夜のなかの見えない航路
2007年3月17日 海のなかの見えない航路 コメント (8)
今週から‘大航海時代Online’の拡張版第3章
“Spice Islands”が幕を開けていて、
焦点となる東南アジアの香料諸島域から遠く中南米の街々に
いたるまで、ゲーム内ではどの地域でも
年に数度あるかどうかというくらいの賑わいを見せている。
むかしの知り合いもぽつぽつ復帰していたりして、
お互いにやりたいことはたくさんあるから挨拶もそこそこに
それぞれの目的地へ向かうのが常だけれど、
いま思えばむやみなことをあれこれと試したり
一緒に右往左往した頃の記憶がよみがえってくるようで、
ひとこと交わすだけでも懐かしく、嬉しい。
このゲームでは仲良くなったプレイヤーとは
しばしば‘フレンド登録’を交わすことになるのだけれど、
その集積である‘フレンドリスト’は現状128人までしか登録ができなくて、
このことを共通の悩みとしているプレイヤーはたぶん少なくない。
なぜなら今あるつきあいを優先して、
いまはINしなくなってしまったけれど
いずれまた久々の出会いを喜べるかもしれない友人の登録を消すことは、
できることならやはりしたくないからだ。
そういう温かいつながりがじんわりと
他のプレイヤーとのあいだに育ってくるということは、
大規模オンラインゲーム自体が初めてのわたしにとって
‘大航海時代Online’を通じて得た経験のうち
最も予想外でかつ、一番貴重なもののひとつだとおもう。
それでいまわたしの船が何をしているかというと、
今回新たに加わった港の多い東南アジア一帯をとりあえず
一人で黙々と航行していたりする。
なるべく新しい情報を耳に入れないようにして、
何はともあれ世界の果てへと向かって突き進む。
たとえば現実世界での2007年3月現在、
ゲーム内世界での最東端はニューギニア島のなかほどを南北に貫く
経度線になっていて、この線にぶつかると、
見わたすかぎり何もない洋上でいきなり水夫のひとりに
「船長! これ以上進むと世界の果てですぜ!
進路を変えさせてもらいやす! 」
などと高らかに宣言されて船の針路が変えられてしまうのだけれど、
どこでそうなるのかは実際に行ってみなければわからない。
わからない、と言いきってしまうのも少し嘘が入っていて、
どうやらオンラインゲームというものは関連する各種の情報サイトを、
プレイヤーが参照することを前提に作られているようなところがあるらしい。
プレイしているのと同じモニター上で手軽に見られるのだから
これは致し方のない部分もあって、けれどもこのことから
その種のネタバレサイト群を見るプレイヤーと
見ないプレイヤーの両方ともに楽しめるように作られていることが、
オンラインゲームではその資質上かなり大事な要件となっている。
それで‘大航海時代Online’における「世界の果て」に関しては
わたしは一貫して「見ないプレイヤー」なんである。
なので理性的に判断すればあるはずのない‘何か’を勝手に予感して、
何もない海原をひたすらまっすぐ進むことになる。
水夫さんたちからみれば、このうえなく不安な船長なんである。
えらんだ船がわるかった。
白状しよう。
ゲームを始めて間もない頃、
すでに南極は目指した。
東南アジアが実装された翌週には、
オセアニア大陸も確かめた。
じゃぁ具体的に何を確かめたのかといえばたいていは、
‘そこにはまだ何もない’ことを確認したに過ぎないのだけれど。
そもそも日本も中国もガラパゴス諸島もまだないというのに、
南極なんてあるわけない。
そんなこと本当はもう、航海に出るまでもなくわかってしまっている。
でも、ね。
‘大航海時代Online’の世界にとって本当に重要なことはたぶん、
どれくらい史実に即した地理や船、街並みが再現されているのかということや
ディティールがどれほど作りこまれているかということの
‘外’にある。
あるかどうかもわからない‘何か’に対して
プレイヤーがそれぞれに自由なイメージをふくらませ、
存分に空想を広げることのできる世界。
その‘何か’の息吹きをひそやかに、
けれどもたしかに聴きとることのできる世界。
そういう世界が息づいているかぎり、きっとわたしは夜ごと
‘大航海時代Online’に浸りたいと望み続けるのだろうとおもう。
まだこの世界における一番東端の港がカルカッタだった頃、
いまはプレイを止めている仲の良いフレンドの一人と、
夜な夜なマラッカ海峡を目指したことがある。
セイロンから東方へ、ほかには誰もいない海をずんずん進んで、
アチンもパレンバンもまだなかったけれど、
スマトラ島やマレー半島の陸影だけは先に実装されていて、
そのときはまだ見えていない港町の喧噪を
しっかりとそこに見ていた。
そしてその海峡に少し入ったところで現れたガレオン10隻と戦った。
この海賊たちは想像していたよりずっと強くて、
二人とも何度も沈んで、大量に積んできた資材も弾薬も尽きかけたとき、
相手の旗艦が奇跡的に混乱状態におちいって、なんとか拿捕に成功した。
それはこれまでプレイしてきた記憶のなかで、
いまだに最も熱中した戦闘の一つとなっている。
激しい海戦が終わって、もう水も食糧も残りわずかになって
いたのだけれど、さらに東へと針路をとった。
まだ誰も踏み込んだことのない領域を
自分たちだけがいま目にしているのだというように、
とてもわくわくしたのを覚えている。
でも結局、マラッカ海峡を抜けることはできなかった。
当時はそこに「世界の果て」が存在していたからだ。
そのあとのことはよく覚えていない。
おそらく艤装をぼろぼろにしてあたかも漂着でもするように
どこかインド東岸の港へとたどりつき、
お互い疲れきったまま何をする間もなしに
眠りへついたのだろうとおもう。
けれどその眠りはきっといつもより、
ほんの少し充実したものだったにちがいない。
‘フレンドリスト’の、もうずっとオフラインを意味する灰色表示のままの
友人の名をみるたびに、そこからはいつもこうした記憶がほんのりと
にじみだしてくる。
だから消せるわけ、ないんだ。
“Spice Islands”が幕を開けていて、
焦点となる東南アジアの香料諸島域から遠く中南米の街々に
いたるまで、ゲーム内ではどの地域でも
年に数度あるかどうかというくらいの賑わいを見せている。
むかしの知り合いもぽつぽつ復帰していたりして、
お互いにやりたいことはたくさんあるから挨拶もそこそこに
それぞれの目的地へ向かうのが常だけれど、
いま思えばむやみなことをあれこれと試したり
一緒に右往左往した頃の記憶がよみがえってくるようで、
ひとこと交わすだけでも懐かしく、嬉しい。
このゲームでは仲良くなったプレイヤーとは
しばしば‘フレンド登録’を交わすことになるのだけれど、
その集積である‘フレンドリスト’は現状128人までしか登録ができなくて、
このことを共通の悩みとしているプレイヤーはたぶん少なくない。
なぜなら今あるつきあいを優先して、
いまはINしなくなってしまったけれど
いずれまた久々の出会いを喜べるかもしれない友人の登録を消すことは、
できることならやはりしたくないからだ。
そういう温かいつながりがじんわりと
他のプレイヤーとのあいだに育ってくるということは、
大規模オンラインゲーム自体が初めてのわたしにとって
‘大航海時代Online’を通じて得た経験のうち
最も予想外でかつ、一番貴重なもののひとつだとおもう。
それでいまわたしの船が何をしているかというと、
今回新たに加わった港の多い東南アジア一帯をとりあえず
一人で黙々と航行していたりする。
なるべく新しい情報を耳に入れないようにして、
何はともあれ世界の果てへと向かって突き進む。
たとえば現実世界での2007年3月現在、
ゲーム内世界での最東端はニューギニア島のなかほどを南北に貫く
経度線になっていて、この線にぶつかると、
見わたすかぎり何もない洋上でいきなり水夫のひとりに
「船長! これ以上進むと世界の果てですぜ!
進路を変えさせてもらいやす! 」
などと高らかに宣言されて船の針路が変えられてしまうのだけれど、
どこでそうなるのかは実際に行ってみなければわからない。
わからない、と言いきってしまうのも少し嘘が入っていて、
どうやらオンラインゲームというものは関連する各種の情報サイトを、
プレイヤーが参照することを前提に作られているようなところがあるらしい。
プレイしているのと同じモニター上で手軽に見られるのだから
これは致し方のない部分もあって、けれどもこのことから
その種のネタバレサイト群を見るプレイヤーと
見ないプレイヤーの両方ともに楽しめるように作られていることが、
オンラインゲームではその資質上かなり大事な要件となっている。
それで‘大航海時代Online’における「世界の果て」に関しては
わたしは一貫して「見ないプレイヤー」なんである。
なので理性的に判断すればあるはずのない‘何か’を勝手に予感して、
何もない海原をひたすらまっすぐ進むことになる。
水夫さんたちからみれば、このうえなく不安な船長なんである。
えらんだ船がわるかった。
白状しよう。
ゲームを始めて間もない頃、
すでに南極は目指した。
東南アジアが実装された翌週には、
オセアニア大陸も確かめた。
じゃぁ具体的に何を確かめたのかといえばたいていは、
‘そこにはまだ何もない’ことを確認したに過ぎないのだけれど。
そもそも日本も中国もガラパゴス諸島もまだないというのに、
南極なんてあるわけない。
そんなこと本当はもう、航海に出るまでもなくわかってしまっている。
でも、ね。
‘大航海時代Online’の世界にとって本当に重要なことはたぶん、
どれくらい史実に即した地理や船、街並みが再現されているのかということや
ディティールがどれほど作りこまれているかということの
‘外’にある。
あるかどうかもわからない‘何か’に対して
プレイヤーがそれぞれに自由なイメージをふくらませ、
存分に空想を広げることのできる世界。
その‘何か’の息吹きをひそやかに、
けれどもたしかに聴きとることのできる世界。
そういう世界が息づいているかぎり、きっとわたしは夜ごと
‘大航海時代Online’に浸りたいと望み続けるのだろうとおもう。
まだこの世界における一番東端の港がカルカッタだった頃、
いまはプレイを止めている仲の良いフレンドの一人と、
夜な夜なマラッカ海峡を目指したことがある。
セイロンから東方へ、ほかには誰もいない海をずんずん進んで、
アチンもパレンバンもまだなかったけれど、
スマトラ島やマレー半島の陸影だけは先に実装されていて、
そのときはまだ見えていない港町の喧噪を
しっかりとそこに見ていた。
そしてその海峡に少し入ったところで現れたガレオン10隻と戦った。
この海賊たちは想像していたよりずっと強くて、
二人とも何度も沈んで、大量に積んできた資材も弾薬も尽きかけたとき、
相手の旗艦が奇跡的に混乱状態におちいって、なんとか拿捕に成功した。
それはこれまでプレイしてきた記憶のなかで、
いまだに最も熱中した戦闘の一つとなっている。
激しい海戦が終わって、もう水も食糧も残りわずかになって
いたのだけれど、さらに東へと針路をとった。
まだ誰も踏み込んだことのない領域を
自分たちだけがいま目にしているのだというように、
とてもわくわくしたのを覚えている。
でも結局、マラッカ海峡を抜けることはできなかった。
当時はそこに「世界の果て」が存在していたからだ。
そのあとのことはよく覚えていない。
おそらく艤装をぼろぼろにしてあたかも漂着でもするように
どこかインド東岸の港へとたどりつき、
お互い疲れきったまま何をする間もなしに
眠りへついたのだろうとおもう。
けれどその眠りはきっといつもより、
ほんの少し充実したものだったにちがいない。
‘フレンドリスト’の、もうずっとオフラインを意味する灰色表示のままの
友人の名をみるたびに、そこからはいつもこうした記憶がほんのりと
にじみだしてくる。
だから消せるわけ、ないんだ。