標的港はリューベック、会戦海域はユトランド半島沖+バルト海。連盟構成はヴェネツィア+イスパニアvsネーデルランド+ポルトガル。蘭+葡の防衛サイドは小クラスのNPC狩りで貯金を貯め、中大クラスでも数的劣位のなか奮闘、総合結果は4176:4106でほぼ完全な引き分けに終わりました。バルト海での大海戦はノトス初。補給に立ち寄ったウィスビーを今さら‘発見’したのは内緒です。
▼艦隊総括:
今回はこれまで一年以上に渡って続けてきた‘ほぼ固定艦隊’を解散、イスパニア模擬HPでの呼びかけに応じてくれた20人で4艦隊を組むことにしてみました。初日と3日目は当日の流れで初めての旗艦をやることに。毎日メンバー構成を一新したため、総括よりも以下の日ごとの記述に量を割きます。
それにしても、艦隊戦好きのプレイヤーが20人集まっても、旗艦をやってもいいと名乗りでるひとはなかなか揃わないものなんですね。わたしの場合もぜひともやりたいというわけではなかったので、いつも自分から進んでやるひとは凄いなぁ、貴重だよなぁと再確認(笑)
▼個人戦績:
初日 [旗艦] : 与撃沈/拿捕 14 決定打 7 被撃沈 7 与クリ 29 被クリ 17
中日 : 与撃沈/拿捕 21 決定打 9 被撃沈 1 与クリ 29 被クリ 2
千秋楽 [旗艦]: 与撃沈/拿捕 10 決定打 4 被撃沈 10 与クリ 24 被クリ 28
ちなみに使用船のオプションスキル、小中クラスではこれまで敵提督の捕捉に特化して直撃阻止を付けていたのですが、今回は現状ではより汎用性の高い機雷探索へ事前に付け換えていました。船種は機動型ガンボート・重フリゲート。
【初日: 援軍側旗艦・賞金稼ぎ】
初日は2時間前にIN。小型船や転職許可証の持参を忘れるなどあたふたしていたところ‘提督といえばこのひと’的なアバさんが前日に「僚艦してみたい」旨をつぶやいていたのを思い出し、それなら転職せずに旗艦をやってみてもいいか、と思いたって初めての旗艦体験が決定。職業は賞金稼ぎを継続。旗艦の職としては斥候や上級士官がやはり一般的ですけどね。
実際にやってみて一番難しかったのは、チャット指示の確認でした。特に吹き出しの出ない茶室内チャットでの「うしろの〜いく」などといった指示は、標的が視野にないうえこちらも策敵のため視線を張って諸作業を行いつつの牽引のため、とても気づきにくいものでした。ですから‘他のひとが言ってるからいいや’ではなく、提督が気づいて行動を変えるまで吹き出しの出る艦隊チャットを繰り返すことが艦隊メンバー全員に要請されるなぁと改めて強く思った次第。
次に援軍参加時の旋回行動。速度を落とさず敵提督へ重ねられればベストなのですが、そこは相手もベテランが多く援軍重ねが不可能なエリアへしばしば退避されてしまい、しかも混雑しているエリアでのマウスでの旋回は他の船をクリック表示してしまい曲がれないことも多発。そのうえ位置取りのみに集中していると、他艦隊の接近や仲間の指示への反応が遅れペア分断を許してしまうことも。
こうした旗艦特有の視点移動や旋回行動の難しさはもとより了解していたことですが、うまく重ねられたと思ったら援軍参加直後のフリーズのあいだにスルリと抜けられたり、敵提督が戦闘中の僚艦から距離を置いていると援軍可能範囲内でも重ねる直前にクリック窓が消えてしまうなど、実際にやってみると想像を遙かに超えて難易度の高いものでした。
ペア艦隊のガルさんが僅差でMVPを逃したらしく、獲得していればロワ乗り初ともなっただけに残念。というか‘自分があそこでこうしていればMVPいけたかもなぁ’と悔やまれる点ばかりで反省です。
それから専属の‘美人マネージャー(?)’を雇った艦隊メンバーがおり、これが思いのほか大きな助けとなりました。詳しくは↓
http://diarynote.jp/d/81364/20070714.html
http://diarynote.jp/d/81364/20070716.html
よく商人プレイヤーのかたなどが洋上で物資を安値提供してくれており、それはそれで非常に助かっているのですが、このマネージャーが違ったのは艦隊専属であることと、外見は美人でも脳みそはマッスルなのでこちらの思考パターンとタイミングをよく掴めていることでした。2日目の私のMVP獲得についても、このマネージャーの存在が一役買ってくれたのは間違いのないところだと思います。
▽おまけ
長くなったので続きは次回に。攻撃艦として参加しMVP獲得へ到った中日と、仕掛け側旗艦を初体験した最終日についてまとめます。以下おまけ。
『買い付け旅行』
ttp://www.grapheine.com/bombaytv/index.php?module=see&lang=fr&code=a969ab260ff71a1dd1b972efbd63ae2c
小ネタです。怒らないでください。
初日 [旗艦] : 52勝 8敗 6分け 勝利ポイント 88 戦功 111
中日 : 61勝 4敗 5分け 勝利ポイント 105 戦功 135
千秋楽[旗艦]: 44勝 11敗 12分け 勝利ポイント 75 戦功 91
自身初のMVP獲得の他にもいろいろありました。初日の援軍旗艦初体験や最終日の総旗艦初体験、MVP時の経過分析など、後半が長くなるので前半2項目をいつもより短めに。
▼海戦総覧:
標的港はリューベック、会戦海域はユトランド半島沖+バルト海。連盟構成はヴェネツィア+イスパニアvsネーデルランド+ポルトガル。蘭+葡の防衛サイドは小クラスのNPC狩りで貯金を貯め、中大クラスでも数的劣位のなか奮闘、総合結果は4176:4106でほぼ完全な引き分けに終わりました。バルト海での大海戦はノトス初。補給に立ち寄ったウィスビーを今さら‘発見’したのは内緒です。
▼艦隊総括:
今回はこれまで一年以上に渡って続けてきた‘ほぼ固定艦隊’を解散、イスパニア模擬HPでの呼びかけに応じてくれた20人で4艦隊を組むことにしてみました。初日と3日目は当日の流れで初めての旗艦をやることに。毎日メンバー構成を一新したため、総括よりも以下の日ごとの記述に量を割きます。
それにしても、艦隊戦好きのプレイヤーが20人集まっても、旗艦をやってもいいと名乗りでるひとはなかなか揃わないものなんですね。わたしの場合もぜひともやりたいというわけではなかったので、いつも自分から進んでやるひとは凄いなぁ、貴重だよなぁと再確認(笑)
▼個人戦績:
初日 [旗艦] : 与撃沈/拿捕 14 決定打 7 被撃沈 7 与クリ 29 被クリ 17
中日 : 与撃沈/拿捕 21 決定打 9 被撃沈 1 与クリ 29 被クリ 2
千秋楽 [旗艦]: 与撃沈/拿捕 10 決定打 4 被撃沈 10 与クリ 24 被クリ 28
ちなみに使用船のオプションスキル、小中クラスではこれまで敵提督の捕捉に特化して直撃阻止を付けていたのですが、今回は現状ではより汎用性の高い機雷探索へ事前に付け換えていました。船種は機動型ガンボート・重フリゲート。
【初日: 援軍側旗艦・賞金稼ぎ】
初日は2時間前にIN。小型船や転職許可証の持参を忘れるなどあたふたしていたところ‘提督といえばこのひと’的なアバさんが前日に「僚艦してみたい」旨をつぶやいていたのを思い出し、それなら転職せずに旗艦をやってみてもいいか、と思いたって初めての旗艦体験が決定。職業は賞金稼ぎを継続。旗艦の職としては斥候や上級士官がやはり一般的ですけどね。
実際にやってみて一番難しかったのは、チャット指示の確認でした。特に吹き出しの出ない茶室内チャットでの「うしろの〜いく」などといった指示は、標的が視野にないうえこちらも策敵のため視線を張って諸作業を行いつつの牽引のため、とても気づきにくいものでした。ですから‘他のひとが言ってるからいいや’ではなく、提督が気づいて行動を変えるまで吹き出しの出る艦隊チャットを繰り返すことが艦隊メンバー全員に要請されるなぁと改めて強く思った次第。
次に援軍参加時の旋回行動。速度を落とさず敵提督へ重ねられればベストなのですが、そこは相手もベテランが多く援軍重ねが不可能なエリアへしばしば退避されてしまい、しかも混雑しているエリアでのマウスでの旋回は他の船をクリック表示してしまい曲がれないことも多発。そのうえ位置取りのみに集中していると、他艦隊の接近や仲間の指示への反応が遅れペア分断を許してしまうことも。
こうした旗艦特有の視点移動や旋回行動の難しさはもとより了解していたことですが、うまく重ねられたと思ったら援軍参加直後のフリーズのあいだにスルリと抜けられたり、敵提督が戦闘中の僚艦から距離を置いていると援軍可能範囲内でも重ねる直前にクリック窓が消えてしまうなど、実際にやってみると想像を遙かに超えて難易度の高いものでした。
ペア艦隊のガルさんが僅差でMVPを逃したらしく、獲得していればロワ乗り初ともなっただけに残念。というか‘自分があそこでこうしていればMVPいけたかもなぁ’と悔やまれる点ばかりで反省です。
それから専属の‘美人マネージャー(?)’を雇った艦隊メンバーがおり、これが思いのほか大きな助けとなりました。詳しくは↓
http://diarynote.jp/d/81364/20070714.html
http://diarynote.jp/d/81364/20070716.html
よく商人プレイヤーのかたなどが洋上で物資を安値提供してくれており、それはそれで非常に助かっているのですが、このマネージャーが違ったのは艦隊専属であることと、外見は美人でも脳みそはマッスルなのでこちらの思考パターンとタイミングをよく掴めていることでした。2日目の私のMVP獲得についても、このマネージャーの存在が一役買ってくれたのは間違いのないところだと思います。
▽おまけ
長くなったので続きは次回に。攻撃艦として参加しMVP獲得へ到った中日と、仕掛け側旗艦を初体験した最終日についてまとめます。以下おまけ。
『買い付け旅行』
ttp://www.grapheine.com/bombaytv/index.php?module=see&lang=fr&code=a969ab260ff71a1dd1b972efbd63ae2c
小ネタです。怒らないでください。
大海戦、MVPを獲ってしまいました。
ギルドへ行って自分の目で確認しないことにはかなり信じがたかったのですが、どうも本当のようです。そこで珍しく即日更新。
そのうち一度は獲ってみたいなぁとは思っていたので嬉しいことは嬉しいのですが、自分は獲るタイプのプレイヤーではないなぁとも思ってきたので意外さもけっこう感じます。PC環境が変わってから攻撃型のスタイルが育ちつつあったとはいえ、やはりいろいろな好条件が重なった結果の産物とは言えそうです。この大海戦についてはまた定型のレポート記事にまとめますが、特に艦隊を率いる二提督の戦い方はこれまでにない水準を目にした観あり。
なにが嬉しかったって、長く同じ艦隊を組んできたメンバーがMVP獲得を喜んでくれたことが一番嬉しかったですね。
▽近況とおまけ
さいきんはIN時間がかなり減ってきています。これまでも減る時期はありましたから、すぐまた毎晩のように現れることになりそうですけど。いろいろと身辺が煩雑になっていることもあり、ブログの更新もかなり疎らに。このブログの場合、書いている時間よりも書くことを考える時間を集中して持てないと、なかなか更新するまでに至らないのが目下悩みの種です。
というわけで、おまけ代わりに今場所のみどころなど。今日って海の日なんですね。
癒やし系: 岩木山・雅山
ただ太っているだけの力士は数多くいますが、この二人は少し別格
肉の付きかたというか、揺れかたが優雅なんです。岩木山は現在十両落ち中。。。
ウルフ系: 安馬・安美錦
どちらもいわゆる小兵力士で痩せぎみですが、毎回精悍な取り口を見せてくれます
安美錦は今場所初日に朝青龍を破る金星を挙げました
どんどん系: 琴奨菊・稀勢の里
身長だけならこの二人のほうが小さいかも。琴奨菊の“がぶり寄り”は相当ユニーク
前進あるのみな二人ですが、単なる押し相撲ではなくしっかりと技を持ってます
なお世間的には今場所の注目は何といっても、ご当地名古屋での大関昇進がかかった琴光喜と目下24連勝中の新横綱白鵬の二人です。大航海時代のプレイヤーに大相撲をみるひとが少なそうなのはもったいない、というわけでいつになく妙に唐突な記事を書いてみました。(笑)
「さよなら航路」のインデックス記事です。
この記事は適時更新していきます。
◆【吐息の航跡】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=1
キャラ作成時の記述から始まる回想録シリーズ
2006年1月25日に書き出し、同年6月9日完結。当初カテゴリーはこれのみでした
◆【常在戦場】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=2
“吐息の航跡”に後続する通常記事群。2006年6月23日開始
◆【海のなかの見えない航路】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=5
PC環境の改善を機に始めた新シリーズ。2007年3月10日スタート
◆【就職・転職】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=203
転職の際のご参考に
はじめは職業別・映画・歴史物という括りは意識してませんでした
◆【世界独航記】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=6
世界周航記念の5回限定記事。2007年8月24日-同年9月7日執筆
◆【海の庭】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=3
大海戦レポート。カテゴリー内インデックスは下記URLにて↓
【海の庭 index】 http://diarynote.jp/d/75061/20060824.html
他分類に混じっているものもあるので、実際の記事数は右欄表示よりも多いです
◆【艦隊戦要諦】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=4
具体的なプレイ指南よりも基本となる考え方にシフトしてみました
おもにベンチマークの低いPCでプレーしているかた向け
◆【水の棲み処】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=8
?
◆【links】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=7
Diary Note以外のリンクまとめです。適宜更新中
◆【index】 http://goodbye.diarynote.jp/?theme_id=9
当ブログの記事インデックスです。適宜更新中
以下はピックアップです。読み物になりそうな記事をてきとうに。
◇海事系豆知識とか
帆装と船速 : http://diarynote.jp/d/75061/20060624.html
ガレーと帆船 : http://diarynote.jp/d/75061/20070405.html
戦列艦と船史: http://diarynote.jp/d/75061/20070421.html
帆走軍艦史考: http://diarynote.jp/d/75061/20070803.html
海盆(と中華): http://diarynote.jp/d/75061/20060130.html
◇海賊まわり
無差別海賊 : http://diarynote.jp/d/75061/20060409.html
私掠海賊 : http://diarynote.jp/d/75061/20060719.html
賞金稼ぎ : http://diarynote.jp/d/75061/20070603.html
逃走と追撃 : http://diarynote.jp/d/75061/20060215.html
上納品など : http://diarynote.jp/d/75061/20070209.html
視線と猖獗 : http://diarynote.jp/d/75061/20061103.html
◇随想など
はじめまして: http://diarynote.jp/d/75061/20060125.html
ネットと世界 : http://diarynote.jp/d/75061/20060609.html
異文化とは : http://diarynote.jp/d/75061/20070131.html
月長石 : http://diarynote.jp/d/75061/20061003.html
フレンドリスト : http://diarynote.jp/d/75061/20070317.html
マニラの姉弟: http://diarynote.jp/d/75061/20070518.html
トランプ : http://diarynote.jp/d/75061/20070607.html
◇Cinema de 大航海
探検家 【ニュー・ワールド】 : http://diarynote.jp/d/75061/20070224.html
宣教師 【ミッション】 : http://diarynote.jp/d/75061/20060805.html
司祭 【薔薇の名前】 : http://goodbye.diarynote.jp/200805130518420000/
盗賊 【プランケット&マクレーン】: http://diarynote.jp/d/75061/20070623.html
レンジャー 【ファウンテン】 : http://diarynote.jp/d/75061/20070809.html
両替商 【ヴェニスの商人】 : http://diarynote.jp/d/75061/20060831.html
地方海賊 【パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち】:
http://diarynote.jp/d/75061/20060723.html
広域海賊 【パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド】:
http://diarynote.jp/d/75061/20070526.html
剣士 【アポカリプト】 : http://diarynote.jp/d/75061/20070725.html
准士官 【バリー・リンドン】 : http://diarynote.jp/d/75061/20060916.html
海軍士官 【マスター・アンド・コマンダー】:
http://diarynote.jp/d/75061/20060708.html
上級士官 【ホーンブロワー 海の勇者】:
http://diarynote.jp/d/75061/20071023.html
軍医 【ファイナル・ソルジャー】 : http://goodbye.diarynote.jp/200802140622420000/
インデックスを置いておきます。
今回はおまけ編。
本記事は適宜更新予定です。
◆歴史小ネタ系
ビクトリア号復元計画: http://diarynote.jp/d/75061/20070218.html
大海戦のNPCたち: http://diarynote.jp/d/75061/20070212.html
にっぽんのガレオン船: http://diarynote.jp/d/75061/20070523.html
東アジアの海賊史: http://diarynote.jp/d/75061/20070603.html
北欧戦艦ヴァーサ: http://diarynote.jp/d/75061/20070722.html
沈没船と現代海軍: http://diarynote.jp/d/75061/20070617.html
帆走軍艦の世紀: http://diarynote.jp/d/75061/20070803.html
◆字幕あそび等
現状ボンベイTVのものが多いのですが、リンク先サイトのリニューアルで一度すべて見れなくなったようです。直せるものは直しましたが、一応記事内では新旧ふたつのURLを載せてます。いつ復活するかわかりませんしね。
『かいぞくにっき』 http://diarynote.jp/d/75061/20060623.html(現在見れず)
『ついに掘ったぜ!』 http://diarynote.jp/d/75061/20060624.html
『ついにとったぜ!』 http://diarynote.jp/d/75061/20060627.html
『副官をさがして』 http://diarynote.jp/d/75061/20060719.html
『かさなりたい』 http://diarynote.jp/d/75061/20060731.html
『アパルタメントで起きた怖い話』
http://diarynote.jp/d/75061/20060906.html(現在見れず)
『通常弾強化ついにこた!』
http://diarynote.jp/d/75061/20060912.html(現在見れず)
『わがまま言わない』 http://diarynote.jp/d/75061/20060924.html(現在見れず)
『身体言語スキルを発動しました』
http://diarynote.jp/d/75061/20061027.html(現在見れず)
『強化ロープの強度について』 http://diarynote.jp/d/75061/20061125.html
『生物の時間』 http://diarynote.jp/d/75061/20061231.html
『入港許可証』 http://diarynote.jp/d/75061/20070131.html
『買い付け旅行』 http://diarynote.jp/d/75061/20070718.html
『大航海時代の一悲劇』 http://diarynote.jp/d/75061/20070402.html
『帆走軍艦の時代』 http://diarynote.jp/d/75061/20070803.html
◆気になる動画など
bravia: http://diarynote.jp/d/75061/20060819.html
Coldplay: http://diarynote.jp/d/75061/20060824.html
Portishead: http://diarynote.jp/d/75061/20060909.html
Orbital: http://diarynote.jp/d/75061/20060920.html
Time Lapse: http://diarynote.jp/d/75061/20061129.html
Reno Balloon Festa: http://diarynote.jp/d/75061/20070121.html
Oxford Circus: http://diarynote.jp/d/75061/20070104.html
◆その他
Pirate Island: http://diarynote.jp/d/75061/20070209.html
ぐにゃ: http://diarynote.jp/d/75061/20070405.html
大相撲: http://diarynote.jp/d/75061/20070716.html
リンク先の外部URLを直接集めることも考えたのですが、付随する記事内の注釈がないと無意味になることが多いので記事URLでまとめました。個別のご感想などもしあれば各々の記事に書き込んでいただいて大丈夫です。新着コメント一覧で随時チェックします(笑)
そもそもなぜおまけ付き記事が定番になったかというと、当初このブログでは毎回プレイ日記と回想録をセットで記事にしていたんですね。(右欄テーマ一覧内“吐息の航跡”) それが終わってみると、どうもメインの記事だけでは据わりが悪く感じられるようなってしまったわけです。外部リンクを張ることで、記事に広がりができるというのもあるかも。読むうちに沸くかもしれない関心を外に受け流すというか。
1748年、2人組の盗賊がその噂でロンドン中を賑わせます。“紳士怪盗”("the Gentleman Highwayman")とあだ名された彼らの特徴は‘貴族からしか盗まない’こと、そしてあくまで‘紳士的に盗む’こと。史実上のこの事件を元に、映画はこの種の作品としては珍しいほどのパンキッシュな演出とともに展開されます。
2人組の片割れ、ロバート・カーライル演じる元薬剤師のプランケットは商売に失敗しすべてを失ったのち盗賊稼業に手を染めます。ジョニー・リー・ミラー演じるマクレーンは聖職者の家に生まれて身を持ち崩し、社交界への復帰を夢みつつも酒に溺れているころ相棒プランケットに出会います。墓場で出会った2人は獄中で‘紳士協定’を結び一気にその名を馳せてゆくのですが、こうしたストーリーがとてもスピーディに展開されるため、終始MTVを見ているかのような感覚に襲われるひともいるかもしれません。
なかでも圧巻なのは前半の山場、リヴ・タイラー扮するヒロインとマクレーンが初めて出会う晩餐会の場面。着飾った貴族たちによる群舞の旋律に合わせ複数の登場人物たちにより重層的に会話が進行していくのですが、そのいずれもがストーリー進行を決定づける役割を果たしており、権謀術数の渦巻くヨーロッパ社交界のいわば沸騰点のような存在としての晩餐会がもつ高揚感をうまく描出しているように思います。
時間にして約5分の短いこのシークエンスでは、まず通底音として弦楽音を基調とするビートの利いたBGMが流れ出し、異様な静止ポーズを交えた群舞を織りなす無数の男女と宮殿の大広間中央に配置された奇怪な巨大オブジェが遠景に映し出され、何かと主人公たちを助けるバイセクシュアルの貴族ローチェスター卿の案内で主要な貴族たちが次々に紹介されていきます。群舞の進行に併せてBGMも段々と盛り上がっていくのだけれど、この展開が極めて鮮やか、局所的に配される静止も巧みで引きと寄せの緩急があらゆる面で利いており、作品のエッセンスがすべてここに集約、昇華されていると言って良い名シーンになっています。
実を言うと、現在公開中の古代スパルタ軍とレオニダス王を素材とした映画“300<スリーハンドレッド>”を観たことが、この作品を思い出した直接のきっかけだったりします。これら両作品に共通するのは、ある部分では時代背景にかなり忠実な一面をみせつつも、別の部分では過剰とも言えるほどに文化考証を無視した演出が施されていることです。この点を認めるか認めないかでこの種の作品を巡る評価は大きく分かれることになりますが、そもそもこうした方向性は失敗の危険が高いことから実現化へ至るケース自体が稀なんですね。ただ一方でその時代の音楽、その時代の事物に忠実であればその時代精神の的確な表現になるかと言えば、これはこれでまったく別の話であることも確かです。
では“プランケット&マクレーン”においてこの試みは成功しているのかどうか。わたしの答えは大いにYesです。その根拠としては上記の1シーンだけを挙げれば十分な気もします。レンタル版DVDでは37:14-42:32‘夜会’の章がこれに当たります。このシーンで使われたBGMなんてクラシックどころかハイパーテクノなんですけどね(笑)、この作品ののちハリウッドの他作品でもよく使われる定番の1つになりました。
ちなみにこのマクレーン、史実では1750年に処刑台にて最期を迎えるのですがその後ジョン・ゲイの戯曲『乞食オペラ』のモデルとなり、ブレヒトはこの戯曲を元に『三文オペラ』を書きあげたといいますから、当時の人々のあいだでその悪名とは裏腹にかなりの人気を誇っていたことが窺えます。また2人は作品中で追っ手から逃れてあらゆる束縛から自由な土地‘アメリカ’を目指すのですが、対照的なのがローチェスター卿のさいごのセリフ。
「新しい世界は遠すぎるし、広すぎるし、野蛮だわ。
これからもわたしはここで若い男の子たちを堕落させていきたいの」 (筆者訳)
彼は登場するのっけから両刀使いであることを軽々と告白するのですが、その時のセリフ‘I swing everywhere.’とラストでのこのセリフが見せるコントラストは、大航海時代から近代へと移りつつある当時の人々が感じただろう世界の広がりと階層社会の窮屈さをうまく捉えているように思います。
監督はジェイク・スコット。“ブレードランナー”“ブラックホーク・ダウン”などのリドリー・スコットを父に、“トップガン ”“デイズ・オブ・サンダー ”のトニー・スコットを叔父にもつサラブレットの映画監督デビュー作がこの作品でしたから大いに期待されるところですが、その後はいまだ鳴かず飛ばず。ロバート・カーライルは“トレインスポッティング”の大ヒットをきっかけにハリウッドへ進出しますが、元々イギリス下層社会の男を演じ続けて評価を固めた役者なので、この作品をその延長線上に位置づけてもよさそうです。また名優ゲイリー・オールドマンが製作・総指揮で参加しています。
映画“300”を記事にすることも考えたのですが、そこはこのブログにふさわしいほうを選んでみました。“300”の評価関連については相互リンクのある秋林さんのブログに詳しいので、下記に記事URLを紹介させていただきます。
http://diarynote.jp/d/25683/20070316.html
"Plunkett & Macleane" by Jake Scott / Robert Carlyle,Jonny Lee Miller,Liv Tyler,Alan Cumming,Michael Gambon / Gary Oldman [executive prd.] / Craig Armstrong [music] / 100min / UK / 1999
2人組の片割れ、ロバート・カーライル演じる元薬剤師のプランケットは商売に失敗しすべてを失ったのち盗賊稼業に手を染めます。ジョニー・リー・ミラー演じるマクレーンは聖職者の家に生まれて身を持ち崩し、社交界への復帰を夢みつつも酒に溺れているころ相棒プランケットに出会います。墓場で出会った2人は獄中で‘紳士協定’を結び一気にその名を馳せてゆくのですが、こうしたストーリーがとてもスピーディに展開されるため、終始MTVを見ているかのような感覚に襲われるひともいるかもしれません。
なかでも圧巻なのは前半の山場、リヴ・タイラー扮するヒロインとマクレーンが初めて出会う晩餐会の場面。着飾った貴族たちによる群舞の旋律に合わせ複数の登場人物たちにより重層的に会話が進行していくのですが、そのいずれもがストーリー進行を決定づける役割を果たしており、権謀術数の渦巻くヨーロッパ社交界のいわば沸騰点のような存在としての晩餐会がもつ高揚感をうまく描出しているように思います。
時間にして約5分の短いこのシークエンスでは、まず通底音として弦楽音を基調とするビートの利いたBGMが流れ出し、異様な静止ポーズを交えた群舞を織りなす無数の男女と宮殿の大広間中央に配置された奇怪な巨大オブジェが遠景に映し出され、何かと主人公たちを助けるバイセクシュアルの貴族ローチェスター卿の案内で主要な貴族たちが次々に紹介されていきます。群舞の進行に併せてBGMも段々と盛り上がっていくのだけれど、この展開が極めて鮮やか、局所的に配される静止も巧みで引きと寄せの緩急があらゆる面で利いており、作品のエッセンスがすべてここに集約、昇華されていると言って良い名シーンになっています。
実を言うと、現在公開中の古代スパルタ軍とレオニダス王を素材とした映画“300<スリーハンドレッド>”を観たことが、この作品を思い出した直接のきっかけだったりします。これら両作品に共通するのは、ある部分では時代背景にかなり忠実な一面をみせつつも、別の部分では過剰とも言えるほどに文化考証を無視した演出が施されていることです。この点を認めるか認めないかでこの種の作品を巡る評価は大きく分かれることになりますが、そもそもこうした方向性は失敗の危険が高いことから実現化へ至るケース自体が稀なんですね。ただ一方でその時代の音楽、その時代の事物に忠実であればその時代精神の的確な表現になるかと言えば、これはこれでまったく別の話であることも確かです。
では“プランケット&マクレーン”においてこの試みは成功しているのかどうか。わたしの答えは大いにYesです。その根拠としては上記の1シーンだけを挙げれば十分な気もします。レンタル版DVDでは37:14-42:32‘夜会’の章がこれに当たります。このシーンで使われたBGMなんてクラシックどころかハイパーテクノなんですけどね(笑)、この作品ののちハリウッドの他作品でもよく使われる定番の1つになりました。
ちなみにこのマクレーン、史実では1750年に処刑台にて最期を迎えるのですがその後ジョン・ゲイの戯曲『乞食オペラ』のモデルとなり、ブレヒトはこの戯曲を元に『三文オペラ』を書きあげたといいますから、当時の人々のあいだでその悪名とは裏腹にかなりの人気を誇っていたことが窺えます。また2人は作品中で追っ手から逃れてあらゆる束縛から自由な土地‘アメリカ’を目指すのですが、対照的なのがローチェスター卿のさいごのセリフ。
「新しい世界は遠すぎるし、広すぎるし、野蛮だわ。
これからもわたしはここで若い男の子たちを堕落させていきたいの」 (筆者訳)
彼は登場するのっけから両刀使いであることを軽々と告白するのですが、その時のセリフ‘I swing everywhere.’とラストでのこのセリフが見せるコントラストは、大航海時代から近代へと移りつつある当時の人々が感じただろう世界の広がりと階層社会の窮屈さをうまく捉えているように思います。
監督はジェイク・スコット。“ブレードランナー”“ブラックホーク・ダウン”などのリドリー・スコットを父に、“トップガン ”“デイズ・オブ・サンダー ”のトニー・スコットを叔父にもつサラブレットの映画監督デビュー作がこの作品でしたから大いに期待されるところですが、その後はいまだ鳴かず飛ばず。ロバート・カーライルは“トレインスポッティング”の大ヒットをきっかけにハリウッドへ進出しますが、元々イギリス下層社会の男を演じ続けて評価を固めた役者なので、この作品をその延長線上に位置づけてもよさそうです。また名優ゲイリー・オールドマンが製作・総指揮で参加しています。
映画“300”を記事にすることも考えたのですが、そこはこのブログにふさわしいほうを選んでみました。“300”の評価関連については相互リンクのある秋林さんのブログに詳しいので、下記に記事URLを紹介させていただきます。
http://diarynote.jp/d/25683/20070316.html
"Plunkett & Macleane" by Jake Scott / Robert Carlyle,Jonny Lee Miller,Liv Tyler,Alan Cumming,Michael Gambon / Gary Oldman [executive prd.] / Craig Armstrong [music] / 100min / UK / 1999
カリビアン・ルーレット
2007年6月17日 海の庭 コメント (3)
第23回大海戦@ジャマイカ、報告です。とうとう1回遅れに。
初日 : 39勝 3敗 9分け 勝利ポイント 75 戦功 107
中日 : 45勝 5敗 5分け 勝利ポイント 82 戦功 126
千秋楽 : 36勝 7敗 8分け 勝利ポイント 71 戦功 103
現在開戦中のダブリン大海戦の記事ではありません。一度忘れてから記事を書く気になる癖をどうにかしたく^^; 画像下半の戦績画面、最終日SSを撮り忘れてしまったので前2日分のみの掲載です。
▼海戦総覧:
ノトスではカリブで初の大海戦、連盟構成はイングランド+ヴェネツィアvsイスパニア+フランスとなりました。会戦海域はアンティル諸島沖+南カリブ海。英側の集合場所がグランドケイマン、西側の集合場所がサントドミンゴとなったことから対人戦闘の主戦域はその中間にあたる北のサンティアゴ前、および南のウィレムスタッド前となりました。ただしサントドミンゴは至近のジャマイカが海戦標的港で英側艦隊の補給に難が出るため、ウィレムスタッド―マラカイボエリアに比較的多くの艦隊が集まりました。
総合戦績では前回・前々回以上にノトスイングランドの不振が目立つ結果に。勝利ポイント総数で初日は英900:西1205、2日目英1118:西1620、画像を撮り忘れた最終日の総合戦績は英973:西1567、おそらくノトスサーバで国に関わらず両サイドの差が最も開いた大海戦となりました。イングランドを相手に戦っていると、対人メインの強力な敵艦隊がどんどん統廃合されている感じがします。他の国だと古株軍人の課金が適宜入れ替わり、結果として対人艦隊の数がこの一年ほどはわりと維持されている印象を受けるのですが、そのイメージがないんですよね。イングランド模擬っこペアやイギリス東インド会社ペア、旋回能力が揃って異様な台湾艦隊みたいのが以前は一番ワラワラいて面白かったので、これは残念な事態です。
▼艦隊総括:
すでに丸一年続けてきた“ほぼ固定艦隊”ですが、今回は実にメンバーの半分が入れ替わりました。この艦隊の持ち味は、旗艦の生存能力を活かして護衛は1、2隻にとどめ、残りの全艦が敵旗に殺到し戦闘を即決できることにあったのですが、このためもあり持ち味も鈍りました。こうした意識が共有できると、結果として個別の撃沈数も増えて全体に良い流れが生まれるのですが、頭でわかっているのと実践を経ているのとではやはり違いも大きいようです。今回入ってくれたメンバーもみなイスパニア模擬の常連なので個別の戦闘力は遜色なかったのですが、こうしたあたりは今後の課題ですね。
前回の大海戦記事で戦場選択の重要性を書き付けておきながら、結果としてはその反省を活かせたとは言い難い迷走ぶりを見せた観ありでした。初日は南方の主戦域を完全に外しましたし、最終日には自らの発言でわざわざ少ない方の会戦エリアに移動してしまった場面も。この判断だけで戦功が4、50は変わりうるので、よくよく慎重になるべきところでした。
参加した大海戦で、自艦隊から1日もMVPを出せなかったのはたぶん一年ぶり。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 21 決定打 0 被撃沈 2 与クリ 40 被クリ 2
中日 : 与撃沈/拿捕 32 決定打 6 被撃沈 6 与クリ 44 被クリ 15
千秋楽 : 与撃沈/拿捕 23 決定打 4 被撃沈 4 与クリ 38 被クリ 7
個人戦績としては過去最高といっても良い働きができたと思います。前回大海戦で以降の課題とした新PCでの戦闘にも慣れました。また今回は初めて3日とも仕掛け側艦隊に所属してみました。与撃沈数に比べ決定打率が落ちているのはそのためかと。中日などは艦隊全体の戦闘数が大型クラスでかなり停滞してしまいましたが、個人戦功と勝利ポイントの差だけをみるとこの日のMVPに迫っていたはずです。戦功の稼ぎ役は他にいるので、これは珍しいことでした。
まず沈まないこと。そして敵味方双方の旗艦の状態を常に意識から外さないこと。基本中の基本ですが、戦う艦隊の水準が高くなればなるほどこれらをいかに全員で徹底できるかが、一戦一戦の勝敗を決定づけるのは確かです。
▼画像とおまけ:
画像上半、公式イベントのチューリップバブル最終週のアムステルダム酒場の様子です。うちひしがれています。以下おまけ。
沈没船と現代海軍:
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081181202326.html
沈没船から財宝を盗んだ疑いで、現代スペイン海軍が出動を検討ってなんかすごいです。しかも「拿捕」目的。(笑) 大航海時代のプレイヤーにも意外に知られてなさそうですが、記事にもあるようにイベリア半島南端にあるジブラルタルは大航海時代以来ずっと英国領だったりします。大英帝国としては、地中海での制海権確保のため大きな代償を強いてもここを維持する要があったのですね。かのネルソン提督も、ここの要塞の司令長官になっています。
初日 : 39勝 3敗 9分け 勝利ポイント 75 戦功 107
中日 : 45勝 5敗 5分け 勝利ポイント 82 戦功 126
千秋楽 : 36勝 7敗 8分け 勝利ポイント 71 戦功 103
現在開戦中のダブリン大海戦の記事ではありません。一度忘れてから記事を書く気になる癖をどうにかしたく^^; 画像下半の戦績画面、最終日SSを撮り忘れてしまったので前2日分のみの掲載です。
▼海戦総覧:
ノトスではカリブで初の大海戦、連盟構成はイングランド+ヴェネツィアvsイスパニア+フランスとなりました。会戦海域はアンティル諸島沖+南カリブ海。英側の集合場所がグランドケイマン、西側の集合場所がサントドミンゴとなったことから対人戦闘の主戦域はその中間にあたる北のサンティアゴ前、および南のウィレムスタッド前となりました。ただしサントドミンゴは至近のジャマイカが海戦標的港で英側艦隊の補給に難が出るため、ウィレムスタッド―マラカイボエリアに比較的多くの艦隊が集まりました。
総合戦績では前回・前々回以上にノトスイングランドの不振が目立つ結果に。勝利ポイント総数で初日は英900:西1205、2日目英1118:西1620、画像を撮り忘れた最終日の総合戦績は英973:西1567、おそらくノトスサーバで国に関わらず両サイドの差が最も開いた大海戦となりました。イングランドを相手に戦っていると、対人メインの強力な敵艦隊がどんどん統廃合されている感じがします。他の国だと古株軍人の課金が適宜入れ替わり、結果として対人艦隊の数がこの一年ほどはわりと維持されている印象を受けるのですが、そのイメージがないんですよね。イングランド模擬っこペアやイギリス東インド会社ペア、旋回能力が揃って異様な台湾艦隊みたいのが以前は一番ワラワラいて面白かったので、これは残念な事態です。
▼艦隊総括:
すでに丸一年続けてきた“ほぼ固定艦隊”ですが、今回は実にメンバーの半分が入れ替わりました。この艦隊の持ち味は、旗艦の生存能力を活かして護衛は1、2隻にとどめ、残りの全艦が敵旗に殺到し戦闘を即決できることにあったのですが、このためもあり持ち味も鈍りました。こうした意識が共有できると、結果として個別の撃沈数も増えて全体に良い流れが生まれるのですが、頭でわかっているのと実践を経ているのとではやはり違いも大きいようです。今回入ってくれたメンバーもみなイスパニア模擬の常連なので個別の戦闘力は遜色なかったのですが、こうしたあたりは今後の課題ですね。
前回の大海戦記事で戦場選択の重要性を書き付けておきながら、結果としてはその反省を活かせたとは言い難い迷走ぶりを見せた観ありでした。初日は南方の主戦域を完全に外しましたし、最終日には自らの発言でわざわざ少ない方の会戦エリアに移動してしまった場面も。この判断だけで戦功が4、50は変わりうるので、よくよく慎重になるべきところでした。
参加した大海戦で、自艦隊から1日もMVPを出せなかったのはたぶん一年ぶり。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 21 決定打 0 被撃沈 2 与クリ 40 被クリ 2
中日 : 与撃沈/拿捕 32 決定打 6 被撃沈 6 与クリ 44 被クリ 15
千秋楽 : 与撃沈/拿捕 23 決定打 4 被撃沈 4 与クリ 38 被クリ 7
個人戦績としては過去最高といっても良い働きができたと思います。前回大海戦で以降の課題とした新PCでの戦闘にも慣れました。また今回は初めて3日とも仕掛け側艦隊に所属してみました。与撃沈数に比べ決定打率が落ちているのはそのためかと。中日などは艦隊全体の戦闘数が大型クラスでかなり停滞してしまいましたが、個人戦功と勝利ポイントの差だけをみるとこの日のMVPに迫っていたはずです。戦功の稼ぎ役は他にいるので、これは珍しいことでした。
まず沈まないこと。そして敵味方双方の旗艦の状態を常に意識から外さないこと。基本中の基本ですが、戦う艦隊の水準が高くなればなるほどこれらをいかに全員で徹底できるかが、一戦一戦の勝敗を決定づけるのは確かです。
▼画像とおまけ:
画像上半、公式イベントのチューリップバブル最終週のアムステルダム酒場の様子です。うちひしがれています。以下おまけ。
沈没船と現代海軍:
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081181202326.html
沈没船から財宝を盗んだ疑いで、現代スペイン海軍が出動を検討ってなんかすごいです。しかも「拿捕」目的。(笑) 大航海時代のプレイヤーにも意外に知られてなさそうですが、記事にもあるようにイベリア半島南端にあるジブラルタルは大航海時代以来ずっと英国領だったりします。大英帝国としては、地中海での制海権確保のため大きな代償を強いてもここを維持する要があったのですね。かのネルソン提督も、ここの要塞の司令長官になっています。
旋律と海とクジラたち
2007年6月15日 海のなかの見えない航路 コメント (6)
海のなかでは光が吸収されてしまうから、
すこしさきはもう見えない。
陽の光の行きわたる浅瀬を沖まで泳いでいくと、
そこから数十メートル先はもう深い藍色に染まっていて、
何がひそんでいるのかもわからない。
ひとによって感じるものはちがうだろうけど、
生身のからだを晒して泳いでいることに
わたしは底知れない怖さを感じるときがある。
とにかく、怖い。
だからよく、世界は狭くなったとか
世代の近いひとが口にするたびに、
あなたの世界がもともと狭いだけでしょう?
なんてちょっとイジワルなことをおもってしまう。
簡単に行ける場所が増えたことを言っているつもりなら、
その増えた場所のいくつかをじっくり観察してみるといい。
どこもたどり着くのが容易になったそのぶんだけ
きちんと浅くなっているということに、
きっとすぐに気がつくはずだ。
けれどながい、ほんとうにながい時間をかけて
自分の世界を着実に押しひろげ獲得していった者であるのなら、
もし世界が狭いと感じたとしても
あながち誤りではないのかも、とも考える。
ほとんど夢想にも近い。
たとえば海中から陸棲への移行を遂げた生物群。
あるいは再び海へと戻っていった鯨やイルカたち。
サウンドチャンネルということばがある。
海中では水温が低ければ低いほど、音の伝わりは遅くなる。
また水圧が高ければ高いほど、音の伝わりは早くなる。
海面から潜ってゆくと、水深が深くなればなるほど
水温は低くなっていくのだけれど、
ある一定の深さを超えるともうあまり下がらなくなってくる。
ここに、音の伝わりがもっとも遅い
海水の層ができることになる。
これがサウンドチャンネルだ。
数百メートルから一千メートルほどの深さにあると
されるその層では、音速が落ちる代わりに
音波の上下運動も抑制されるから、
音が損耗を逃れどこまでも遠くへと伝わってゆくという。
ヒゲクジラの一部は低周波の音波を使い、
この層を通じて数千キロ離れた仲間と
連絡をとりあっているらしい。
海面で息を継ぎ、
種によっては水深二千メートルを超えて潜航を繰り返し、
その深みで遠くの友と語らう彼らからみた世界の形は、
およそ人の考えるものとはかけ離れているだろう。
たんなる夢想にはちがいない。
けれど彼らの描く世界地図がもしあるのなら、
それはきっと想像をはるかに超えた構造をもっている。
そこではきっと、太古の昔に陸地を去った記憶が
なにか決定的な意味をもってくる。
第二次世界大戦のさなか
サウンドチャンネルの軍事利用を目的とした研究が進められ、
戦後の早い段階で、この深度で放たれた音波は
地球の裏側にまで伝わることが確認されていた。
だが人間以外の生物が、この層の特性を
どのように利用しているかについては
まだほとんど解明されていないと言っていい。
彼らはそこで、ときに歌を歌うという。
歌は伝わり、海域ごとにアレンジを加えられ、
世代を超えて受け継がれていくという。
視界が意味をもたないその領域で
聴覚へと流れ入るその歌は、
とうに音の響きであることをやめているだろう。
世界はもともとそういうものとして、そこに広がる。
ただひと知れず、そこに息づく。
それでいいと、よくおもう。
すこしさきはもう見えない。
陽の光の行きわたる浅瀬を沖まで泳いでいくと、
そこから数十メートル先はもう深い藍色に染まっていて、
何がひそんでいるのかもわからない。
ひとによって感じるものはちがうだろうけど、
生身のからだを晒して泳いでいることに
わたしは底知れない怖さを感じるときがある。
とにかく、怖い。
だからよく、世界は狭くなったとか
世代の近いひとが口にするたびに、
あなたの世界がもともと狭いだけでしょう?
なんてちょっとイジワルなことをおもってしまう。
簡単に行ける場所が増えたことを言っているつもりなら、
その増えた場所のいくつかをじっくり観察してみるといい。
どこもたどり着くのが容易になったそのぶんだけ
きちんと浅くなっているということに、
きっとすぐに気がつくはずだ。
けれどながい、ほんとうにながい時間をかけて
自分の世界を着実に押しひろげ獲得していった者であるのなら、
もし世界が狭いと感じたとしても
あながち誤りではないのかも、とも考える。
ほとんど夢想にも近い。
たとえば海中から陸棲への移行を遂げた生物群。
あるいは再び海へと戻っていった鯨やイルカたち。
サウンドチャンネルということばがある。
海中では水温が低ければ低いほど、音の伝わりは遅くなる。
また水圧が高ければ高いほど、音の伝わりは早くなる。
海面から潜ってゆくと、水深が深くなればなるほど
水温は低くなっていくのだけれど、
ある一定の深さを超えるともうあまり下がらなくなってくる。
ここに、音の伝わりがもっとも遅い
海水の層ができることになる。
これがサウンドチャンネルだ。
数百メートルから一千メートルほどの深さにあると
されるその層では、音速が落ちる代わりに
音波の上下運動も抑制されるから、
音が損耗を逃れどこまでも遠くへと伝わってゆくという。
ヒゲクジラの一部は低周波の音波を使い、
この層を通じて数千キロ離れた仲間と
連絡をとりあっているらしい。
海面で息を継ぎ、
種によっては水深二千メートルを超えて潜航を繰り返し、
その深みで遠くの友と語らう彼らからみた世界の形は、
およそ人の考えるものとはかけ離れているだろう。
たんなる夢想にはちがいない。
けれど彼らの描く世界地図がもしあるのなら、
それはきっと想像をはるかに超えた構造をもっている。
そこではきっと、太古の昔に陸地を去った記憶が
なにか決定的な意味をもってくる。
第二次世界大戦のさなか
サウンドチャンネルの軍事利用を目的とした研究が進められ、
戦後の早い段階で、この深度で放たれた音波は
地球の裏側にまで伝わることが確認されていた。
だが人間以外の生物が、この層の特性を
どのように利用しているかについては
まだほとんど解明されていないと言っていい。
彼らはそこで、ときに歌を歌うという。
歌は伝わり、海域ごとにアレンジを加えられ、
世代を超えて受け継がれていくという。
視界が意味をもたないその領域で
聴覚へと流れ入るその歌は、
とうに音の響きであることをやめているだろう。
世界はもともとそういうものとして、そこに広がる。
ただひと知れず、そこに息づく。
それでいいと、よくおもう。
音のない世界
2007年6月12日 海のなかの見えない航路 コメント (5)
きのうテレビのニュースで
すべての教科を手話で教えるフリースクールの特集をやっていて、
耳の聴こえない子供たちとその家族の日々の生活や
学校での授業の様子などが丁寧に映し出された良い企画で、
片手間につけていたはずがいつのまにかテレビ画面に見入っていた。
なかでも「音を聞いてみたい?」というインタビュアーの問いかけに、
7、8歳の女の子がはにかみながら
「音は聞こえないほうがいい。
車や街の騒音がうるさそうだから」
と答えていたのはとても印象的だった。
この質問自体に対して“なんてこと聞くんだろう”と
思ってしまった自分が恥ずかしいというか、
五体満足な人間の傲岸さというものを
自らのなかに見い出した一瞬だった。
それにしても生まれつき音の聴こえない少女が想う
“うるさそうな世界”とはいったいどんなものなのか。
しばらくそのことに思い巡らせていたところ、
ふと世界地図のことが連想されてきた。
世界とはこういうものである、
ということを人は歴史をもつ以前から語らい、
あるいは絵図に示してきたが、
その総体を自身の目で見たことのある人間は
現実にはこれまで存在したことがない。
人は遠くを見、音を聴き、匂いを嗅ぎ、
味わい、触れることでこの世界を感知する。
それら知覚の集積が“経験”となるわけだけれども、
視界はなにかによって確実にさえぎられ、
音は必ずかき消されるものである以上、
そうした一個人の経験によって世界のすべてを同時に
把握することは原理的に不可能だ。
そうしたなか世界地図というものは、
それら個人の知覚の集積であるところの“経験”を、
さらに集積させたいわば“共有された経験世界の縮図”として
いつの時代も存在し、更新され、描き写されてきた。
子供のころに簡易だが正確な世界地図をまず与えられ、
ネットのグーグル検索などではモニターを通してとはいえ
自宅の屋根の形状から地球大のスケールにまで
この世界の在りようを見渡すことのできる現代に生きていると
かえって想像しにくいことかもしれないが、
したがって世界地図とはかつて長きにわたり
その実用性や明証性にもまして、
“世界とはなんであるか”という思想の明示に他ならなかった。
大洋を渡る理由がなかった社会の人々にとって
この世界とは多くの場合海に囲まれた広大な島であり、
海はいずれ世界の果てに至って落ちると考えて何も問題はなかったし、
時によってはその島と海がおおむね円盤の形状を成しており、
一匹の亀がその深淵でこれら森羅万象を支えていることが
むしろ重要な意味をもつこともあっただろう。
そしてこのような世界観は誤りである、劣っている、野蛮であると
感じてしまうとすれば、そう感じてしまう価値観自体がすでに貧しい。
貧しいと言い切れてしまうのは、かく言うわたしのなかに
そのような意味での刷り込まれた貧しさを日々見い出しているからで、
この感覚は冒頭に述べた「五体満足な人間の傲岸さ」に
どこか通じるところがある。
成田空港を東へ飛び立つと、
アジア方向へ向かう旅客機の多くは
銚子につらなる九十九里浜を眼下にゆっくりと南西方向へ旋回する。
窓外の景色はやがて、房総半島の陸影をへて
東京湾や三浦半島を望み、よく晴れた日には
山地と海に囲まれた関東平野のほぼ全域を視野に収める。
旅客を乗せた飛行機がさらに高層圏を飛ぶ時代、
あるいは宇宙に飛び出す時代には、
一般の市民がたとえば日本列島ぜんたいの姿や、
あるいは大陸の形状を大きくその目で見渡せるのも
きっと当たり前のことになるのだろう。
生まれつき音の聴こえない少女が想う、“うるさそうな世界”の在りよう。
かつての航海者が感覚し、予感したであろう世界の手ざわり。
“共有された経験世界の縮図”としての世界地図。
これらに通底するなにかを感じるわたしはそのとき、
窓の外の光景にいったいなにを想うのだろう。
それだけが知りたくてきょう一日を生きていくというのもなんだか、
まんざらではないように思えてくる。
不思議だけれど。
すべての教科を手話で教えるフリースクールの特集をやっていて、
耳の聴こえない子供たちとその家族の日々の生活や
学校での授業の様子などが丁寧に映し出された良い企画で、
片手間につけていたはずがいつのまにかテレビ画面に見入っていた。
なかでも「音を聞いてみたい?」というインタビュアーの問いかけに、
7、8歳の女の子がはにかみながら
「音は聞こえないほうがいい。
車や街の騒音がうるさそうだから」
と答えていたのはとても印象的だった。
この質問自体に対して“なんてこと聞くんだろう”と
思ってしまった自分が恥ずかしいというか、
五体満足な人間の傲岸さというものを
自らのなかに見い出した一瞬だった。
それにしても生まれつき音の聴こえない少女が想う
“うるさそうな世界”とはいったいどんなものなのか。
しばらくそのことに思い巡らせていたところ、
ふと世界地図のことが連想されてきた。
世界とはこういうものである、
ということを人は歴史をもつ以前から語らい、
あるいは絵図に示してきたが、
その総体を自身の目で見たことのある人間は
現実にはこれまで存在したことがない。
人は遠くを見、音を聴き、匂いを嗅ぎ、
味わい、触れることでこの世界を感知する。
それら知覚の集積が“経験”となるわけだけれども、
視界はなにかによって確実にさえぎられ、
音は必ずかき消されるものである以上、
そうした一個人の経験によって世界のすべてを同時に
把握することは原理的に不可能だ。
そうしたなか世界地図というものは、
それら個人の知覚の集積であるところの“経験”を、
さらに集積させたいわば“共有された経験世界の縮図”として
いつの時代も存在し、更新され、描き写されてきた。
子供のころに簡易だが正確な世界地図をまず与えられ、
ネットのグーグル検索などではモニターを通してとはいえ
自宅の屋根の形状から地球大のスケールにまで
この世界の在りようを見渡すことのできる現代に生きていると
かえって想像しにくいことかもしれないが、
したがって世界地図とはかつて長きにわたり
その実用性や明証性にもまして、
“世界とはなんであるか”という思想の明示に他ならなかった。
大洋を渡る理由がなかった社会の人々にとって
この世界とは多くの場合海に囲まれた広大な島であり、
海はいずれ世界の果てに至って落ちると考えて何も問題はなかったし、
時によってはその島と海がおおむね円盤の形状を成しており、
一匹の亀がその深淵でこれら森羅万象を支えていることが
むしろ重要な意味をもつこともあっただろう。
そしてこのような世界観は誤りである、劣っている、野蛮であると
感じてしまうとすれば、そう感じてしまう価値観自体がすでに貧しい。
貧しいと言い切れてしまうのは、かく言うわたしのなかに
そのような意味での刷り込まれた貧しさを日々見い出しているからで、
この感覚は冒頭に述べた「五体満足な人間の傲岸さ」に
どこか通じるところがある。
成田空港を東へ飛び立つと、
アジア方向へ向かう旅客機の多くは
銚子につらなる九十九里浜を眼下にゆっくりと南西方向へ旋回する。
窓外の景色はやがて、房総半島の陸影をへて
東京湾や三浦半島を望み、よく晴れた日には
山地と海に囲まれた関東平野のほぼ全域を視野に収める。
旅客を乗せた飛行機がさらに高層圏を飛ぶ時代、
あるいは宇宙に飛び出す時代には、
一般の市民がたとえば日本列島ぜんたいの姿や、
あるいは大陸の形状を大きくその目で見渡せるのも
きっと当たり前のことになるのだろう。
生まれつき音の聴こえない少女が想う、“うるさそうな世界”の在りよう。
かつての航海者が感覚し、予感したであろう世界の手ざわり。
“共有された経験世界の縮図”としての世界地図。
これらに通底するなにかを感じるわたしはそのとき、
窓の外の光景にいったいなにを想うのだろう。
それだけが知りたくてきょう一日を生きていくというのもなんだか、
まんざらではないように思えてくる。
不思議だけれど。
湖の底の月
2007年6月7日 海のなかの見えない航路 コメント (19)
幼い頃に初めてもらったトランプカードには
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
スヌーピーの絵柄がついていて、
わたしはそのトランプにかなりの愛着をもっていた。
その後ほかの図柄のセットをもらっても、わたしにとっての
トランプとはまず第一に、眠たげなスヌーピーのそれだった。
自分で捨てるはずはないからたぶん、いまもどこかで
眠たげな顔をそのままに、長くしまわれたままなのに違いない。
けれど‘大航海時代Online’をプレイしていて、
もう10年以上は目にしていないそのスヌーピーのカードの
記憶がよみがえるとは思わなかった。
モノや特別なルールを介した“ゲーム”という存在の先駆けが、
きっとわたしにとってはそのトランプカードだったということなのだろう。
どんなにシンプルなものでも、ゲームというものはおしなべて
それぞれに独自の感覚世界をもっている。
たとえば‘大航海時代Online’であれば、どんなに大きな港へ行っても
酒場は不思議と街に1軒ずつしかなくて、
乗ってきた船とは別の自分の船にもなぜか
世界中どこの港でも乗り換えることができてしまう。
それらは本来であればおかしなことだけど、
そういう無数のおかしさをゲームのルールもしくは
暗黙の了解として他のプレイヤーと共有することで、
そこにそのゲーム固有の感覚世界が立ちあがってくることになる。
“魚介のピザ”は単に海の幸をのせただけのピザではないのである。
一度に何十枚でも食べられる魔法のピザなのだ。
“外科医術”もそこらへんの外科手術とはちょいと違う。
他の船に乗る水夫のケガまで一瞬でちちんぷいぷいなのである。
“出航所役人”はどの国の言葉もペラペラで、
“交易所の店主”はその街の八百屋や魚卸しや雑貨店や米問屋の象徴としてそこにいる。
ただの小役人やどこにでもいる店のおやじのように見えても、じつはすごい。
それはたぶんトランプくらいにシンプルなものでも
まったく同じことが言えて、
キングはただの13では決してなくて
それなりの威厳をしっかりとそなえているし、
クイーンはどこか艶やかで、
ジャックはいつも上官に忠実で、
ジョーカーはどこまでもよこしまだ。
けれども幼い頃トランプというものに
生まれて初めて接したとき、それはやはり
単なる小さな紙の束でしかなかったのだろうとおもう。
これがエースで他にはない強さを秘めていて、
これはジョーカーでときにものすごく
やっかいな存在なのだということを
一つ一つ時間をかけて見いだしていくことで、
そこかしこに違和感を覚えつつもやがてはその世界に馴染んでいく。
そうしてゆっくりと慣らせてゆくことで、
たとえば“マグロのオリーブステーキ”が
バルシャ一隻よりも高いことをもう不思議に思わなくなってくる。
地球の裏側にいる友人と会話できるのが
まったく当然のことに思えてくる。
だから余計に、なのかもしれない。
一度馴染んだものたちから何かが欠けてしまうときなどは、
それがなくてはそのゲームをやる楽しみが変わってしまうというほどに、
とても切なく、とても寂しい。
‘大航海時代Online’であればわたしの場合、
長く乗り慣れた愛船を所持枠の問題から手放さなくては
いけなくなったときなどに、そういう痛みをよく感じる。
けれどもその寂しさがとりわけ大きいのはやはり、
よく一緒に遊んでいたプレイヤーからある日突然
ゲーム休止の知らせが届いたときだと思う。
そういうときはその瞬間に‘大航海時代Online’の
ゲーム内世界すべての色合いが、いつも少し変わってしまう。
ここまで書いてきて、スヌーピーの絵柄のついたトランプで
なぜ遊ばなくなったのかを、唐突に思い出してしまった。
ながく使ううちに、カードごとに傷や折れ目がついてしまってもなお、
子供のわたしはそのトランプを使いたがっていたし、
プラスチックのケースが割れてもセロハンテープで補修して、
新品のほかのセットよりも愛用したのを覚えている。
だからそのスヌーピーのトランプの、
クローバーのジャックをなくしてしまったときは本当に、悲しかった。
それから数週間は思い出すたび
ノートのあいだに挟まってないかとか、
洗濯に出した服のポケットや家具の下にすべり込んでいないかとか
いつも気にかけていたように思う。
いま思えばそれはもう安物のカード1枚ではなくて、
わたしの遊びの世界全体にとってかけがえのない存在だったのだ。
‘大航海時代Online’を始めて間もない頃に知り合って、
ジェノヴァで海事レベルを上げる艦隊を何度か一緒にするうちに、
フレンド登録を交わしたひとがいる。
その後一緒に遊ぶ機会はほとんどなかったのだけれど、不思議なひとで
何かのイベントでどんなに人混みに囲まれたさなかでも、
わたしを見つけると必ず“うなずく”の仕草をして去っていく。
幾度か繰り返されるうちに、わたしのほうも何やら意地になってきて、
大海戦のように無数の船が行き交う洋上でも、
彼女の乗る船に“うなずく”ことだけは
多少の犠牲を強いてでも敢行するようになった。
“うなずく”だけで、いつも会話は一切しないのだ。
いつのまにかそれが、そのひととの付き合いの流儀になっていた。
けれどあるとき街なかで会った際、珍しく彼女からTellが飛んできた。
「うちの商会だれもINしなくなっちゃった」
すこし話すと、それでも戻ってくるかもしれないメンバーのために、
商館維持の条件をクリアするのがいつも大変だと言ってくる。
それを聞いたとき、わたしは即座に不安になった。
だから自分の商会に誘ったのだけれど
「わたしは一人でもだいじょうぶだから、ありがとう」
と彼女は言って、いつも通りウンとうなずいてその場をあとにした。
それからしばらくして、フレンドリストの彼女の名前が
もうずいぶんIN表示になっていないことに気がついた。
さらに時間がたって何となく、ああもうINしないんだなぁと
思えてしまったときはなんだか、本当にどうしようもなくなって、
無性に切なくなって仕方なかった。
もう半年以上みていないのだけれど、
前に一度このブログを読んでくれていると聞いた気がします。
いまは課金していないキャラでもネットカフェからINできるそうなので、
もし気が向いたら一度、多少は変わったゲーム内の様子を
見に来てくれたら嬉しいです。
ちびっこキャラどうしでウンウンとうなずき合う光景がわたしにとって、
もしかしたら幼い日のクローバーのジャック以上の存在であることに、
あなたがいなくなってからようやく気づいた次第です。
インファイト・アンワインド
2007年6月3日 常在戦場 コメント (15)
ひさびさにプレイ日記らしい記事を。
さいきんはずっと賞金稼ぎになってプレイをしています。キャラの職業が賞金稼ぎなら、実際のプレイ内容も賞金稼ぎという感じに。といっても定例の模擬戦参加を除くと洋上でのプレイ時間自体が大して長くないわけですが。喜望峰以東へも久々に遠征してみようかとも。
▼近況
ふだんのプレイ内容について、4月始めに少し書いて以来まったく触れてないことに気づきました。(笑) この間にも商会内では
フィリバスタ転職クエストツアーを企画開催したり、↓
http://neko6.blog18.fc2.com/blog-entry-242.html
対抗戦でハッスルしたり↓
http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-840.html
http://diarynote.jp/d/77597/20070430.html
とまぁそれなりにいろいろ遊んではいます。それぞれの関連ブログ記事に直リンクさせてもらいました。猫教団blogのgoodbye筆による記事群のほうが余程ここよりプレイ日記っぽいのは内緒です。Mr.マリオサン、いつもながら動画提供感謝です^^
▼賞金稼ぎ as occupation
では本題。まずキャラ職業としての賞金稼ぎについて。対人戦メインの海事職としてみた場合、賞金稼ぎの大きな特徴は防御系のスキル優遇が厚いことと、攻撃面では最も有効性の高い水平射撃が非優遇なことにあります。従ってふつうに考えれば他の砲撃系優遇職に比べて撃沈率と被撃沈率がともに下がるはずですが、わたしの場合どちらも上がっているのが現状です。
撃沈率の向上は単純に今のPC環境に慣れて視野と先読みの時間幅が広がったことが大きそうです。ただ水平射撃が非優遇な状態でのインファイトおよびクリティカル撃沈を視野に読み込むと、どうしても回避スキルと貫通スキルの頻繁な切り換えが必要になるんですね。以前のPC環境では戦闘中のスキル切り換えを端から諦めていたので、元から回避操船が下手なうえこの見極めができていないことが、いまの被撃沈率上昇の一要因と言えそうです。
賞金稼ぎの転職クエストは用心棒限定で用心棒の優遇スキルには操舵がないことが、これまで転職に伴う熟練度ロスの問題からこの職への転職の最大障壁でした。春先のアップデートにより、この問題が解消されたのは嬉しい限りです。対人メインのプレイヤーでこの職業を選ぶひとは今もあまり見かけませんが、なかなか悪くないスキル構成だと思います。
▼賞金稼ぎ in practice
対人海賊を相手にした戦闘も時折するように。この冬までは交戦することがあっても勝利を目的にすることはあまりなく、ソロで複数艦隊に仕掛けて時間稼ぎをしたり、手近な知り合いと組んで追いかけて封鎖してみたりといった程度だったのですが、環境面での改善もあり今は与撃沈or与拿捕を前提とした艤装で臨むようになりました。
といっても数日に一度危険海域を巡回する程度なのですが、海賊の活動が昨今また盛んになっていることもあり、この1週間ほどの海賊撃沈による賞金収入は10M(1000万D)を超えました。自船には賞金が掛かっておらず、拿捕でもされない限り失うものがないというアンフェアな状況での戦闘になりますから、それでも向かってくる海賊プレイヤーに対しては敵ながら天晴れだなぁと思います。
無差別海賊団も復活しましたね。この海賊団については過去幾度か触れてきましたが(「海賊の艶」2006年4月9日記事など)、総体としてはその活躍を歓迎しています。むろん海賊ですから一般のプレイヤーに仇なす存在なのは確かですが、首領以下きちんとゲームとして遊びきる心構えができている人たちなので、戦ってもカラっとしているんですよね。そこがいい。一緒に戦ってみるとわかりますが、こういう部分でジメジメしてるプレイヤーって思いのほか多くいたりします。
ただこれもまたこのゲームの抜きがたい一側面なのは確かですし、良い機会なのでここで実例を一つ書き付けておくと、先週ある海域で他国の討伐艦隊がこの海賊団と交戦中に援軍要請を出していたんですね。このとき辺りには見渡すかぎりわたし以外に軍船がいなかったため援軍に入ったところ、戦闘終了後に討伐艦隊のなかに「海賊に加勢してイスパ(つまりわたし)から狩るか」といった趣旨の暴言を吐くひとがいて、これは驚きました。どうもPKK(海賊討伐)軍人を自認しているプレイヤーらしいのですが、だとすればこの発言はやはり支離滅裂な暴言以外の何物でもありませんし、わたしはこのときソロでしたから本気なら自分で襲ってくればいいのにそういう素振りはまるで見せず。
この無差別海賊団は構成員も多く神出鬼没なので、討伐する側が国籍にこだわって艦隊を分かつようでは遠隔地での討伐機会がどうしても減ってしまいます。この状況下では敵の敵は味方という選択が冷静な戦略的判断というものだろうと考えてこれまでもその国の軍人さんとは適時手を組んできたので、一般の商船や冒険船からみてもこういうプレイヤーの言動は無差別海賊1人分の行状よりむしろ害とすら思えます。実はこのとき自船は海賊側の旗艦に対してコンボ撃沈を与えていたのですが、撃沈後にこの発言はあまりにも幼稚で唖然としてしまいました。海賊側にはフレンド登録を交わしているひともおり、鬱屈となりうるのは本来被害を出した彼らの側なわけですが、戦闘後にはよほどスカっとした会話を交わせたり。
とはいえこれも、負の感情のスパイラルに周囲を巻き込もうとする心性の持ち主はどこにでもいるという至極ありふれた話とも言え、このとき討伐艦隊にいたひとがみな同じ考えの持ち主とは到底思えません。よってこうした特定のプレイヤーだけ一度出会ったら以後無視すれば事足りる話だろうとも思います。MMOならではの対人戦に出向くと、この種の無闇な怨嗟の発露に出くわすことも稀にあるのは確かですね。
▼上納品をつかってみる
それはそうと先月の公式イベント“チューリップ・バブル”の景品で対人用上納品をもらったので裏キャラに携行させていたところ、航行中に対人海賊が検索にかかったため遭遇しそうなルートを採ってみたら運良く(?)襲われてしまいました。(笑) そこで試しに使ってみることに。すると交易所などで聞く‘じゃらん♪’という決済時の効果音とともに手持ちのお金が半分なくなったほかは、対NPC用の停戦協定状とまったく同様に戦闘終了となりました。頭では分かっていましたが、あっけなさすぎて何だか拍子抜けした気分です。
まだインド交易をするには穀物海岸を通るしかない頃に、商用サムブークや輸送用大型ガレーに乗って海賊の存在にびくびくしながら往復していた身としては、これっていいことなのかなぁと少し微妙にも思います。その‘びくびく’があったから長距離の航海も楽しめたわけで。もちろん「上納品は持たない」という選択肢は依然残るので本人次第なのも確かです。ただ最初からこのアイテムに慣れてしまうルートをたどってしまうと、このゲームに飽きるのが早くなるような気も。あくまでひとごとですが、そういうケースがあるとすれば残念です。
ところでこのとき襲ってきた海賊は3人組で、上記の無差別海賊団とはまた別の無差別海賊を標榜しているグループの面々でした。まだ海事レベルが中途半端なためか乗っている船の構成もでこぼこで、海賊船も軒並み大型化したなかちょっと懐かしい感じも。彼らはこちらが軍船の場合ソロで近づいても逃げていくんですね。このあたりもすばしっこい正味の海賊っぽくって、上記の海賊団とは別の意味でアリかもなぁと。(笑)
▼画像とおまけ
今回は賞金首/賞金稼ぎ関連ということで、画像はフィリバスタクエの一幕。以下おまけ。
俺たちゃ海賊! −激動の東アジア海上史− :
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku.html
東アジアを軸とした海賊史まとめです。図解も豊富で専門書並みの充実ぶりを見せています。やはり東南アジアにはジャンク船が行き交ってほしいですよね。北欧型重ガレーのアユタヤ艦隊が徘徊する姿など、‘大航海時代online’で最もフェイク感が漂っている光景のように極私的には思うのです。(笑)
さいきんはずっと賞金稼ぎになってプレイをしています。キャラの職業が賞金稼ぎなら、実際のプレイ内容も賞金稼ぎという感じに。といっても定例の模擬戦参加を除くと洋上でのプレイ時間自体が大して長くないわけですが。喜望峰以東へも久々に遠征してみようかとも。
▼近況
ふだんのプレイ内容について、4月始めに少し書いて以来まったく触れてないことに気づきました。(笑) この間にも商会内では
フィリバスタ転職クエストツアーを企画開催したり、↓
http://neko6.blog18.fc2.com/blog-entry-242.html
対抗戦でハッスルしたり↓
http://nekokyoudan.blog14.fc2.com/blog-entry-840.html
http://diarynote.jp/d/77597/20070430.html
とまぁそれなりにいろいろ遊んではいます。それぞれの関連ブログ記事に直リンクさせてもらいました。猫教団blogのgoodbye筆による記事群のほうが余程ここよりプレイ日記っぽいのは内緒です。Mr.マリオサン、いつもながら動画提供感謝です^^
▼賞金稼ぎ as occupation
では本題。まずキャラ職業としての賞金稼ぎについて。対人戦メインの海事職としてみた場合、賞金稼ぎの大きな特徴は防御系のスキル優遇が厚いことと、攻撃面では最も有効性の高い水平射撃が非優遇なことにあります。従ってふつうに考えれば他の砲撃系優遇職に比べて撃沈率と被撃沈率がともに下がるはずですが、わたしの場合どちらも上がっているのが現状です。
撃沈率の向上は単純に今のPC環境に慣れて視野と先読みの時間幅が広がったことが大きそうです。ただ水平射撃が非優遇な状態でのインファイトおよびクリティカル撃沈を視野に読み込むと、どうしても回避スキルと貫通スキルの頻繁な切り換えが必要になるんですね。以前のPC環境では戦闘中のスキル切り換えを端から諦めていたので、元から回避操船が下手なうえこの見極めができていないことが、いまの被撃沈率上昇の一要因と言えそうです。
賞金稼ぎの転職クエストは用心棒限定で用心棒の優遇スキルには操舵がないことが、これまで転職に伴う熟練度ロスの問題からこの職への転職の最大障壁でした。春先のアップデートにより、この問題が解消されたのは嬉しい限りです。対人メインのプレイヤーでこの職業を選ぶひとは今もあまり見かけませんが、なかなか悪くないスキル構成だと思います。
▼賞金稼ぎ in practice
対人海賊を相手にした戦闘も時折するように。この冬までは交戦することがあっても勝利を目的にすることはあまりなく、ソロで複数艦隊に仕掛けて時間稼ぎをしたり、手近な知り合いと組んで追いかけて封鎖してみたりといった程度だったのですが、環境面での改善もあり今は与撃沈or与拿捕を前提とした艤装で臨むようになりました。
といっても数日に一度危険海域を巡回する程度なのですが、海賊の活動が昨今また盛んになっていることもあり、この1週間ほどの海賊撃沈による賞金収入は10M(1000万D)を超えました。自船には賞金が掛かっておらず、拿捕でもされない限り失うものがないというアンフェアな状況での戦闘になりますから、それでも向かってくる海賊プレイヤーに対しては敵ながら天晴れだなぁと思います。
無差別海賊団も復活しましたね。この海賊団については過去幾度か触れてきましたが(「海賊の艶」2006年4月9日記事など)、総体としてはその活躍を歓迎しています。むろん海賊ですから一般のプレイヤーに仇なす存在なのは確かですが、首領以下きちんとゲームとして遊びきる心構えができている人たちなので、戦ってもカラっとしているんですよね。そこがいい。一緒に戦ってみるとわかりますが、こういう部分でジメジメしてるプレイヤーって思いのほか多くいたりします。
ただこれもまたこのゲームの抜きがたい一側面なのは確かですし、良い機会なのでここで実例を一つ書き付けておくと、先週ある海域で他国の討伐艦隊がこの海賊団と交戦中に援軍要請を出していたんですね。このとき辺りには見渡すかぎりわたし以外に軍船がいなかったため援軍に入ったところ、戦闘終了後に討伐艦隊のなかに「海賊に加勢してイスパ(つまりわたし)から狩るか」といった趣旨の暴言を吐くひとがいて、これは驚きました。どうもPKK(海賊討伐)軍人を自認しているプレイヤーらしいのですが、だとすればこの発言はやはり支離滅裂な暴言以外の何物でもありませんし、わたしはこのときソロでしたから本気なら自分で襲ってくればいいのにそういう素振りはまるで見せず。
この無差別海賊団は構成員も多く神出鬼没なので、討伐する側が国籍にこだわって艦隊を分かつようでは遠隔地での討伐機会がどうしても減ってしまいます。この状況下では敵の敵は味方という選択が冷静な戦略的判断というものだろうと考えてこれまでもその国の軍人さんとは適時手を組んできたので、一般の商船や冒険船からみてもこういうプレイヤーの言動は無差別海賊1人分の行状よりむしろ害とすら思えます。実はこのとき自船は海賊側の旗艦に対してコンボ撃沈を与えていたのですが、撃沈後にこの発言はあまりにも幼稚で唖然としてしまいました。海賊側にはフレンド登録を交わしているひともおり、鬱屈となりうるのは本来被害を出した彼らの側なわけですが、戦闘後にはよほどスカっとした会話を交わせたり。
とはいえこれも、負の感情のスパイラルに周囲を巻き込もうとする心性の持ち主はどこにでもいるという至極ありふれた話とも言え、このとき討伐艦隊にいたひとがみな同じ考えの持ち主とは到底思えません。よってこうした特定のプレイヤーだけ一度出会ったら以後無視すれば事足りる話だろうとも思います。MMOならではの対人戦に出向くと、この種の無闇な怨嗟の発露に出くわすことも稀にあるのは確かですね。
▼上納品をつかってみる
それはそうと先月の公式イベント“チューリップ・バブル”の景品で対人用上納品をもらったので裏キャラに携行させていたところ、航行中に対人海賊が検索にかかったため遭遇しそうなルートを採ってみたら運良く(?)襲われてしまいました。(笑) そこで試しに使ってみることに。すると交易所などで聞く‘じゃらん♪’という決済時の効果音とともに手持ちのお金が半分なくなったほかは、対NPC用の停戦協定状とまったく同様に戦闘終了となりました。頭では分かっていましたが、あっけなさすぎて何だか拍子抜けした気分です。
まだインド交易をするには穀物海岸を通るしかない頃に、商用サムブークや輸送用大型ガレーに乗って海賊の存在にびくびくしながら往復していた身としては、これっていいことなのかなぁと少し微妙にも思います。その‘びくびく’があったから長距離の航海も楽しめたわけで。もちろん「上納品は持たない」という選択肢は依然残るので本人次第なのも確かです。ただ最初からこのアイテムに慣れてしまうルートをたどってしまうと、このゲームに飽きるのが早くなるような気も。あくまでひとごとですが、そういうケースがあるとすれば残念です。
ところでこのとき襲ってきた海賊は3人組で、上記の無差別海賊団とはまた別の無差別海賊を標榜しているグループの面々でした。まだ海事レベルが中途半端なためか乗っている船の構成もでこぼこで、海賊船も軒並み大型化したなかちょっと懐かしい感じも。彼らはこちらが軍船の場合ソロで近づいても逃げていくんですね。このあたりもすばしっこい正味の海賊っぽくって、上記の海賊団とは別の意味でアリかもなぁと。(笑)
▼画像とおまけ
今回は賞金首/賞金稼ぎ関連ということで、画像はフィリバスタクエの一幕。以下おまけ。
俺たちゃ海賊! −激動の東アジア海上史− :
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku.html
東アジアを軸とした海賊史まとめです。図解も豊富で専門書並みの充実ぶりを見せています。やはり東南アジアにはジャンク船が行き交ってほしいですよね。北欧型重ガレーのアユタヤ艦隊が徘徊する姿など、‘大航海時代online’で最もフェイク感が漂っている光景のように極私的には思うのです。(笑)
『パイレーツ・オブ・カリビアン』、きのうから第3作が日本公開に。すっかり海賊映画の代名詞的存在となりましたね。第1作について書いた過去記事(「Job Description 2:〜」昨年7月23日記事)では作品を巡る製作背景に焦点を当てたので、今回はできるだけ作品内容にシフトしてみます。
とはいえこれから観ようというかたも多いでしょうから、ここではストーリーを追うことはせず、代わりにキーワードを3つ。「世界の果て」と「父と子」、「船」。では参ります。
◆世界の果て
サブタイトルにもある通り、この作品では「ワールドエンド(世界の果て)」が大きな意味をもっています。原題では"At World’s End"と’at’が付いているように、ストーリー進行そのものが「世界の果て」を主舞台として展開するのですね。しばらく前に当ブログで紹介した予告篇動画にも出てくるので記憶にあるかたもいるかもしれませんが、視覚化されたこの「世界の果て」はなかなかに凄かった。とにかく本作は視覚エフェクトの点で目を見張る場面が前作よりも増えていました。
以前にも触れましたが、この第3作は昨年公開された第2作と同時撮影されているんですね。つまりエフェクト等を含む編集作業のみに1年近い時間をかけることが可能だったわけで、この時差を両作品の差異化へとうまく活かした構成になっていることが窺えます。
◆父と子
作品前半では世界各地の大海賊9名による‘評議会’開催までの顛末が描かれるのですが、この会議の場で大海賊の首領たちをも黙らせる‘海賊の掟’の番人として登場する男がいます。3、4ヶ所しか出番がないもののやたらにカッコいい役柄で、ひと目みてスパローの父親だったらいいなと個人的に思いました。
というのも3人の主人公のうち鍛冶見習いだった青年と貴族出身のヒロインの2人については、前2作ですでにそれぞれの父親が登場し重要な役割を果たしていますが、本作においてはさらにそのプレゼンスを増しているんですね。そこでもしかしたらこの作品の裏テーマは‘父と子’かもなという気配を感じていたからなのですが、この掟の番人、その後のシーンでやはりジャック・スパローの父であることが明かされます。
実を言うと“パイレーツ・オブ・カリビアン”の第1作は、興行的成功を収めた一方でディズニー製作の映画としては初めてPG-12指定を受けた作品でもあったので、もしかしたらここには教育的配慮を前面に出す意図が働いたのかもしれません。しかも考えてみるとこの3人の父親、作品の根幹となる本筋のみを採り出すと必ずしも彼らが主人公3人の父親である必要はないんですね。むしろ‘父と子’の裏テーマを付加させるべく彼らの存在がクローズアップされたとみると、複雑なストーリー構成が幾分スッキリしてきます。
‘父と子’を‘継承’の問題と広げて考えると、その船の船長、その盟主、その伝統は誰が継ぐのかといったテーマが本編中でたびたび俎上にあがっているのがわかります。第2作でも登場したフライング・ダッチマン(さまよえる幽霊船)の船長も意外な人物が継ぐことに。乞うご期待。(笑)
◆船
とにかくお金のかかった米メジャー製作による大作映画、見どころの一つに視覚表現の卓越さがあるのは言うまでもないところですが、本作においては大航海時代当時の船舶や建築物の再現にもそれが活かされています。といっても見た目の質感が重要視されるので歴史考証的な厳密さは求められないわけですが、たとえば第2作以降終始不穏な敵役として振る舞うイギリス東インド会社の重役ベケット卿が登場するシーンなど、提督居室のインテリアや手にする小道具がなかなかよく出来ていて見ごたえを感じました。
また彼の乗る四層甲板の超一等戦列艦が、この映画ではすでにお馴染みのブラックパール号(快速フリゲート艦)とフライング・ダッチマンから同時砲撃を受ける場面があるのですが、このシーンなどは敵の意表を突いた戦術にアブキール海戦でナポレオン艦隊を破ったネルソン提督の鬼謀を彷彿とさせるものがあり、ちょっと感動してしまいました。ここでベケット卿が茫然としつつ艦橋を降りる場面など、リア王や『乱』における仲代達矢のごとく‘世界の王の終わり’の元型イメージにけっこう迫っていたと思います。
少し話が逸れますがこのベケット卿、史実上のイギリス海軍省の幹部(ロード・オブ・アドミラルもしくはロード・オブ・ハイ・アドミラル、海軍卿)とイギリス東インド会社の重役が意図的に混同された役柄となっているんですね。もし史実上にそんな人物がいたら、当時の世界で5本指に入るほどの実権の持ち主にたぶんなります。現代で言えば陸海空軍を手にしたビル・ゲイツといったところ。
前作の終わりでイカの怪物クラーケンによってスパローともども海中に引きずり込まれたブラックパール号、その直前のシーンでクラーケンによって別の船が両断されたため記憶が混ざりがちなのですが、破壊はされずに丸ごと海に呑み込まれていることが本作への布石になっています。本作ではとんでもない場所を信じがたい航法で進みます。これは予想しようもないシーンでした、とだけここでは書いておきます。(笑)
第2作で海中から現れるという凄まじい登場の仕方をしたさまよえる幽霊船フライング・ダッチマンについても触れておくと、この船が召喚できたクラーケンは前作でお役御免となりつつも、船首に配されたギャトリングガンをそのまま大型化したような三連装砲や、木造船なのに空恐ろしい速度で沈んでいく潜航能力など、本作でも存分に見る目を楽しませてくれています。また今回はこの船が海中から現れる仕掛けについても、ジャック・スパローの天才的というか彼らしいとぼけた思いつきからその秘密が明かされます。
◆配役その他
第3作は一応完結編ということもあり、他にもいろいろな謎が順次明らかにされます。その過程で初めてデイヴィ・ジョーンズ(軟体動物の化け物、フライング・ダッチマンの船長)をビル・ナイが演じていることに気づきかなり驚きました。CG処理で顔を覆われてほとんど目と仕草だけの演技なのですが、なるほどこういう役柄ほど実のある役者でなければ務まらないのは確かだなぁと感心も。それに比べるとチョウ・ユンファ演じる華僑の海賊を始めとする‘9人の大海賊’については、もう少し個々につくり込みが欲しかったかなとも。ジョニー・デップはつくづく立ち位置の不思議な役者だなぁと思うのですが、彼の見せ場は前作のほうが多かったかもしれません。
エンドロールは最後まで見ることをお薦めします。早々に席を立つひとも多そうですが、第2作にもあったようにおまけシーンが付いてます。構成的にはプロローグに登場する処刑台を前にした少年とかすかに呼応しており、わたしなどはここでこの映画に施されたもう一つのテーマについて‘やっぱりそうなんだ’と再確認したわけですが、その理由も観に行ったかたにはお分かりになるはず。ぜひ。(笑)
"Pirates of the Caribbean: At World’s End" by Gore Verbinski / Johnny Depp, Orlando Bloom, Keira Knightley, Geoffrey Rush, Bill Nighy, Yun-Fat Chow/ Jerry Bruckheimer [prd.] / Hans Zimmer [music] / 170min / US / 2007
とはいえこれから観ようというかたも多いでしょうから、ここではストーリーを追うことはせず、代わりにキーワードを3つ。「世界の果て」と「父と子」、「船」。では参ります。
◆世界の果て
サブタイトルにもある通り、この作品では「ワールドエンド(世界の果て)」が大きな意味をもっています。原題では"At World’s End"と’at’が付いているように、ストーリー進行そのものが「世界の果て」を主舞台として展開するのですね。しばらく前に当ブログで紹介した予告篇動画にも出てくるので記憶にあるかたもいるかもしれませんが、視覚化されたこの「世界の果て」はなかなかに凄かった。とにかく本作は視覚エフェクトの点で目を見張る場面が前作よりも増えていました。
以前にも触れましたが、この第3作は昨年公開された第2作と同時撮影されているんですね。つまりエフェクト等を含む編集作業のみに1年近い時間をかけることが可能だったわけで、この時差を両作品の差異化へとうまく活かした構成になっていることが窺えます。
◆父と子
作品前半では世界各地の大海賊9名による‘評議会’開催までの顛末が描かれるのですが、この会議の場で大海賊の首領たちをも黙らせる‘海賊の掟’の番人として登場する男がいます。3、4ヶ所しか出番がないもののやたらにカッコいい役柄で、ひと目みてスパローの父親だったらいいなと個人的に思いました。
というのも3人の主人公のうち鍛冶見習いだった青年と貴族出身のヒロインの2人については、前2作ですでにそれぞれの父親が登場し重要な役割を果たしていますが、本作においてはさらにそのプレゼンスを増しているんですね。そこでもしかしたらこの作品の裏テーマは‘父と子’かもなという気配を感じていたからなのですが、この掟の番人、その後のシーンでやはりジャック・スパローの父であることが明かされます。
実を言うと“パイレーツ・オブ・カリビアン”の第1作は、興行的成功を収めた一方でディズニー製作の映画としては初めてPG-12指定を受けた作品でもあったので、もしかしたらここには教育的配慮を前面に出す意図が働いたのかもしれません。しかも考えてみるとこの3人の父親、作品の根幹となる本筋のみを採り出すと必ずしも彼らが主人公3人の父親である必要はないんですね。むしろ‘父と子’の裏テーマを付加させるべく彼らの存在がクローズアップされたとみると、複雑なストーリー構成が幾分スッキリしてきます。
‘父と子’を‘継承’の問題と広げて考えると、その船の船長、その盟主、その伝統は誰が継ぐのかといったテーマが本編中でたびたび俎上にあがっているのがわかります。第2作でも登場したフライング・ダッチマン(さまよえる幽霊船)の船長も意外な人物が継ぐことに。乞うご期待。(笑)
◆船
とにかくお金のかかった米メジャー製作による大作映画、見どころの一つに視覚表現の卓越さがあるのは言うまでもないところですが、本作においては大航海時代当時の船舶や建築物の再現にもそれが活かされています。といっても見た目の質感が重要視されるので歴史考証的な厳密さは求められないわけですが、たとえば第2作以降終始不穏な敵役として振る舞うイギリス東インド会社の重役ベケット卿が登場するシーンなど、提督居室のインテリアや手にする小道具がなかなかよく出来ていて見ごたえを感じました。
また彼の乗る四層甲板の超一等戦列艦が、この映画ではすでにお馴染みのブラックパール号(快速フリゲート艦)とフライング・ダッチマンから同時砲撃を受ける場面があるのですが、このシーンなどは敵の意表を突いた戦術にアブキール海戦でナポレオン艦隊を破ったネルソン提督の鬼謀を彷彿とさせるものがあり、ちょっと感動してしまいました。ここでベケット卿が茫然としつつ艦橋を降りる場面など、リア王や『乱』における仲代達矢のごとく‘世界の王の終わり’の元型イメージにけっこう迫っていたと思います。
少し話が逸れますがこのベケット卿、史実上のイギリス海軍省の幹部(ロード・オブ・アドミラルもしくはロード・オブ・ハイ・アドミラル、海軍卿)とイギリス東インド会社の重役が意図的に混同された役柄となっているんですね。もし史実上にそんな人物がいたら、当時の世界で5本指に入るほどの実権の持ち主にたぶんなります。現代で言えば陸海空軍を手にしたビル・ゲイツといったところ。
前作の終わりでイカの怪物クラーケンによってスパローともども海中に引きずり込まれたブラックパール号、その直前のシーンでクラーケンによって別の船が両断されたため記憶が混ざりがちなのですが、破壊はされずに丸ごと海に呑み込まれていることが本作への布石になっています。本作ではとんでもない場所を信じがたい航法で進みます。これは予想しようもないシーンでした、とだけここでは書いておきます。(笑)
第2作で海中から現れるという凄まじい登場の仕方をしたさまよえる幽霊船フライング・ダッチマンについても触れておくと、この船が召喚できたクラーケンは前作でお役御免となりつつも、船首に配されたギャトリングガンをそのまま大型化したような三連装砲や、木造船なのに空恐ろしい速度で沈んでいく潜航能力など、本作でも存分に見る目を楽しませてくれています。また今回はこの船が海中から現れる仕掛けについても、ジャック・スパローの天才的というか彼らしいとぼけた思いつきからその秘密が明かされます。
◆配役その他
第3作は一応完結編ということもあり、他にもいろいろな謎が順次明らかにされます。その過程で初めてデイヴィ・ジョーンズ(軟体動物の化け物、フライング・ダッチマンの船長)をビル・ナイが演じていることに気づきかなり驚きました。CG処理で顔を覆われてほとんど目と仕草だけの演技なのですが、なるほどこういう役柄ほど実のある役者でなければ務まらないのは確かだなぁと感心も。それに比べるとチョウ・ユンファ演じる華僑の海賊を始めとする‘9人の大海賊’については、もう少し個々につくり込みが欲しかったかなとも。ジョニー・デップはつくづく立ち位置の不思議な役者だなぁと思うのですが、彼の見せ場は前作のほうが多かったかもしれません。
エンドロールは最後まで見ることをお薦めします。早々に席を立つひとも多そうですが、第2作にもあったようにおまけシーンが付いてます。構成的にはプロローグに登場する処刑台を前にした少年とかすかに呼応しており、わたしなどはここでこの映画に施されたもう一つのテーマについて‘やっぱりそうなんだ’と再確認したわけですが、その理由も観に行ったかたにはお分かりになるはず。ぜひ。(笑)
"Pirates of the Caribbean: At World’s End" by Gore Verbinski / Johnny Depp, Orlando Bloom, Keira Knightley, Geoffrey Rush, Bill Nighy, Yun-Fat Chow/ Jerry Bruckheimer [prd.] / Hans Zimmer [music] / 170min / US / 2007
オスロ大海戦の報告です。とうとう5週遅れに。
初日 : 37勝 3敗 4分け 勝利ポイント 71 戦功 87
中日 : 52勝 6敗 6分け 勝利ポイント 94 戦功 117
千秋楽 : 59勝 9敗 5分け 勝利ポイント 93 戦功 106
画像下半の戦績画面、初日SSを撮り忘れてしまったので個人戦功部分のみ2日目の数字が2つ並んでます。さすがに遅くなりすぎたので、継続記録の意味合いから短めに。
▼海戦総覧:
昨年7月以来となるイスパニア主導の大海戦、標的港はスカンディナヴィアの中枢オスロ。連盟は西+仏vs英+蘭、会戦海域は北海+ユトランド半島沖。この連盟とこの海域の組み合わせは昨今の大海戦における一定番となった観あり。ただ同海域での過去の大海戦と比較し際立ったのは、主戦場の明確な分立状態が起きたことでした。これまでこの組み合わせではもっぱらヘルデルーハンブルク間の陸沿いに対人戦闘が集中していたのですが、今回はコペンハーゲン沖がこれに加わりました。
形勢は終始イスパニア側数的優位にて推移、そのままイスパニア軍の勝利へ(勝率58%)。各時間帯別での勝利ポイントもつねにイスパニア側がイングランド側を上回りましたが、3日間全クラスを通し一方が他方を上回るというのは過去の大海戦全体を見渡しても稀なケースと言えそうです。前回の大海戦記事(「アジアの砲哮」3月23日)でも触れましたが、一年前までは常勝を誇っていたノトスイングランドが他の5ヶ国に比べて昨今明らかに元気をなくしているように見えてなりません。少し気になるところです。
▼艦隊総括:
今回の大海戦では新しい試みとして、10隻を4-3-3隻の3艦隊に分け、さらにうち1、2隻が旗艦への追従を切って単独で交戦もしくは援軍参加をしていくという戦術に挑戦。前々回記事(「片舷斉射」4月21日含コメント欄)に詳しく書きましたが、これは一定の成果を出せたように思います。おもに‘名工の大工道具’消費の問題から、現状の仕様では常用戦術とするには至らなそうですが。
また上記に述べた主戦場の分立状態、とりわけ3日目にはコペン沖への対人艦隊の集中が激しく、自艦隊は2日目にコペン沖へ出張って失敗したことからこのエリアを敬遠してしまったため、この日の戦功数を“相対的に”大きく下げる結果へとつながりました。2日目に自艦隊からMVPを出していたこともあり、あまり大きな失策を犯したという雰囲気はなかったけれど、戦場の選択がこれほどの差を生むのかと驚いたのも確かです。3日目コペン沖で戦った艦隊は、両陣営ともに軒並み150前後の戦功を挙げていた様子。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 13 決定打 3 被撃沈 6 与クリ 18 被クリ 8
中日 : 与撃沈/拿捕 17 決定打 5 被撃沈 2 与クリ 32 被クリ 4
千秋楽 : 与撃沈/拿捕 15 決定打 8 被撃沈 1 与クリ 25 被クリ 2
初日むやみに連沈する場面があり、2日目以降は下手に狙いを外して沈まないことに注意を払いました。結果としては被クリティカル数が自分でも意外なほどに減っていたほか、敵旗艦の撃沈を意味する決定打率の向上にもつながったようです。ただ今回は著しく艦隊構成を変えながら戦ったので、これ以上細かい数値の相対比較はあまり意味を持ちそうにありません。
新PC環境での初めての大海戦でもありました。段違いに戦いやすくなりはしたものの、一年半慣れ親しんだ旧PCでの癖をそこかしこで実感したりも。古い癖が抜けるにはしばらくかかりそうです。
▼画像とおまけ:
画像上半、一同壁に向かって反省会の図。以下おまけ。
にっぽんのガレオン船:
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00033/contents/031.htm
船の科学館から朱印船のページを。こうして見ると船尾のせり上がり方はまさにDOLでもおなじみのガレオン船そのものですね。わたしに限らず縄文から始まる日本史の授業で‘朱印船’の語を刷り込まれたひとにとって、このつながりはけっこう新鮮に映るんじゃないでしょうか。ガレオンの船体構造に横桟の入った中国帆、なかなかです。
初日 : 37勝 3敗 4分け 勝利ポイント 71 戦功 87
中日 : 52勝 6敗 6分け 勝利ポイント 94 戦功 117
千秋楽 : 59勝 9敗 5分け 勝利ポイント 93 戦功 106
画像下半の戦績画面、初日SSを撮り忘れてしまったので個人戦功部分のみ2日目の数字が2つ並んでます。さすがに遅くなりすぎたので、継続記録の意味合いから短めに。
▼海戦総覧:
昨年7月以来となるイスパニア主導の大海戦、標的港はスカンディナヴィアの中枢オスロ。連盟は西+仏vs英+蘭、会戦海域は北海+ユトランド半島沖。この連盟とこの海域の組み合わせは昨今の大海戦における一定番となった観あり。ただ同海域での過去の大海戦と比較し際立ったのは、主戦場の明確な分立状態が起きたことでした。これまでこの組み合わせではもっぱらヘルデルーハンブルク間の陸沿いに対人戦闘が集中していたのですが、今回はコペンハーゲン沖がこれに加わりました。
形勢は終始イスパニア側数的優位にて推移、そのままイスパニア軍の勝利へ(勝率58%)。各時間帯別での勝利ポイントもつねにイスパニア側がイングランド側を上回りましたが、3日間全クラスを通し一方が他方を上回るというのは過去の大海戦全体を見渡しても稀なケースと言えそうです。前回の大海戦記事(「アジアの砲哮」3月23日)でも触れましたが、一年前までは常勝を誇っていたノトスイングランドが他の5ヶ国に比べて昨今明らかに元気をなくしているように見えてなりません。少し気になるところです。
▼艦隊総括:
今回の大海戦では新しい試みとして、10隻を4-3-3隻の3艦隊に分け、さらにうち1、2隻が旗艦への追従を切って単独で交戦もしくは援軍参加をしていくという戦術に挑戦。前々回記事(「片舷斉射」4月21日含コメント欄)に詳しく書きましたが、これは一定の成果を出せたように思います。おもに‘名工の大工道具’消費の問題から、現状の仕様では常用戦術とするには至らなそうですが。
また上記に述べた主戦場の分立状態、とりわけ3日目にはコペン沖への対人艦隊の集中が激しく、自艦隊は2日目にコペン沖へ出張って失敗したことからこのエリアを敬遠してしまったため、この日の戦功数を“相対的に”大きく下げる結果へとつながりました。2日目に自艦隊からMVPを出していたこともあり、あまり大きな失策を犯したという雰囲気はなかったけれど、戦場の選択がこれほどの差を生むのかと驚いたのも確かです。3日目コペン沖で戦った艦隊は、両陣営ともに軒並み150前後の戦功を挙げていた様子。
▼個人戦績:
初日 : 与撃沈/拿捕 13 決定打 3 被撃沈 6 与クリ 18 被クリ 8
中日 : 与撃沈/拿捕 17 決定打 5 被撃沈 2 与クリ 32 被クリ 4
千秋楽 : 与撃沈/拿捕 15 決定打 8 被撃沈 1 与クリ 25 被クリ 2
初日むやみに連沈する場面があり、2日目以降は下手に狙いを外して沈まないことに注意を払いました。結果としては被クリティカル数が自分でも意外なほどに減っていたほか、敵旗艦の撃沈を意味する決定打率の向上にもつながったようです。ただ今回は著しく艦隊構成を変えながら戦ったので、これ以上細かい数値の相対比較はあまり意味を持ちそうにありません。
新PC環境での初めての大海戦でもありました。段違いに戦いやすくなりはしたものの、一年半慣れ親しんだ旧PCでの癖をそこかしこで実感したりも。古い癖が抜けるにはしばらくかかりそうです。
▼画像とおまけ:
画像上半、一同壁に向かって反省会の図。以下おまけ。
にっぽんのガレオン船:
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00033/contents/031.htm
船の科学館から朱印船のページを。こうして見ると船尾のせり上がり方はまさにDOLでもおなじみのガレオン船そのものですね。わたしに限らず縄文から始まる日本史の授業で‘朱印船’の語を刷り込まれたひとにとって、このつながりはけっこう新鮮に映るんじゃないでしょうか。ガレオンの船体構造に横桟の入った中国帆、なかなかです。
風の鳴る
2007年5月18日 海のなかの見えない航路 コメント (3)
マニラの水上集落はすこし独特な形になっていて、
出航所から伸びる通路を樹の幹として、
左右へ枝が分かれるように種々の施設への桟橋が伸びている。
小さな桟橋の一つを渡ると、史実でマニラを‘発見’した
ロペス・デ・レガスピと話せたりもする。
樹の幹に当たるその通路は全体が右方向へゆるやかに湾曲しているのだけれど、
奥へ奥へと進むとやがて内陸への門につき当たる。
その門の向こうへ行かないことにはたぶん、
本当の意味でこの島、ルソン島に‘上陸’したとはちょっと言えない。
なぜならここでは港湾施設そのものがすべて水上にあるからで、
きっと門の向こうにはこの島の自然や人々の暮らす光景が
より豊かに広がっているからだ。
けれどもいまのところ、
プレイヤーがその門をくぐることは‘まだ’できない。
‘大航海時代Online’にはこうした、まだ通れない門、まだ開かない扉、
まだ入れない通り等々が無数にあって、
たぶんその多くはこれからもずっと開くことがなく、
だからプレイヤーはみなその向こうに踏み入ることがないままやがて、
このゲーム内世界をあとにする日をそれぞれに迎えるのだろうとおもう。
けれどそれでもこうした門や扉がたくさんあることを、
わたしはひそかに歓迎していたりする。
港町をかこう柵や壁の向こう側へと分け入ることはできなくても、
そのこちら側から見渡すことができる向こうの世界には
その土地土地の家屋や草木、家畜や象や場合によってはシマウマなんかが
ちゃんと配置されていて、それらをぼんやり眺めることで、
そこには自分が歩ける町並みと地続きの空間が
門や扉を通じてもっと大きなスケールで広がっていることを
きちんと視点を動かしながら確認できる。予感できる。
このことの意味はおそらく、ただの見た目よりもずっと深い。
マニラの水上集落をつらぬく通路の一番奥、
内陸へと続く門の手前には、
プレイヤーがこの島の土を踏みしめることのできる
スペースがすこしだけあって、
この土地の色鮮やかな服を着たこどもがふたり立っている。
男の子と女の子がひとりずつ。
仲良し同士のともだちか、あるいは姉弟なのかもしれない。
遠く異国の地からやってきたわたしに向かい、男の子が尋ねてくる。
「ねえねえ、どこから来たの?」
すこし落ち着いた感じの女の子がぽつりとつぶやく。
「よく北の方から大きな船がくるの。
珍しいものをたくさん積んでるんだよ」
実際にこの港を出航して北へ向かうと、
いまは数日もしないうちに
‘世界の果て’へと行き着いてしまうのだけれど。
けれどもしかしたらそうした事実のあるなしよりずっと、
こうしたセリフを話すこどもたち、大人たちがいることが
このゲームにとってはとても
大切なことなんじゃないかとわたしはおもう。
世界の果てのさらにむこう、
大なる船をあやつる人々の物影あり。
自船に日誌をつける船乗りがもしいたら、
この日の項はそう書き付けられるにちがいない。
耳を澄ませる。
耳奥より、かつて見たことのない構造をもつ
巨大な船舶が群れをなして波を割り、
未知の帆綱をはためかせる音が聞こえてくる。
出航所から伸びる通路を樹の幹として、
左右へ枝が分かれるように種々の施設への桟橋が伸びている。
小さな桟橋の一つを渡ると、史実でマニラを‘発見’した
ロペス・デ・レガスピと話せたりもする。
樹の幹に当たるその通路は全体が右方向へゆるやかに湾曲しているのだけれど、
奥へ奥へと進むとやがて内陸への門につき当たる。
その門の向こうへ行かないことにはたぶん、
本当の意味でこの島、ルソン島に‘上陸’したとはちょっと言えない。
なぜならここでは港湾施設そのものがすべて水上にあるからで、
きっと門の向こうにはこの島の自然や人々の暮らす光景が
より豊かに広がっているからだ。
けれどもいまのところ、
プレイヤーがその門をくぐることは‘まだ’できない。
‘大航海時代Online’にはこうした、まだ通れない門、まだ開かない扉、
まだ入れない通り等々が無数にあって、
たぶんその多くはこれからもずっと開くことがなく、
だからプレイヤーはみなその向こうに踏み入ることがないままやがて、
このゲーム内世界をあとにする日をそれぞれに迎えるのだろうとおもう。
けれどそれでもこうした門や扉がたくさんあることを、
わたしはひそかに歓迎していたりする。
港町をかこう柵や壁の向こう側へと分け入ることはできなくても、
そのこちら側から見渡すことができる向こうの世界には
その土地土地の家屋や草木、家畜や象や場合によってはシマウマなんかが
ちゃんと配置されていて、それらをぼんやり眺めることで、
そこには自分が歩ける町並みと地続きの空間が
門や扉を通じてもっと大きなスケールで広がっていることを
きちんと視点を動かしながら確認できる。予感できる。
このことの意味はおそらく、ただの見た目よりもずっと深い。
マニラの水上集落をつらぬく通路の一番奥、
内陸へと続く門の手前には、
プレイヤーがこの島の土を踏みしめることのできる
スペースがすこしだけあって、
この土地の色鮮やかな服を着たこどもがふたり立っている。
男の子と女の子がひとりずつ。
仲良し同士のともだちか、あるいは姉弟なのかもしれない。
遠く異国の地からやってきたわたしに向かい、男の子が尋ねてくる。
「ねえねえ、どこから来たの?」
すこし落ち着いた感じの女の子がぽつりとつぶやく。
「よく北の方から大きな船がくるの。
珍しいものをたくさん積んでるんだよ」
実際にこの港を出航して北へ向かうと、
いまは数日もしないうちに
‘世界の果て’へと行き着いてしまうのだけれど。
けれどもしかしたらそうした事実のあるなしよりずっと、
こうしたセリフを話すこどもたち、大人たちがいることが
このゲームにとってはとても
大切なことなんじゃないかとわたしはおもう。
世界の果てのさらにむこう、
大なる船をあやつる人々の物影あり。
自船に日誌をつける船乗りがもしいたら、
この日の項はそう書き付けられるにちがいない。
耳を澄ませる。
耳奥より、かつて見たことのない構造をもつ
巨大な船舶が群れをなして波を割り、
未知の帆綱をはためかせる音が聞こえてくる。